5 / 5

第5話 離れないで

「相沢先生、これ俺やりますよ」 「いい。自分でやる」 「でも、先生もう――」 「いいって言ってんだろ」 後輩の肩がびくっと跳ねた。 しまった、と思った時には遅い。 「……すみません」 「あ」 後輩はカルテを抱えて去っていく。 俺、相沢朔は救急医だ。 忙しいのには慣れている。 人に頼られるのも嫌いじゃない。 ただ、近づかれると反射的に押し返してしまう。 大丈夫かと聞かれれば、大丈夫。 手伝うと言われれば、いらない。 休めと言われれば、うるさい。 昔からそうだった。 本当は、誰かが隣にいてくれるのは嫌いじゃない。 そこまで言う前に、口から先に別の言葉が出る。 「近づくな」 「放っとけ」 「一人で平気」 そうして相手が本当に離れると。 少しだけ寂しくなる。 我ながら面倒くさい。 **** 帰宅すると、桐谷が俺の部屋で鍋を食っていた。 恋人で、Dom。 合鍵を持たせている。 つまり、俺が許可した。 それなのに。 「勝手に人んちで飯食うな」 「朔の分もあるよ」 「頼んでない」 「食べる?」 「……食う」 桐谷が普通に茶碗を出した。 腹が立つ。 「お前、ちょっとは傷つけよ」 「何で?」 「今俺、感じ悪かっただろ」 「いつもじゃん」 「殺すぞ」 「鍋冷めるよ」 こいつには効かない。 以前付き合ったDomは、俺が少し声を荒らげただけで引いた。 Playの途中でもそうだ。 「離せ」 と言えば、本当に離す。 「触るな」 と言えば、困ったように止まる。 俺が望んだことなのに。 胸の奥だけが、いつも取り残された。 桐谷は違う。 鈍い。 びっくりするほど鈍い。 だから一緒にいて楽だった。 **** 風呂を出ると、桐谷が寝室のベッドに座っていた。 その横に、黒いカフスが置いてある。 俺は足を止めた。 「……何それ」 「前に朔が見てたやつ」 「見てねぇ」 「通販サイト、一時間くらい開いてた」 「忘れろ」 「使う?」 心臓が跳ねる。 「別に」 「じゃあ片づける」 桐谷が手を伸ばした。 「待て」 動きが止まる。 俺は舌打ちした。 「……使いたいなら使えば」 「俺が?」 「お前Domだろ」 「分かった」 平然とカフスを持つ。 少しくらい喜べ。 俺ばかり意識しているみたいで腹が立つ。 「朔」 「何」 「Stay」 足が止まった。 桐谷が俺のところまで来る。 片方ずつ、手首へカフスを巻いた。 少し引かれる。 身体が固定される。 思っていたより。 ずっと胸が騒いだ。 「きつい?」 「平気」 「いつもの合図は?」 「分かってる」 「じゃあ続ける」 それだけ。 俺は試すように腕へ力を入れた。 動ける範囲が狭い。 ぞくっとした。 「……離せ」 桐谷が俺を見る。 「Red?」 「……違う」 「じゃあ離さない」 胸の奥が大きく鳴った。 「お前、普通そこで一回ひるむだろ」 「なんで?」 「俺が離せって言ってんだから」 「でもRedじゃないんだろ」 「そうだけど」 「じゃあStay」 むかつく。 ものすごくむかつく。 なのに。 身体の奥が熱くなった。 **** 桐谷が俺を抱き寄せた。 拘束したまま。 「何」 「キスする」 「勝手にしろ」 「じゃあする」 唇が重なる。 最初は軽い。 俺が追おうとしたら、身体を押さえられた。 「Stay」 「……っ」 またキスされる。 今度は少し長い。 逃げられない。 追いかけることもできない。 桐谷が決めるまで待つ。 それが。 妙に気持ちいい。 「それで押さえ込んだつもり?」 まだ言える。 桐谷が俺を見る。 