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第1話 春色恋模様!好みドンピシャ理系男子の塩対応はブリザード級
その男を初めて見た瞬間、月森魅夜 は思った。
ようやく見つけた、と。
背が高い。肩幅もある。シワのない白シャツはキッチリ上まで留められているが、布地の下にある身体が見かけほど細くないことは、腕まくりされた前腕を見れば分かった。
顔立ちも申し分ない。涼しげな目元に、すっと通った鼻筋。黒縁眼鏡のせいで多少地味には見えるものの、むしろそれがいい。
騒がしい大学食堂の隅で、ひとり黙々と分厚い専門書を読んでいるところまで含めて、完璧だった。
あれなら、いい。
魅夜は手にしていたトレーを握りしめ、男の元へと向かった。颯爽と歩くその姿に、周囲の視線が集まる。
「月森!ここ座らないか?」
「月森くん、こっち空いてるよ!」
「一緒にご飯食べよ!」
男女問わず、あちこちから声が掛かる。けれど魅夜はひらりと手を振り、迷うことなく進んでいく。
男の真向かいで足を止める。手にしていたトレーをテーブルに置くと、魅夜は角度を意識して、ほんの少し首を傾けた。
「ここ、空いてる?」
艶やかな髪を、ふわっと揺らして。とびきりの笑みを浮かべると、目当ての男は本から顔を上げた。
「空いている」
それだけ言うと、男はまた視線を本へ戻した。
魅夜は一瞬、目を瞬いた。
容姿には、絶対の自信があった。学内で——いや、世界で一番可愛い自分が笑顔を見せれば、たいていの男は分かりやすい反応をする。
目を逸らすか、見惚れるか、意味もなく髪を触るか。少なくとも、読書を再開するなんてあり得ない。
わずかに頬が引きつる。ならばと、魅夜はさらに笑みを深める。
「難しそうな本読んでるね。理工系?一年生?」
「ああ」
「僕は社会学部なんだ。一年だから、君と一緒!」
「そうか」
「名前は?」
「名乗る必要があるのか?」
冷たい、というより、本当に疑問に思っている口調だった。
魅夜は笑顔を保ったまま、テーブルの下で靴の爪先を押しつける。
「同じテーブルで食事するんだから、名前くらい知りたいでしょ?」
「僕は特に必要としていない」
「……でも、僕は知りたい」
魅夜が唇を尖らせる。そこでようやく、男が本を閉じる。
「楠木理久 」
「楠木っていうんだ!僕は月森魅夜!魅力の『魅』に、夜って書くんだ」
「そうか」
「珍しい名前だと思わない?」
「珍しいとは思うが、君が決めた名前ではないだろう。君への感想にはならない」
理久は再び本を開いた。目で文字を追いながら、右手の箸でサバ味噌を摘み、口に入れる。
「ねぇ、学科は?」
「誕生日は?」
「どこに住んでるの?」
魅夜はめげずに話しかけ続けた。けれど、返事は一切ない。
理久の視線は、それきり、一度も紙面から離れなかった。
え?もしかして、この僕が本とサバ味噌に負けてる?
ピカチュウとちいかわとキティちゃんを並べても、センターを張れる僕が?
