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第2話 本領発揮、フェロモン全開!夢魔の誘惑は狙った獲物を逃さない!

 月森魅夜は『夢魔』である。  夢魔。眠る人間に淫らな夢を見せ、性交をすることで精気を吸い取る悪魔。  ——というのは、昔の話だ。  令和最新版の夢魔である魅夜には、そんな大層な能力はない。  血脈が人間と混じるにつれ、夢に入り込む力も、夢を操る力も、精気を吸う力も失われてしまった。  それを退化と呼ぶ者もいれば、人間社会へ適応した進化だと言う者もいる。  それでも、夢魔の魔性がすべて消えたわけではない。  昔とは形を変えたものの、人を魅了する力だけは今も残っている。  ——男を誘惑する、性フェロモン。  この力を使って、今日こそ楠木理久を落とす。    夢魔の名誉と、誇りにかけて。    そう、魅夜は意気込んでいた。      第2話 本領発揮、フェロモン全開!夢魔の誘惑は狙った獲物を逃さない!    理久を追いかけ回して一週間。あれから関係は進展しないまま、空しく日々は過ぎていた。  前よりも会話に応じてくれるようにはなった。  とはいえ、十回に二回だったのが、十回に四回に増えた程度だ。学校や勉学の話なら応じてくれるが、プライベートな誘いや質問はほぼ切り捨てられている。    魅夜は、徐々に追い詰められていた。    自室の全身鏡の前で、ローズピンクのフリルシャツを整える。大好きな顔は今日も可愛いけれど、艶のなさと、顔色の悪さが気になった。  通常の空腹とは異なる夢魔の『飢え』が、日に日に悪化しているせいだ。見た目だけじゃなく、身体は倦怠感で重いし、手足の指先も常に冷えている。  今日に至っては、起き上がった時に軽い目眩まであった。魅夜は下腹部を撫で、奥にぽっかりと穴が空いたような、満たされない感覚に眉を寄せた。  ファンデーションを薄く伸ばし、顔色を整える。血の気の薄い唇は、濃いめの色付きリップでカバーする。  化粧と服の色のおかげで、なんとか見栄えは良くなった。魅夜はほっと息をついて、最後に髪を整えだす。 「……よし。これなら分かんないな」  理久を見つけてからというもの、極上の獲物への期待と興奮で、空腹は加速するばかり。  このまま長引けば、体調は酷くなる一方だ。    そうなる前に、一刻も早く、手に入れなければいけない。  夢魔の栄養である、人間の男の『精』を。   ***  「いってきまーす」  午前八時半。誰もいない部屋に声を残し、魅夜は玄関を出た。  実家にいた頃からの癖は、一人暮らしになった今も抜けない。もともと寂しがりやな魅夜は、なにより、しんと静まり返った部屋が苦手だった。  入学を機にこの学生寮に引っ越して以来、部屋はテレビや動画がつけっぱなしだ。独り言だって、人と話すくらいのボリュームで言ってしまう。  そのうち慣れるのかな。そんなことを思いながら、エントランスに降りた時だった。  まばらに行き交う学生の中に、見慣れた背格好の人物が居た。その姿を見つけた瞬間、魅夜はとっさに声を跳ね上げた。 「楠木!?」    長身の背中が振り返る。珍しく理久が、小さく目を見開いた。 「え?え?もしかしてここに住んでるの!?僕と同じ寮だったの!?」 「朝から声が大きい」 「なんで早く言ってくれなかったの!?前聞いた時も教えてくれなかったし!」 「居住地を教える必要があるとは思わなかった」  ガラス戸を押し開き、理久が歩き出す。  魅夜は浮かれたまま、その隣にぴたりと並ぶ。  通学と帰宅はずっと断られていたのに、こんな形で叶うなんて。  神様はやっぱり、頑張る僕の味方なんだ! 「ていうか、これってもう……運命じゃん」 「大学の学生寮だ。同じ大学の学生が住んでいても不思議ではない」 「でも同じ建物だよ!?同じ屋根の下!これもう間接同棲じゃん!」 「間接同棲という概念は初めて聞いた」 「一緒に住んでるのと同じってこと!」 「同じ集合住宅に住んでいるのは事実だが、生活圏はそれぞれ独立している。それに、僕と君は恋人関係ではない」  バッサリ切り捨てられても、魅夜は気にしない。これでもかと頬を緩めて、足早な理久に合わせる。   「何階?何号室?」 「答える必要はない」 「えー。でもまぁ、同じ寮ならすぐ分かるか」  集合ポストを調べるか、誰かに聞くか。