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第三話-倉島という男-

あれからどうやって部屋に帰ったのか覚えていない。気が付けばきちんと髪を乾かし、緋襦袢を着て褥に横たわっていた。軽い倦怠感にかぶりを振り、上体を起こした。 目を覚ましても宙楼遊郭は常夜の街、昼夜が分からない。枕元に置いた通信端末で時刻を確認する。夕方の十七時だった。ヨネハラが帰ったのは深夜だったから、丸一日眠っていたことになる。身体が怠いのも頷けた。 褥の上で暫く寝汚くごろごろしていると、階下の騒がしさが耳に届いた。普段なら気にも留めない所だが、この時ばかりは何故か気になった。夜行は立ち上がり、檜造りの階段を降りると見世の玄関口へ向かう。素足の裏に当たる木の感触がひんやりとして心地よい。 見世の娼妓や従業員が興味本位で噂を交わし、玄関口を取り巻いていた。紺碧までもが顔を揃えている。夜行に気がついた娼妓達が場所を譲る。夜行は人垣の最前列までやって来た。 見世の男衆三人に取り囲まれているのは、身長百八十センチは優に超えているだろう、長身の美丈夫だった。散歩に出た際に事件現場で見かけた刑事だと直ぐに思い当たった。 名前は確か倉島と呼ばれていた。高級遊郭に相応しくない安物のネイビーのスーツ。短く刈った黒髪はその精悍な顔立ちが持つ野性味を引き立てていた。猛禽を思わせる金の瞳が細く光り、油断なく周囲を睨み付けている。何かにも媚びないと言うような反骨精神に溢れた眼差しが、何故だか夜行の心にさざ波を立てた。 「だから、あの晩倉島祥市はこの見世に来ていただろう。調べはついているんだ。相手をした娼妓は誰だ。早くそいつを出せ」 唸るような低いバリトンボイスに、男衆がたじろぎ助けを求める様に紺碧の方を仰ぎ見た。紺碧がすっと一歩踏み出る。 「警視庁の倉島様と仰いましたね。わたくし共朧月楼は信用商売、お客様の事をお教えするわけには参りません。どうしてもと仰るのなら、捜査令状でも持ってきていただきましょうか」 にこやかな笑みを湛えたまま、紺碧は静かに言う。楼主代理としての威厳と客商売のしなやかさを兼ね備えていた。 「くっ……捜査令状は取る。だが、人が死んでいるんだ。証拠は刻一刻と失われていく。証言を得たい」 「わたくし共もお客様のプライバシーを守らねばなりません。お引き取りください」 にべもなく告げる紺碧と倉島が睨み合う。両者一歩も譲らぬ戦いだが、刑事の方がどこか切羽詰まった様な表情をしている。 「時間がないんだ!」 倉島が叫ぶ。その根底には焦りが浮かんでいた。苦し気に歪められたその顔の必死さに、夜行は心を動かされた。あの死んだ男は、誰かに此処までさせる程の人物だった。 もし、夜行が同じ様に倒れても、果たして誰が悼んでくれるだろうか。 「僕ですよ」 夜行は気が付けば声を上げていた。鈴を転がした様な声に、周囲が静まり返った。見世の男衆や娼妓の目が一斉に夜行に向けられる。 紺碧が咎めるように叫んだ。 「夜行さん!」 その制止も無視して、夜行は一歩歩み出る。見世の若衆が見守る中、夜行は倉島と対峙した。 「僕は夜行と申します。この朧月楼で男娼として働いています。倉島祥市様は恐らく僕が相手をしたお客様です。彼の写真かなにかはありますか?」 努めて丁寧に夜行は言った。倉島は先ほどまでの勢いが削がれた様に、ああ、と頷く。こうすんなりと認めるとは思わなかったのだろう。困惑した表情を浮かべている。 倉島は懐から携帯端末を取り出すと、一枚の写真を提示した。死体の写真だろうと、覚悟をしていた夜行だが、意外にもその写真は明るいところで撮られた、倉島祥市の笑顔の写真だった。 「この方が倉島祥市様ですか?雰囲気は違いますが、確かに、僕がお相手をしたお客様に間違いは無さそうです」 「その時の倉島祥市に変わったところはなかったか?何でもいい。些細なことでもいいんだ」 夜行は首を横に振った。 「いいえ、何も……ただ少し、思い詰めた様子でした」 倉島祥市が夜行の上で事切れた事は伏せておく。それは夜行の一存で決められる事ではなく、壬生に指示を仰がなくてはならない。それに、この倉島という刑事にそこまで親切にしてやる義理もなかった。 「他に何か、ないか。その、薬物をやっていた様な気配とか」 「それは、今流行っていると言うオウカの事でしょうか。祥市様は意識もちゃんとしておられましたし、薬物中毒ではなかったと思われますが……警察はオウカの線で捜査されているのですか?街でもその様に噂されております」 倉島は苦虫を噛み殺した様な渋面を作り、 「そこまで漏れているのか……警察は様々な角度から捜査をしている。今の段階では決めつけることはできない」 と言った。 「ふぅん、そうですか。では何故、オウカのせいだと?」 「倉島祥市の脳は焼き切れていた。それはオウカ中毒の末期症状と同じだ。