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柚子side2

 ああ、胸が張り裂けそうなくらいにうるさい。この心臓の音が彼にも伝わるんじゃあないかと思うとさらに緊張し、たまらない気持ちになった。  橘くんからの真っ直ぐな言葉と態度も、そのほかの全てにも胸が高鳴り、彼のことで頭がいっぱいになる。  拒否していない時点でもう伝わっているかもしれないけれど、俺も真っ直ぐに好きを伝えたい。  たとえそれが、終わりのある恋だとしても、今目の前にある幸せを手放して、後悔しないようにと。  けれど、俺も好きだと伝えるタイミングは、どうすれば良い?  言い訳になってしまうけれど、橘くんは優しさからか「俺を好きになって」「もう好きになってくれた?」なんて質問をしてくることもないから難しい。    誰かにこうして思われ続けて、そして待たせてきたことがこれまで一度もないから、誠実に応えるために、どんな表現がふさわしいのか分からないんだ。  俺の初めては津森さんだったし、付き合うことになった時は、彼の言葉に頷いただけだった。  最後には、込み上げた気持ちをそのままにぶつけたけれど、付き合っていた当時は、好きだとか愛しているとか、ほとんど口にしたことはなかった。  だからますます、自分の気持ちの伝え方が分からない。  どうしたら、伝わるのだろうか。  何も言えずに黙っていると、「どうしたの?」と少しだけ眉を垂らした橘花くんが、俺の頬にキスをした。 「映画見に行こっか」  触れ合いを拒否しないことで、多少は俺の気持ちが伝わっているかもしれないけれど、でもそのままじゃあいけないよね。きちんと、言葉で示さなければ。  それでも今は「うん」以外の言葉が出てこず、それだけ返事をして、俺は口をきゅっと結んだ。 「柚子さん、多いねぇ」 「うん、びっくりだ……」  映画だけじゃあなくて、その後もぶらぶらしたいからと、わざわざ電車で三十分のところにある商業施設内の映画館を選んだのだけれど、それが間違いだったのかもしれない。  休日だからなのか、電車の中はかなり混んでいた。座れるスペースは空いていなかったから、ドア付近に立ったままでいることにした。 「柚子さん、こっちにいな」 「あ、うん。ありがとう」  電車の揺れに対してバランスを保つことが苦手な俺は、橘くんの言葉に甘えてドアにもたれかかる。  それにしても、女性専用車両と間違えたのかと思うほどに、若い女性が多いな。  どの女性も目立つ格好をして、紙袋の中を見てきゃっきゃとはしゃいでる。  何かイベントでもあったのか? と、怪しまれない程度に視線を送っていると、CDやらTシャツやらのグッズだった。  そう言えば、何かのアイドルグループがサイン会するとか言っていたかもしれない。  意外と近くでイベントがあたのか、楽しそうだなと、ぼんやりそんなことを考えていると、急に橘くんに腕を掴まれた。  何が起きたのかと驚いて視線を戻せば、むっとした橘くんの顔がすぐそこにあった。 「きーちゃんさ、」 「なに……?」 「ずっとよそ見してるつもり?」 「え?」 「電車の中だってデートでしょ。こっちを見てて。」 「……う、」   そんなこと言われても……と思うけれど、橘くんに言われたら何も言い返せない。  少し困った顔をすると、鼻を軽く摘ままれた。 「中途半端に混んでるからムカつくよね」 「ひゃ?」 「どうせならもっと混んでいたら良かったのにねぇ。そうしたら柚子さんを、腕の中に閉じこめられたのに。ね?」 「……っ、」  にやりと口角を上げた橘くんは、そのまま親指と人差し指を使って、俺の鼻で遊び始めた。ムズムズしてくるし、いい加減にしてほしいと、鼻を摘む彼の手を指で思いっきり弾いた。 「った、」 「橘くんが変なことするから」 「きーちゃん、怒ったの?」 「怒ってない」 「そっか。柚子さんは全部が可愛いね」 「……さっきからそればっかり。やっぱり怒ってることにする」 「はい、可愛さが増しました」 「……チッ」 「柚子さん、舌打ちしたの? あんまり音が出てなかったの可愛いね。ちゃんと聞くからもう一回やってみて」 「……」  軽く揶揄われ、意地悪だと思うのに、悔しいけれどそれにも胸がときめいてしまう。  橘くんもそんなこと言いながら、どこかいつもと表情が違う気がする。確かなことは分からないけれど、何を考えているのだろうか。  ……楽しんでくれているのかな? そうだと良いけれど。  そうこうしているうちに目的の駅に着き、あっという間に時間が過ぎたことに驚いた。 「はぐれないようにね」 「う、うん……」  降りる人が多いからと、さりげなく手首を掴まれ、優しく引っ張られながら映画館へと向かった。

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