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5 戻れない道★

「伊月、ごめんっ、ごめん……!」 「聞きたくない」 「あっ……」  謝罪して伊月の憤りをどうにか鎮めようと思っても、見下ろす眼差しはまったく変わらない。ベッドへ蛍を縫い留め、むさぼるようにキスをし、首筋にも吸い付きながら性急に服をはぎ取られていく。あっという間に上はシャツ、下は下着だけにされた。 「他の男とできんのは今日で最後。俺が上書きしてやるよ」 「上書きって……」 「他のやつが残したもんなんか、全部俺が消してやる」  襟にかかった指が勢いよく前をはだけた。ブチブチとボタンの飛ぶ音がする。息を止めて張りつめた胸に伊月の顔が寄った。 「んぁあっ……!」  べろりと舐められて、ざらついた感触に腰骨の奥が疼く。濡れて硬くなった尖りを、伊月は指先でピンと弾いて爪を立てた。 「やっ、痛っ……!」 「そう? 喜んでるみたいだけど」  酷薄に笑む口元が一瞬見えたが、もう一方の尖りに吸い付かれて頭頂部しか見えなくなった。片方を指でこねながらもう片方に噛み付かれる。千切られるのではと思うほどの乱暴な愛撫で畏怖しているのに、体内にはじりじりと熱が溜まっていった。こんな感覚切り離してしまいたいと思ってもできない。与えられる刺激を、身体はしっかり受け止めてしまう。 「気持ちいいんじゃん。そんなおっ勃てて、何が嫌?」  口を離して身を起こした伊月が、吐く息と共に笑う。脚の間、疼きに張りつめた中心は下着を盛り上げていた。脇腹から胸のほうへと舐め上げながら、伊月の手が下着をずり下ろす。 「ああっ……」  あらわになった自身の先端は先走りで艶めいている。それを伊月が満足げに見ていて、蛍は顔を背けた。恥ずかしい。伊月に触れられることを気持ちいいと感じてしまう自分を消してしまいたい。 「そんなに準備はいらないよな。あいつに可愛がってもらってきたんだから」  伊月が身を屈め、ベッド脇の収納ボックスに手を伸ばした。起き上がった時にはボトルを手にしている。ローションだと気づいて反射的に身を翻そうとしたが、伊月も素早く阻んできた。膝を手で押さえて脚の間に身体を入れ、大きく開脚した姿勢で固定されてしまう。  伊月はローションをたっぷり垂らした指を、昂ぶりは素通りして後孔に伸ばした。 「っ、伊月っ……!」 「何言っても無駄。今日は許してあげないよ」 「っ……」  容赦なく宣告する伊月を見上げ、蛍は本当に1ミリの逃げ場もないことを痛感する。 (伊月、本気だ)  前のような懇願や泣き落としは、もはや無意味だ。視線、腕、指、声、伝わってくる熱。伊月の全身が、蛍を自分のものにするのだと訴えている。 「あいつの感覚忘れるまで、抱き潰す」  耳元に顔を寄せて言い、指を中へ沈めてきた。圧迫感に蛍はひっと喉を鳴らす。1本だけの体感ではない。痛みはないが、快感より異物感が先に立つ。 「だめ、抜いてっ……」  無駄だと承知で乞うたが、当然聞いてもらえない。グチュグチュと何度か抜き差ししてから、すぐに指先は敏感な部分にたどり着いた。ぐっと潰すようにそこを刺激され、蛍はビクンと腰を跳ね上げる。 「はぁぁっ……!」 「顔背けんな。こっち見てろ」  頬に手を添え、横向いていた顔を正面に戻された。唇をふさがれ、舌が深く絡む。指で敏感な部分を擦りながら上顎を舌で攻められ、耐えがたい快感にきゅうっと下半身が強張った。キスを解いた伊月がハッと笑う。 「うわ、締めてくる。ほんとエロい身体してんな」 「そんなこっ……やっ、あぁっ……!」  今度は耳に舌を這わされ、弁明も最後まで言えない。 「なぁ、蛍。この身体、俺だけのにしてよ。