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4.再会編①
「はぁー、超時間掛かったぁ。今週件数多過ぎません?」
「こーら、仕事中は文句言わない」
オンラインでの顧客対応が終わり、ビデオ通話を切った瞬間大きな溜め息と共に愚痴をこぼしたのは入社二年目のギャル社員・倉田 ちゃんだ。横に付いていた先輩女性社員の有野 はハイハイと宥 めながらパソコンのキーを叩き、報告資料の作成をしている。
「わかってますー。愚痴は酒の席で、ですよね」
「そういうこと。あ、大木。あんた今日は参加絶対だよ。この前バックレたんだから」
倉田ちゃんと話していたはずなのに突然話を振られ、向かいの席の依理はタジタジになりながら有野に返事をする。
「わかってるよ。てかバックレたってなんだよ。二日酔いだったからパスしただけじゃん」
「グチグチうるさい。合コン行くのは勝手だけど、チーム報告会にはちゃんと参加してって話。うちらのモチベ維持のためにも!」
有野にズバッと言われ、依理はそれ以上言い返すのをやめた。ちなみに『チーム報告会』とは同じチームで働く仲間の頑張りを称え合うために定期的に開かれる飲み会のことである。この時代には珍しい体育会系ノリの風習がある会社で、新卒で入社した当時は選択を見誤ったと感じた依理だったが、何だかんだで既に七年以上働き続けている。人は環境に適応していく生き物なのだ。
「大木さん、エクセルのデータ更新したんで確認お願いします」
ちょうどいいタイミングで依理の隣にいる後輩女性社員・古川 さんに声を掛けられ、依理は有野のサンドバッグ状態から解放された。古川さんは新卒で、チームの中では一番の後輩である。現在は依理が仕事を教えつつ、手が回っていない担当案件の資料作成をお願いしているのだ。
「ありがとう、確認する。あ、この前のパワポの資料凄い見やすかったよ」
「本当ですか? ありがとうございます!」
「あ。細かくて悪いんだけど、六ページ目一カ所だけ誤字があった」
「嘘っ、すみません……」
「大丈夫大丈夫。この前はすぐクライアントとの打ち合わせあったから俺が修正しておいたけど、次から気をつけてな」
「はいっ」
真面目な古川さんが返事をしたタイミングで十二時を知らせるチャイムが鳴った。
「細かいこと言ってくる先輩ウザいよなぁ、古川さん?」
ランチの誘いのために依理のデスクに近付いてきたのは、依理と同期のチャラ男・佐々木 と、倉田ちゃんと同じ入社二年目の男性社員・西口 だ。
「いやー、佐々木さんよりは大木さんのほうが優しいっすよ」
「うるせぇ、俺は女の子にしか優しくしねぇんだよ」
「佐々木、お前発言がいつもセクハラ一歩手前だから気をつけろよ。ごめんね古川さん」
「いえ、全然……」
古川さんに軽く謝って、依理は佐々木と西口と共にオフィスを出る。夜は『チーム報告会』と言う名の飲み会が確定しているので、ランチは社食で安く抑えようと三人の意見が一致した。
「佐々木。お前のせいで有野に小言言われたんだけど」
食券をカウンターに置き、きつねうどんを待ちながら依理は佐々木にぼやいた。同じく頼んだものを待っている佐々木はドンマイと依理の肩を叩く。
「悪かったな。不発だった上に有野にまで」
三人共麺類を注文したのでほぼ同じタイミングで提供され、ゾロゾロとうどんや蕎麦が乗ったお盆を持ってテーブルへ移動する。
「合コンの話っすか? 懲りないっすね」
「おうおう、一抜けしたからって余裕だな西口。まぁでも、俺も今度こそ卒業だな。ミカちゃんいけそうだし」
テーブルに着いてからも佐々木は合コンでいい感じになったミカちゃんの話ばかりをしていた。典型的な肉食系・佐々木に付き合って依理も西口も何度か合コンに参加したことがあるが、西口は早い段階で釣り上げることに成功して彼女が出来たのに対し、依理は先日も特に誰かと進展するなんてことはなかった。そもそも人数合わせで行ったつもりだったのだが。
「大木さーん、佐々木さんに先越されるなんて俺悔しいっすよ」
「西口、それどういう意味だよ!」
「だって大木さんのほうがイケメンだし優しいじゃないっすか!」