ここまで分かれば、いくらでも調べられる。  そんなことを考えていると、隣で理久が大きなため息をついた。 「……五○二だ」 「あれ?教えてくれるの?」 「君なら本気で調べるだろうと、この一週間で学習した。隠しても無駄だろう」 「楠木、僕のことわかってきたじゃん!あ、ちなみに僕は四○一だよ。一階下!いつでも遊びに来ていいよ♡」 「その予定はない」  心なしか、理久の歩くスピードが上がった。  置いていかれてたまるかと、魅夜はちょこまか追いかける。 「ね、今日は何時にお昼食べる?僕、今日は早めに学食行くから、楠木の席も取っておくね」 「頼んでいない。そもそも、約束もしていない」 「でも、最近毎日一緒でしょ?」 「それは君が僕のところに来るからだろう。昨日なんて、先に隣に座っていた学生を押し除けてまで座っていた」 「人聞き悪いなぁ。席譲ってくれる?ってお願いしただけだよ?」 「あれは半ば強制だ」 「ちゃんと笑顔でお願いしたじゃん」 「頼みながら、相手のトレーをすでに退かしていた」  会話をしているうちに、二人はあっという間に大学へ到着した。  正門をくぐり、メインストリートから中央広場に着く。それぞれの学部に行くには、ここから道が別れることになる。 「もう着いちゃった。通学五分って短すぎない?」 「学校から近いことが寮の利点だろう」 「今日だけは欠点だよ」  別れの言葉を残すでもなく、理久は理工学部棟の方へ向かう。魅夜はその背に、元気に手を振る。 「じゃあ、またお昼にね!」 「約束はしていない」 「窓際の席取っとくから!」 「聞いているのか」  立ち止まっていた理久が、諦めたように肩を落とす。そしてすぐに踵を返し、去っていく。  魅夜はその姿が見えなくなるまで見送ると、スキップ混じりで社会学部棟へと向かった。  朝から幸先いいじゃん!  この調子なら、フェロモン作戦も上手くいきそう!  ほくほくと笑顔をこぼしながら、魅夜は散々練った計画をシミュレーションする。  ——まず、楠木を人のいない密室に誘う。  相談があるとか人に聞かれたくないとか言って、なんとか押し切る。  誘う先は、学生が予約して利用できる小演習室だ。十人も入ればいっぱいになる狭い部屋で、窓もひとつしかない。  そこで、僕のフェロモンの出番だ。  人間が夢魔のフェロモンに逆らえるわけがない。すぐに向こうから「好きだ」、「抱きたい」と欲しがってくる。  そうなればもうこっちのものだ。  理久の精を美味しくいただいて、僕はお腹いっぱいになる。そしてその勢いで「付き合いたい」と言わせれば、晴れて僕たちはカップルだ!  「完璧だ」と、自画自賛する。袖のフリルを優勝旗のようにはためかせ、期待に胸を膨らませる。  あの無表情な顔を赤らめ、余裕のなくなった理久を思い浮かべてみる。    二人きりの狭い部屋。  夕焼けの光に包まれる僕と楠木。  楠木は僕に目を奪われたまま、ギュッと抱きしめてくる。 『君のことが好きだ。……今すぐ、抱きたい』    なーんてね!  甘い妄想に、隠しきれない笑みがこぼれる。弾んだローファーの踵が、軽快に廊下を鳴らす。  作戦開始は昼休み。  まずは、二人きりの部屋に誘う!  興奮冷めやらない魅夜を、周囲の男たちが振り返る。熱を帯びた視線が、こぞってその姿を追いかける。  けれど魅夜は、それを気に留めることもなく歩き続けた。  ——通り過ぎた場所には、微かに甘い香りが漂っていた。 ***  待ちに待った昼休みの時間。宣言通り早めに学食に来た魅夜は、窓際に二人分の席を陣取った。  やがて、理久がやってくる。魅夜はガタリと席を立ち、大きく手を振る。 「楠木!こっちこっち!」  魅夜を一瞥した理久は、そのまま食券機に向かった。魅夜は慌てて理久の元に駆け寄り、一緒に列へ並ぶ。 「ちょっと!無視しないでよ!」 「約束はしていないと言った」 「一緒に食べないとも言わなかったじゃん。ほら、窓際取っておいたんだよ。日当たりいいよ?」  理久は返事をせず、食券機のボタンを押す。魅夜もオムライスの食券を買いながら、理久の食券を覗く。 「またサバ味噌?」 「悪いか」 「悪くないけど、ほんと好きだね」 「タンパク質が摂れるし、青魚はEPAやDHAも多い。定食なら米と汁物も付く。昼食として効率がいい」 「そんなこと言って、ほんとはサバ味噌が好きなんでしょ?」 