『可愛い』を凝縮した自慢の笑顔が、ピシリとひび割れる。
落としかけたスプーンが、カンッと空しく皿を叩いた。
***
翌日。魅夜は理工学部棟の学生実験室の前で、理久を待ち伏せた。
授業終了まであと五分。この時間に理久の学科の必修が入っていることは、公開シラバスで確認済みだ。
壁にもたれながらスマホを開く。そこには昨日知った理久の名前と、人伝に調べた情報がズラズラと書かれていた。
楠木理久。
理工学部・生命理工学科一年。特待生。
北海道出身の上京組。
英語や数学は一番上のクラス。入学してからは常に分厚い専門書を持ち歩き、教授からもすでに目をかけられているらしい。
講義中、教授の板書ミスを指摘したこともあるという。
間違いなく将来有望だ。大学院へ進んで研究者になるか、大手企業で開発職に就くか。これだけ評価されているなら、どこへ行っても成功間違いなしだろう。
顔よし、身体よし、頭よし、将来性よし。
やっぱり、僕の目に狂いはなかったな。
うんうんとひとり頷く。すると実験室が騒がしくなり、扉が開いた。
微かな薬品の匂いと一緒に、白衣を着た学生たちが廊下に流れてくる。その人混みに目当ての姿を見つけ、魅夜は声を弾ませた。
「楠木!」
理久が足を止める。まっさらな白衣を靡かせる姿に、魅夜の瞳がキラリと輝く。
やば!白衣姿、めっちゃカッコいい!
「君は、昨日の」
「一緒にご飯食べた、月森魅夜!」
「何か用か」
平坦な返事に、昨日と同じ仏頂面。それでも魅夜は構わず、跳ねるように距離を詰める。
「今日ってもう終わり?一緒に帰らない?」
「なぜ」
「なぜって、一緒に帰りたいからだよ。昨日話してから、楠木のことが気になってさ」
「ろくに会話した記憶はないが」
ぐっと、魅夜が唇を引き結ぶ。
理久の言う通りだ。昨日は結局、最初に交わした自己紹介以外、ほとんど会話は成立しなかった。
本とサバ味噌に負けた苦い記憶が浮かぶ。けれど今日こそはと、魅夜はまた自慢の笑顔を浮かべる。
「細かいことはいいじゃん。この時間だし、楠木もあとは帰るだけでしょ?帰る方向違っても途中までは一緒に帰れるし、それくらいいいでしょ?」
「一緒に帰る理由がない。それに、僕には僕の予定がある」
「じゃあ終わるの待ってる」
「なぜ」
また「なぜ」だ。
ここまで押されて、どうしてわからないのか。この男には、雰囲気というものを察する力がないのか。
魅夜はつま先を鳴らし、さらに一歩、理久へと近づいた。
密着しそうな距離から、上目遣いで見つめる。この角度で見つめれば、自分の睫毛がどれほど魅力的に映るかよく知っている。
「……楠木と、もっと話してみたいから」
長い睫毛を震わせ、恥じらい混じりに囁く。さすがにここまで言えば、好意を持たれていることくらいわかるだろう。
——そう思っていたのに。
「今、話している」
またも淡々とした返事だけ。
ポーカーフェイスは微動だにせず、むしろ冷めたように瞳は細くなる。
なんでだよ!ちょっとくらい意識するでしょ、フツー!
「そういう意味じゃなくて。もっと、楠木のこと知りたいんだよ」
笑顔の裏に苛立ちを隠し、さらに食い下がる。理久は天井を仰ぎ、大きく息を吐く。
「僕に関する何が知りたい?」
「たとえば趣味とか、好きなものとか。あと、恋人がいるのかとか」
「趣味は鉱物標本の収集。好きなものという質問は範囲が広すぎる。恋人はいない」
「じゃあ、好きなタイプは?」
「交際相手としてか?」
「ほかに何があるんだよ」
理久がわずかに視線を上げた。考える時の癖なのか、右手の中指で眼鏡のブリッジを押し上げる。
「会話によって正確な情報交換ができる人間。感情を根拠に事実を歪曲しない人間。僕の時間を不必要に拘束しない人間」
「……顔は?」
「意思疎通に支障が出るほどの外傷等がなければ、特に」
「僕みたいな顔は?」
「君の顔に、意思疎通を妨げる問題は見当たらない」
「それ褒めてないだろ!!」
思わず声を荒らげると、理久が眉を寄せた。
「褒めるよう求められたとは認識していなかった」
「もういい。とにかく帰ろう」
「僕はこれから大学図書館へ行く」
「じゃあ僕も行く」
「君も調べ物があるのか?」
「ないけど、隣にいる」
「それは図書館へ行く理由として成立していない」
「僕が君のそばにいたいから成立してるんだよ!」
言って、魅夜はハッと口を押さえた。
周囲の学生が振り返る。理久との間に数秒、沈黙が落ちた。
思わず熱くなってしまった。でもさすがにここまで言えば、どんな鈍感でも気づくだろう。
魅夜はわざと目を逸らし、照れを含ませた微笑みを浮かべた。
この斜め四十五度の角度は、魅夜の中で最かわアングルだ。ダメ押しにと、髪をそっと耳にかける仕草まで加える。
「そうか」
言葉が少しだけ柔らかい。
——気がしたのは、気のせいだった。
「だが、僕はひとりでいたい。利害が一致していない」
理久はそのまま、魅夜の横を通り過ぎていった。
最かわアングルのまま、廊下に置き去りになる。その事実を遅れて受け止め、魅夜は勢いよく振り返る。
なんなの、アイツ!
