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柚子side
ホテルからの帰り道は、人気もなく、街灯も少ない道を選んだ。相変わらず雨は降り続いていて、その中をひとりで歩きながら、みっともなく声を出して泣いた。
傘もささずに、家までの道を歩いているせいで、服に雨が染み込み、徐々に身体が重くなっていく。
ただでさえ冬で寒いのに、雨まで加わるから体温も奪われ、手足の感覚がなくなっていく。
彼と会っていたホテルから自分のマンションまでは、歩くとなかなかな距離があるけれど、俺はどうしても一人になりたかったから電車やタクシーには乗らなかった。
津森さんと別れるまで、耐えていたその涙は、ひとりになった瞬間にぼろぼろと溢れ出し、自分では止められないほどで。
この姿を知らない他人の前で晒したくなかった。
大学生にもなって、これほど泣くことがあるだなんて。しかも今日、彼と出会ってすぐの時には最高に幸せな気分だったというのに。
「ふ、ぅ……、」
いくら泣いたとしても、こんな雨の中を歩いている人もいないし、雨でびしょびしょに濡れているから誰にも分かりっこない。
「ふはっ、」
あんなふうに裏切った彼のことなんかで、涙を流すなんて馬鹿げているし、しっかりしろよと自分に言い聞かせもするけれど、でもそんな単純なものでもない。
俺の彼への想いは、結婚報告を笑って済ませ、結婚してもなお俺との関係を続けたいと言った津森さんみたいに、簡単に壊せる想いじゃあなかったんだ。
……何もかも彼が、初めてだった。
俺の好意を気持ち悪いと拒否するどころか、嬉しいと快く受け入れてくれ、さらには俺のことを好きだと、同じ気持ちだと言ってくれたのだから。
誰かの恋愛対象になれたことに、これまで感じたことのなかった温かで幸せな気持ちを抱くことができた。
男なのに男に好意を持ってしまうことを、みんなには普通じゃあないよと言われることを、良いんだよと、すんなり受け入れてもらえたんだ。
でもそれも、彼にとったら本気ではなかったということでしょう?
何が、俺と同じ気持ちを返してくれた、だ。
何も同じ気持ちじゃあなかった。全部全部、俺の勘違い。
自分が他人と同じように幸せになれると、そう錯覚してしまったせい。
「ふ、……ぅ、」
体に降りつける雨がそのうち雪に変わっていきそうだ。
心も体も冷え切って、このまま壊れてしまいそう。……いっそ、壊れてくれたほうが何も考えなくて良いのかもしれないね。
「あんたバカ?」
「え……、って……いった!」
突然、後ろから声がしたと思えば、反射的に振り返った瞬間、何かで頭を叩かれた。
何なんだ?
ただでさえ何の余裕もないところに、いきなりそんなことをされ、何が起きたのか整理ができない。頭の中がぐちゃぐちゃだ。
ひとりにしておいて欲しい時に、どうしてこんなことになるの? 雨の中、濡れながら歩いているのだから、何かあったのだと分かるでしょう?
どうしてこの状況で俺に絡んでくるのか。意味が分からない。
どう考えたって、馬鹿はそっちだろ。
痛みのある箇所を押さえながら顔を上げ、叩いたであろう相手をキッと睨んでみせた。
視界に入ってきたのは、傘をさした黒髪の男。歳はさほど変わらないくらいに見える。
視線を落とせば、もう片方の手にも傘を一本持っている。
……これで叩いたんだな。
どのような意図があって叩いたのか、文句の一つでも言おうとして口を開いた瞬間、その男は既に開いているほうの傘を俺に押し付けてきた。
「……は?」
気づいた時には傘の柄が手に握らされていた。冷たい雨の中だというのに、その男が先程まで握っていたからだろうか、ほんのりと温かみがある。
押しつけられた傘に、そして咄嗟にそれを握ってしまった自分に戸惑っていると、男はふっと笑って、手に持っていたもう一本の傘を開いた。
「雨、好きなの?」
「え?」
「好きだから濡れてるんでしょ? そうじゃあなかったら、こんな寒い日に濡れながら歩くなんて、ただのバカだよ本当に」
男はまた、ふっと笑って一歩だけ俺に近付いた。それからゆっくり手を伸ばし、俺の頬に優しく触れる。
その手があまりにも温かくて、だからさっき傘を受け取った時に温もりがあったのかと、そんなことを考えてしまった。
「俺ね、雨に濡れるのは好きじゃあないけれど、雨は好きなの。見るのも音を聞くのもね。だからこんな雨の中ベランダに出て、雨を見ていたんだよね。そうしたら変なのが視界に入って来るんだもん。びっくりしたわ」
俺の頬ですりすりと指先を動かし、今度は俺の瞼に触れた。泣いて何度も擦っていたからか、少しだけ痛みが走る。
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