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無自覚天使の『あーん』は命に関わる
「あ……! あの時の、誕生日の……!」
覚えててくれてた——
俺は心の底から花の神様に感謝した。
もう、このチャンスを逃すわけにはいかない。
チャンスの神様は前髪しかないらしい。
ここで動かなきゃ、絶対に後悔する。
俺は勇気と言葉を絞り出した。
「あ、あのっ! この前教えてもらったエリンジウム、ちゃんとドライフラワーにしました!」
「えっ、本当ですか⁉︎ すごい、ちゃんと覚えててくれたんですね。嬉しいな……」
ふわっと柔らかい笑顔が咲く。
嬉しそうに目を細めるのが、可愛すぎて直視できない。
「あ、あのっ、俺! 二年生の竹内 朝陽っていいます! この講義受けてて……!」
「えっ、そうだったんだ! 竹内くんも受けてたんだね……! 全然気づかなかった」
目を丸くして驚く花咲先輩。
そりゃそうだ、俺は今までずっと一番後ろの席で、死んだ魚の目をしてスマホをいじっていたのだから。
「僕は、四年生の花咲優(はなさき ゆう)です」
そう名乗って、ぺこっと小さなお辞儀をしてくれた。
「花咲先輩……! あの! もしよかったら、来週から一緒に講義受けてもいいですか……?」
ド直球の提案に、花咲先輩は一瞬ポカンとしたあと、「ふふ」と楽しそうに笑った。
「うん、もちろん! 一人で受けてたから、竹内くんが隣にいてくれたら嬉しいな」
お隣キープ成功——
「やった……! あ、先輩! このあともう講義ないですか?」
「これで終わりだよ。これからバイト行くところ」
「じゃあ、駅まで一緒に行ってもいいですか?」
「えっ、うん! もちろんいいよ。じゃあ行こうか」
立ち上がった花咲先輩から、ほんのり花の香りが漂う。
隣に立つと改めて分かる。
やっぱり華奢で、俺より頭ひとつ分小さくて、黒髪がさらさら揺れていて……。
手を伸ばしたくなる衝動を必死に抑えていると、花咲先輩がこちらを向き、口を開く。
「そういえば竹内くん、一人暮らしなの? お誕生日に自分でお花を買いに来るなんて素敵だなと思ってたんだ」
「あ、はい! 一人暮らしです。……まあ、二十歳だし何かしら記念が欲しかったというか……でも、買ってみて本当に良かったです!」
花咲先輩に出会えたんだから、人生で一番大正解の買い物ですよ。なんて、口が滑りそうになる。危な。
「ふふ、エリンジウムも喜んでるね」
校舎から駅まで、ただでさえ近距離なのに、今日はいつも以上にあっという間に感じた。
「あ、竹内くんは電車乗るよね。花屋あっちだから僕はここで。じゃあ、一緒にお散歩できて楽しかった、ありがとう」
「こちらこそです! あの、また来週……講義で!」
「うん、また来週ね。バイバイ」
ひらひらと手を振って花屋へ向かう後ろ姿を見送り、俺はそのまま駅に向かった。
そして駅のホームでひとり拳を強く握りしめた。
それからの大学生活は、まさに天国だった。
毎週火曜二限の『心理学概論』。
俺は講義開始の十五分前には一番前の席に着き、花咲先輩の到着を尻尾を振りながら待った。
難解な心理学の用語を一生懸命ノートに書き留める先輩の横顔を、俺は視界の端でこっそり捉えては、がっつり目に焼き付けまくっていた。
まつ毛が長い……横顔綺麗すぎだろ……彫刻?
「竹内くん、ここって教授なんて言ってたかわかる……?」
「……あ、ここですね! 確か『条件付け』の例えで……」
「わぁ、助かるなあ。ありがとう」
二人でひとつのノートを覗き込むと、ふわっと漂う花の甘い香り。
至近距離の笑顔をふいに食らうたび、俺の心臓はぴょんぴょん飛び跳ねた。
ノートを書き終えた花咲先輩が、ふっと微笑んで俺を見た。
「あのね、竹内くんと講義受けるようになってから、毎週ここに来るのがちょっと楽しみになったんだ」
無自覚天使の備忘録として書き留めようかな、そのお言葉。
「っ、俺もです! 俺も毎週めちゃくちゃ楽しみにしてます……!」
「ふふ、良かった」
そして講義が終わった瞬間。
「竹内くん、このあとお昼どうするの? もし時間あったら、学食で一緒に食べない……?」
こちらを見上げるようにして誘われた。
……行く一択。
「ぜひ!」
賑やかな学食で、二人並んで食べる昼食。
先輩が選んだのは、うどんといちごプリン。俺は唐揚げ定食、ご飯大盛り。
「ふふ、竹内くん、すごいたくさん食べるんだね。見てて気持ちがいいな」
「俺、中学高校とサッカー部だったんで、食べまくる習慣まだ抜けてないんです。先輩、いちごプリン好きなんですか?」
「うん、甘いものに目がなくて……あ、一口食べる?」
「えっ⁈⁈」
スプーンですくったプリンを「はい」と差し出してくる天使。
えっと、待ってください……?
間接キッスになりますが……?
動揺がバレないように必死で表情を繕った。
「っ、いただきます……!」
遠慮がちに食らいついたプリンは、とびきり甘くて、俺の思考は一瞬で焼き切れた。
お互いのお皿が綺麗になり、お冷やに手を伸ばしたところで、花咲先輩がふと柔らかく目を細めた。
どこか遠くを見るような、少しだけ切なそうな眼差しで、こちらを優しく見つめてくる。
「……実はね、竹内くんと一緒に食べるまで、お昼はいつもコンビニのおにぎりとかで適当に済ませて、すぐ花屋に向かってたんだ」
予期せぬ告白に、お冷やを飲む手がピタリと止まる。
「四年生になって周りの友達も登校しなくなっちゃったし、講義もゼミとこれだけだったから、まぁいいかって。……ちょっと寂しかったけどね」
困ったようにふにゃりと笑う姿に、胸がきゅっと締め付けられた。
一人で黙々とおにぎりを頬張り、誰とも話さないまま花屋へ向かう花咲先輩の姿が脳裏に浮かぶ。
なんだよそれ、寂しすぎるだろ。
その情景があまりにも切なくて、俺はかける言葉を一瞬見失ってしまった。
そんな俺の反応に気づいたのか、花咲先輩は首を少し傾げて、嬉しそうに表情を和らげた。
「でもね、竹内くんがこうやって隣で美味しそうに食べてくれるから、この大学が、もっと好きになったよ。……一緒にいてくれて、ありがとう」
眩しすぎる笑顔。尊さで魂が召されそうになる。
「っ、俺こそ……! 俺の方こそ、先輩と一緒にご飯食べられてめちゃくちゃ嬉しいです! 来週も、その先も一緒に食べましょうね!」
「ふふ、うん。楽しみ」
力強く伝えた俺に、花咲先輩は嬉しそうに頷いてくれたのだった。
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