心で叫んでも、目は遠ざかる背中を追ってしまう。
そんな自分に気がついて、魅夜はむっと唇を尖らせた。
***
「奇遇だね。課題中?」
「……また君か」
三度目は、偶然を装った。
理久が毎週水曜日、授業後に中庭のベンチで課題をしていることは調べてある。魅夜はその隣へ腰を下ろすと、紙パックのカフェオレを差し出した。
「これあげる」
「なぜ」
「購買で二本買っちゃったから」
「二本とも君が飲めばいい」
「楠木にあげたくて買ったの!」
響く声に、周囲の学生が振り返った。
魅夜は我に返り、誤魔化すように髪をいじる。
「楠木、いつも難しそうな本読んでるじゃん。脳には糖分補給が必要でしょ?それとも、カフェオレ嫌い?」
「特に嫌いではない」
「じゃあ受け取ってよ」
「……わかった。受け取る。ありがとう」
理久がようやく紙パックを受け取った。
些細な勝利だった。だが、三日間まともな手応えを得られなかった魅夜には、それだけで大きな成果だった。
うららかな空が、眩しく見える。暖かな春風が魅夜の頬を撫で、理久の膝のノートをめくる。
「ところで」
ストローの袋を開けながら、理久が口を開く。
「君は僕に、好意があるのか?」
「えっ」
不意を突かれ、魅夜の肩が跳ねた。
ようやく気づいた?
ていうか、いきなりこんな直球でくる?
一瞬怯んだものの、すぐににんまりと笑う。そして理久の肩に、自分の肩をそっと触れさせる。
「……だったら、どうする?」
「断る」
即答だった。
「……は?」
「だから、断ると言った」
「なにを?」
「交際の申し込みだ。君がまだ申し込んでいないことは理解しているが、行動からその前段階にあると推測した。違うなら謝る」
「違わないけど、なんで断るんだよ」
「君をよく知らない」
「付き合ってから知ればいいじゃん!」
「交際の可否を判断するために相手を知るんだろう。交際してから知るのでは、順序が逆だ」
「じゃあ、今すぐ僕のこと知ってよ」
「なぜ」
「僕が君を好きだから!」
言った。言ってしまった。
可愛さのカケラもない、ヤケクソな形で。
またも周りがこちらを見ている。けれど今は、そんなことはどうでもよかった。
厚いレンズ越しの理久の目が、まじまじと魅夜を見つめる。射るような強い視線に、魅夜の頬が赤くなっていく。
もしかして、もしかしてもしかして。
やっと僕のこと、意識した?
ドキッと胸が弾む。けれど次の瞬間、理久の瞳がスッと細くなる。
「君の感情は、僕が君を知るべき理由にはならない」
——魅夜は絶句した。
ここまで歯牙にもかけられないのは、生まれて初めてだった。
え、なんなのそれ。数多の告白を受けてきた僕にここまで言わせるなんて、どれだけすごいことかわかってる?
