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第3話
レジナルドの切羽詰まった表情にテオはごくりと唾を飲み込んだ。
「なんでしょうか」
「俺の国はダグラスというんだ」
「ダグラス?」
聞いたことのない国名だ。テオが首を傾げるとレジナルドは深く息を吐いた。
「ダグラスはこの地上深くにある」
「地下って……まさか、魔界?」
「こちらの国ではそう呼ばれるらしいな」
レジナルドは苦笑いを浮かべ、彼の表情から嘘ではないのだとわかる。わかってしまった。
「俺はダグラスの王……つまりここで言う魔王ってことだな」
「そんな……嘘」
言葉が浮かばず、テオは呆然とレジナルドを見つめた。
魔王は魔界の王である。つまり瘴気を人間界に送っている親元だ。
それがレジナルドだと言うのか。
確かに彼は新たに瘴気が漏れ始めた洞窟の前で倒れていた。瘴気を人間界に送っている最中だったのかもしれない。
洞窟の結界を張り、魔界から攻めてくる悪魔を倒し、この世界から瘴気をなくすことがテオの役目だ。
(薄々感じていたけど、やっぱりレジナルド様は敵国の方だったんだ)
テオの胸が切れ味のよい刃を突き立てられたように痛んだ。苦しい。痛みで頭がおかしくなりそうだ。
「テオ……?」
眉をハの字にさせ、痛ましそうに自分を見るレジナルドと視線を交わした。
レジナルドも苦しんでいる。きっと最初から自分たちは敵対するのだとわかっていたのかもしれない。
黙っていればテオは気づかなかっただろう。でもそれはレジナルドの思うところではなかったのだ。だから彼は意を決して伝えてくれたのだろう。
そんな誠実なレジナルドが、人間界を苦しめるためだけに瘴気を送っているようには思えない。
テオの脳裏にエドバック騎士とサティ令嬢が浮かぶ。
二人は自分たちが敵国だとわかっていても、愛を貫いた。そして両国の和平を結んだのだ。
自分たちもそうなれるのではないか。
テオはどんな叱責も全部受けて立つ覚悟で口を開いた。
「僕はレジナルド様をお慕いしています」
「テオ……」
「魔王だと知って驚いています。でも僕は自分の気持ちに嘘はつきたくありません」
誰かに恋慕を寄せることなど、神子としてあるまじき行為だ。神職者として神に背き、国を危険にさらしている。
反逆の意志があると思われても仕方がない。
でもテオは国もレジナルドも大切だ。
天秤にかけることなんてできない。
「国に背くつもりはありません。でもレジナルド様を断罪することなんてもっとできません。僕はどっちも大切にしたい」
決意を固めて黒曜石の瞳をみつめるとふっとレジナルドの表情が緩んだ。
「嬉しい。俺もテオを愛している」
「あ、愛って……僕たちまだ知り合ったばかりですよ」
「そうだな。でもずっと前から知っていたような気がする」
情熱的な瞳にみつめられてしまうと足の裏がぞわぞわと落ち着きがなくなる。テオがもじもじしていると、レジナルドの腕が伸びてきた。
膝の上に置いたこぶしにレジナルドの手が重ねられる。あまりの温かさにびくりと肩が跳ねた。
「テオ……」
レジナルドの顔が近づいてきてテオは目を丸くさせた。なにをされるのかわかり、混乱で思考が定まらない。
(目を瞑った方がいいの? それとも開いているべき?)
モタモタしている間にもレジナルドの美しい顔がどんどん近づく。
思わず頬に触れると指先がじんと熱くなった。
(熱い……というより焦げ臭い?)
ふと触れたレジナルドの頬を見ると赤い水膨れになっていた。気泡のように次々と赤みが広がっていく。
「レジナルド様!?」
「ぐっ」
テオが手を離すと赤みの広がりは治まった。だがよほど痛むのかレジナルドが前かがみで倒れてしまった。
(一体なにが起きたの?)
