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1.高校生編①

 秒針の音がカチ、カチ、と一定のリズムを刻み、数字の十二に向かって進んでいく。教室の片隅で大木(おおき)依理(より)は、穴が空きそうなほど壁の時計を凝視し、少しずつ迫ってくる勝負の時を心待ちにしていた。それは斜め後ろの席にいる対戦相手、渡部(わたべ)光(ひかる)も同じだ。高揚していくテンション、そして。  キーンコーンカーンコーン。その音を聞くと物理の教師は教科書を閉じた。 「今日はここまで。号令」 「起立、気をつけ、礼」  その瞬間、二人の男子生徒が猛ダッシュで教室を飛び出す。授業後の後片付けをする他のクラスメイトや教師を置き去りにして。 「おーい、廊下は走るなー」  教師の忠告の言葉が僅かに耳を掠(かす)めたが、構わず依理と光は全速力で廊下を駆け抜けていく。階段を段飛ばしで飛び降りる光が僅(わず)かにリードし、それを依理が追いかける。下り階段の先にあるのは校舎一階の長い廊下だ。最後の直線で勝負は決まる。依理が力を振り絞り追い込みを掛けるも、階段で付けられた差を覆(くつがえ)すことは叶わず、先に光がゴールに到着した。 「おばちゃん! 明太チーズパンとチョコデニッシュ、あとミルクコーヒー!」  光は勝利の雄叫びの代わりに元気に注文する。お決まりの展開に、購買のおばちゃんも慣れた手つきで注文の品をビニール袋にまとめ、光に笑いながら問いかける。 「お会計は後ろの子がまとめてだね」 「うん、そう。ほら依理、お前も早く自分の注文しろって」 「はぁ、え、えっと……カツサンドと、たまご蒸しパン……」  ゼーゼー言いながら自分の注文を伝える依理。会計は二人分で千円を超えている。高校生からすればそこそこの出費だ。 「くっそ……光、ミルクコーヒー余計だろ! 俺今週漫画買う予定なのに」 「勝負なんだから文句言うなよなー。つーか勝てばいい話じゃん」 「勝てねぇよ、お前すばしっこ過ぎ。やっぱ背が低いほうが空気抵抗少なくていいよな」 「誰がチビだよ」  そんな言い合いをしながら、二人は買ったパンの袋を手に元の教室に戻っていく。週に一回、お昼休みの購買での会計を賭けてダッシュ対決をするようになってから依理は一度も光に勝てたことがなかった。先程は光のほうが自分よりも背が低いから有利だとイジったが、実際は光の運動神経の良さをわかっているし、多分一生勝てなさそうだとも思っている。負ける勝負だとわかっていても依理がこのお昼の対決に挑むのは、光とこんなやりとりをするのが楽しいからだ。 「お帰りー。依理、光。今日はどっちが勝った?」 「んなもん、俺に決まってんじゃん。楽勝」  教室に戻ると他の男子生徒に勝負結果を聞かれて、光は茶目っ気たっぷりにピースをして答える。やっぱりな、と手を叩いて笑うクラスメイトに依理はデカい声で主張する。 「マジでさ、お前らも勝負してみろよ。つーか光の対戦相手週替わりにしたほうがいいって。俺このままだと破産するわ」  勝手に二人でやっている対決に巻き込むなと断るクラスメイトたち。するとその時、数分前に忠告をガン無視された学年主任の教師が教室に入ってきた。 「おい、そこの凸凹コンビ! ダッシュ対決をやめろと何度言ったらわかるんだ!」 「はいはい、気をつけるってー。てかセンセーその呼び方すんなって!」  光は主任教師の説教を愛嬌であしらいつつ、凸凹コンビと呼ばれることに口を尖らせる。ちなみに依理は一八〇センチを超えるクラス一番の長身で、一方の光が一七〇センチ前後の比較的小柄で華奢な体格であることから、二人で馬鹿騒ぎをしているとそのように呼ばれるのであった。 「合ってるだろ、凸凹の凹担当で」 「だからチビ扱いすんなって! 依理がデカ過ぎるんだよ!」  二人でそんな言い合いを始めたので、主任教師も説教を諦めて教室を去っていく。それをクラスメイトたちが遠目で眺めながら笑っている。  これが自分たちの日常だ。特別なことはないのかもしれない。けれど、ずっと変わらず続けていきたい。卒業するまで、出来れば卒業してもずっとこんな関係でいられたらいい。