俺のものになって、俺だけを見て」  すがるような声で言って、伊月はずるりと指を抜いた。ベルトに手をかけ、ズボンの前を開く姿を蛍はただ見開いた目で見上げる。  もう抵抗しようという気は芽生えなかった。そうするべきだという倫理観は残っているが、それ以上に、意味のないことを悟ってしまっている。  そして、そんな諦めよりももっと強く。泣きそうな瞳で自分を求める伊月から、目を離せなかった。俺だけを見てと魂から叫ぶこの存在が、自分は愛しくて仕方ないのだ。  ごまかしようがない。昔からずっと彼だけが特別で、誰より大切だった。突き放せない。 (最初から、伊月以外見えてないよ)  胸の内で答えながら、深く侵入してくる伊月を受け止める。涙が一筋こぼれた。 「……やっと繋がれた」  間近で自分を見下ろす伊月が、やはり泣きそうに目をすがめる。 (ごめん、伊月。そんな顔させて。ちゃんと兄貴をやれない俺で、ごめん)  狭い部分を、熱い昂ぶりで腹の奥まで押し広げられている。胸苦しさと強すぎる快感に焼かれそうになりながら、去来するのはそんな謝罪だった。 (ごめん。駄目なのに……)  泣きそうなほど苦しくて嬉しそうな伊月の姿を、嬉しいと感じている。数万の言い訳で塗り込めようとしても、そんな自分に嘘をつけない。 「蛍……」  とろけるように熱い目をして、伊月が唇を重ねてきた。しばらくの間、酸素がそこにしかないかのように無心で舌を交わらせる。伊月の唇も舌も、あふれた唾液が顎を伝う感覚すらも甘く思える。  キスを続けながら、伊月は腰を揺らし始めた。一度引いて、再び深く奥へ。ゆっくりとした大きな動きに、中心から四肢や頭へ快楽の渦が広がっていく。 「っ……すげ……ナカうねって、あっつ……」  そう言う伊月のほうこそ熱いと蛍は思った。  互いの粘膜を隔てるものはない。ゴムなしで挿入されたのは初めてで、直接触れ合っているからなのか、伊月だからなのかわからないが、とにかく繋がった部分が熱い。溶けてしまいそうだ。 「蛍っ、蛍……っ」  蛍の名を繰り返し呼びながら、伊月は動きを速めた。敏感な部分も擦りながら奥を突かれ、性急に引き上げられる快感に、全身の毛穴がぶわっと開くような感覚が襲う。 「んあっ……あっ、やぁ……、くっ……」  声が抑えられない。喉を反らせて喘ぎながら、救いを求めるように腕を伸ばした。血が沸騰しているかのように身体が熱くて、気持ちよくて、ぐずぐずと輪郭が失われていきそうで。夢中で伊月の背中に手を回すと、触れた身体がピクッと震えた。 「蛍、好きだ……蛍だけ……俺には、あんたしかっ……」  腰を打ち付けながら、伊月が蛍の肩に噛み付いた。痛みに思わず顔をしかめる。  けれど痛いと感じたのは最初だけだ。すぐにそれすらも淫らな欲を高める刺激になって血管を走っていく。 (もう駄目……気持ちいい……も、それしか考えられない……)  抱き合い、自分の一番深いところで伊月を受け止め感じている。こんなに切なく濡れた声で伊月が自分を呼び、求めている。  たまらない。この目まぐるしい波にもう、ただただ溺れていく。 「蛍……一緒に、いきたいっ……」 「っ!? やっ……!」  ふいに昂ぶりに触れられ、うっとりしかけていた目を見開いた。それまで触れられずガチガチに硬くなっていたものは、蜜をこぼして幹まで濡れている。そこをすっぽり包んで律動と同時に擦られ、強すぎる刺激にゾクゾクと背中が震えた。 「やめっ、離っ……そこは……!」 「嫌じゃないだろ?」 「ひぁっ、あっ、ああっ!」 (無理、こんなの……!)  大きすぎる何かがせり上がってくる。いやいやと、子供のように首を振ることで訴えるが、伊月は意に介さない。