半ばパニックになりながらテオがレジナルドの背中を擦ると、「うぐっ」とさらに喘ぎ、咄嗟に触れるのを止めた。
もしかして背中も折れていたのだろうか。
いや、そんなわけない。背中が折れていたら仰向けで寝られないだろう。
しばらく痛みを堪える声を漏らすレジナルドをテオはただ見守ることしかできない。
涙を浮かべながら何度も「レジナルド様」と祈りを捧げた。
(僕は力の弱い神子だから、レジナルド様を助けることができない)
どうかレジナルドを助けて、と遠くに祀られているモーリュに向けて祈った。
痛みが引いてきたのかしばらくしてからレジナルドは顔を上げた。その左頬は赤くただれ、皮膚が剥がれ落ちている。
あまりの痛ましさにテオの頬に涙がまた流れた。
「一体なにが起きたんでしょう?」
「テオは神子だと言ったよな。ということは神の祝福を受けているんだろう?」
「はい。洗礼を受けています」
「神の祝福が俺を拒んでいるんだ……魔王だから」
「そんな」
祝福を受けたテオと魔王のレジナルドは触れ合うことすら許されないということなのか。
自分たちの立場を嫌でも理解させられる。
テオははっと思いだした。
「でも傷の手当てをしたときは平気でしたよね」
「直に触れてはいないだろう?」
「そういえば」
シャツのボタンを取るときも、傷口を手当するときも布越しだった。
「直接触れ合うことは……」
「難しいな」
頭を殴られたようなショックにテオは言葉が続かなかった。
そもそもテオは神子だ。神に自分自身を捧げている立場である。
髪型から服装、食べるものまで厳しい戒律があり、なかでも性行為は穢れと言われていた。神職者にとって最大の禁忌である。
もし純潔を失えば闇落ちーーすなわち聖力を失うとされていた。そうなればリムガール王国は数日ともたず、瘴気の手が伸びて朽ちるだろう。
何万という民の命とテオの恋心を比べるまでもない。
奥歯を噛んでテオは張りつけた笑顔を浮かべた。
「さっきのは嘘です。忘れてください」
「テオ……」
「僕は神子です。この国の民を護る義務があります」
例え国民から蔑まされても、それは自分の努力が足りないからだ。もっと頑張れば認めてもらえる。そうしたらレジナルドへの気持ちも薄らいでいくはずだ。
一時の気の迷いに身を滅ぼす必要はない。
「それは違う」
空気を両断するようなレジナルドの声にテオは顔を上げた。
「神子だろうと魔王であろうと、自分がやりたいことを優先するべきだ。そんなのおかしい」
「レジナルド様はおやさしいですね。こんな酷い怪我までさせてしまったのに」
地獄の業火に焼かれたような痛々しいレジナルドの姿に、テオは目を伏せた。
「俺がテオに触れたかったんだ。テオのせいじゃない」
「どうして、そんなに僕のことを……」
「愛することに理由は必要ないんだろう」
レジナルドのやさしさにテオの頰に涙伝い、顎に溜まって落ちた。
傷つき弱っていたテオをすくいあげるような言葉に胸が満たされる。この人のそばにいたい。
レジナルドは涙を拭ってくれようと手を伸ばしたが、堪えるようにぎゅっとこぶしをつくる。
「テオ、ダグラスに来ないか」
思いもよらない提案にテオは咄嗟に返事ができなかった。じっと見返しているとレジナルドの真剣な眼差しに射竦められる。
「見せたいんだ。俺が生まれ育った国を。世界の真実を」
「世界の真実……?」
それはどういうことだろう。
いまテオが見ている世界は全くの別物なのだろうか。
でもなにより愛するレジナルドの言葉に背中を押された 。
「行きます。行きたいです」
「ありがとう」
一瞬だけ手を重ねてくれたレジナルドの熱がじわじわと胸に広がっていった。
レジナルドの回復力には舌を巻いた。
ただれた頬が次の日にはつるりと治り、骨折の痛みも三日で感じなくなったらしい。
レジナルドと出会って四日目の今日は、外に出て昼食を取った。テオが作ったサンドイッチを頬張るレジナルドを見ているだけで、腹が膨れるほどの幸福感で満たされる。
「テオは食べないのか?」
「レジナルド様を見ているだけで幸せで……お腹が空かないんです」
「……」
レジナルドは大きな手で顔を覆ってしまった。なにか変なことを言ってしまっただろうか。
「すいません、嫌な気持ちにさせましたか?」
「あまりの可愛らしさにどうにかなってしまいそうだ」
「僕もです」
自分が作ったものがレジナルドの血肉になるのだと思うと、彼の一部になれたようで嬉しいのだ。
だがレジナルドは小さく首を横に振り、しばらくしてから口を開いた。
「テオ、よく聞いて欲しい」
バリトンの声に切羽詰まった音を感じ、テオはゆっくりと頷いた。
「俺は一度魔界ーーダグラスに帰る。いつまでも人間界にはいられない」
「……わかりました」
「戻ったら国の重鎮たちと話して、軍を連れて戻ってくる」
「まさか……リムガールと戦争をするのですか?」
そんなことをするくらいならレジナルドと決別も致し方がないと考えていると、彼はゆっくりと首を横に振った。
「違うよ。戦争をするフリをするんだ」
「フリ……ですか」
「そう。騒ぎを起こし、混乱に乗じてテオを攫う。誰も傷つけないと約束する。そうすればテオの体裁も護れるだろ?」
確かに魔王に連れ去られたという体なら万が一失敗したとしても断罪されないだろう。
だが一つだけ気がかりはある。
「……僕がいない間、瘴気はどうすればいいでしょう」