面と向かっては言えないが、依理は光に対して常にそう思っていた。  × × ×  依理と光が仲良くなったのは、四月に二年のクラス分けで一緒になってからだ。 「大木―? これ落としてる」  きっかけは朝の登校時間中のことだ。依理が教室前の廊下でうっかりポケットからウォークマンを落とし、それをたまたま拾った光が声を掛けたのだった。 「ああ、ごめん。俺のだ」  依理がウォークマンを受け取ろうと手を伸ばすと光はすぐには返さず、片方のイヤホンを自分の耳に当て、再生されている音楽を聴いた。 「あ、ちょっと!」 「すげー、洋楽聴いてんの?」 「いや、まぁ。親父の影響でちょっと」 「へぇー。渋いな」 「あ、でも邦楽も聴くよ。アジカンとかスピッツとか」 「あー、その辺は俺も好き。アルバムとか持ってんの?」 「持ってる。興味あるんだったら貸すけど」 「マジ? 聴く聴く!」  人懐っこい性格の光は既にクラスの人気者で、誰とでも距離を縮めることが出来るヤツだ。依理も一言二言話をしただけですっかり打ち解け、二人はやがて親友となった。 「はい、借りてたアルバム。ありがとな」 「おう。どうだった?」 「すげぇ良かった。俺有名な曲しか知らなかったからさぁ。ライブ行きたくなるな」 「だろ? 渡部は、どの曲が一番好きだった?」 「光でいいよ。つーか名前呼びのほうがいい」 「え? お、おう……じゃあ光。俺も依理で」 「おっけー、依理。ちなみに俺のお気に入りは四曲目でーす」 「やっぱそうだよな!? 俺もなんだよ」 「はは、んじゃ今日は学校終わったらカラオケ直行だな」  二人とも部活動をやっていなかったということもあり、光のバイトの日以外はほとんど一緒に過ごしていた。コンビニ前やファーストフードでダラダラ過ごす日もあれば、ゲーセンに行く日もあったり、空き教室でギターの練習をする依理に光が付き合うだけの日もある。良くも悪くも目立っていた二人はそれなりに女子から声を掛けられることもあったが、依理は光と二人でいるほうが楽しいと感じていた。  × × × 「あのー大木君。お願いがあるんだけど」  十月。昼休み中教室内でパンをかじる依理に声を掛けたのは、同じクラスの女子で生徒会役員もしている三田さんだった。 「へ、俺に?」  急に珍しい相手に声を掛けられ、依理は不意打ちをくらったかのように間抜けな声で返事をしてしまう。だがそれでも三田さんは真剣な表情のままである。 「その、文化祭のステージコーナーの出演者が足りなくて……良ければ大木君に出て欲しいんだよね。ギター弾けるって聞いたから」 「ふあっ!?」  唐突な依頼内容に依理は再び間抜けな声で反応した。聞くと、出演予定だったダンスチームが怪我を理由に辞退してしまったらしい。元々出演志願者が例年より少ない状態だったこともあり、このままでは時間が大幅に余ってしまうため、出演をしてくれる人がいないか生徒会で必死に探しているのだと言う。現在の生徒会は三年生が中心なのだが、時期的に推薦入試が始まっている三年生では見つけることが難しく、二年生の生徒会役員である三田さんがなんとかして探し出そうとしている、という話だ。 「あと一週間しかないし無理言ってるのはわかってるんだけど……ダメかな?」 「いやー、俺も趣味でちょろっと弾いてるぐらいだし、人前で見せるってのは……」  お願いをしている三田さんの表情は切実だ。だが自分の演奏レベルの不安から、依理は簡単に了承することが出来ずにいる。すると傍で話を聞いていた光が口を出してきた。 「いいじゃん依理、出れば。お前ギター普通に上手いと思うけど」 「いや、でもなぁ」 「クラスの女子が困ってんだから助けてやれよ。つーか、なんなら俺と一緒に出るか」 「は……ええっ!?」  本日三回目の間抜けなリアクションをとる依理。しかしそんなことなど気にせず、光は勝手に三田さんと話を進めている。 「三田さん安心して。俺が依理連れて出るからさ」 「本当にいいの?」 「大丈夫大丈夫! 生徒会に言っておいて!」  光が調子良くそう言うと、三田さんはホッとした様子でその場から去っていった。三田さんが目の前からいなくなると、依理はすかさず光の肩をどつく。 「おい、何勝手に決めてんだよ光!」 