「……僕のどこがダメなの」
「現段階では、駄目かどうかを判断できるほどの情報がない」
「顔は好みじゃない?」
「整っているとは思う」
「じゃあ、身体は?」
魅夜は肩を寄せ、理久の前で脚を組み替える。
首元が開いた春色のニットに、ハイウエストの黒フレアパンツ。可愛いめ&ちょっぴりセクシーコーデな勝負服だ。
これなら布越しにも、細い腰からお尻への曲線と、長い脚へ続くラインが分かるはず。
理久の視線が一度だけ下へ向かい、すぐに元へ戻った。
「健康上の問題はなさそうだ」
「健康診断じゃん!なにそれ!!他にあるでしょ、感想!!」
「外見から分かる範囲の所見を求められたのかと思った」
「僕が魅力的かって聞いてるんだよ!」
「一般的には、魅力的と評価される容姿だろう」
「一般論じゃなくて!楠木はどう思うか知りたいの!!」
「それを聞いて、君はどうしたい?」
魅夜は答えに詰まった。
理久は手元のノートへ視線を落とす。
「僕が君を魅力的だと答えれば、交際に同意したと解釈するのか?」
「……そこまでは言ってない」
「なら、容姿への評価と交際の可否は別問題だ。君は魅力的だと思う。だが、付き合うつもりはない」
初めて褒めてもらった。なのに、魅夜はまったく嬉しくなかった。
理久はカフェオレをひと口飲み、ノートへ何かを書き綴る。すでに意識は課題に戻っているようだ。
「これで質問への回答になったか?」
「なってない!」
「どの部分が不足している?」
「全部だよ!」
魅夜は立ち上がると、理久の手から紙パックを取り返した。
「あ」
「やっぱりこれは僕が飲む!」
「僕のために買ったんじゃないのか」
「酷いこと言う人にはあげない!」
勢い任せにストローを咥え、甘ったるいカフェオレを吸い込む。
諦めてたまるか。
絶っっっ対に落としてやる!!
これほど可愛い僕を前にして、いつまで平然としていられるか試してやる!!
ふと、理久の視線を感じた。顔を向けると、理久がこちらをじっと見ている。
「それは間接接吻を意図した行動か?」
「むはっ!!!」
カフェオレが気管に入った。
魅夜が激しく咳き込むと、理久はその背を一定の間隔で叩いた。
「図星だったようだな」
「ごほっ……!えへんっ!そういうこと、いきなり言うなっ……!」
「君は行動が分かりやすい」
「だったら少しは照れてよ!」
「なぜ僕が?」
「こんな風にアピールされたら、少しくらいグッとくるでしょ!」
心底不思議そうな顔の理久を、魅夜がキッと睨む。
理久の視線が、魅夜の鼻元へ落ちる。
「鼻からカフェオレが出かかっている。早く拭いたほうがいい」
「〜〜〜ッ!!なんで今そんなこと言うの!?最悪っ!!サイテーっ!!」
慌ててティッシュで拭きながら、魅夜が肩をぶつける。理久は気にした様子もなく、腕時計に目を落とす。
「時間だ。僕はもう行く」
「は!?また僕を置いてくの!?」
「君も講義にちゃんと出ろ。入学早々単位を落とすぞ」
「大きなお世話ッ!!」
さっさと立ち上がり、理久は去っていく。
理久は振り向かない。その薄情な背中すらカッコよく見えて、魅夜は曲げた唇を思わず緩ませた。
絶対に逃さない。
僕が欲しいって、絶対に言わせてやる!
——この時の魅夜はまだ、知らなかった。
この堅物な理系男が、やがて自分の生命を繋ぐ相手になることを。
そして、「僕が欲しい」と言わせるはずだった自分の方が、誰よりも理久を欲しがるようになることを。
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