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第5話 色気の授業

「萩森。早い」 「分かってます!」 「分かっている人間の返事ではありません」 兼重の声が飛ぶ。 性愛科の実習室には、朝からため息と笑い声が入り混じっていた。 今日の課題は、相手の呼吸を読みながら、自分の余裕を保つこと。 弥吉は組んだ相手の肩へ額をつけ、息を整える。 「……先生、これ無理ですよ」 「何がです」 「相手のこと考えながら、自分は平気でいろって。気持ちよくなったら頭から飛びます」 「飛ばさないのが修行です」 「気合いでどうにかなる話ですか?」 「なります」 「先生なら?」 「できます」 周囲から一斉に声が上がった。 「またそれだ」 「先生を基準にしないでください」 「四十年近く生きてる人と一緒にしないで!」 兼重の眉がわずかに上がる。 「年齢は関係ありません。集中力です」 「絶対あるって」 弥吉がぼそっと言う。 「萩森」 「聞こえてた」 「聞こえるように言ったでしょう」 教室に笑いが起きた。 少し離れたところでは、綾之丞が余裕の表情で相手に合わせている。 呼吸も乱れていない。 姿勢も崩れない。 相手の様子を見ながら、自分の動きを変えていく。 終わると、綾之丞は髪を整えながら得意げに笑った。 「ね。こうやるの」 弥吉が恨めしそうに見る。 「お前は簡単そうに言うよな」 「簡単じゃないよ。練習してるもん」 「俺だってしてる」 「弥吉は自分が楽しむの早すぎ」 「だって気持ちいいんだから仕方ないだろ」 「それを我慢するのが雄室」 「兼重先生と同じこと言うなよ」 兼重が二人の前へ来る。 「藤房」 「はい」 綾之丞が姿勢を正した。 「技術は良いです」 「ありがとうございます」 「ただし、自分を美しく見せることへ意識を使いすぎです」 綾之丞の笑みが少し止まる。 「相手を見なさい」 「見てますよ」 「鏡を見る目で見ています」 弥吉が吹き出した。 「綾之丞、怒られてる」 「弥吉は黙って」 兼重は弥吉を見る。 「萩森も笑っている場合ではありません」 「はい」 「あなたは相手を見る前に自分の余裕がなくなる」 「それ今さっき聞きました」 「直っていないからもう一度言いました」 「厳しいなあ」 「仕事です」 兼重は次の組へ向かっていった。 綾之丞が小さく舌を出す。 「鏡を見る目って何だよ」 「俺にはちょっと分かる」 「何が」 「綾之丞、自分がどう見えてるかずっと気にしてるじゃん」 「当然でしょ。見せ方も技術だよ」 「先生はそこやりすぎって言ってるんじゃない?」 綾之丞は少し黙った。 「……弥吉に言われると腹立つ」 「なんでだよ」 「お前、何もしなくても笑うと可愛いから」 「知らないよ」 「そこが腹立つ」 「理不尽だろ」 **** 昼。 化粧科の教室では、机の上に白粉、紅、眉墨、香油が並んでいた。 弥吉は鏡とにらめっこしながら、自分の眉を整えている。 「……左右同じ?」 宗七が横から見る。 「右が少し上かな」 「また?」 「さっきよりはいいよ」 「化粧って軍略より難しくない?」 「僕に聞かれても」 綾之丞が後ろから覗き込む。 「貸して」 「自分でやる課題だろ」 「見てられない」 「だから自分でやるって」 「その眉で卒業する気?」 「そこまでひどくない!」 教室の前から、静かな声が飛んだ。 「藤房」 綾之丞の肩がぴくっと動く。 桜間与平が、教卓の横に立っていた。 地味な着物。 飾り気のない髪。 顔立ちも華やかではない。 それなのに、襟も髪も指先も、どこにも乱れがない。 「右の眉尻が二分高い。直してこい」 綾之丞の表情が一瞬で変わった。 「……はい」 弥吉が宗七を見る。 宗七も弥吉を見る。 綾之丞は自分の席へ戻り、鏡を持ち上げた。 耳が赤い。 弥吉が小声で言う。 「綾之丞」 「何」 「顔赤いぞ」 「赤くない」 「いや、赤いね」 宗七まで加わる。 「二人とも黙って」 「与平先生に言われたから?」 「黙れって」 弥吉は笑いを堪えきれない。 「お前、兼重先生にはあんなに堂々としてるのに」 「先生が違うだろ」 「何が違うの?」 宗七が穏やかな声で聞く。 綾之丞は眉墨を持ったまま止まった。 「……うるさい」 「答えになってないよ」 「宗七まで乗るな!」 与平がこちらを見た。 「藤房。手が止まっている」 「はい!」 綾之丞は慌てて鏡へ向き直る。 弥吉は口を押さえた。 宗七は完全に楽しんでいる。 少しして、与平が生徒たちの机を回り始めた。 弥吉のところへ来る。 