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6 ピカピカ ~伊月の9年~

 新人研修の間は定時ぴったりで終了し、18時10分頃には会社を出ることができる。駅で同期と別れた伊月は、自宅とは逆方向の線に乗った。今日は飲みの約束があり、蛍には帰りが遅くなることを伝えてある。  蛍は先週大きな案件のリリースを終え、今は少し落ち着いているようだ。蛍がいるなら少しでも早く帰って一緒に過ごしたいのが本音だが、外せない予定もあった。  約束の駅で降り、指定された居酒屋に入ると、手前奥の席で見知った顔が手を振っている。 「伊月、こっち」 「悪い、待たせたか」  歩み寄り正面の席に着く。約束の相手、会津(あいづ)郁(かおる)は、色白の中性的な美貌をふわりと和ませて微笑んだ。 「平気、たいして待ってないよ」  美貌といっても郁はれっきとした伊月と同い年の男なのだが、美醜に頓着しない伊月でさえこう形容したくなるほど美しい顔立ちをしている。ヘーゼルに染めたストレートヘアはサラサラで、今はだいぶ伸びているので襟足を結んでいた。すっと引いたような眉と二重の目、右目の下に泣きぼくろ。両耳には複数のピアス。このままモデルになれるのではという洒落た容姿だ。  とはいえ実際には、撮られる側でなく撮る側の仕事に就いている。  郁は大学時代からの友人で、東京で就職した。映像系を学んでおり、勤め先は撮影スタジオだと聞いている。同時期に上京した貴重な同郷の友人で、今日は卒業以来の再会だ。どこかで飲みたいなと以前から連絡を取っていたが、なかなかタイミングが合わなかった。 「ではでは、お疲れさま~」  ビールとつまみを数品オーダーし、郁の適当な音頭でジョッキを合わせる。しばらくは互いの職場環境について、愚痴を交え盛り上がった。  小一時間ほど経った頃、ふと思い出したように郁が話題を変える。 「家は、お兄さんのところに住んでるんだっけ」 「ああ」  短く答えたが、その声がやや硬くなるのを伊月も自覚した。お兄さんという呼び方すら、今はもうさらりと聞き流せない。合わないパズルのピースを無理やりはめ込まれたような違和感を生む。 (兄貴じゃない。蛍は、俺の……) 「通勤圏内にお兄さんが住んでてよかったよね。けど、会うの久しぶりなんだよな。家での生活はどう? 仲よくやれてるの?」 「…………」  話そうと決めていたわけではない。だが、もういいかと思った。郁の人柄はよく知っている。外見で軽薄そうに見られがちだが、内面は正反対だ。普段は柔和で物静かだが、冷静に周囲を見ている。肝心な時には親身になり、率直に意見を言ってくれる。  これから先、誰にも言うことはできないだろう。だからこそ、信頼できる相手にくらいは吐き出したいという欲が芽生えた。 「兄さんじゃないんだ」 「……え?」  表情なく口にした伊月に、郁は一拍遅れて困惑の浮かぶ目で聞き返した。 「どういうこと?」  父親の再婚で、母と兄とは血の繋がらない関係であることは以前から話してある。だが、今さらそのことをこんな神妙な空気で繰り返すとは思わないだろう。それ以外の意味があると察してくれている。  伊月は乾いた喉を潤そうと唾を飲み込んでから口を開いた。 「前から兄だなんて思ってなかったし、兄弟のフリももうできない」  わずかに郁が目を見張り、その後は沈黙が流れる。やはりはやまったかと伊月が少し不安になりかけた時、ようやく郁が息をついた。 「……そっか。そうなんだね」  その反応から、正しく理解してくれたのだろうと読み取る。だが、質問や苦言の二つ三つあるだろうと思っていたのに、すべて受け止めたような顔で言うので今度は伊月が戸惑った。 「驚かないのか?」 「いや、充分驚いてるよ。けど、もしかしたらそうなのかなとは思ってたから」 「えっ……?」  さらに動揺し、動いた手がテーブルにぶつかってガタッと揺れる。慌ててジョッキを押さえる伊月に苦笑しながら、郁は言った。 「最初から相手が誰か気づいてたわけじゃないよ。けど、大学でも相当モテてたのに誰とも付き合わないし、女の子に興味すら示してなかったでしょ」  伊月は沈黙を肯定に代えた。郁の言う通りで、離れている期間も頭の中には蛍しかいなかった。 「好きな人いるんだろうなとは思ってた。相手が、そうなのかなっていうのも」  場を考えて曖昧な言い方をしてくれているが、『そう』というのは同性ということだろう。  伊月としては、自分がゲイなのかどうかよくわからない。初めて恋心を自覚した相手が蛍で、それ以来蛍だけが特別だ。すげ変わる相手など誰もいない。だから別にゲイだろうと、本来はノーマルだろうとどちらでもいい。 「相手がわかったのは、卒業式後の飲み会で義理のお兄さんのところに同居させてもらうって話を聞いた時。伊月、今まで見たことない目してたから」  2杯目のライムサワーで喉を潤しながら、郁はほんの少しだけ、どこか寂しげに微笑んだ。 「おまえ、不気味なくらいに鋭いな」  まさか話す前から気づかれていたとは思わず、伊月はバツの悪さで額に手をやる。 