動きは激しさを増し、肌のぶつかる音と、擦れる部分の立てるグチュグチュという水音が室内を満たした。 「もっ、やっ、駄目っ……! おかしく、なるっ……!」 「なれよ。なってよ。俺しかいらない身体になって」  祈りのように言って、快楽を耐えるため結んでいた唇をこじ開けてくる。そのキスでもう、蛍は限界を迎えた。 「んっ、んんんっ……!!」  唇をふさがれたまま達してしまう。すぐには引かない深い吐精感にガクガクと腰が揺れた。 「っ、俺も……っ」  すぐ後に伊月も達し、腹の奥を温かいものがじんわり満たしていく。痙攣の引かない蛍の中に、解き放たれて交わっていく。  伊月の欲だ。とうとう受け入れてしまったと、蛍は広がる温かさを感じながら目を閉じた。 (もう、戻れない)  ●〇●〇  疲れ切った身体を並んでベッドに横たえた時には、深夜になっていた。  まだ足りないとばかりに伊月は二度三度と求め続け、蛍も抗うことはしなかった。  伊月がこんなふうにするしかなかったのも自分のせいだ。だからもう、伊月の気の済むまで受け入れようと思った。  ただ、ひとつだけ言っておきたいことがある。  仰向けで天井を見たまま、蛍は行為の名残が残るかすれた声で途切れ途切れに話し始めた。 「誤解だけ、解かせてほしい。今夜は、あの人とはしてない」 「……え?」  隣で同じく上を見ていた伊月はもそりと身体を起こす。疑うような目で見降ろしてきた。 (そりゃ、セフレでしかないのに信じられないよな。別に俺は免罪されたいわけでもないけど……)  苦しんでいるのは自分より伊月だ。それが少しでも軽減されるなら伝えておきたかった。 「するつもりで部屋に行ったけど……元々は、久しぶりに夕飯作って、伊月と食べられたらと思ってたんだ。話したいこともあったし……」 「俺と……?」  見張られた瞳が揺れる。まだ信じきれない様子だが、蛍は静かな声音のまま話し続けた。 「あの人と食事してても、おまえのこと考えちゃって。なんか……そういう気分になれなくて、するのは断った」  ※※※※ 「片付けておくから、蛍くん先に入ってきたら」  先に食事にしてもらい、食べ終わると、堀野は蛍にシャワーを勧めてきた。蛍はしばしためらったが、食器を下げる堀野の背に「ごめんなさい」と呼びかける。今日はこれで帰ります、と伝えた。 「……いいけど。どうしたの、何かあった?」  わずかに間があったが、堀野は不満を見せることもなく穏やかに問う。 「やっぱり早く家に帰りたくて。食事はご馳走になっておいてすみません」  もう一度謝り頭を下げた。堀野は苦笑する。 「それは構わないよ。俺がお疲れさま会したかっただけなんだから。じゃあ送ってく」 「……はい」 「最初から、次の保証なんてない関係だからね。いつやめ時が来たっておかしくないさ」  送ってもらう車の中で、ふいに堀野はそう言った。何かを察しているのかもしれないと感じたが、蛍は触れなかった。 「俺たちに責めたり責められたりなんていうのは必要ない。会いたければ会う、会いたくなければ会わない。それだけのことだよ」  そうして、「君が会いたいと思ったらいつでも連絡してきて」と言い残し去っていく。だが、もう自分からこの人に連絡はできないだろう。  最後まで掴めない男だったが、悪い人ではなかったと思いながら蛍は三度頭を下げた。  ※※※※ 「……先に言えよ」  話を聞き終わった伊月は、額を押さえてはぁっと深いため息をつく。 「言いたかったけど……言えなかったから」 「そうだな、ごめん」  自分がその間を与えなかったと自覚しているのか、伊月はますます申し訳なさそうに肩を落とした。 「責めてるわけじゃない。ただ、本当のことを言っておきたかっただけだよ」 「嫉妬で理性ぶっ飛んでた。