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柚子side

「泣いてんね」 「……っ」 「雨に濡れたんじゃあなくて、それ、涙でしょ?」 「……、」 「やっぱりバカだったんだ? 雨が流してくれるとでも思ったの? 無理に決まってるでしょ。所詮は雨なんだから」  思わず逸らすこともできないくらいに強く見つめられ、呼吸が止まるようだった。何も言い返せない。  頭がぼーっと重くなってきたけれど、とにかく早く帰らなければ、とそれだけははっきりと分かる。  俺は、その捕らえられそうな男の瞳からなんとか目を逸らした。その瞬間、ぐわりと視界が揺れる。  ああ、やばいなこれは。  瞼の奥に力を入れるようにして瞬きをし、どうにかピントを合わせた。  けれど、その時にはもう、その男に捕らえられていた。  長らく雨に打たれていたせいで、身体が冷え切っていることもあってか、俺を支えるその手から先ほどよりも強い熱が伝わってくる。   「ねぇ」 「……っ、」 「さっき俺の話、ちゃんと聞いてた?」 「な、にっ」 「ベランダから雨を眺めていたら、変なのが視界に入って来たって言ったじゃん。俺はその変なののために、部屋からここまでわざわざ来たんじゃん。ちゃんと傘も持ってさ」  聞いてるの? と、その男が顔を覗き込む。 俺はそれにまともに反応することもなく、無言で自分の頭を押さえた。  聞いてるとか聞いてないとか、それどころじゃあない。どうしようもないくらい頭が痛くて割れそう。立っていられない。寒気だってしている。 「雨に打たれたら誰だってそうなるよ。あんた本当バカだよ」  ぐっと、男の、俺を支える力が強くなる。  なんだこれ、息が苦しい。 「最初からこのつもりで来た。俺ん家に帰ろう」  それってつまり、俺をこの男の家に連れていくってこと……?  意図はともかく、状況が理解できたところで、男は俺の身体をさらに自分のほうへ引き寄せた。バランスを崩し、男にもたれかかる。  ゆっくりと姿勢を整えられ、それから丁寧に手を握られた。 「ね、俺ん家に行こう?」 「……、」  力ずくでもないのに、それをどうこうできる力も残っていないから抵抗もできない。  俺は手を引かれるままに、ふらふらした足取りで男について行った。 「風呂……、入る気力ないよね」  小さなテレビにローテーブル、壁にピッタリと合わせられたベッド程度しかないシンプルな部屋に案内された。  どのように反応すれば良いのか分からない無言の俺を見て、男は仕方ないといった様子で、洗面所からタオルを持って来ると、俺の頭に被せた。  まだ新しいのだろう。使い込まれた感じはなく、肌触りが良い。 「ちょっとこれで髪とか拭いてて。俺、着替え持って来るから」  そう言って再び部屋を出て行った男の背中を見ながら、俺は頭に被せられたタオルにそっと触れた。ゆっくりと動かし、髪の水分を取る。  ふわりと、石鹸の良い匂いが鼻をくすぐった。 「……っ、」  そういう穏やかさや温かさみたいなものが、また刺激になったのか、突然の男との出会いで一度は誤魔化せていたはずの悲しみが、急に込み上げてきた。  胸を刺す痛みも増し、俺はその場に座り込んだ。呼吸も乱れ、酸素がうまく吸えない。 「ちょっと、ねぇ。どうしたの、何やってんの」  戻って来た男が驚いた声を出し、迷いなく床に膝をつくと、ややぶっきらぼうに俺の背中に触れる。    こんなふうに泣いて、驚いているだろうな。いや、驚くというより引いているかもしれない。  俺だってこんな自分を受け入れられないのだから。  ごめん、と絞り出すような声で何となく謝ってみたら、大きなため息をつかれた。 「ひとまずさ、濡れた服着替えようよ。ね?」  バンザイして、と言われるがままに手をあげ、服を着せてもらう。タオルから感じたよりも強い匂いに包まれる。  男は一度俺の頭を撫で、それからパンツも肌も何もかも見えないようにバスタオルをかけてくれた。その優しさにまた涙が溢れる。 「だいぶ冷えてるね。湯たんぽでいいかな? 身体温めるもの、それしかないや。それとも何か飲む?」 「湯たんぽで……」 「はいはい」  さっき沸かしたお湯があるからと、すぐに湯たんぽを用意してくれ、首筋に当てられる。  「好きなところに当てて。抱いても良いし。あったかいでしょ?」 「……ありがとう」 「はいはい。泣き虫なんだね」  くすりと笑って、男は俺の涙を指で掬った。 「髪、乾かしてもう寝よう。ね?」  鼻を啜りながら頷けば、男は再び、そして今度は長く、俺の頭を撫でた。  それから優しくドライヤーで髪を乾かしてくれ、泣いてる理由を聞くこともなく、何度も頭を撫でてくれた。  嫌な人だと思った時もあったのに、今のその男からは、大丈夫だよ安心してと、そんなふうに言われている気すらしてくる。  朦朧とする意識の中、こんな俺にも優しくしてくれる人がいるんだと、そんなことを思いながら、重くなっていく瞼と「おやすみ」という男の声に、そのまま身を委ねた。

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