「不気味って、ひど」  拗ねたように唇を尖らせてから、郁はすっと下を向いた。 「……ま、気づいちゃうくらいには伊月のこと見てたしね」 「ん? なんて?」  声が小さく、周りのざわめきで聞こえなかった。伊月は軽く身を乗り出したが、パッと顔を上げた郁は「なんでもないよ」と目を細める。 「話してくれてありがと。僕のこと信用してくれてるって思っていいんでしょ」 「……ああ、お前だから話した。けど、別に説教してもいいんだぞ」 「しないよ。軽い気持ちじゃないんだろうし、他人がとやかく言うことじゃない」  即座に答える郁を見て、伊月は、やっぱりこいつはこういう男だよなと思う。頭ごなしに否定されないだろうとは思ったから打ち明けたが、実際に望んだ反応をしてもらえて安堵と感謝が胸に広がった。  郁はもう一口、グイとサワーを飲んでからジョッキを置く。空気を和らげようとしてくれているのか、世間話と変わらない調子で尋ねてきた。 「でも、さっきの様子だとうまく収まったって感じでもないようだね。悩んでるならもっと話聞くけど?」 「……うまくとは言えないな。相手が、まだ覚悟決まらないって感じで」 「うーん、そうかぁ。まあ簡単ではないよね……」  腕を組んで首を捻る郁。その顔を見ながら、伊月の意識はすっと記憶の内へ飛んだ。これまでの出来事と、蛍への想いを振り返る。  ──伊月の心はもう、とうの昔に決まっていた。  子供の頃から人見知りし、人と接するのが苦手だった。小1の時に母親が事故で他界し、父子家庭になってからは哀れみや奇異の目を向けられることもあり、ますます疎外感や警戒心が募った。小4で父が再婚を決め新しい母親と兄ができると聞いた時も、不安しかなかった。  だが兄となった蛍は、いつも優しく笑ってそんな自分の心をほぐしてくれた。半年もする頃には伊月は蛍が大好きになっていて、蛍がいれば毎日楽しかった。  大好き以上の特別に変わったのは、再婚して1年と少し経った頃。ホタルを見に行った川原で、話の流れから伊月は自分の中にあったコンプレックスを打ち明けた。 『俺、怖いとか、怒ってるのか、とかよく言われる。怒ってないし、怖いって思われたくないけど、兄ちゃんみたいにニコニコできない。兄ちゃんすごい』  そんな伊月に蛍は、伊月も眩しい存在だと言ったのだ。その時夜空に浮かんでいた、月のようだと言ってくれた。 『ほら、伊月の『月』だろ?』 『太陽みたいに眩しくないけど、月も夜の世界を優しく照らしてくれてるよな』 『俺にとっては、伊月もピカピカしてるよ』  そう話す蛍の笑顔を見た時、それまで自分をまとっていた世界も輝きを増したように感じた。  蛍がそう思ってくれているならそれでいい。蛍がいてくれれば、自分もずっとこのピカピカした幸せの中で生きていける。そう思うと心強く、不思議と周囲への恐怖心も薄れ人見知りまで改善した。やっぱり蛍はすごいなと心から思った。  当時はまだ小5の子供で、この感情が恋とか愛と呼ぶものだと自覚したのは数年後だったが、気づいた時にも戸惑いはまったくなかった。むしろ、こんなにも好きだと思える相手に出会えたことが嬉しかった。  蛍の目を見ていれば、手を繋いでいれば、話していれば、同じ気持ちでいてくれるのも伝わってくる。蛍は自分を大切に思ってくれている。伊月は蛍だけが、蛍は伊月だけが、互いに特別な光を放つ存在だった。  しかし、蛍が高3、伊月が中2の初夏。蛍が東京の大学に進学するつもりだという話を聞くことになる。ショックで目の前が真っ暗になった。  離れたくないと、想いをぶつけるように川原でキスをした6月の夜。あの時は拒絶され、その後も自分を避け続けた蛍は卒業後すぐに家を出てしまった。  逃げられた。けれど想いは募るばかりで、消し去ることなど到底できなかった。  追いかけたい。絶対に蛍を手に入れたい。だが、蛍は何かと言い訳を用意してくるだろう。自分自身、まだ一人で責任を取ることのできない子供だ。だから社会人になるまで耐えた。  就職先は、東京に行けることを必須条件で探した。採用された企業は東京本社で新人研修があり、優秀ならそのまま本社勤務も夢ではない。いったんは名古屋に帰されても、成績を上げれば本社に呼ばれる。もちろん今、最初から本社勤務を掴み取るつもりで励んでいるが。  蛍が欲しい。蛍さえいてくれれば、他のすべてを諦めてもいい。  蛍のことを考えるだけで、滾るように胸が熱くなる。内側の火照りを冷ましたくて、伊月は残ったビールを飲み干すとお代わりをオーダーした。 「伊月、いつもよりペース早くない? 大丈夫?」  気遣うように郁が問うが、平気だと答えて運ばれてきたジョッキにまたすぐ口をつける。 「いい。今日はなんか、飲みたい気分なんだ」  郁が受け入れてくれたという嬉しさもあるだろう。気持ちが高まっている。喉を過ぎる冷たさが心地いい。 「ったく。潰れても介抱しないよー?」 (蛍……早く会いたいな)  郁の呆れ声を遠くに聞きながら、ふわふわとしてきた思考の中で焦がれてやまない笑顔を思い出していた。

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