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第4話

*** (あぁそうか。俺は死んだのか)  美しい天使に目を釘付けにされながら、レジナルドは思った。  僅かな月明かりでも透ける銀髪の煌めきや白鳥の羽根のような睫毛の美しさは、とてもこの世の者とは思えない。極めつけは海を閉じ込めたアクアマリンの瞳だ。  研磨を重ねた宝石なような輝きは瞬きするのが惜しいほど一瞬に虜にされる。  こんな美しい天使が迎えに来てくれるなら、地獄でも悪くない。 「……天使?」 「天使?」  レジナルドの返答にオウム返しをした天使は大きな瞳をさらにくりっとさせた。  だがそれも一瞬に終わり、すぐ無表情に戻ってしまう。怯えさせてしまったのだろうか。  レジナルドは天使の背後に視線を向けた。どこかの小屋に移動しているようで、いつの間にかベッドに寝かされている。  天国にしては殺風景だし、地獄にしては生活感がある。ということはまだ死んでいないらしい。  天使は再びレジナルドの顔を覗き込んだ。 「僕はテオと言います。ここはリムガール王国の森のはずれです……わかりますか?」  小首を傾げる姿がなんと愛らしいのだろう。いますぐ抱きしめて自分のものにしたい。  こんな気持ちは初めてで、頰がひとりでに熱くなる。  レジナルドが呆けていると天使ーーテオは淡々と続けた。 「怪我をされていたので手当てをしました。他に痛いところはありませんか?」  テオの言葉にはっとした。よく見ればレジナルドの軍服のボタンは外され、血を拭われた形跡がある。  これほど触れられてきたのに気づかなかった自分に恥じた。  十歳で騎士団に入団し、あれほど鍛えていたのにこの体たらくだ。  レジナルドは記憶を引っ張りだした。   レジナルドたちダグラスの民は、魔界特製である瘴気清浄機を人間界に密かに置いている。木や岩に馴染むような外見をしているので、そう簡単には気づかれないだろう。  だがそれでも瘴気の気配が日に日に強まり、人間界を蝕んでいた。  瘴気清浄機を置くにしても調査員の手だけでは足りず、レジナルド単独で設置していたら木に足を滑らせてしまい落ちたのだ。  なんとも情けない。 (こういうところが俺は魔王の器ではないんだろうな)  ぐっとこぶしを握ると情けなさが少しだけマシになるような気がする。  レジナルドが半身を起こすと胸に鋭い痛みが走った。これは折れている。幸い骨は肺に達していないようだが、かなり酷い状況だ。 「胸が痛みますか?」 「これは……折れてるだろうな」 「診せてもらってもいいですか?」 「放っておけばそのうち治まる」 「そんなことできません」  毅然としたテオの態度にレジナルドは目を見開いた。もしかしてレジナルドが魔王だと気づいていないのだろうか。  黒髪に黒い軍服、それに胸に刺繍された炎と鷹のエンブレムは魔王を表していた。  万が一魔王だと気づかれたら断罪される可能性が高い。テオがどの身分の者かわからないが、触り心地の良さそうなタバードを羽織っているからそれなりの地位に身を置いているのだろう。  人間界はダグラスを警戒している。  だからといって全員が悪い人ではないことをレジナルドは身をもって知っていた。  無闇に争うつもりはない。  それはテオの瞳からも感じられた。純粋に自分の怪我を心配してくれているのが伝わり、レジナルドは両手を上げた。 「……わかった」 「では失礼します」  テオは丁寧にレジナルドの怪我を確認し、美しい顔を歪ませた。 「骨折の可能性があります。痛み止めのお茶を煎じますね」  テオはそそくさと薬湯を準備していたが、レジナルドは鼻白んだ。 (匂いが酷い。それになんだ、このドブのような色は)  もしかして気を緩ませておいて、自分を暗殺しようとしているのではないか。