「まだ余裕あるな」 「当たり前だろ」 少し強く押さえられる。 「何だよ」 「朔が煽るから」 「その程度で――」 また唇を塞がれた。 身体を押さえられたまま、ゆっくり触れられる。 急がない。 逃げようとすると止められる。 「Stay」 「命令すんな」 「するよ。俺Domだし」 「ムカつく」 「知ってる」 「……っ」 桐谷の唇が首筋へ移った。 不意を突かれて、声が漏れる。 「ぁ……♡」 桐谷が止まった。 「今の可愛かった」 「殺すぞ」 「Good」 「っ♡ それ言うな」 「効くんだ」 「うるさい」 もう一度。 「Good」 「あ……♡」 腹が立つ。 身体だけが素直なのが、もっと腹立つ。 「朔」 「何」 「口だけずっと強いね」 「悪いかよ」 「いや」 桐谷が笑った。 「好き」 一瞬、言葉が詰まった。 「……今それ言うな」 「なんで」 「調子狂う」 **** しばらくして、桐谷が拘束を少し緩めた。 俺はすぐ気づいた。 「何してんの」 「少し楽にしようかと思って」 「勝手に緩めんな」 言った直後。 桐谷の動きが止まった。 しまった。 「朔」 「何」 「緩いの嫌なの?」 「違う」 「Look」 反射的に目を合わせる。 桐谷がじっと俺を見る。 居心地が悪い。 「もっと押さえてほしい?」 「違う」 「じゃあ外す?」 桐谷が留め具へ触れた。 「……離すな」 自分の声なのに。 一瞬、意味が分からなかった。 桐谷も少し目を見開いた。 「やっぱり」 「うるさい」 「押さえてほしいんだ」 「……」 「朔」 「言わせんな」 「言って」 身体が熱い。 逃げたい。 でも。 ここで逃げたくない。 「……もっと押さえろ」 桐谷の目が変わった。 「Good boy」 「っ♡ バカ」 「もっと?」 「調子乗んな」 「もっと押さえる?」 俺はしばらく睨んだ。 その間も桐谷は離れない。 困ったように笑わない。 機嫌を取らない。 ただ待っている。 「……もっと」 声が小さくなる。 「ちゃんと押さえろ♡」 「Good」 胸が甘く震えた。 **** そこから一気に余裕がなくなった。 強く押さえられる。 でも、苦しくなる手前で止まる。 逃げようとすれば、 「Stay」 と低い声。 反発すれば、 「Good」 と返される。 俺の怒った声も。 睨む目も。 桐谷は少しも怖がらない。 「離せ……っ♡」 「Red?」 「違う♡」 「じゃあ離さない」 「ムカつく……♡」 「うん」 「お前、ほんと……」 言葉が続かない。 身体の熱と、押さえ込まれている感覚で、頭の中が少しずつ白くなる。 「朔」 「ん……」 「もっと?」 考える前に答えが出た。 「もっと♡」 自分でも驚いた。 桐谷が笑う。 「Good」 「あっ♡」 「何してほしい?」 「……押さえて」 「うん」 「もっと強く♡」 「うん」 「逃がすな♡」 桐谷の呼吸が変わった。 「朔」 「なに♡」 「今までずっと、それ欲しかった?」 胸がいっぱいになる。 いつも。 怒るとみんな離れた。 俺が「来るな」と言えば、本当に来なくなる。 俺が「放っとけ」と言えば、本当に一人になる。 自分で言ったくせに。 寂しかった。 頭がふわふわして。 もう隠す方が面倒になった。 「……うん♡」 桐谷が息を呑む。 「俺が怒っても」 言葉が勝手に続く。 「離れないで♡」 言ってしまった。 一番言いたくなかった言葉。 一番言いたかった言葉。 桐谷の表情が変わる。 「朔」 「俺が離せって言っても……ちゃんと分かって♡」 「うん」 「反発しても、逃がさないで♡」 「任せて」 「捕まえてて♡」 桐谷が俺を強く抱く。 