1 / 2

第1話 PA

 濃い群青色の空が落ちる。  時速八十キロの車の中で、オレンジ色の電灯が線を描くように流れていくのを綾瀬信二は横目で見ていた。  大型トラックの銀色の背中を追いかけて、無骨なロマンが胸にじんわりと染み込んでいく。  先日の雨で、湿った道路が白い光を反射していた。晩夏の車内は蒸し暑く、何もしなければ身体中がベタついてしまうほどだった。 「ねぇ、今日車中泊にする?」  助手席から爽やかで、優しげな声が投げかけられた。チラリと表情を確認すれば、少しイタズラっぽい表情をしている宮藤の姿があった。 「ああ……念の為に聞くけどこの辺ってちゃんとしたホテルってあるのか?」  綾瀬はこの辺りをよく通る。定番の真夜中ドライブルートだ。当然、ホテルの有無を知っている。 「あーるよ。ジャンクション先にね。 ラブホテル」 「おう、ちゃんとしたホテルだな。 ラブホテルなこと以外はな」  藍色に染まる車内に、ノイズ交じりの交通情報が伝えられている。  二人は今日もこれから行く場所も、降りるべきジャンクションも決めていなかった。 「まあ男同士だと断られるッぽいからね」 「まあ、男って中身全部出さねえとできないんだろ? めっちゃ汚すらしいな」  ただただ、雑談をして、たまに運転を交代しながら、あてもなく車に乗ってどこかに行く。サークル時代から車にアウトドア用品や衣服を積んでいく癖がついたおかげで、今や綾瀬の車は好きに旅に出ていける要塞になっていた。  お湯だってシガーソケットから沸かすこともできるし、ポータブルバッテリーがあるから電気ケトルでも対応できる。  とにかく綾瀬の車の荷台には一夜過ごすことが出来る程度の物が大量に乗せられていた。 「へー、信二くわしいじゃん。じゃ俺たちも例にならって車中泊にしちゃおっかな。確かこの先のAサービスエリアって、朝早い時間からやってるよね」 「……そこだったら朝になったら降りりゃいいし、スパ銭近いだろ? 30になるとシャワーよりスパ銭でのんびりしてえんだわ」 「おじさんみたいなこと言ってるじゃん。まあ今週はキャンプは無しかな。蒸し暑いし」 「お前も同い年だっつうの……んじゃ決まりだな」  「やった」と小さくつぶやく宮藤の声をバックに綾瀬はエアコンの温度を下げた。もう秋口なのに、昼間の熱気はまだ道路に残っていた。前日の雨の湿気まで加わって、夜になっても蒸し暑い。同じ車に乗る宮藤もまた、しっとりと汗をかいているのか時折タオルを押し付けて顔を拭いている。  天気自体は太陽が出ていないが、こういうときほど熱中症になりやすい。綾瀬も宮藤も熟知している。念のためにと買ったお茶はすでに一リットル分は空になり、透明なボトルを通して歪んだ世界を映すだけだった。 「暑いよねえ……」  そうひとりごつ宮藤の先には、次のパーキングエリアまで残り一キロの看板が立っていることが分かった。 「わかる。超べたつく。もうすぐパーキングエリア着くけどどうする?」  綾瀬自身、腹の奥にわずかな圧迫感を覚え、相手の状況を知ろうと宮藤へと問いかけた。 「んー、次のでいいや。綾瀬は?」 「俺も。じゃスルーで」  そうして一つ目のパーキングエリアを超えた。その後しばらく二人の会話が無い、沈黙の時間が始まる。  暫くして、宮藤がぼそりと口を開いた。 「……エアコンの温度上げていい?」  宮藤が助手席からこちらを見上げるように身を乗り出す。綾瀬は何も言わずにエアコンの温度を上げた。 「あのさー、次のPA寄ってほしいかも」  宮藤が申し訳なさそうにつぶやくのを聞いて、綾瀬はその理由を察した。 「ああ、俺も今さら」 「飲み過ぎちゃったかな……」  宮藤と綾瀬は静かに尿意が強くなる感覚に襲われていた。綾瀬は軽く貧乏ゆすりをしながら口を開く。 「ごめん、俺が寒くし過ぎたかも」 「うう……すごくおしっこしたい」 「言語化しないでくれ。意識するから」  正面のトラックの背中を追いかけつつ、ちらりと宮藤を見る。不安そうな顔をして、前を眺める姿があった。宮藤もまた軽く貧乏ゆすりをしており、どうにか止めようと固まるが、二、三秒後にはまた無意識に足を揺らしていた。 「貴之。もう少ししたら、PAもう一個あるからそこで」  宮藤はビクンと体を震わせ、綾瀬の方を見た。気取られまいとでもするように、膝を寄せて身を固めている。 「……あ、信二ありがと。助かる~!」  朗らかな笑みを浮かべ、ほっとした表情を浮かべていた。そんな宮藤から目を離すと、次のパーキングエリアを示す標識が流れてくる。 「あと十分くらい。飛ばせるところは少し詰めるわ」  綾瀬は前方を確認し、流れに合わせて速度を上げた。トラックを追い越す。しばらくすれば、道路が分かれ、パーキングエリアに入るための道路が現れる。 「もうちょい……」 「……うん」  宮藤が小さくうなずいた。  少し不安そうな表情は子犬や子猫を彷彿とさせる。困った顔だった。 (おいおい……)  綾瀬は軽くこめかみに親指を当てて、首をふった。 (今宮藤は切羽詰まってんだよ、かわいいとかじゃねえだろうが) 「ねえ、信二……なんかおかしいかも……」  宮藤はパーキングエリアを指さした。 「あれ? 確かに……灯りが……ちょっと見てくるわ」  綾瀬は車を駐車して、すぐに建物に向かう。小さな建物は公衆トイレのはずだったが、今日の様子はいつもと違って、電気が全くついていない。近くまで行ってすぐに気が付いた。 「マジかよ……」  トイレの前に張られた張り紙には、「改修のおしらせ」と書かれていた。二週間ほどトイレの改築のために夜間は閉鎖するとのことが書いてある。 「……いや。先に向かおう」  綾瀬は小走りで、車に戻っていった。 「……信二?」  宮藤は綾瀬が車に戻った瞬間、少しだけ明るい表情をして顔を上げた。 「貴之ごめん。今すぐ次のSA向かう!」 「信二は、悪くないから……」  浅く腰かけていた宮藤が泣きそうな顔をして話す姿を見て、一瞬だけ思考が止まる。しかしすぐにハッとして慌てた様子で車に乗り込むと、アクセルを入れて元の道路へと戻っていく。 (まずい……)  綾瀬は落ち着かない様子で次のサービスエリアまで運転を続けた。 「うう、ごめん信二……信二もいきたいよね……」  股間を抑えて弱弱しくつぶやく宮藤の姿があった。 (頼むから、あと少しだけ持ってくれ)  そう願う綾瀬にも、余裕などほとんどなかった。段々と膀胱が重く、張って行く感覚。水面が揺れるように、エンジンエンジンの小刻みな震えが小さな波を作り始めていた。

ともだちにシェアしよう!