「好きだが」 「じゃあ最初からそう言えばいいじゃん!」  一緒に食券をカウンターに出し、料理の載ったトレーを受け取る。そのトレーを片手に持ち替えると、魅夜は空いた手で、すかさず理久の袖を引いた。    引きずるようにして、席へと連れて行く。その道のりで、普段ほとんど話したことのない男子学生が、次々と魅夜に寄ってきた。 「月森、一緒にご飯食べない?」 「デザートでもおごろうか」 「食べ終わった後ヒマ?」  塞がれた道を、魅夜は笑顔で薙ぎ払う。 「ごめーん♡僕は楠木と食べるから♡」    見せつけるように、理久の腕に自分の腕を絡めてしなだれる。学生たちの目に、嫉妬めいた熱が滲む。 「僕は了承していない」 「細かいことはいいの!」  男たちの間を割って、魅夜は突き進む。腕を引かれた理久は、渋々とついていく。 「腕を離せ。トレーが傾く」 「やだ♡」 「歩きにくい」 「聞こえませーん」  魅夜はお構いなしに、理久を席に座らせた。  色めいた男の視線が、やけに魅夜へと集まる。頬が赤い者もいれば、落ち着きなく脚を揺すっている者もいる。  きっと、フェロモンが漏れてるんだ。  空腹のせいで上手くコントロール出来てないのかも。  そう気が付くと同時に、魅夜は思った。  ——おかしい、と。 「……ねぇ、楠木」 「なんだ」    理久は、平然とサバ味噌を食べていた。  周りの反応からすると、すでにフェロモンが効き始めているはずだ。なのに理久には、特別な変化は見られない。 「あのさ。今日の僕、何か違うと思わない?」 「顔色が悪い」 「え?」 「化粧で隠しているようだが、頬や唇の血色が良くない。さっき僕に触れた手も、やけに冷たかった」  化粧で隠したのに、バレてたの?  ていうか楠木、そこまでわかってたの?  ……恥ずかしい。  でも、気にしてくれて嬉しい!  思わず頬を緩めた魅夜は、しかしすぐにハッとする。  違う違う!本題はそこじゃない! 「それだけ?他には?」 「集中力も落ちている。さっきから箸でサラダの豆を三度掴み損ねている」 「そうじゃなくて。こう、僕のそばにいると、何か感じない?」  理久は味噌汁を一口啜り、魅夜をしばらく観察する。  魅夜はわざと身を乗り出す。これほど近ければ、夢魔のフェロモンをまともに浴びているはずだ。 「感じる」 「どんなふうに?」 「周囲の人間がうるさい」 「楠木自身の話だよ!」 「僕自身に変化は特にない」  そんなはずはない。魅夜は唇をむっと曲げながら、理久を見つめる。すると背後から、また別の男子学生が割り込んできた。 「月森、もしよかったら俺の弁当も食べる?」 「いらない!」 「でも、今日あんまり食べてないだろ。俺、月森になら全部あげても——」 「いらないって言ってるだろ!」  キッパリ追い払うと、理久がその男子生徒の後ろ姿を振り返った。 「妙だな」 「なにが」 「君へ接触する人間が、今日は明らかに多い。周囲の様子も、いつもより浮き立っている」  ギクリと肩がすくむ。フェロモンなんてバレるはずがないと思っても、理久の観察眼は侮れない。 「君が意図的に何かしているのか?」 「してない!」 「時折、甘い香りがする。香水を変えたとか」 「僕は香水なんかつけてない」 「では、体臭に変化があった可能性は?」 「人を臭いみたいに言うな!」 「悪臭とは言っていない。揮発性物質が他者の行動へ影響を与えている可能性を考えただけだ」  ほぼ正解を当てられ、冷や汗が伝う。  さすがにまだ、夢魔だとは知られたくない。ここはなんとか誤魔化してみせる。 「そんなことよりさ、今日の授業終わった後、時間ある?」 「また帰宅の誘いか?なら断る」 「違うよ。……ちょっと、相談したいことがあるんだ」    声のトーンを落として、深刻を装う。理久は警戒したように見返しながら、中指で眼鏡のブリッジを押し上げる。 「内容は」 「ここでは言えない。……できれば、人のいないところで話したい」  ここは強く押さない。俯きながらチラッと上目を見せて、辛抱強く待つ!  理久の箸は止まっていた。ようやくサバ味噌に勝ったと内心喜びながら、魅夜は長い睫毛を切なげに伏せる。  ——反応は、悪くない。 「……わかった。三十分だけ時間を取ろう」 「ほんとに!?」 「五限の後ならいい。ただし、三十分だけだ。その後は予定がある」 「全然いい!ありがとう!じゃあ五限終わったら、共通講義棟の小演習室に来てくれる!?」  