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3.高校生編③
依理たちの高校の最寄り駅から一駅隣に、複数の路線が交わる大きな街がある。そこには大型ショッピングモールがあり、大抵の生徒は何処か寄り道をするとしたらここにやって来るのだ。その定番をなぞり、依理たちもショッピングモール内に併設されているアミューズメントエリアに足を運ぶ。ゲーセンエリアを抜け、よくあるチェーンのカラオケ店に入った。
「時間どうする? 二時間ぐらい?」
「だったら三時間パックと金額変わらなくね?」
「依理三時間も歌えんの?」
「いけるっしょ、余裕で」
フリードリンク付き三時間パック利用で受付を済ませると、二人用の小さめの部屋に通された。それぞれ一台ずつデンモクを取り、曲探しを始める。
「依理、今日他に用事なかったの?」
デンモクを操作しながら光が依理に話し掛けた。
「ないよ。あ、でも来月から塾通うことになったから来週多分見学行く日がある」
同じくデンモクを操作しながら依理が答えると、光は「へぇ」と相槌を打ちながらも、まだ何か言いたげだった。
「他にさ」
言いかけた声を、依理が入れた一曲目の爆音イントロが掻き消す。やたらとテンションの高い依理が、マイクのスイッチを入れた状態で光に喋り掛ける。
「っしゃあ、サビんとこ光も一緒に歌えよぉ!」
「ちょ、マイクで喋んなっ」
こういった調子でカラオケタイムに突入し、交互に曲を入れて時には一緒に歌い、文化祭で披露した曲を入れてはステージでやったパフォーマンスの再現をしたりもしてはしゃぎ倒した。
光が隣で楽しそうにしている。その姿を見てホッとし、依理は昼休みの違和感を忘れたかのようにカラオケに没頭した。
「あー、やっぱ俺キー的にこの曲はキツかったな……」
曲が終わった後に感想を呟くが、リアクションが返ってこず依理の独り言のようになってしまった。気付けば予約曲がなくなっていて、モニターには広告映像が流れ始めている。光はというと、新たに曲を入れる様子はない。フリードリンクのグラスに刺さっているストローの飲み口を、手持ち無沙汰な風に指で潰して遊んでいた。
「光、次の曲入れないの?」
「うん。なんか疲れた」
二時間以上歌いっぱなしなのだから当然と言えば当然だが、やはり気掛かりではある。依理はデンモクをテーブルに置き、光との距離を詰めて座った。
「なぁ、昼休みからちょっと変だと思うんだけど。気のせい?」
依理が話を切り出すと、光ははぐらかすように目を逸らす。視線はずっと無意識に弄っているストローに固定されていて、やがて短く溜め息をついた。
「……お前、俺に言ってないことあるだろ」
少し不機嫌そうな声色を聞いて、依理はドキッとする。もしかしたら、光は既に知っているのではないだろうか。
「え……三田さんに告白されたこと?」
「それしかねーだろ」
「ちょっと待って、何で知ってんの? 今日の今日だぞ」
「古典の前に声掛けられてたじゃん。俺はそれで察した」
それを聞き、ようやく何故光が一人で学食に行ってしまったのかを理解した。完全に気を遣われていたということだ。何も気付いていなかったことに申し訳なく思っていると、更に衝撃的事実が明かされる。
「ちなみに矢沢とかももう知ってる」
「え、嘘だろ!? 何でそんな広まってんの?」
「いや、広まるに決まってんじゃん。三田さんがいるグループ、お喋りなヤツいるし。付き合うことになったのもバレてるから」
依理は頭を抱えた。目撃者の少なさに安心しきっていたが、友人付き合いによってはあっという間に情報拡散されてしまうということなのか。恐るべし恋バナ、である。『文化祭に出ていたギター少年』だけではなく『生徒会役員・三田さんの彼氏』という情報が追加され、噂される未来を想像し、複雑な気持ちになった。
「マジかよ……俺、こういう話題で目立ちたくないんだけどな」
「なぁ依理、俺に隠しておくつもりだったわけ?」
依理が不本意な形で学年の有名人になりかけていることを勝手にショックに感じている間も、何故か光はずっと不機嫌そうなままである。親友に逸早 く報告しなかったことを怒っているのだろうか。
「いや、どっかのタイミングで言うつもりではあったよ?」
「てかさ。今日学校終わって、なんで俺とカラオケしてんの?」
「それは、お前がなんか変だなーって思ったから様子伺おうと……」
不機嫌な表情の光から繰り出される質問に答えながら、依理は混乱していた。光の質問の意図と不機嫌な理由がどれだけ考えてもわからないのだ。
