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第2話

 メイドふたりの趣味でロココ調の調度品で揃えられたキッチンの中心に、おそらくいつもはふたりで使用しているであろう小さな円卓があった。促されるままそこに腰掛けると、エティは熱い紅茶と飾り気のない焼き菓子を用意してくれた。  俺たちは黙ったまま、かちゃかちゃとまるで戯れているかのように、食器が触れ合う音だけが響いた。 「マリアは」エティが唐突に口を開く。「お仕事へ行きましたの」  何の?と訊ねるのは、あまりに野暮だ。この一族が何を生業としているのか、身をもって知っている。 「マリアも行くことがあるんだ?」  はい、とエティは掠れた声で返事をした。 「エティも、行くことがあるの?」  今度は、いいえ、と返事をする。声は震えていた。すう、と空気を飲み込む音がする。 「燃やすんですの、私は」 「燃やす?」  ええ、とエティは視線を落とす。こめかみに汗の粒をはり付けながら、まるで自分自身の憂慮をごまかすように、エティは乾いた笑いを漏らした。落ち着きなく組んだ両手をすり合わせ、深呼吸ともため息ともつかない息づかいを繰り返している。 「獅子雄様に万が一があった場合、この一族の存続が危ぶまれる事態に陥った場合、燃やすんです、この屋敷ごと、ぜんぶ」  そして全滅してしまった場合には私も一緒に、とエティはひと息で言い切り、ひたいにも浮かびはじめた冷や汗を拭うこともせず、気丈に俺に笑いかけた。 「だから私は待つんです。ここで、皆さんを」  こんなにも長い夜に、こんなにも広い屋敷で、ひとりで。 「普段はマリアも一緒なんですけれど、たまにこうやって行ってしまうときがあるんです。そうなると、なんだか落ち着かなくって。だから今夜は、坊っちゃんがいてくださって嬉しいです。ひとりよりずっと心強い」  エティは時折、小刻みに身を震わせた。時刻は午前三時をまわった。あまりに時間がかかりすぎている気がする。 「ねえ」先ほどからぼんやりとあった不安が、突然色濃く形を帯びた気がした。声が上擦る。「マリアが呼ばれるときって、どんなときなの」  嫌な予感はずっと胸にあった。不安や恐怖を隠しきれていないエティを見て、それははっきりとした輪郭を持ち、全身に覆い被さり視界を曇らせた。心臓は早鐘をうち、今にも口から飛び出してしまいそうだ。 「獅子雄たち、危険な状態なの?」  扉の隙間から見えた蛇岐は無傷のように見えた。けれど実際は負傷していたかもしれない。蛇岐は頑丈な男なのだ。血だらけのまま分厚い扉をタックルでこじ開ける男なのだ。しかし獅子雄はそうじゃない。遅くなる、との獅子雄からのメッセージに、あえて返事はしていない。更なる返事を待ってしまうからだ。仕事に行ったらこちらからは電話もしない。応答がなければ恐怖に支配されるから。もしかしたら、動ける状態なのは蛇岐だけだったとしたら。どうしよう、獅子雄が死んでしまったら。脳天から爪先を一直線に貫くように、恐怖が駆け抜ける。喉の奥で細く悲鳴をあげて、思わず耳を塞いで立ち上がった。どうしよう、どうしようどうしよう、獅子雄が死んでしまう。脳がぐわりと揺れる。喉がきりきりと焼きついたように痛み、噛み締めた歯の隙間からきぃきぃと音が漏れた。 「落ち着いてください、坊っちゃん、ごめんなさい、獅子雄様は必ず無事に帰ってきます、ごめんなさい、ごめんなさい!」  エティはちいさな身体で、俺を力いっぱい抱きしめた。エティの身体にはじっとりと汗が滲んでいた。腹の傷跡が突っ張ったように痛む。獅子雄が死んだら、どうしよう。獅子雄が死んだら、獅子雄が、俺以外の誰かに殺されたら。俺以外の、だれかに。  突如、きぃん、と耳鳴りがするほどの静けさが訪れた。自分でも拍子抜けするほど、一瞬にして心が凪いだ。冷静さを取り戻したと言っていい。エティは恐る恐る身を引き、俺の表情を伺い見て瞠目し、一歩後ずさった。  もしも、獅子雄が、俺以外の誰かに殺されたら。 「そうなる前に、殺してやらなきゃ」  再び着席する。冷めきった紅茶に口をつけ、どうして獅子雄を殺してやろうかと思案する。爪を噛んだ。今夜は、どうしても生きて帰ってくれないと困る。そうだ、次は同行しよう。そして、もしかして獅子雄が死ぬ場面で、そうなる前に俺が心臓を一突きしてあげる。そして俺も、獅子雄に殺してもらおう。ふっと嘲笑じみた笑みが漏れた。エティは荒く、けれど静かな息づかいで、不安げに俺を見ている。  ぎぎ、と重い扉の開かれる音がして、俺たちは弾かれたように立ち上がり正面玄関へ駆けた。獅子雄と時永だけが立っていた。ふたりは俺を見つけると目を見張り、獅子雄は血の浴びた自身の頬を乱暴に拭った。 「起きていたのか」  獅子雄は目を合わせない。獅子雄が少し身じろぐと、靴底がべちゃりと音を立て、粘った血が地面から糸を引いた。獅子雄はそれきりしばらく動かず、黙りこくってしまった。時永も獅子雄の背後にぴたりと張り付いたまま、エティに目配せをすると、エティは静かに俺の肩を抱いた。 「さあ、お部屋に戻りましょう、坊っちゃん」  それに抵抗せず、視線だけを獅子雄にくれたまま部屋に戻った。張り詰めた緊張感は、いつまでもいつまでもそこにあり続けた。

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