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第11話
今回演奏するゲームのキーになるのは、宿す魔法によっては祝福ともなり、呪いともなる強大な力がもたらす運命である。
そう、ルカに言った時、彼は分かっているのかいないのか、のろい、と小さく呟いた。
主人公の少年が宿してしまった三百年の呪いと、失踪の理由を、彼は重ねて見ていたのかもしれない。
客電が落ちる。楽団員が舞台に上がるのを眺めながら、舘野は胸中の昂ぶりを感じていた。
最期の一月は怒涛のようだった。だが、今までにない充実感を既に味わっただろう。団員のすべてが、同じ目的のために同じ北極星を見るような、そんな気持ちだった。
全員が舞台上に上がったのを見届けると、舘野は息を吐く。
ガラにもないが、緊張していた。
「タテノ」
背後から声がかかって、振り返ると普段はぼさぼさと下ろしている前髪を後ろに流して、きっちりとテールコートを着たルカが立っていた。
そういえば、正装を見るのは初めてだった。午前中のリハですら邪魔くさいからとジャケットを脱いで、袖を捲くっていて、徳永が呆れていたのを思い出す。
声には出さないものの、マエストロというだけの風格があった。
「もうここまで来ちまったしな、後は楽しむしかないぜ」
口端を引き上げて笑う様からは、気の抜けたホルンのような音はしない。どんな舞台であろうと、この男は心の底から楽しむだろうし、本気でやるだろう。
「わかってるさ」
だが、その笑みを見た瞬間に緊張など吹き飛んだ。おそらくはルカを知る音楽業界の人間も来るだろうし、フェリックスとタチアナもサンクトペテルブルクのメンバーと共に聞きに来ると言っていた。
舞台袖から覗くと、一階席から二階席まで、ほぼすべての席が埋まっている。これだけ集まるのは、ルカの名前も大きいだろう。悔しいが、同時に嬉しくもあった。
全員が着席すると、コンサートマスターの出番となる。
「行くぞ、ユウ!」
声とともに、ルカが軽く背中を押す。
その合図で舞台に上がると、拍手が鳴り響いた。
出迎えられている、と感じる。
これまで何度もこの楽団で演奏をしてきて、そんな風に思ったことなど一度もなかった。だが、自分たちの演奏を楽しみにきている観客がそこに居ることを、確かに感じ取っていた。
オーボエから始まるチューニングを終えると、観客の声も、鳴り響いていた音も、何もかもが無となる。
一切の静寂、色のないキャンバスの様だった。
さぁ、ルカ。マエストロ。いつでもかかってくるといい。
そんな気持ちで、目を閉じる。
静寂を切り裂いて、割れんばかりの拍手が会場を覆い尽くした。団員が立ち上がると、舞台袖から出てくる我らが指揮者を迎える。
悠々とした足取りで舞台中央に向かうルカ・フェランテの姿は普段のよれよれした姿からは想像もつかないほどに、貫禄がある。
指揮台の傍らに立つと、軽く手を掲げてから一礼する。じわりと胸の中に、火が灯るようだった。
演奏が、始まる。
冒頭のCM曲は、クラリネットの物悲しい戦慄から始まる。チェロとヴィオラのピッチカートがリズムを引き締める。
ゲームをまだプレイしていないルカにCMの動画を見せたとき、彼はどういうシーンなのかと問うた。白い装束に身を包んで草原を征く大人と子供の行く手に、戦の火が舞い上がる。それを見つめながら、隣の徳永は目元を赤く染めていた。涙もろい彼らしいが、青春時代を共に過ごしたゲームの思い出が蘇ったのだと言っていた。
オーボエのソロを終えると、そのままの流れでオープニング曲に入る。繊細な音色から始まるオープニングはゲーム通してのテーマとなる旋律を全員で響かせる。作中で最もオーケストラの栄える曲だ。
半年前には考えもしなかった。一体となって紡ぎ出す音はホールを満たす。ルカが指揮に着任してからの半年で楽団は様変わりした。幡山も、かよ子も日山に遠慮していたのだろうか、最近じゃ罵声を浴びせるようになって本性を隠さなくなった。あまりにも理不尽な罵声に横暴だと泣く団員は舘野に頼らざるを得なかった。
無碍に出来るはずもない、頼ってくる団員相手に同じように罵倒するでも、厳しい言葉を投げかけられる訳でもない。以前は反発していたが、教えてくれ、練習を見てくれとせがまれて断れる訳がなかった。あれだけ、反発していた相手を前にしても。