すると、遂に痺れを切らした光が説教モードで言い放つ。
「あのさぁ! 普通付き合うことになったら、時間は彼女のために使うだろ。俺じゃなくて!」
「え……あ」
光から指摘されて、依理はようやく自分のダメっぷりに気付いた。三田さんからすれば、告白に成功して彼氏彼女の関係になった初日の放課後は、一緒に帰ったりファーストフードかファミレスに寄り道したりして、お互いのことを知るためにいろいろ話して過ごしたかったはずだ。それを彼氏側からさりげなく提案してやるのがベストなのだろう。なのに自分ときたら彼女のことなんてすっかり頭から抜け落ちていたし、いつもと変わらず友達と遊んで過ごしてしまっている。
自分の気の利かなさに依理が凹んでいると、光は少々呆れを含んだように笑った。
「明日から三田さんと帰りな。わかった?」
「……なんかごめん、色々と」
「さて。んじゃまぁ、お前の一番身近なダチとして詳しく聞かせて貰いましょうか?」
「はぁ!?」
依理がしゅんとしているのを見て光は悪い顔になり、カラオケマイクをリポーターのように依理に向ける。こうなれば依理がとことん恥ずかしくなるようにイジり倒してやろうという魂胆だ。
「大木依理さん! 三田さんのことはズバリ、前から好きだったのでしょーか?」
「な、何でそんなこと聞くんだよ……」
「いいじゃん別に。なんか知んねぇけど、俺らそういう話今までしてこなかったじゃん。お前の恋バナ聞いてみたいんだよ」
二人は仲良くなってから今まで、不思議と恋愛にまつわる話をしたことがなかった。考えてみれば、年頃の男子学生なのに女の子の話を一切せず、男同士でずっとふざけあってゲーセンやカラオケで遊んでいるのは珍しい部類に入るのだろう。改めて聞かれると気恥ずかしい感じはするが、依理は少し考えてから正直な思いを語ることにした。
「ぶっちゃけ、告白されるまで気にしたことなかった。しっかり者で優しそうとは思ってたけど」
「へぇー。じゃあ、告られたし彼女出来るんだったらいいっかー、みたいなノリ?」
「違うって。……いや、どうなんだろ。そんなチャラいつもりじゃないんだけどさ。勇気出して告白してくれたのを、断るのは悪いなぁーとか思って」
「はぁ? 何それ」
依理の話を聞いている光は、またグラスのストローを弄り始め、潰した飲み口に爪痕を付けたりしている。自分の話で光を苛立たせてしまっているのではないかと依理は思った。光とは一緒に馬鹿騒ぎをしてきた仲だが、なんとなく自分より光のほうが精神が成熟していると感じることが多々ある。ふざけているようで、実は気遣いが出来て思慮深い。そんな光からすれば、自分はヘタレ中のヘタレだ。
返す言葉が見つからず、只々気まずそうにしている依理。しかし、光が次に口にした言葉を聞いて耳を疑った。
「じゃあもし、三田さんより先に俺が依理に好きだって言ってたら、付き合ってくれたの?」
「え?」
意味を瞬時に理解出来ず、依理が聞き返そうと光のいるほうへ顔を向けると、思わず固まってしまった。そこにいた光の表情はとても儚げで、目を離すと消えてしまいそうな気がしたからだ。
「……えっと、俺も光のこと好きだよ? 実際今日だって、三田さんじゃなくて光と過ごすこと選んじゃってるし」
変な勘違いをして気まずくならないように、でも嘘をつかないように、依理は答えた。新しく出来た彼女よりも、いつもと様子が違う親友のほうが気掛かりで、今日も放課後は光と過ごすことを選択したのは光のことが好きだからだ。
すると、光は寂しげに目を伏せ呟いた。
「お前の好きと、俺の好きは種類が違うんだよ」
ソファーの上に置かれていた依理の右手に、自分の左手を重ねる光。触れられた手に視線を向け、依理は初めて気付く。光の手は白く繊細で、女の子のように細く綺麗な指をしていたのだと。
光は右手で依理の顔を引き寄せ、キスをした。唇が触れ合った時間はほんの一瞬だったのに、依理はそれが何十秒もの長い時間かのように感じていた。何も言葉が出てこない。不快ではない、かと言って心地良いとは言い難い。いつもの明るく調子のいい雰囲気とは違う、光の知らない一面を知って只々混乱している。そんな感覚だ。
「光、お前」
「忘れて。今日中に」
突然けたたましい音がカラオケルームの中に鳴り響く。気付けば利用時間終了五分前だった。呆然としたままの依理を放って、光は壁に設置されている電話機を取った。
「はい。あー、延長なしです。ありがとうございまーす」
店員に電話で対応している光はいつもの調子に戻っていた。さっさと退出の準備を整え、依理の肩を叩く。