駄目なんだ、俺。すぐ、蛍以外何も見えなくなる」 「行ったのは間違いないから。もういいよ」  自分より大柄な男なのに、しゅんと落ち込む姿を見るとたちまち蛍は庇護欲を掻き立てられてしまう。まだ背の低い少年だった頃から、不器用な彼が可愛くてたまらなかった。背丈が変わってもその想いが褪せることはない。  肌を重ねたことで、蓋をしようとしていた感情もすべてが引き出されてしまったように思う。剥き出しで、蛍への想いが自分の中に転がっている。ただ慰めたくて、素肌の肩にそっと触れた。 「そんな顔してほしくて言ったわけじゃない。気にするな」  伊月はまだ幾分申し訳なさそうに自分を見ていたが、やがて頷いた。そしてためらいがちに尋ねてくる。 「さっき言ってた、話したかったことっていうのは?」 「ああ、それは──」  リリース2日前、伊月のアドバイスを思い出した蛍の言葉で、職場の空気を変えられたことを端的に話した。 「伊月に言ってもらったことがなかったら、俺はあんな行動取れなかった。だから、今回のリリースは伊月のおかげで乗り切れたって言っても過言じゃないんだ。そのお礼を言いたかった」  まっすぐ目を合わせ、自然と浮かぶ笑みと共に続けた。 「ありがとう。昔から、伊月の言葉は俺に力をくれるよ」 「……っ」  伊月がこぼれんばかりの目で息をのむ。衝撃の事実でも聞いたような反応をされ、蛍のほうが戸惑った。 「え? ど、どうしたの?」 「……自己嫌悪で死にたくなってる」  がくりと項垂れ、両手で頭を抱え込んでしまった。 (死に……っ!?)  蛍は隣であたふたしてしまう。再び肩に触れると、のろのろと頭を上げた。 「あんたこそ、そういうとこ、昔からほんとヤバい」  手で覆った顔の、指の隙間から横目で蛍を見る。目元や頬が少し赤くなっていた。 「好きすぎるんだよ、マジで」  今度は蛍が身を硬くする。ストレートな言葉にドクリと心臓が跳ねた。  伊月の表情がすっと引き締まる。揺るぎのない意思を宿した目で蛍を見、シーツの上に置いた手に掌を重ねてきた。 「蛍。俺はもう蛍を兄貴とは呼べない。呼びたくない」 「伊月……」 「蛍もただの蛍で、ただの俺を見て。ずっと俺の傍にいて」  伊月の心に迷いはない。再会した最初の夜に言っていたように、あらゆることを覚悟しているのが伝わってくる。  それなのに、眼差しの奥にはかすかな心細さが垣間見えた。蛍のように迷うことも逃げることもなく、まっすぐ想い続ける強さを持っているのに。蛍が受け入れるかどうかの不安で揺れる瞳。自分だけが伊月を強くし、弱くする。  必死さも不安も隠さない。何も偽らずぶつかってくる姿に、胸が引き絞られるように苦しくなった。  苦しいほどに愛おしい。もう自分も、伊月をただの義弟と思うことなどできそうにない。  そう言ってしまおうか。言えばそのほうが楽になれるのかもしれない。  何より身体を繋げ、取り返しのつかないところまで来てしまった。もう自分に兄を名乗る資格はないのだ。 (俺は、どうしたら……)  短い沈黙の間に、様々な感情が入り乱れた。けれど── 「……どのみち、もう兄弟とは言えないよ」  伊月の告白を真正面から受け止め、決定的な言葉を返すことはどうしてもできなかった。その道を選べば、伊月の人生も蛍の人生も大きく変わる。自分たちだけではない。家族にも影響を及ぼす。  けっして両親にも、世間にも言えない秘密を持つこと。『普通』を手放すこと。  自分の返答にかかっているからこそ、踏ん切りがつかなかった。 「……そうだな」  伊月は落胆をのみ込むように、低く答えて俯いた。

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