4 / 9

この台風に名前付けるなら、優

 九月に入ってから、暑さは落ち着いたが、秋晴れなんて何日あった? ってぐらい雨続きの毎日。  九月最後の今日は、台風が直撃する予報だ。にもかかわらず、俺の必修科目は通常開講予定。    教授たち、自宅待機してくださいよ、心配です俺。    金曜日は二〜五限まで必修が詰まっていて、多少だるいぐらいでは休めない。    朝起きて、休講の知らせが届いていないことを確認し、スマホを睨みつけはしたが、大学へ向かう電車に渋々揺られている。    電車内のビジョンでも『猛烈な台風のため、不要不急の外出は控えてください』と文字が流れている。  そりゃそうだろうよ。優先輩と受けている講義以外、俺にとっては不要不急なんだよ。  頭の中でぶつぶつと文句を垂れ流しながらも、無事大学に到着した。    二限の講義を受けたあと、同じ学科の友達とコンビニで買ったおにぎりを食べながら話していた。   「このあと電車止まりそうじゃね」  俺が言うと、 「俺は元々彼女の家泊まる予定だったから大丈夫」と惚気る友達。    笑いながら「うぜー」と返したその時、二人のスマホの通知が同時に鳴る。大学のアプリからの知らせだった。    『台風の影響により、三限以降を休講とします。』    ほーら言わんこっちゃない!!!   「……やっぱなーーー」  俺が嘆いていると、「ドンマイ」と友達が笑う。   「さっさと帰るわ」と席を立とうとしたとき、他の学生たちが「電車止まってんじゃん最悪ー!」と大声で言っているのが聞こえた。    電車の乗り換えアプリを開くと、利用している路線に『運転見合わせ中』の赤字が表示されていた。    ——終わったんだけど……。    絶望でその場に立ち尽くしていたら、また通知が届いた。ポップアップに表示されたのは、いつも見るだけで胸が高鳴る『花咲 優』の名前。    花咲先輩だ!!!    秒でポップアップをタップし、メッセージを開くと、 『竹内くん、今日一日大学にいる日だよね? 台風の影響大丈夫そう?』    花咲先輩が心配してくれて、連絡をくれた。  その事実だけで、俺の苛立ちは鎮火した。  電車が動くまで何もない大学にいても、心穏やかに過ごせそうだ。  ……っていやいや、先に返信!   『ご心配ありがとうございます! 今、大学にいるんですけど、三限から休講になった上に電車止まってて撃沈です……』  そう送った瞬間に既読がつき、すぐに返信がきた。   『お花屋さんも早く店閉めることになったから、よかったらうちで雨宿りしていく? 家、駅から歩いて五分ぐらいなんだけど』    ——神展開キタ    俺は、家行きたいです! 行かせてください! と二つ返事で飛びつきたい前のめりな気持ちを飲み込み、一応遠慮がちに、でも秒で返信した。   『俺はすごくありがたいですけど、いきなりお邪魔して迷惑にならないですか?』 『迷惑なんてそんなことないよ! 電車が動くまで、大学で待つのも大変でしょ? 駅待ち合わせで大丈夫かな?』 『駅待ち合わせで! お願いします!』    俺は駅まで走った。  早く花咲先輩に会いたい、その一心で。  傘をさすのももどかしい。このぐらいの雨なら避けられる。    駅に着いたとき、銀色のオブジェを鏡代わりに自分の姿を見ると、雨に濡れて風呂上がりのようになっていた。    ……ていうか、待て。これから花咲先輩の家に行くってことは……花咲先輩と二人きり?  それって……俺、大丈夫か?    そこへ花咲先輩が、薄紫色の傘を持って現れた。   「竹内くん! ……びしょびしょじゃない! 傘持ってなかったの?」と心配した様子で尋ねる。   「折りたたみ傘持ってるんですけど、出すの面倒で……」 「風邪引いちゃうよ! 早く行こう」と大学とは逆の方向を指差して、歩き出した。  駅前の階段を降りると、傘を広げる花咲先輩。   「ここからすぐだから、一緒に入る?」    ——一緒に……?    混乱した俺の脳内では、『相合傘』は『愛愛傘』と変換していた。   「……っ、あ、お願いします!」 「おっけー。こっちだよ」とふわりと微笑みながら、花咲先輩は俺に傘を半分差し出した。    近い近い近い。肩触れてます、ありがとうございます。  俺の鼓動が肩越しに伝わる前に、平静を装って口を開く。   「先輩、連絡くれてありがとうございます」 「ううん。大学から休講の通知きて、竹内くん大丈夫かなって思ったから」 「先輩は? お店、早く閉めることになったんですよね?」 「そうなんだよね。店長が、こんな天気でお客さんも来ないだろうし、って。店先のお花たちも可哀想だしね」 「そうっすよね。雨風に吹かれたら可哀想か。……そういえば、先輩この辺に住んでたんですね」 「うん。大学からも近いし、お花屋さんにも通いやすいしね」 「近いの羨ましいです」 「竹内くんのお家は、電車でどのくらいなの?」 「俺の家は三十分ぐらいですね」 「じゃあ、今日みたいな日はお家出たくなかったんじゃない?」 「朝、めっちゃ葛藤ありました。