「Good boy」 「あっ♡」 胸の奥まで一気に甘くなる。 「それ」 「何?」 「それ、もっと♡」 「Good boy」 「ぁ……♡」 もう格好つける余裕もない。 「桐谷♡」 「うん」 「もっとちゃんとやれ♡」 桐谷が吹き出した。 「Subspace入っても偉そうだな」 「うるさい♡」 「可愛い」 「言うな♡」 「Good boy」 「っ♡ だから……もっと♡」 桐谷の余裕も消えていく。 押さえる腕が強くなり、息が乱れる。 「朔、やばい」 「何♡」 「そんな素直に頼まれたら、俺も無理」 「Domだろ♡」 「Domでも無理」 「だっさ♡」 「その口、あとで覚えてろ」 「やってみろ♡」 二人とも笑った。 その笑いさえ、すぐ息に溶けた。 **** 最後は。 俺が何度「もっと」と言ったか分からない。 「Stay」 「無理♡」 「逃げない」 「逃げないから、もっと♡」 「Good」 「あっ♡」 身体を押さえられている。 桐谷が近い。 どこにも行かない。 それだけで。 今まで感じたことのないくらい満たされていた。 「朔」 「ん♡」 「ちゃんと捕まってる?」 「うん♡」 「離さないよ」 胸が熱くなる。 「……それ、好き♡」 桐谷の顔から完全に余裕が消えた。 「無理。俺も限界」 「じゃあ一緒に♡」 「Good boy」 最後のRewardに追い打ちされて。 俺たちは互いを抱いたまま、同時に限界を越えた。 **** しばらくして。 桐谷がカフスを緩める。 「外すよ」 俺は少し考えてから頷いた。 自由になった腕を、桐谷が軽く揉む。 そのまま頭を撫でられた。 「朔」 「何」 「大丈夫?」 「……うん」 「ほんと?」 「しつこい」 いつもの調子で返す。 桐谷が笑った。 腹が立つほど安心する。 「お前、ほんと引かないな」 「何に?」 「俺が怒っても」 「怒ってるだけだろ」 俺は少し黙った。 やっぱりこいつは鈍い。 でも。 それでいい。 「普通、嫌になるだろ」 「ならないよ」 「何で」 「好きだから」 あっさり言われた。 俺は視線を逸らした。 「……そういうの簡単に言うな」 「簡単じゃないけど」 「うるさい」 桐谷が俺を抱き寄せる。 暑い。 「……離れろ」 腕が少し緩む。 その瞬間。 俺は反射的に桐谷のシャツを掴んだ。 桐谷が止まる。 最悪だ。 全部ばれている。 「……やっぱ離れんな」 桐谷が笑った。 「どっち?」 「今笑ったら殺す」 「笑ってない」 「笑ってるだろ」 「じゃあ、離れない」 頭を撫でられる。 「Good boy」 「っ♡ お前、今それ反則」 「まだ効く?」 「効くに決まってんだろ」 「可愛い」 「うるさい」 「朔」 「何」 「次もちゃんと押さえる」 胸が少し熱くなる。 「途中で俺がキレても?」 「Redじゃなきゃ離さない」 「……そうしろ」 「Good?」 思わず吹き出した。 「今日はお前を褒めてやる。Good」 桐谷が目を丸くする。 「俺が?」 「ありがたく受け取れ」 「じゃあ俺も」 嫌な予感がした。 「Good boy」 「あっ♡ だから今はダメだって!」 二人で笑う。 桐谷が俺の頬へキスをした。 俺は文句を言いながら。 今度は、自分から腕を回した。 離れろ。 触るな。 放っとけ。 多分、これからも口から出る。 でも。 そのあとに。 「離れないで」 と言える相手がいる。 それなら。 少しくらい面倒な俺でも。 悪くない気がした。 ** 恋人にだけ、ぜんぶバレる ~Dom/Subで暴かれる、男たちの秘密の欲望~ (完)

ともだちにシェアしよう!