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第5話 離れないで
「相沢先生、これ俺やりますよ」
「いい。自分でやる」
「でも、先生もう――」
「いいって言ってんだろ」
後輩の肩がびくっと跳ねた。
しまった、と思った時には遅い。
「……すみません」
「あ」
後輩はカルテを抱えて去っていく。
俺、相沢朔は救急医だ。
忙しいのには慣れている。
人に頼られるのも嫌いじゃない。
ただ、近づかれると反射的に押し返してしまう。
大丈夫かと聞かれれば、大丈夫。
手伝うと言われれば、いらない。
休めと言われれば、うるさい。
昔からそうだった。
本当は、誰かが隣にいてくれるのは嫌いじゃない。
そこまで言う前に、口から先に別の言葉が出る。
「近づくな」
「放っとけ」
「一人で平気」
そうして相手が本当に離れると。
少しだけ寂しくなる。
我ながら面倒くさい。
****
帰宅すると、桐谷が俺の部屋で鍋を食っていた。
恋人で、Dom。
合鍵を持たせている。
つまり、俺が許可した。
それなのに。
「勝手に人んちで飯食うな」
「朔の分もあるよ」
「頼んでない」
「食べる?」
「……食う」
桐谷が普通に茶碗を出した。
腹が立つ。
「お前、ちょっとは傷つけよ」
「何で?」
「今俺、感じ悪かっただろ」
「いつもじゃん」
「殺すぞ」
「鍋冷めるよ」
こいつには効かない。
以前付き合ったDomは、俺が少し声を荒らげただけで引いた。
Playの途中でもそうだ。
「離せ」
と言えば、本当に離す。
「触るな」
と言えば、困ったように止まる。
俺が望んだことなのに。
胸の奥だけが、いつも取り残された。
桐谷は違う。
鈍い。
びっくりするほど鈍い。
だから一緒にいて楽だった。
****
風呂を出ると、桐谷が寝室のベッドに座っていた。
その横に、黒いカフスが置いてある。
俺は足を止めた。
「……何それ」
「前に朔が見てたやつ」
「見てねぇ」
「通販サイト、一時間くらい開いてた」
「忘れろ」
「使う?」
心臓が跳ねる。
「別に」
「じゃあ片づける」
桐谷が手を伸ばした。
「待て」
動きが止まる。
俺は舌打ちした。
「……使いたいなら使えば」
「俺が?」
「お前Domだろ」
「分かった」
平然とカフスを持つ。
少しくらい喜べ。
俺ばかり意識しているみたいで腹が立つ。
「朔」
「何」
「Stay」
足が止まった。
桐谷が俺のところまで来る。
片方ずつ、手首へカフスを巻いた。
少し引かれる。
身体が固定される。
思っていたより。
ずっと胸が騒いだ。
「きつい?」
「平気」
「いつもの合図は?」
「分かってる」
「じゃあ続ける」
それだけ。
俺は試すように腕へ力を入れた。
動ける範囲が狭い。
ぞくっとした。
「……離せ」
桐谷が俺を見る。
「Red?」
「……違う」
「じゃあ離さない」
胸の奥が大きく鳴った。
「お前、普通そこで一回ひるむだろ」
「なんで?」
「俺が離せって言ってんだから」
「でもRedじゃないんだろ」
「そうだけど」
「じゃあStay」
むかつく。
ものすごくむかつく。
なのに。
身体の奥が熱くなった。
****
桐谷が俺を抱き寄せた。
拘束したまま。
「何」
「キスする」
「勝手にしろ」
「じゃあする」
唇が重なる。
最初は軽い。
俺が追おうとしたら、身体を押さえられた。
「Stay」
「……っ」
またキスされる。
今度は少し長い。
逃げられない。
追いかけることもできない。
桐谷が決めるまで待つ。
それが。
妙に気持ちいい。
「それで押さえ込んだつもり?」
まだ言える。