ダグラスでは不当の扱いを多く受けてきたレジナルドにとって、飲食は特に気をつけている。  一番信頼しているマックスに最初に食べさせ、安心だとわかったら口にするようにしているのだ。  当然ながらここにマックスはいない。  レジナルドが黙ったままでいるとテオははっと目を見開いた。  そしてあろうことか薬湯を一気に飲んだのだ。  よほど味が酷いのか、眉間に皺を寄せている。 「……こ、この通り毒は入ってません」 「ふっ、ははは! まさか一気飲みするとは」  テオの裏表のない行動につい笑ってしまうと、折れた胸が痛んだ。その痛みすらおかしく、しばらく笑いが止まらなかった。 「俺はレジナルドだ。手当てをしてくれてありがとう。どうやらテオは嘘がつけないようだな」  ここまで身体を張ってくれた人はいままでいない。裏表のないテオは信頼できると踏んで、レジナルドは薬湯を飲んだ。  味は褒められたものではない。泥と草が腐ったような酷い苦味もある。  けれど一口飲んだだけで驚くほど痛みが引いた。 (すごい。これほどの技術力が人間界にあるのか)  「ありがとう」  「……神子としての務めを果たしたまでです」  テオの言葉にレジナルドは目を剥いた。 「テオは神子なのか?」 「そう、ですけど」  テオは不思議そうに首を傾げた。 (魔王と神子が再び出会ってしまうなんて、なんの因果かな)  それとも運命なのだろうか。  レジナルドはある人の顔を浮かべ、懐かしい痛みにそっとこぶしを握った。  レジナルドは泥沼のように眠っていた意識から浮上した。  扉の外にはテオがいる。けれど彼はなかなか入ってこようとしない。どうしたのだろうか。 「クゥ~ン」  グレイと呼ばれていた狼もテオの匂いを感じ取っているのか、扉の前で尻尾を振りながら待機している。  かなり信頼しているようだ。  元より狼は人間に懐かないと言われている。それなのにテオを好いている様子から、彼が神子なのだと思い知らされた。  神子は古来より動物に好かれて使役すると言われている。まさに彼女がそうだった。 「おはようございます。テオです」  ようやく意を決したテオは頰を赤らめて入ってきた。素早くグレイたちが駆け寄ってきて、頭を撫でろとせっついている。 「グレイ、くすぐったいよ」  狼が一等甘えん坊のようでテオに頭を擦りつけている。テオは嫌な顔一つしないで、一匹残らず丁寧に撫でてあげていた。 (心根のやさしい子だな)  見た目だけでなく、テオの心は澄み切った湖のようだ。穏やかでゆったりと時間が流れていくような温かみがある。  少し話をしただけでレジナルドの胸が再び痛みだした。どうやら痛み止めの効能が切れたらしく、テオは手慣れた様子で薬湯をつくってくれる。  それを一気に飲むと驚くほど痛みは引いた。 「一瞬で症状が落ち着くなんて、すごい効能だ。さぞかし高値ではないか」 「いえ……これは無料なのです」 「こんな素晴らしいものが……無料?」  レジナルドが聞き返すと、テオはゆっくりと頷いた。 (もしかしてこの子も先代と同じように……)  痛ましい姿を思い出してしまい、レジナルドは眉を寄せた。やはり浄化し過ぎはよくないのだろう。  そのあとはロマンス小説の話をしたりと穏やかに過ごした。  テオは博識で素直な感受性がある。あまりの清らかさにますます夢中になって、話を広げてしまう。 (だがいつまでも黙っているわけにはいかない)  レジナルドは意を決して口を開いた。 「俺はダグラスの王……つまりここで言う魔王ってことだな」 「まさか、そんな……嘘」  テオは白い肌を青くさせて、肩を戦慄かせている。やはりレジナルドの正体には気づいていなかったらしい。  小さな頭で色々と考えているのだろう。