「萩森」 「はい」 「眉は悪くない。紅が濃い」 「またですか」 「お前は力を入れすぎる」 与平は布を一枚取り、弥吉の頬へ軽く当てた。 「これくらいでいい」 「先生、早いなあ」 「毎日やっている」 「俺も毎日やってるのに」 「回数だけでは上手くならん」 少し離れたところで綾之丞がこちらを見ていた。 与平が弥吉から離れる。 綾之丞がすぐ寄ってきた。 「……先生、近かった?」 「何が」 「今」 「普通だろ」 「どれくらい」 「知らないよ」 宗七が笑う。 「綾之丞、気にするところそこなんだ」 「気にしてない」 「聞いてたじゃん」 「うるさい!」 **** 夕方。 弥吉は離れへ向かいながら、自分の頬を指でこすっていた。 今日の化粧はいつもより薄い。 与平に直されたままだからだ。 戸を開ける。 又六は縁側で刀の手入れをしていた。 「お疲れさまです」 「今日は遅かったな」 「化粧科が長引きました」 又六が弥吉を見る。 「なるほど」 「何ですか」 「少し違う」 弥吉の目が丸くなる。 「分かるんですか?」 「分かる」 「ほんとに?」 「紅が薄い」 弥吉は思わず頬を触った。 「又六さん、そういうのも分かるんだ」 「見る機会くらいある」 「やっぱり詳しいなあ」 又六は刀を鞘へ納めた。 「何が言いたい」 弥吉は縁側へ座る。 「今日、性愛科だったんですよ」 又六の手が一瞬止まった。 「そうか」 「兼重先生が厳しくて。相手を気持ちよくさせながら、自分は余裕なくすなって言うんです」 「当然だろう」 弥吉が又六を見る。 「又六さんまで?」 「雄室なら主を見る仕事だろう」 「分かってるけど、実際やると難しいんです」 「お前はすぐ余裕をなくしそうだな」 「なんで分かるんですか」 「顔に出る」 弥吉はむっとした。 「それ、綾之丞にも言われます」 「綾之丞?」 「友達です。性愛科首席。すごく上手い」 又六の表情がほんの少し動く。 「よく一緒に実習するのか」 「たまに。あいつ教えるの好きなんですよ」 「そうか」 「何です?」 「何でもない」 弥吉は気にせず続ける。 「でも今日、兼重先生に怒られてました。自分を美しく見せること気にしすぎって」 「随分と派手な男だな」 「派手ですよ。美男だし。塾生にもめちゃくちゃモテるし」 「ほう」 「でも好きな先生の前だと全然駄目なんです」 又六が弥吉を見る。 「好きな先生?」 「化粧科の与平先生。普段は色気だの何だの偉そうに言うくせに、先生に眉ちょっと注意されただけで耳まで真っ赤」 弥吉は思い出して笑う。 「分かりやすいな」 「ですよね」 「本人は隠せているつもりか」 「たぶん」 「無理だろう」 二人で笑った。 弥吉はしばらくしてから、ふと又六を見る。 「又六さんって、こういう話も詳しそうですよね」 「こういう話とは」 「恋とか、性愛とか」 又六の眉が上がる。 「俺が?」 「はい」 「なぜそう思う」 「余裕あるし。女にも男にもモテそうだし」 「お前は随分勝手なことを言うな」 「違います?」 又六は少し笑った。 「困ったことはあまりない」 「やっぱり」 弥吉は妙に納得した。 「じゃあ、聞いていいですか」 「何を」 「相手を気持ちよくさせながら、自分も余裕なくさない方法」 又六は弥吉をじっと見た。 弥吉は真剣だ。 「授業の補習です。兼重先生にまた怒られたくないんで」 又六は一度、視線を外した。 「……俺にそれを聞くのか」 「詳しいんでしょう?」 「そういう問題ではない」 「じゃあ、知らない?」 又六が弥吉を見る。 「知っている」 「教えてください」 即答だった。 又六はしばらく黙った。 弥吉は待っている。 「……お前は」 「はい」 「本当に何でも修行にするんだな」 「雄室になるために来てるんで」 弥吉は当然のように答えた。 又六は小さく息を吐き、弥吉の顎へ指をかけた。 急に距離が近くなる。 弥吉の目が少し大きくなった。 「まず」 又六の声が低くなる。 「相手の呼吸を見る」 「呼吸」 「次に、どこで余裕がなくなるか覚える」 「自分の?」 「相手のも、自分のも」 弥吉は頷いた。 又六の指が離れる。 「それから?」 「今日はここまでだ」 「えっ」 「一度に詰め込んでも身につかん」 「又六さん、教え方厳しいな」 「誰かさんが何でもすぐ試したがるからな」 「明日は?」 「覚えていたら」 「覚えててくださいよ」 弥吉は笑った。 又六はその笑顔を見ながら、自分の指先を一度だけ握った。

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