桐谷が俺を見る。
「まだ余裕あるな」
「当たり前だろ」
少し強く押さえられる。
「何だよ」
「朔が煽るから」
「その程度で――」
また唇を塞がれた。
身体を押さえられたまま、ゆっくり触れられる。
急がない。
逃げようとすると止められる。
「Stay」
「命令すんな」
「するよ。俺Domだし」
「ムカつく」
「知ってる」
「……っ」
桐谷の唇が首筋へ移った。
不意を突かれて、声が漏れる。
「ぁ……♡」
桐谷が止まった。
「今の可愛かった」
「殺すぞ」
「Good」
「っ♡ それ言うな」
「効くんだ」
「うるさい」
もう一度。
「Good」
「あ……♡」
腹が立つ。
身体だけが素直なのが、もっと腹立つ。
「朔」
「何」
「口だけずっと強いね」
「悪いかよ」
「いや」
桐谷が笑った。
「好き」
一瞬、言葉が詰まった。
「……今それ言うな」
「なんで」
「調子狂う」
****
しばらくして、桐谷が拘束を少し緩めた。
俺はすぐ気づいた。
「何してんの」
「少し楽にしようかと思って」
「勝手に緩めんな」
言った直後。
桐谷の動きが止まった。
しまった。
「朔」
「何」
「緩いの嫌なの?」
「違う」
「Look」
反射的に目を合わせる。
桐谷がじっと俺を見る。
居心地が悪い。
「もっと押さえてほしい?」
「違う」
「じゃあ外す?」
桐谷が留め具へ触れた。
「……離すな」
自分の声なのに。
一瞬、意味が分からなかった。
桐谷も少し目を見開いた。
「やっぱり」
「うるさい」
「押さえてほしいんだ」
「……」
「朔」
「言わせんな」
「言って」
身体が熱い。
逃げたい。
でも。
ここで逃げたくない。
「……もっと押さえろ」
桐谷の目が変わった。
「Good boy」
「っ♡ バカ」
「もっと?」
「調子乗んな」
「もっと押さえる?」
俺はしばらく睨んだ。
その間も桐谷は離れない。
困ったように笑わない。
機嫌を取らない。
ただ待っている。
「……もっと」
声が小さくなる。
「ちゃんと押さえろ♡」
「Good」
胸が甘く震えた。
****
そこから一気に余裕がなくなった。
強く押さえられる。
でも、苦しくなる手前で止まる。
逃げようとすれば、
「Stay」
と低い声。
反発すれば、
「Good」
と返される。
俺の怒った声も。
睨む目も。
桐谷は少しも怖がらない。
「離せ……っ♡」
「Red?」
「違う♡」
「じゃあ離さない」
「ムカつく……♡」
「うん」
「お前、ほんと……」
言葉が続かない。
身体の熱と、押さえ込まれている感覚で、頭の中が少しずつ白くなる。
「朔」
「ん……」
「もっと?」
考える前に答えが出た。
「もっと♡」
自分でも驚いた。
桐谷が笑う。
「Good」
「あっ♡」
「何してほしい?」
「……押さえて」
「うん」
「もっと強く♡」
「うん」
「逃がすな♡」
桐谷の呼吸が変わった。
「朔」
「なに♡」
「今までずっと、それ欲しかった?」
胸がいっぱいになる。
いつも。
怒るとみんな離れた。
俺が「来るな」と言えば、本当に来なくなる。
俺が「放っとけ」と言えば、本当に一人になる。
自分で言ったくせに。
寂しかった。
頭がふわふわして。
もう隠す方が面倒になった。
「……うん♡」
桐谷が息を呑む。
「俺が怒っても」
言葉が勝手に続く。
「離れないで♡」
言ってしまった。
一番言いたくなかった言葉。
一番言いたかった言葉。
桐谷の表情が変わる。
「朔」
「俺が離せって言っても……ちゃんと分かって♡」
「うん」
「反発しても、逃がさないで♡」
「任せて」
「捕まえてて♡」
桐谷が俺を強く抱く。
「Good boy」