テオは眉を寄せたり、外を見たりとしたあと意を決したようにレジナルドを見据えた。  「僕はレジナルド様をお慕いしています」  まさかそんなことを言われると思わず、レジナルドは瞬きを繰り返した。同時に自分の中で息吹き始めたこの温かな気持ちが、恋なのだと気づく。  「嬉しい。俺もテオを愛している」  潤んだアクアマリンを見ると理性のたかが外れる音がした。止められない衝動に堪らず頰に触れてしまう。  (少しくらいなら)  だが甘かった。神の祝福を受けたテオの周りには清らかな空気がある。魔力のある自分には毒にも等しい。  わかっていたのに衝動が抑えられず頰が火傷してしまった。  だがこのくらいの痛みはかすり傷だ。魔力が流れるレジナルドの血肉は、常人よりうんと頑丈にできている。  けれどテオの瞳からは情欲は完全に消えてしまった。 「僕は神子です。この国の民を護る義務があります。自分の気持ちを優先することなどできません」  お役目を全うしようとする健気な姿に胸が締めつけられる。どうして神子という立場は、こうも辛い宿命を背負わなければならないのか。 (俺は今度こそ道を間違えたくない) 「テオ、ダグラスに来ないか」  テオの瞳が左右に揺れた。まだ心の中に迷いがある。だが藁をもつかむつもりでさらに追い打ちをかけた。 「見せたいんだ。俺が生まれ育った国を。世界の真実を」 「世界の真実……?」  きっとテオには酷な真実だろう。けれど知らないまま生きていることの方が辛いかもしれない。  テオにはすべてを知る権利がある。 「ラン、いるのだろう」 「ここに」  一切の物音もさせずにランはレジナルドの前に姿を現した。ランは清らか過ぎる空気を吸い過ぎないよう頭全体を覆うマスクと魔石で作った軍服を着ている。  彼女はメイド兼人間界の調査員の一人だが、運動神経のよさを買われレジナルドの護衛としてのお役目もあるのだ。  僅かな月明かりが薄っすらと室内を照らしている。 「テオをダグラスに連れて行く」 「いいんすか?」  言外の意味を理解し、レジナルドは一瞬だけ逡巡した。だがこの燃え上がるような気持ちを鎮めるほどのものではない。 「構わない。テオと結婚する」 「私らは構わないっすけどね。お偉いさん方は黙っていないと思うっすよ」  ダグラスでは人間界を憎む過激派とレジナルドのように友好的でいたい保守派で分かれている。  表立って争いはないが、水面下で蹴落とし合いが粛々と行われていた。 (それもこれも俺が魔王としての器ではないからだな)  国民同士が争うのは悲しい。だがそれを止めるだけの力がレジナルドにはないのも事実だ。  あの人のようにーーと何万回も思い返してしまう顔を追い出すように、レジナルドは首を横に振った。 「帰ったら審議をする。貴族院に声をかけておいてくれ」 「わっかりやした!」  ランは元気よく挨拶をすると、ふっと気配が消える。すぐさまダグラスに戻り、重鎮集めに奔走してくれるのだろう。 (テオ……)  愛おしい人の顔を思い浮かべ、胸の中に広がる甘さにレジナルドはうっとりと目を細めた。  骨折がすっかりと治り、レジナルドは衣服を整えた。今日ダグラスに帰るのだが気は重い。  レジナルドがマントを羽織ると後ろで眺めていたテオがしゅんと肩を落としている。  あまりに愛らしい姿に抱きしめたい衝動にかられ、レジナルドはぎゅっとこぶしを握った。 「作戦は覚えているね」 「もちろんです」 「うちの貴族たちは頭が硬い。必ず説得して、テオを迎えに行く」 「無理なさらなくてもいいんですよ」  レジナルドが軍を率いてテオを攫いに来るのを気が進まないのだろう。もちろんリムガールの民を傷つける真似はしないが、それでもテオは心が痛んで仕方がないのだ。 (あまりにやさしすぎる)  自分の欲より、周りを優先させてしまうテオが歯痒い。