だからオウカの可能性もある、という話だ。倉島祥市の脳から辛うじて生前に何者かとブレインアダプターを繋げた痕跡を見つけた。旧式のやり方だが、それがお前と言うことだな」 「ええ、そうです。その後、祥市様がどうされたのかは僕の存じ上げるところではございませんが」 「接続の記録を消したのはお前だろう。何かやましいところがあってそうしたんじゃないのか」 詰問する倉島に、夜行は唇の端だけで笑った。 「倉島様はあまり宙楼遊郭に詳しくないご様子。木っ端の様な娼館はともかく、朧月楼の様な見世では脳を接続した者の記録が残らない様にしております。そもそも高級遊郭以外ではブレインコネクトを行いませんが」 「権力者への配慮か。つくづく気に入らん……ブレインコネクトはウイルスや接続時のデータ漏洩の危険性から政府が禁止勧告を出していた筈だ。それすらもこの見世では治外法権と言うことか」 「ブレインコネクトはワイヤレスと違い、得られる情報量が圧倒的なんですよ……勿論、快楽も。さて、僕がお話出来ることはもうありません。どうぞ、お引き取りください」 夜行は出口をすっと伸びた指先で差し示した。 丁寧だが有無を言わせない口調に倉島は二の句が継げないでいる。紺碧や後ろに控える見世の者たちの視線に気おされて、倉島は後退した。しかし、刑事としての意地があるのか、再び声を張り上げた。 「俺は諦めない。この見世を最後に倉島祥市の足取りは途絶えているんだ。何としても証拠を見つけてやるからな」 「どうぞご随意に。何も出ませんよ、この見世からは……捜査を継続できればの話ですが」 「権力を笠に着た男娼が。刑事は現場百遍、証拠が出るまで何度でも来る」 「……さようなら、倉島刑事。捜査の成功を祈っております」 夜行の下げた頭に倉島は嫌味をぶつけると肩を怒らせて朧月楼を出て行った。 紺碧が男衆に塩を撒くように指示すると、夜行の傍に来た。 「夜行さん、あんな奴相手にしなくても良いのですよ。警察との折衝は万事この紺碧にお任せください」 「まるで旧時代の刑事ドラマの様な人でしたね……あの刑事と死んだ客の姓は一緒でした。倉島刑事はあの男の身内かもしれません。僕には身内と呼べるような人間がいないので分かりませんが、彼は彼なりに必死なんでしょう」 「絆されましたか?」 「ええ、少し」 夜行が小さく笑えば紺碧も苦笑を返した。 「戯れのうちは良いですが、あまり入れ込み過ぎませぬよう。男で身を持ち崩した娼妓を何人も見てきましたからな」 「大丈夫ですよ。僕は壬生様の所有物ですから。何処にも行きません」 紺碧は一瞬痛ましいものでも見るかの様な目で夜行を見たが、直ぐに好々爺とした笑みを浮かべパンパンと手を叩いた。 「さあ、皆さん仕事に戻ってください。油を売っている暇はありませんよ」 その言葉に従い、男衆も娼妓もぞろぞろと見世の奥に引き上げていく。 「最期に夜行様を抱けたなんて倉島祥市と言うやつは幸せだな」 「今生菩薩を拝めたもの。思い残すことなんてないでしょう」 「……なんでも夜行様の上で事切れたらしい」 「腹上死ってこと?それなら何でさっきの刑事に言わなかったのかしら」 「別に警察にそこまで親切にしてやる義理もないだろう」 「そう、それにあの刑事の居丈高な態度。困ってしまえばいいんだわ」 口々に噂を交わしながら、それぞれが自分の持ち場に散っていった。夜行もその波に乗り、自室へと戻る。部屋は暗かったが、明かりはつけないでいた。先ほどまで寝ていた褥がそのままになっている。 夜行はその上にごろりと横になると、客が来るまでの手慰みに、携帯端末を開いた。ニュースサイトを拾い見ていく。有名飲料メーカーのイメージモデルを務める男性芸能人の不倫、今世紀最大の歌姫と称される歌手のコンサートチケットが高額転売されていること、くだらないニュースを流し読みしている夜行の目に、あるニュースが目に留まった。 『サクラダ取締役米原泰浩氏、脱税の疑いで逮捕』 添えられている写真には秘書に庇われている壮年の男性が写っていた。 「ヨネハラ様……」 それは紛れもなく、昨晩夜行を買ったヨネハラだった。ニュース記事の本文を読んでいけば、ヨネハラの口座情報を当局が突き止め、多額のマネーロンダリングの形跡が発見されたと言うことだった。電光石火の緊急逮捕、警察の面目躍如、と言った文言が踊る。サクラダがヨネハラを庇う時間も与えなかった。警察をサクラダに向けるだけの権力の大きさと思っていたが中々歯向かうだけの牙を持っているようだ。 夜行の脳裏には倉島の顔が浮かぶ。権力者に守られた朧月楼に怯むことなく噛み付いてくる倉島の姿は、壬生の所有物として安寧を貪る夜行には少し眩しく見えた。 しかし、夜行はこれ以外に生きる術を知らない。あの街で壬生に拾われた時から夜行の運命は決まっている。

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