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第6話

「口先ばっかり。男って、そういうものなんでしょうね。……よく知ってるけど」 「それは、きみのそばにいる男たちの話だろう。水が変われば、魚も変わる」 「海なら海の、川なら川の? 塚越さんはどちらです」 「確かめてみればいいじゃないか」  塚越の指が、チェアの座面の端を掴む佐和紀の手へと近づいた。かすめた肌が、思いのほか温かく感じられて驚いた。夜風が冷たいからなおさらだ。 「きみの事情はわかっている。ただ、それが楽しいことには思えない。もっと別の人生があるだろう」 「ご自分への戒めですか」 「そうとも言えるな。手に入らないものをあきらめるために、スリルを求めてきた節はある。だからこそ、第二の人生を考えたい。きみと、だ……」  まっすぐに口説かれ、佐和紀は真顔になる。塚越の執拗さはあきれるどころか、末恐ろしい。加奈子の人生をもてあそびながら、一方では真剣に男を口説いているのだ。  佐和紀は作り笑いを浮かべて塚越を見た。 「一目惚れの相手に入れ込んではダメですよ。しかも、俺は男です。これまで培ってきたものを、男相手に捧げるなんて、バカのすることです。考えればわかるでしょう」  真剣に取り合わず、笑いながら叱る真似ごとをする。塚越はくちびるの端を引き上げた。 「バカになりきれないから、由紀子のような女が近づく隙ができてしまう。自分でもよくわかっているよ」  ゆったりと動いた手が、佐和紀の指の上に重なる。肌は熱を帯びていたが、ホッとするような温かさではなかった。ふいに、周平の手とは真逆だと思い、振りほどかずに相手を見た。 「あの女には、飽きましたか」  由紀子についてストレートに切り込んだが、塚越の表情は変わらない。動揺の色も見えなかった。 「肉体関係があったのは、もう何年も前のことや。長い付き合いにはなるが……、あの女を信用したことはない。こんな話、嘘だと思うか?」 「そうですね」 「……初めて会ったとき、あの女はまだ小娘だった。何人もの男に言い寄られて、あっという間に幼い悪女ができあがった。金と権力が渦を巻く磁場は強烈だったが、周りにたくさんの人が集まっても、寝る相手はきちんと選んでいた。そういう女だ。由紀子に力があったのは、手持ちの人間のビジネスを繋いできたからや。見事に、金に換える」  佐和紀の指を掴んでいる塚越の手の力はゆるい。ほどこうと思えばすぐにできる。だから、そのままにした。思い出話の続きを聞く。 「あの女が一番美しかったのは二十代の前半だ。ある日、芸術品を見せると誘われて出かけた。見せられたのは、入れ墨を彫っている最中の男だ」  すんでのところで息を呑みそうになった佐和紀は、真顔で冷静を装う。  塚越が話しているのは、若い頃の周平のことだ。由紀子に偽りの恋を仕掛けられ、堕落の末に彫り師へと払い下げられた。 「背中から尻まで、見事な彫りだった。あれは痛みに耐えれば耐えるほど、色が美しく入る。……いまは、どうだ」  佐和紀の顔を覗き込んだ塚越の目に、サディスティックな色はなかった。控えめな同情に胸をえぐられ、佐和紀は答えに詰まる。  塚越は表情を変えずに言った。 「由紀子はわざと彼を逃がし、つかず離れずに……」 「あとは知っています」  佐和紀は手を引いた。すぐにでも逃げられると思っていたが、強い力で手首を引き止められる。 「桜川(さくらがわ)との離婚は失敗だ。あの女はじきに破滅する」  断言する塚越と見つめ合い、佐和紀は眉を引きつらせた。 「だから、ぼくに乗り換えると……、そういう話ですか」 「そんな下卑たことを言うわけじゃない。あの女がダメになるとしたら、道連れに選ぶ人間はひとりだ。その相手を守れるのは、きみだけだろう」  塚越の考えが読み取れず、佐和紀は眉をかすかに動かした。力を込めて見据え、老獪な本音を疑う。 「手首が痛い。離してください」  身をよじるように訴えたが、塚越はまた距離を詰めてくる。 「岩下(いわした)も、牧島(まきしま)も、御前を恐れて一歩が出せないはずだ」  突然出てきた名前に、佐和紀は意表を衝かれた。周平の過去を知るよりも驚く。 「サーシャ。牧島はきみの顔を見て驚いただろう」  牧島斉一郎(さいいちろう)は有名な政治家だ。軽井沢で偶然に知り合い、銀座のキャバレー事件で再会して、年の離れた友人となった。ごくまれに食事をする仲だが、横浜を出奔してからは連絡を取っていない。それを塚越に知られているとは、考えもしなかった。 「わたしも大学は東京でね。その頃に、政治経済の勉強会で知り合った。きみは、どこで?」 「銀座のキャバレー」  とっさに嘘をつく。塚越は静かに何度もうなずいた。 「いい切り返しだ。……話は変わるがね、樺山という実業家が横浜にいるんだが、これが数年前、急に才気のある青年を養子に取った。隠し子がいたと噂になったが、まぁ、それは別の話だ。彼が、その養子のために軽井沢に別荘を購入した。きみは知っているだろう?」  世間話をするような問いかけだが、佐和紀は落ち着かなかった。  樺山のことも、彼の養子に入ったユウキのことも、佐和紀はよく知っている。樺山は、周平がやっていたデートクラブの顧客であり、ユウキはそこに所属して春をひさぐ男相手の男娼だった。  その情報までをも手にしている塚越は、由紀子やヤクザたちとの付き合いがあるだけでなく、もっと深い裏社会へ足を踏み入れた人間に違いない。 「塚越さんも、ぼくに似た女性と知り合いだったんですか?」  平静を装いながらカクテルのグラスをテーブルに置く。手首に絡む塚越の手を押さえた。  天祐荘(てんゆうそう)と名付けられた元プチホテルが樺山の購入した別荘だ。建物は瀟洒で、手入れの行き届いたイングリッシュガーデンを備えている。  そこを借りて過ごした夏に牧島と出会い、佐和紀とよく似た女性を過去に知っていたと教えられた。 「……きみは、そっくりだ」  塚越の声が艶を帯びる。 「でも、その人は、ぼくの母ではなかった」  佐和紀が『母親』だと思っていた女は『育ての母』だ。そして、牧島が似ていると言った女とは別人だった。写真を見せられ、確認したことがある。 「もちろん、そうだろう。牧島のように、きれいごとで生きている側の人間には知り得ない現実もある」  自分のような人間なら知っていると言わんばかりに話し、佐和紀の手を離す。  大磯(おおいそ)の御前が絡む情報には近づけないと、岡村からも聞いている。 「自分の生まれを知りたければ、覚悟を決めて会いにおいで」  塚越は下心を見せない余裕の笑みを浮かべた。 「好きな男を捨てろとは言わない。きみのコネクションに、年老いた男をひとり、加えるだけのことだ。わたしはきっと役に立つ」  ゆっくりと立ち上がる塚越から、佐和紀は黙って顔を背ける。 「よいクリスマスを。サーシャ」  低い声が発したのは日本語ではなかった。英語でもない。  しかし、佐和紀は違和感なく聞き取り、塚越がいなくなってから気がつく。  何語なのか、わからなかった。

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