理久は静かに頷いて、また味噌汁を啜った。魅夜はさっきまでの演技を忘れ、ルンルン気分でオムライスをすくう。  理久のじとりとした視線に、慌ててまたテンションを落とす。すでに怪しまれている気もするが、それでも理久は「行かない」とは言わなかった。    もしかして、僕のことちょっと好きになってきてる?  それとも実はフェロモンが効いてて、僕が気になってるのかも……?    まぁ、なんでもいっか!  細かいことは気にしない。大事なのはこの後だ。  魅夜は決意を新たに、大きくオムライスを頬張った。 ***  五限の講義が終わった。  教授の締めを合図に学生たちが立ち上がる中、魅夜は誰よりも早く講義室を出た。  共通講義棟の廊下をダッシュして、予約していた小演習室の鍵を開ける。そして部屋に入ってすぐ、窓の閉じまりを確認する。  窓は問題なし。あとは楠木が来て扉を閉めれば、密室に二人きりだ。  熟れた白桃に似た甘い香りが、ふっと強まる。自分では気づきにくいフェロモンも、さすがにここまで濃くなればハッキリとわかる。    ひくりと鼻を鳴らし、魅夜はほくそ笑む。  いくらフェロモンに鈍い楠木でも、これだけの濃さに抗えるはずがない。  さぁ、早く来い、早く来い!  そして、僕にメロメロになれ!  ——待ちわびたその瞬間は、ついにやってきた。  ノックをする音がして、理久が部屋に入ってくる。窓から差し込む茜色が、二人を染める。  想像していたシチュエーション通りだ。眩しい光景に、魅夜の胸が高鳴る。 「楠木、お疲れ様っ」 「ああ。それで、相談とはなんだ」 「えっと、そのことなんだけど——」  言いかけると、理久がふと周囲を見回した。  もったいぶる魅夜の横を通り、無言で窓を開ける。その予期せぬ行動に、魅夜はあんぐりと口を開ける。 「なんで窓開けるんだよ!」 「換気だ。この部屋に入ってから、君の周囲に特有の甘い匂いが滞留している」 「寒い!閉めて!」 「西陽も差している。室温は十分だろう」  半分ほど開かれた窓から、室内の空気が逃げていく。鼻腔をくすぐっていた甘い香りが、どんどん薄まっていく。  魅夜は、わなわなと肩を震わせた。  こんなはずじゃなかった。本当なら今頃、「好きだ」、「抱きたい」と迫られ、押し倒されているはずだった。  なのに目の前の男は、表情を一切変えず、腕を組んで窓の横にもたれている。  ——その目に、欲情の色はひとつもない。    塗り直したリップに潤む唇を、強く噛む。  初手で作戦を崩され、魅夜は言葉を続けられない。    作戦失敗の文字が頭をよぎる。  すると理久が、突然魅夜に近づいてきた。  一歩、二歩。  徐々に近づく距離に鼓動が跳ね、魅夜は理久を見つめたまま、じっと動けずにいる。  あれ?どうして?  なんで楠木が、僕のそばにくるの?  戸惑う魅夜の首筋に、理久の顔が近づく。  漂う自分の香りの中に、理久の清潔な香りが混じる。  それを感じた瞬間、魅夜の心臓が、ドクンと大きく波打った。  ——ついに効いたんだ。  これで楠木は、僕を抱くはず!  魅夜はドキドキしながら、息を止めた。  首筋に、理久の吐息が触れる。そのくすぐったさに薄く目を瞑り、触れられるその瞬間を待った。  けれど、そんな瞬間はこなかった。  理久はすぐに魅夜から離れた。欲情に頬を染めるどころか、色気のない冷静な顔で、眼鏡のブリッジを押し上げる。 「皮脂腺、あるいは汗腺から、何か分泌されている可能性が高いな。おそらく耳の裏と首筋が発生源だ」 「……ちょっと待って。僕の首の匂いを嗅いでおいて、最初に言うことがそれ?」 「ほかに何を言えばいい」 「いい匂いだとか、触れたいとか!!あるだろ、そういうの!!」 「いい匂いだとは思う。ただし、触れたいとは思わない」 「帰れ!!」 「君が呼び出したんだが」  心底呆れたように、理久が肩をすくめる。  どれだけ待っても、魅夜の話は続かない。痺れを切らした理久は大きなため息を落とし、部屋から去ろうとする。  理久は、またも魅夜を素通りする。  パタンと、背後で扉の閉まる音が聞こえた。  取り残された夕焼け色の部屋で、魅夜は拳をぎゅっと握りしめた。  ——ほんとに、なんなんだよアイツ!!

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