「ほら、もう行こ。時間ギリギリ」
「え、ああ。おう」
光に急かされ、カラオケ店を出た。光は駅までの道を歩いている間も普段通りで、今日の夜にやる音楽番組には誰々が出るだとか、明日の英語の宿題が多過ぎるだとか、本当に他愛のない話を脈絡なく並べている。依理はその一つ一つに反応するが、夢と現実の狭間にいるようなふわふわとした感覚だった。
あれは夢だったのだろうか。と言うか、今も夢の中なのか。じゃないと目の前の通常モードの光の説明がつかない。ずっとノリが合う親友として付き合ってきたヤツとあんなことをしたら気まずくなるのが普通だ。なのに光が全くそんな素振りを見せないのはあれが夢だったからなのではないか。
でもあの感触、伝わってきた体温は本物だ。間違いなく光とキスをした。そして今日中に忘れろと、そう言われた。
「じゃあな、また明日」
「あ、おい! 光!」
依理が一人考えを巡らせている間に駅に辿り着いてしまっていた。光は既に自分が乗る路線のほうへ歩き出していて、依理が慌てて呼び掛けても振り返らない。すぐに人混みに掻き消されてしまった光の後ろ姿を、依理はしばらくその場で立ち尽くしたまま、脳裏に焼き付けていた。
翌日。依理は家を出てから学校に到着し、教室までの廊下を歩いている今の今まで、ずっと光のことで頭がいっぱいだった。ウォークマンで流している音楽も何一つ入ってこないし、廊下ですれ違う生徒に挨拶をされても気の抜けた返事しか出来なかった。
教室に辿り着き、自分の席に座ると同時にチャイムが鳴った。少し遠い、窓際の席の三田さんがさりげなく依理に微笑みかけている。依理も控えめに笑顔を返すと、三田さんの前の席にいる友達女子がニヤけながら三田さんの肩を叩いていた。「朝からイチャついて〜」みたいなことだろう。だが今はそんな外野の反応よりも、今日光とどんな顔で会えばいいのか考えることが最大の懸案事項 だ。
斜め後ろの席は空席である。先程のチャイムをもって登校時間は終了なので、これ以降の到着は遅刻扱いになる。寝坊して遅刻なのか、それとも体調不良で欠席なのか。顔を合わせるタイミングが遅くなるだけ不安や気まずさが積み重なるような気がして何だか嫌な感じだ。
脳内でイメージトレーニングをしてみる。教室の扉が勢いよく開いて、元気よく「やっべ、寝坊したわ」と入って来たら、いつも通りに振る舞おう。昨日見た寂しげな表情も、繊細な指先も、唇に感じた感覚も全部忘れて。光とはあんな一瞬の出来事で壊れるような関係ではないはずだ。今までも、これからも、気の合う居心地のいい親友であること。それだけは変わらないし、変えたくない。
依理はそう言い聞かせ、教室に光が入って来るのを待ち続けた。だが光が現れる前に担任教師が入室し、朝のホームルームが始まってしまった。そして朝の挨拶が終わった後、それは告げられた。
「残念なお知らせがあります。渡部だが、急遽転校することになった」
教室がざわつく中、依理は一人言葉を失っていた。その後家庭の事情による転居が理由だと担任の口から語られ、それに対しクラスメイトたちが「ありえない」「そんな話一切してなかった」などと言って動揺していたが、依理にはそれらの音がまるで耳を塞いだ時のように小さくくぐもり、目の前の光景も徐々に灰色がかっていくように感じた。世界が、自分を置き去りにして遠のいていく。
「依理、お前光の転校のこと知ってたか?」
クラスメイトの男子が無情にもそんな言葉を投げかける。いつもべったり一緒にいたのだから、何か知らないかと聞いてくるのは当然のことだ。だがそれは依理をどん底に突き落とすには十分な威力があった。
「知らないよ。昨日も『また明日』って……」
ホームルーム終了後急いでスマホのメッセージアプリを確認すると、トークページは開けるもののプロフィールの閲覧が出来なくなっていた。また、光がいたグループチャットは全て退会になっている。おそらくアカウント自体を消してしまったのだろう。
何もわからないまま光は姿を消してしまった。今後どう接するべきかを昨日からずっと考えていたのに、顔を見ることさえも叶わなくなってしまったのだ。落としたウォークマンを拾って貰った日から、昨日駅前で見た後ろ姿まで、これまでの光と過ごした記憶の破片がスライドショ―のように脳内で再生される。全部、忘れられるわけがない。
途方も無い喪失感で、その後の授業も友人の言葉も、三田さんとの時間でさえも、依理の頭には何も残らなくなっていた。
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