「お前がダラダラ返事渋ってるからだろ」 「だって俺、今まで自分一人の時か光と一緒の時でしか弾いたことないし……文化祭なんてすげぇいっぱいに見られるじゃん!」  普段散々光と馬鹿騒ぎをしてクラスで目立っている依理だが、実はこういった発表の場では意外と緊張する性格なのである。すると光が依理の肩を抱き、優しく笑いかけた。 「大丈夫だよ、依理なら。何回も聴いてる俺が保証する。てか、俺と一緒に出るなら安心だろ?」 「まぁ。でも……」 「それとも何、お前俺と一緒に歌うの嫌なの?」 「いや、そういうわけじゃないけど……」 「じゃあいいじゃん。思い出作りだよ!」  光から満面の笑みを向けられ、依理は断る理由を失った。ギターについては小さい頃から音楽好きの父親の見様見真似で弾いていただけでステージで披露するという経験はない。人に見せられるようなものが出来るのか不安で最初は躊躇してしまったが、光と一緒なら演奏の出来なんて関係なく楽しい思い出になる。そう思ったのだった。  依理と光は、文化祭出演を決めたその日の放課後から早速練習を始めた。 「光。サビのところ、もう一回確認しよ」  依理がアコースティックギターを弾きながらハモリパートを歌い、光がメインで歌う。散々聴きまくったスピッツの曲を選び、練習中は二人らしからぬ真剣さだ。 「ちょっとだけリズム意識して。ここが決まればカッコよくなるはずだから」 「おう。やってみる」  譜面が読める依理が細かい部分を指摘すると光はすぐに修正をかける。光は感覚が鋭く、なんでも器用にこなせるのだ。 「……うん、いい感じ。光は耳もいいんだな」 「まぁな。依理も全然いけてんじゃん。カッコいいと思う」 「いや、今上手く弾けても本番緊張するかもしれねぇからな……」  褒められたことが照れくさくて、依理は頭を掻きながら誤魔化すように言った。その様子に光はクスッと笑う。 「何笑ってんの?」 「いや、別に。つーか改めて考えると、依理が部活やってないの意外だよな。吹奏楽とか音楽系の部活もあるじゃん」 「一瞬入部考えたけどな。吹奏楽部って割と陽キャなヤツ多くてさ……」  その言葉を聞いて、光は爆笑する。 「あははは、お前が陽キャ苦手ってマジウケるな。お前、絶対周りから陽キャだって思われてるのに」 「うるせー、元々の俺は人見知りなんだよ!」  依理がクラスで目立つようになったのは光と一緒に行動するようになってからであって、高校に入学した頃は友達も少なかったのだ。したがって今のように高校生活が充実しているのは光のおかげでもある。 「光だって、本当ならバリバリ運動部で活躍しててもおかしくないだろ」 「無理無理、俺は絶対バイトしなきゃだもん」 「そっか。……まぁでも、部活やってたらここまで仲良くならなかったかもだしな」 「そ。だからお互いベストな選択なんだよ」  光がそう言うと、依理もフッと笑った。そして照れ隠しのように、練習を再開するのだった。  それから一時間程経ち、下校放送が流れ始めたところで依理たちも練習をやめた。帰り支度を整え、教室から出て廊下を歩きながら、依理はいつも通りの質問を投げかける。 「んで、今日はこの後どうする? マック、サイゼ、サクッとコンビニ?」  最後の寄り道選択肢を呪文のように唱えた依理だったが、光からの返答は意外なものだった。 「ごめん、俺しばらく寄り道はパス。七時までには家に着いておきたいんだよな」 「そうなんだ。てか、文化祭の練習も本当は負担だったりする?」 「それはねーよ。そもそも俺が出るの後押ししたんじゃん。ちょっと家のことが色々あんの」  依理はそれ以上聞かないことにした。明るい声色で話すが、光は自分の家の話をする時一瞬顔を強張らせることがある。そして詳細は一切話さないのだ。光が話したくないのなら親友でも知るべきではない。 「わかった。明日はバイトだっけ?」 「そう。だから次の練習は来週の月曜だな」 「文化祭まであっという間だな……頑張らないと」  話題を文化祭の練習に戻し、二人は賑やかに喋りながら学校を出た。

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