でも必修なんで行くしかなくて……でも結果、先輩から連絡もらえて、来た甲斐ありました」 「ふふ、連絡した甲斐ありました」    あっという間に、花咲先輩の家に着いた。    花咲先輩の家は、俺の妄想通りだった。    明るめの木目調の家具と、カーテンやクッション、ラグは優しい緑色で統一されており、観葉植物もいくつか飾られている。  テーブルの真ん中には、見たことのない白い花が花瓶に生けられていた。    こんな落ち着いた部屋なのに、俺は落ち着かない。  今まで見られなかった花咲先輩の生活を全身に浴びて、指先が甘く痺れている。   「何飲む?」キッチンから聞こえた優しい声に、正気に引き戻された。 「あ、なんでも! すみません、ありがとうございます!」慌てて返事をすると、 「紅茶とか好き?」 「はい! 好きです」 「実家からフレーバーティー送られてきたんだけど、一気に二杯分できちゃうみたいで、なかなか飲めてなかったから淹れてみるね。適当に座ってて」とお湯を沸かしたり、カップを用意してくれている音を聞きながら、俺は気持ちを落ち着けるように、白い花をじっと見ていた。   「おまたせしましたー」と花咲先輩はマスカットのフレーバーティーが入ったマグカップを二つ、机に置いた。    みずみずしく、爽やかで甘い香りがやっと俺の心を落ち着けてくれた。ありがとうございます、と一口飲み、目線の先の花について聞いてみた。   「これってなんて名前の花ですか?」 「これはね、ダイヤモンドリリーっていうんだよ。彼岸花の仲間なんだ」 「へぇ、確かに花びらの形が彼岸花に似てますね。すごく綺麗ですね」 「でしょ? 気に入ってもらえてよかった」  それから二人で、雨の音をBGMにゆっくりと時間を過ごした。大学やバイトの話をしているうちに外の雨風の音は次第に弱まり、スマホには使う路線の運転再開の通知が届いていた。   「あ、先輩、電車動き出したみたいです」 「よかったね! そういえば、雨の音もしなくなってるね」  ホッとした反面、この夢のような時間が終わってしまう寂しさが胸をかすめる。   「今日、連絡もらえて本当に助かりました。俺、先輩に色々してもらってばっかですねー」 「えー、そんなことないと思うけどね」   花咲先輩がふわりと笑ってくれる。その笑顔を見ていると、やっぱり何かお礼がしたくなった。   「先輩、なんか欲しいものとかないですか?」 「欲しいもの? うーん……じゃあ、先輩じゃなくて、下の名前で呼んでほしい」    ……ずるい。  そんなの、断れるわけない。   「えっ? ……優くん、ってことですか?」 「うん」 「じゃあ、優くん」 「……ふふ、なんか変な感じするね」    少し照れた様子の優くん。俺は調子に乗って、欲を出した。   「じゃあ、優くんも俺のこと下の名前で呼んでくださいよ!」 「え?」 「俺の名前覚えてますか?」 「もちろん覚えてるよ。朝陽くん、でしょ?」    ……朝陽くん。  一回だけ。たった一回呼ばれただけなのに、心臓がどんどこうるさい。   「そうです! じゃあ——」 「それは恥ずかしいからだめです」 「えっ、なんで⁈⁈」    すかさず断られてしまった。その後も笑って誤魔化された。  ……でも、一回の『朝陽くん』だけでも俺にとっては十分すぎる破壊力だった。    そのまま他愛もない話を少し続けていたが、電車も動いてるんだし、そろそろマジで帰らないと。  俺は名残惜しさを振り切るように立ち上がった。   「そろそろ帰ります。今日は本当にありがとうございました」    帰る準備をする俺に、優くんは「あ、ちょっと待ってね」とキッチンの方へ向かった。    戻ってきた優くんの手には、小さな透明の袋が握られていた。  その中には、さっきまでテーブルの花瓶に飾られていた、あの白いダイヤモンドリリーが一輪入っていた。   「はい、これ。持って帰って」 「え……いいんですか? 優くんのお部屋のお花なのに」 「うん。竹内くん『綺麗』って言ってくれたでしょ? 持ち帰りやすいように根元をお水につけて包んだから」    手渡された袋を受け取ると、ふんわりと、優くんの優しい匂いがした気がして、また胸がぎゅっと締め付けられる。   「ありがとうございます……! 大切に飾ります」 「うん。……あ、そうだ、竹内くん」  靴を履き、ドアノブに手をかけた俺を、優くんが呼び止めた。   「時間がある時にね、そのダイヤモンドリリーの花言葉、調べてみて」 「え? 花言葉ですか?」 「うん。じゃあ、気をつけて帰ってね。」  悪戯っぽく、でもどこか照れたように微笑む優くん。 「あ……はい! お邪魔しました!」    手を振る優くんに見送られ、マンションを出た。    台風が過ぎ去ったあとの空には、少しだけ雲の切れ間が見えていた。    胸の中に残る甘い熱と、手元にある一輪のダイヤモンドリリー。    駅のホームで、スマホの画面に指を走らせた。   『ダイヤモンドリリー 花言葉』    検索結果の一番上に表示された言葉を見た瞬間、俺の全身の血が素早く駆け巡った。 ——『また会う日を楽しみに』    ズルすぎる。

ともだちにシェアしよう!