穏やかに鳴らすメインテーマに続いて、アイリッシュソングに移る。管楽器のファンファーレ調のイントロで始まる曲は、厳しい掟を守る竜騎士の曲だが、イントロを抜けてピアノとフルートで奏でられるメロディラインは、胸を郷愁で満たす。作中では騎竜を失った幼い少年が、掟に従って故郷を離れる描写があるが、彼へ向けたふるさとを惜しむ曲なのかもしれない、とルカは言った。
物語では、様々な理由で故郷を旅立つものが描かれる。反乱分子として国を追われる主人公だけではない。古の吸血鬼に村を襲われたもの、修行の為に旅立つもの、禁忌の力を託されて滅びゆく村から逃れるもの。
演目を決めながら、プレイし終えたルカが呟いたのを思い出す。
みな、ふるさとを旅立っていく、と。大切なものを取り戻すために戦うのだと。
その言葉が不意に頭をよぎり、ルカもそのためにこの楽団に来たのかもしれない、と舘野は思った。
今、この瞬間ならば、何事をも成し遂げられるような気がしていた。
組曲形式に仕上げられた曲は、ゲームのナンバリングで2つに分けられている。勇壮な出陣用のBGMでは、トランペットとホルンが5度の音階を短い音で演奏する、技術と大胆さが求められる。幡山は自分のバーで演奏するのを一切やめて、スタジオに篭っていたとかよ子に教えられた。幡山の性格上、ひとりこっそりと練習しているところを知られたくないのだろう。見栄っ張りな男だ。
前半のラストを飾るメインテーマの合唱付きは、舘野が戻ってくる頃には全員がポルトガル語の歌詞を習得していた。ルカが発音も発声も指導したのだとあとで団員に聞いた。
イントロのフルートのソロを竹ノ内さよ子が鳴らしきると、パーカッション、ストリングス隊が続いてメインメロディを奏でる。
楽団を一時的に離れる直前、売り言葉に買い言葉。舘野の言葉が突き刺さったのだ。
――中途半端な演奏なんだったらやらない方がマシだ!!
中途半端な決意なんていらない。自分には必要ない。その強い感情を、アキハバラの団員が受け止めてくれていた。
会場が、歓喜のうたに満たされる。
ルカが指揮棒を降ろし、指揮台から降りると同時に、場内は強い熱気を孕んだ喝采に包まれる。まるで一瞬のようにも思えた演奏は、確かに観客の心を掴んでいた。気の早い客がスタンディングオベーションでブラボー、と叫んでいる。拍手の合間から「解放軍万歳!」と叫ぶものもいた、熱烈なゲームのファンだろう。
観客の熱気が胸の内にじわりと染み込むようで、無意識に笑みが溢れた。そのせいで、客席に一礼したルカがこちらに手を差し出してくるのに一瞬、反応が送れた。お互いに、高揚している。
握り返したルカの手も、熱かった。
前半の演奏が終わると、十五分の休憩を挟むために舞台袖に指揮者が、続いて全員が引き上げる。
出演者用の控室に一旦戻ると、ようやくそこで喉が乾いていることに気付く。自販機でお茶を買おうとしたところで、携帯端末を掴んだルカが小走り気味に裏口から出ていく背中が見えた。声をかける隙もない。
「ルカはどこ行ったんだ?」
「む、……聞いてないな」
トイレから戻ってきた徳永に声をかけたが、知らない様子だった。タバコでも吸いに行ったのだろうか。喫煙所は外にあるらしく、リハーサルの時はいつも幡山と連れ立って出ていた。だが、当の幡山の方は酷使した唇にタオルを当てて揉み解しながら、楽譜を眺めている。
他の団員たちも皆、休憩とは言うものの緊張した面持ちで過ごしているようだった。
あたたかいほうじ茶で指先と身体を温めていると、5分くらいしてからだろう、ルカが控室に戻ってきた。手には、ビニール袋を持っている。まさか。
「ルカ、お前もしかしてコンビニに行ってきたのか?」
「ん?うん、おなかすいた」
顔を引き攣らせて問う徳永に、緊張感の欠片もない様子でルカは言い放つ。それを聞いていた周りの団員は皆、一気に脱力する。
「普通、幕間にコンビニいく?」
「しかもそのカッコで……」
「今日リハと間違えてねぇか?」
次々にツッコミを入れる団員は、苦笑を漏らしている。その表情から緊張の色は失せていた。