「あっ♡」
胸の奥まで一気に甘くなる。
「それ」
「何?」
「それ、もっと♡」
「Good boy」
「ぁ……♡」
もう格好つける余裕もない。
「桐谷♡」
「うん」
「もっとちゃんとやれ♡」
桐谷が吹き出した。
「Subspace入っても偉そうだな」
「うるさい♡」
「可愛い」
「言うな♡」
「Good boy」
「っ♡ だから……もっと♡」
桐谷の余裕も消えていく。
押さえる腕が強くなり、息が乱れる。
「朔、やばい」
「何♡」
「そんな素直に頼まれたら、俺も無理」
「Domだろ♡」
「Domでも無理」
「だっさ♡」
「その口、あとで覚えてろ」
「やってみろ♡」
二人とも笑った。
その笑いさえ、すぐ息に溶けた。
****
最後は。
俺が何度「もっと」と言ったか分からない。
「Stay」
「無理♡」
「逃げない」
「逃げないから、もっと♡」
「Good」
「あっ♡」
身体を押さえられている。
桐谷が近い。
どこにも行かない。
それだけで。
今まで感じたことのないくらい満たされていた。
「朔」
「ん♡」
「ちゃんと捕まってる?」
「うん♡」
「離さないよ」
胸が熱くなる。
「……それ、好き♡」
桐谷の顔から完全に余裕が消えた。
「無理。俺も限界」
「じゃあ一緒に♡」
「Good boy」
最後のRewardに追い打ちされて。
俺たちは互いを抱いたまま、同時に限界を越えた。
****
しばらくして。
桐谷がカフスを緩める。
「外すよ」
俺は少し考えてから頷いた。
自由になった腕を、桐谷が軽く揉む。
そのまま頭を撫でられた。
「朔」
「何」
「大丈夫?」
「……うん」
「ほんと?」
「しつこい」
いつもの調子で返す。
桐谷が笑った。
腹が立つほど安心する。
「お前、ほんと引かないな」
「何に?」
「俺が怒っても」
「怒ってるだけだろ」
俺は少し黙った。
やっぱりこいつは鈍い。
でも。
それでいい。
「普通、嫌になるだろ」
「ならないよ」
「何で」
「好きだから」
あっさり言われた。
俺は視線を逸らした。
「……そういうの簡単に言うな」
「簡単じゃないけど」
「うるさい」
桐谷が俺を抱き寄せる。
暑い。
「……離れろ」
腕が少し緩む。
その瞬間。
俺は反射的に桐谷のシャツを掴んだ。
桐谷が止まる。
最悪だ。
全部ばれている。
「……やっぱ離れんな」
桐谷が笑った。
「どっち?」
「今笑ったら殺す」
「笑ってない」
「笑ってるだろ」
「じゃあ、離れない」
頭を撫でられる。
「Good boy」
「っ♡ お前、今それ反則」
「まだ効く?」
「効くに決まってんだろ」
「可愛い」
「うるさい」
「朔」
「何」
「次もちゃんと押さえる」
胸が少し熱くなる。
「途中で俺がキレても?」
「Redじゃなきゃ離さない」
「……そうしろ」
「Good?」
思わず吹き出した。
「今日はお前を褒めてやる。Good」
桐谷が目を丸くする。
「俺が?」
「ありがたく受け取れ」
「じゃあ俺も」
嫌な予感がした。
「Good boy」
「あっ♡ だから今はダメだって!」
二人で笑う。
桐谷が俺の頬へキスをした。
俺は文句を言いながら。
今度は、自分から腕を回した。
離れろ。
触るな。
放っとけ。
多分、これからも口から出る。
でも。
そのあとに。
「離れないで」
と言える相手がいる。
それなら。
少しくらい面倒な俺でも。
悪くない気がした。
** 恋人にだけ、ぜんぶバレる ~Dom/Subで暴かれる、男たちの秘密の欲望~ (完)
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