遠慮のない先輩後輩のやり取りをする佐々木と西口を尻目に、依理は黙ってきつねうどんを啜 った。今は女性や恋愛の話題は勘弁して欲しい時期なのだ。
「あれですよ。有野さんは断片的にしか知らないから、大木さんのこと『コロコロ彼女変えてるチャラいイケメン』だと思ってるんすよ」
「え、そういうこと? だから俺にあんな当たりキツいの?」
「実際は女子からの猛アタック断れなくて付き合うものの、最終的には振られてる残念イケメンなのにな?」
「……うるせぇよ。もうこの話題終わりにしてくれ」
先月、これも佐々木と参加した合コンが出会いだったのだが、交際三カ月目で別れてしまった。そして、今回もまた同じ台詞を相手の女性から聞くことになった。「依理、私のこと別に好きじゃないでしょ」と。こうして依理は、三カ月以内での破局の記録をまたしても更新してしまったのだ。
この呪いにかかったのは高校二年生の時だ。初めての彼女だった三田さんのことを、依理は大切にしていたつもりだった。大学受験に向けて塾通いが始まってはいたものの、こまめに連絡を返し、放課後は一緒に帰り、休日はデートもした。クリスマスと初詣を一緒に過ごして三田さんも楽しそうにしていたはずなのに、バレンタインの一週間前突如別れたいと言われてしまった。何処か気に入らないところがあったのか聞くと、彼女は言った。
「依理君は凄く優しい。優しいから、好きじゃないのに無理して私と付き合ってくれてるんだってわかっちゃった。ごめん……そっちのほうが断られるより辛いかも」
その言葉に依理はハッとさせられ、自分は三田さんを深く傷付けてしまっていたのだと気付いた。確かにあの頃は『ショックな出来事』で頭がいっぱいになっていた自覚があったし、三カ月の間三田さんからのお願いや誘いには応えていたが、自分から三田さんに何かを求めたことはなかったように思う。三田さんのことは優しく責任感のあるいい子だと思っていたが、彼女に対してそれ以上に気持ちがどうしても芽生えなかった。それを彼女自身が感じ取ってしまったのだ。
初めての恋愛体験が苦いものだったので、その後の高校生活は受験勉強に集中した。努力の甲斐あって志望していた私大には合格し、大学生になるとそれなりにキラキラしたキャンパスライフを送ることが出来た。就活も問題なく乗り切り、地元を出て東京の企業に就職した。その間、何度か女性から言い寄られて始まる恋愛もあったが『三カ月続かず振られる呪い』の威力は凄まじいものであった。
誰もが三田さんのような控えめで出来た子ばかりではない。独りよがりで我儘な女性は世の中に溢れていて「お願いだから付き合って」「お試しでいいから」などと言うガツガツ女子とも付き合ったが、そんな彼女らでさえ最終的には振る側になるのだ。お試しでいいと言っておきながら勝手ではないか。
こんなことの連続なので、依理はしばらく恋愛からは距離を置きたいと考えるようになっていた。同期の有野にはチャラ男だと誤解されてしまっているし、面倒を見ている古川さんにも嫌なイメージを持たれたくない。なんと冴えない三十代の幕開けだろう。
「んじゃあね〜古川さん。大木! 古川さんに手出すんじゃないよ?」
「出さねぇって。お疲れっす」
飲み会で酒乱と化した有野がJR新宿駅の改札前で依理に向かって叫ぶ。そんな有野を倉田ちゃんが無理矢理改札の中に押し込み、佐々木と西口も苦労しながらホームのほうへ誘導していくのを、依理と古川さんは視界から消えるまで見届けた。
「古川さんは何線だっけ?」
「大江戸線です」
「そっか。じゃあ駅まで送っていくわ」
古川さんは依理とは違う路線を使っているが、遅い時間に新宿を若い女性一人で歩かせるのは危険なので、先輩として送ってやれと佐々木に言われたのだった。JRから都営大江戸線の駅まで歩く間、依理は無難な会話を試みる。
「こんな頻繁に飲み会ある職場、しんどくない?」
「全然大丈夫です! 今日もいい話聞けましたし」
「マジで? 俺が入社一年目の時は『入る会社間違えた』って思ってたのに。偉いね」
最初はこんな大人しい子がこの環境でやっていけるのだろうかと心配していたが、古川さんは意外と根性がある。仕事も丁寧だし向上心もあるので、きっとすぐに独り立ちするだろうと依理は思った。