もっと自己中心的でいても誰も責めはしないだろう。  でもその奥ゆかしさがテオのいいところである。  だからダグラスに嫁いでくれたら、めいいっぱい愛するつもりだ。  洞窟までテオに見送ってもらい、レジナルドは奥へと進んだ。なだらかな坂を下ると出口が見えてくる。森を抜けてしばらく街道を歩いていると街が見えた。 「あ、レジナルド様だ!」 「おかえりさない」 「いま戻った。遅くなってすまない」  レジナルドの姿を見つけるとダグラスの民がわらわらと集まってきてくれる。瘴気清浄機を置いていたら木から落ちて怪我をしたという噂話がすでに広まっているのだろう。  みんな、どこかからかいが混じった笑みを浮かべている。 (でもこの距離感が心地よいんだよな)  民との距離が近すぎるとマックスは怒るが、偉そうにふんぞり返るのはレジナルドの性分に合わない。   なんでも気軽に話せる関係こそがよい国を作ると思っている。  宿屋の女将ーーランの母親が「レジナルド様!」と声を張り上げた。 「人間界でお嫁さんを見つけたという話は本当かい?」 「あぁ、そうだ。神子をしているテオだ」 「神子様……」  まるで悲劇を見せられたかのように女将の顔が青くなってしまう。  神の祝福を受けた神子と魔力を持つ魔王の相性が悪いことを、ダグラスの民はよく知っている。  レジナルドは口角を上げた。 「大丈夫。心配いらないよ」 「これも運命なのですかね」  レジナルドは深く頷いた。導かれるようにテオに惹かれたという自覚はある。  けれど自分の中で芽生えた恋心はレジナルドだけのものだ。絶対に大切にしてみせる。  レジナルドはダグラスの民と別れを告げ、急いで城に戻った。自分の帰還に喜んでくれる仲間たちに挨拶を交わし、そのまま審議室に向かう。  隣に控えるマックスは神妙な顔をしていた。 「あまり状況はよくないよ」 「わかっている」 「前例があるからね」  マックスの言葉にレジナルドは深く頷いた。けれど手がないわけではない。  レジナルドが審議室に向かうとすでに上流貴族が集まっていた。  過激派と保守派の二派が、向かい合うように座っている。  レジナルドが上座に座ると一斉に視線を向けられた。  期待と不安が入り混じった視線にレジナルドの背筋がしゃんと伸びる。 「人間界の神子、テオを婚約者として招き入れる」 「莫迦な! 人間界が我々にしたのか忘れたのか!」  過激派のリーダーであるーーテノール公爵がだんと激しくテーブルを叩く。それに合わせるように過激派一派が大きく頷いている。 「テオはただの神子ではない。薬師としての才がある」 「だからなんだというのだ」  レジナルドは怪我をしたときの話をした。少し誇張してはいるが、どれだけテオの薬が効くか熱弁を振るうと過激派は押し黙っている。 (あともうひと踏ん張りか)  保守派がレジナルドに加勢する。 「いま人間界と揉めても状況がよくなるわけではない。なら友好の証として神子と婚約するのも悪くはないだろう」 「だが前例がある!」 「それは……」  保守派は口を噤んでしまった。 「ではこうしよう。テオが俺たちに仇をなすなら好きにしていい。ただ力を貸してくれるなら、信じてもらえないだろうか」  レジナルドの言葉にさすがの過激派も言葉が出ないらしい。ある意味、テオを人質にすると言っているようなものだ。  敵とみなせば殺せばいい。だが信頼しえるなら結婚する。 (テオには申し訳ないが、黙っておくしかないな)  人質として婚約者になるのは気分がいいものではないだろう。いくら愛しているからといっても、限度がある。  だがレジナルドの宣言に両派とも納得をしてくれ、無事にテオを迎えに行く算段がついた。

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