とんとん、と背後から肩を叩かれると、やはり無口な尾上が携帯端末に表示されたSNSの画面を見せてくる。コンビニ袋を手にしたマエストロの自撮り画像が、おなかへった~!!とのコメントと共に映し出されていた。画面の下部には拡散されていく数値がどんどん動いていくのが見えている。5分と立たぬ間に1000を越える数値を見ると、ルカがいかに注目されているのかが分かる。
思わず頭が痛くなった。
「君、ほんとに……バカなのか?」
「え~……あ、ほらほら、たてのんも、疲れたら甘いものだよぉ」
ばりばり、とポケットサイズのチョコの袋を破いたルカが、抹茶味のチョコレートを口に放り込んでくる。いつもより甘い、と感じたのは疲労のせいなのか、ルカの指だからなのかは分からなかった。
「……これで僕が甘い顔をすると思ったら大間違いだぞ、ルカ」
袋を掴むともう一つ、自分の口に放り込んだ。やっぱり、いつもの味だ。
「ま、まぁまぁ……腹が減ってはいくさはできぬと言いますし」
辛うじてさよ子がフォローを入れるが、どうも梅おにぎりを頬張っているルカの姿を見ていると気が抜ける。
「あと、SNSに自撮り写真アップするのもやめなさいよアンタ」
ツッコミを入れていたかよ子が、携帯端末の画面を見せてくる。その間にもルカは2つめのツナおにぎりの封を開けている。休憩時間はあと5分しか残されていないのだが
「えー、だっていつもやってるもん」
「お前ら、そろそろ休憩終わるぞ」
「ん!」
徳永が時計を軽く叩いて見せると、ルカは慌てて食べ、緑茶で流し込んだ。ごくん、と咀嚼音まで聞こえるような食べっぷりに、全員が見守っていた。
「食べ終わった?」
「大丈夫か?海苔くっついてねぇか?」
「もう時間ですよ!」
傍らに集まっていた団員たちが口々に世話を焼くのが妙に微笑ましいのだが、時間が迫っているとさよ子が急かす。もう緊張どころではない。
自分も肩の力が抜けたようで、つい溜息を漏らしてしまった。
後半のブザーが鳴り、団員がステージに立つ。開演時と同じように暖かく拍手で迎えられたが、もう緊張することもない。堂々と出ていく団員たちの姿を見ると、「本気になるのが怖い」と泣き言を言っていたのが嘘のようだった。
二部の演奏は、同じシリーズの二作目のオープニングから始まる。実際にワルシャワ・フィルで演奏された曲が元になっている分、ルカは妙に張り合っているようでもあった。
実際に何度もオープニングの映像を見て、ルカなりに曲の解釈をしていたのを思い出す。最初の日はあんなにも頼りない姿を見せていたが、暇さえあればゲームをプレイし、何度もサントラを聞いていた。
楽団の中で、唯一、一度も泣き言を吐かなかった男だ。マエストロとしての自負なのかもしれない。
緩急をつけた曲調の変化に盛り上がりを見せたオープニングを終えると、ルカが指揮棒を下ろす。
自分の方に視線を向けてくると、その双眸が、「好きにしていいぞ」と告げていた。もとよりそのつもりで、立ち上がるとピアノの方に歩み寄る。
徳永と視線を合わせると、彼の指が繊細なラインを奏で始めた。スタッフロールと共に流れる、主人公と、幼馴染の故郷での思い出が、セピア色で流れるシーンだ。
この半年で徳永の胃痛は増したが、その代わりというように音が華やかになった。これまで譜面通り、型通りの演奏をしてきた徳永が、生き生きと好きに演奏するようになった。指揮のない演奏の合間に、弦楽器が低音を支える。ピアノを聞かせる曲に相応しい、情緒豊かな演奏だった。
弾き終えると、満足そうに徳永が笑みを見せた。普段、真面目を絵に書いたようなこの男のこんな表情を見るのは初めてかもしれないと思った。それほどに、満ち足りた顔をしている。まだ終わってもいないのに。だが、自分も同じような顔をしている自覚はあった。
思うまま、好きなようにしろとルカは言った。その通り、本気で自由な演奏は、あのジャズバーでのピアノセッションと同じだけの興奮をもたらした。
自席に戻ると、ルカが再び指揮棒を振り上げる。
――お前の本気を俺が引き出してやる。
以前に宣言していたルカが、指揮台の上から挑発的に笑ってくるものだから、釣られるように笑って睨み返してやった。
そして同時に、この時間が永遠に続けばいいのにと願わずにはいられなかった。
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