「大木さん、明日は何して過ごすんですか?」
今度は古川さんから話を振ってきた。ちなみに今日は金曜の夜で、依理たちの勤務先は暦通り土日祝日は休みなのである。
「何するんだろうなー。とりあえず昼まで寝るだろうし、起きてもテレビ見てたらあっという間に時間経つしな」
「趣味とかないんですか?」
「趣味か。昔は音楽よく聴いてたけどね。ギターも弾いてたし」
「ギター弾けるんだ……」
「あ、でも本当大したことないよ。もう今はインテリア化してるし」
「ちょっと聴いてみたいです。年末パーティーで弾いてくださいよ」
「いやー、それは厳しいかなぁ」
酒が入っているからか、古川さんは職場よりもお喋りだ。依理もいつもより砕けた雰囲気で会話をし、気付けば大江戸線の改札前まで来ていた。
「すみません、ありがとうございました」
「おう。じゃあ気をつけてな。また月曜」
「はい。おやすみなさい」
丁寧な挨拶をして古川さんは改札を潜 り、ホームがあるほうへ消えていった。見えなくなった後で依理は改めて自分のスマホを確認してみる。
「……やっぱ終わってるよなぁ」
薄々気付いてはいたが乗換案内のアプリで検索し、自分が使っている路線は終電が出てしまっているのを確認した。依理の家は新宿から電車一本だが、東京二十三区外であるためタクシーで帰ろうとすれば一万円以上掛かってしまう。
「どっか探すか」
まずはカプセルホテルとネットカフェを当たってみたが、どちらも満室。さすが金曜の夜、自分と同じ境遇の人で溢れているということだ。レイトショーをやっている映画館に入ったとしても今なら爆睡する自信がある。それはなんとなく勿体ない。よって、始発待ちが出来る飲食店を探すという最終手段を取ることにした。とは言え飲み会で疲れてはいるので、若者で賑わうチェーン店の居酒屋などではない、一人でまったりと長居が出来る店が望ましい。深夜営業中の店を検索し、何かと厄介な歌舞伎町エリアは避け、新宿三丁目あたりで探してみると、ちょうど良さそうなダイニングバーを発見したのでそこへ向かうことにした。
新宿の中心エリアから遠ざかっていくにつれて、少しずつ落ち着いた雰囲気になっていく。上京したての頃、新宿は怖い街だと思っていたが、最近は怪しげな界隈に近付かなければどうってことないのだとわかってきた。普通にしていれば、危険な思いをすることはない。普通に出来ていない愚か者が、他者の欲望や悪意に隙を突かれてしまうのだ。酔い潰れて路上に座り込んでいる自分よりも若そうな男女を見る度「もっと自分を大切にしなよ」という考えが浮かぶ。浮かぶが直接彼らに言うなんて出来るわけもなく、そう思うだけ思って今日も横を通り過ぎていく。
十分近く歩いてようやくお目当ての店に辿り着いた。グルメサイトの情報ではカウンターとテーブル席が少しだけのこじんまりとした店で、食事メニューも定評があるとのことだ。何店舗か飲食店が入っているビルの二階部分で、細い階段を上がってすぐ扉があった。
「こんばんはー」
扉を開けると店内は少々賑やかだった。ほとんど常連客なのだろうか、皆隣同士やカウンター内の店員と話したりしていてアットホームな雰囲気だ。見る限り空いているのはカウンター一席だけである。奥から男性店員が出てきて、依理がいる入口のほうへ近付いて来る。
「いらっしゃいませ、一名様……」
顔を見るなり言葉を失ったのは自分だけではなく、声を掛けてきた店員のほうも一緒だった。Tシャツとジーンズの上からシンプルなエプロンを付けているその人は、昔と変わらず華奢な体型で、それでも顔つきは大人っぽくなっていた。学生時代とは違って髪を明るく染めているからか、元の肌の白さが際立ち発光しているようにも見える。だが見間違えるわけがない。少し雰囲気が変わったとしても、十三年前死ぬほど一緒にいたのだから。
「光……?」
「……依理」
蓄積された疲労で怠重かったはずの体が、一瞬で軽くなったような錯覚に陥る。まるで、制服を着ていた十三年前に引き戻されたみたいだ。
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