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柚子side2

◇ 「柚子さん」 「ん?」 「できるまで、ここに座ってテレビでも見てて」  教室まで迎えに来てくれた橘くんと、買い物を済ませてから彼の家に帰宅し、これから料理をするぞと意気込んでいたにも関わらず、橘くんはひとりだけでキッチンに行ってしまった。  今日は彼の得意料理のカレーらしい。誘ったのは自分だし、慣れていて簡単だから、準備も何もかも彼ひとりでやりたいとのこと。  けれど、呼ばれた側が座って何もしないわけにはいかないよね。  橘くんが荷物を取りにこちらに来たタイミングで、橘くんの服を軽く掴んで引き留めると、「俺も何かしたいんだけど……。むしろ何かさせてもらえると嬉しい」とお願いをした。  野菜も多いし、ふたりで皮を剥いたり切ったりしたほうが早いから。    そんなことを思いながら橘くんを見ていると、彼は振り向いて俺をじっと見つめ、そのまま膝をついて正面に座った。 「じゃあさ、キスしても良い?」  いつもは綺麗な平行眉なのに、今は眉尻が下がっている。橘くんは俺に何かお願いをする時にもこういう顔をすることがあるけれど、今日はそれともまた違う。真剣な感じがする。 「……なんで、」  何とかそれだけの言葉を返すと、俺は野菜の処理を手伝いたかっただけなのに、この状況でなぜそうなるのか、と俯いた。  拒否したところで、されてしまいそうな気がする。どんな反応が正しいのかは分からない。  膝の上で丸めた手が汗で湿る。 「何だって、したいから。柚子さんが可愛い顔してそこにいるから。柚子さんが可愛くてたまらないから」 「何で俺のせいなの……」 「俺が知りたい」  橘くんはそう言うと俺の顎に触れ、ゆっくり持ち上げた。  整った彼の顔がこんなに近いところにあることに、また胸が騒ぎ出す。  ゆるやかにカーブしている長いまつ毛も、整った鼻も、形の良い唇も、何もかもに戸惑う。 「キス、嫌じゃない?」 「いや……っていうか、あの……」 「じゃあそれはもう良いってことだわ」 「えっ、んむ」  逃げる間もなく、唇が重ねられた。これまで頬にキスをされたことはあったから、なんだかんだそうなるのではと思っていたのに、こんなにしっかり唇にキスされるなんて。  ……嫌、なわけない。  好意とキスができるかどうかは別問題な気がしていたから、そういう対象として見てくれているとまでは思えていなかった。  ゲイでもないのに、男と、俺と、キスができるんだ。 「柚子さん……」 「……っ、」 「ね、もっかい」 「……んぅ、」  もう一回とそう言ったのに、唇が離れたかと思えばすぐに重ねられ、軽く優しいキスが繰り返される。  柔らかくて温かなその感触に、体中が痺れていくようだ。  肩を落として背中を丸め、橘くんとの距離を作ろうとするけれど、それも叶わない。後頭部に回された手のせいで身動きが取れず、終始されるがままだ。  もう逃げられない、と全てを橘くんのせいにして、俺は彼の背中にゆっくりと手を回し、触れようとした。  けれど、回し切る前に押し倒され、俺の上に橘くんが重なった。  彼の手を背中に敷いたままなことをこちらが申し訳なく思っていることなどお構いなしに、真っ直ぐ俺を見つめている。  垂れている髪のせいか、この状況のせいかは分からないけれど、彼の色っぽさが増したような気さえする。  ごくりと、唾を飲み込んだ。 「柚子さん、」 「……っ、」 「ごめんね。柚子さんが可愛すぎて、つい。あーまじで最低。ごめん。我慢できなかった」 「……あ、」 「もうこれ以上はしないから。やっぱりここに座って待っていてくれる? 俺が一人で作ってくるから。帰らないで」 「帰らない、よ、」 「けど、」 「……え?」 「もう一回だけ、キスしたい」

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