「その件は俺に任せてくれ」
「お考えがあるのですか?」
「あぁ、たぶん上手くいくと思う」
はっきりしない物言いが気になったが、レジナルドの言うことだから信じられる。
これから先、レジナルドと一緒にいられるという期待で胸が膨らむ。未来に希望を持つなんて初めてだ。
誰かに求められたことも誰かを求めたこともテオには経験がない。
新しい道筋にテオの胸は、張り裂けそうなくらい高まっていた。
「最近帰りが遅いようだけどなにをしているの?」
フィルタの問いかけにテオは紅茶を注ぐ手がぴたりと止まる。だがすぐに彼女の前にカップを置いた。
「いつも通りモーリュに祈祷と森の見回りです」
「それにしては最近時間がかかりすぎてないかしら」
「瘴気の裂け目が増えてきているせいです」
さらりと嘘が出てくる自分に驚いた。魔王を匿っているなんて知られたら、どうなるかわからない。
背中に冷や汗をかきながらもテオは普段通りに無表情をつくった。
フィルタの視線は窓の外に向けられたまま、唇を結んでいる。いつもなら言われのないことで怒鳴り散らかすのに彼女が静かだと不気味だ。
ソーサーにカップを置いたフィルタはゆっくりと顔を上げる。
「あなたが出かけるたびに従者をつけさせてたの」
さっと血の気が引いた。がくがくと身体が震えだしてしまい、テオは恐怖から逃げるように自分を抱いたが、なんの慰めにもならない。
そんなテオにフィルタはさらに冷ややかな視線を向けた。
「あの男は何者?」
「……怪我をしていたので看病していたんです」
「ここらでは見かけない顔よね」
「他国から来られたそうです」
「軍服を着ていたわ」
「騎士のようですが、詳しくは聞いていません」
「いい加減になさいよ!」
ピシャリとした怒声にテオの肩は竦んだ。胃が氷で満たされたような恐怖に後ずさると、誤ってティーポットを落としてしまった。
がしゃんと陶器が割れ、中の紅茶がこぼれて絨毯にしみをつくる。急いで掃除しなければならないのに指先一つ動かせない。
フィルタは眦を吊り上げた。
「あなたもジェシカみたいになるつもり!?」
(どうして母様の名前が出てくるの?)
テオが問いかけようとすると、バンと扉がけたたましく開いた。
「フィルタ様、大変です!」
血相を変えた執事の乱入にフィルタは声を荒げた。
「なんです、騒々しい!」
「魔王軍が攻めてきました」
「……なんですって!?」
瞠目したフィルタは窓の外をみつめた。大聖堂周辺がオレンジ色に染まり、黒煙が夜空に向かって伸びている。
(本当に来てくださったんだ)
レジナルドと別れて二日経った。その間、なんの音沙汰もないから軍との交渉は上手くいかなかったのだろうと諦めかけていた。
敵対するテオのために魔王軍が動くとは到底思えなかったのだ。
でもレジナルドはどうにか説得してくれたのだろう。なら自分は事前に決めた手筈通りに動くしかない。
大聖堂に火があがったら初めて出会った洞窟の前でレジナルドと落ち合うことになっている。
火の手があがった方に人が集まり、森へ行く人はそういないはずだというレジナルドの考えだ。
テオは弾かれたように外に飛び出した。
「待ちなさい、テオ!」
フィルタの制止を無視して森へ向かった。
レジナルドの読み通り、城下町の人は大聖堂へと向かっており人っ子一人いない。けれど油断は禁物だ。
テオは人目につかないよう裏道を使いながら森へと急いだ。
風に乗って焦げ臭い匂いが鼻をつく。国民の叫び声がする。大聖堂付近にある空き家を片っ端から燃やしているので、数は多いのだろう。
時々、キンと金属がぶつかり合う音がする。騎士団と魔王軍が戦っているのかもしれない。
魔王軍が攻めてきたことはいままで一度もなかった。普段からテオに任せっきりで、鍛錬の一つもしていない騎士団の対応は後手に回るだろう。
(どうか誰も怪我をしませんように)
テオは祈りながら走り、いつもアンガー夫妻を見かける場所を通り過ぎた。
あとは山の奥へ進めば、待ち合わせの洞窟が見える。
自由はもうすぐそこだ。
「やっぱり来たか」
「……司教様」
森に入ったテオを待ち構えていたのは司教だった。怒りに身体が震え、剥き出しの歯がテオを襲いかからんばかりに鋭さをみせている。
もしかしてフィルタからテオの様子を聞き、待ち伏せていたのだろうか。
(しまった。どうしよう)
予想外の展開にテオは奥歯を噛んだ。
「おまえ、自分が神子という立場はわかっているのか」
「もちろん理解しております」
「それなのになぜここにいる!? 魔王軍が攻めてきているんだぞ!」
ぴしゃりとした怒声にテオはひっと小さな悲鳴をあげた。
幼少期から何度も司教に叱られ続けたテオの心は、恐怖で竦みあがってしまう。
でも、と己を奮い立たせた。
「僕はリムガール王国が大事です。でも自分の気持ちも同じくらい大切にしたいのです」
「おまえの気持ちなどどうでもいいだろう!」
「そんな……」
「神職に務める者として、己の欲に走るなどあるまじき愚行だ!」
司教は自分の行いを忘れてしまったのだろうか。
テオはずっと厳しい戒律の元、生活を強いられてきた。髪の長さから服装、食べるものまで厳しい規律がある。
だが司教はどうだ。
酒、煙草、女と欲にまみれ、神に背くことばかりしている。
(こんな人に利用されるだけなんて嫌だ)
ふつふつとした怒りがテオの内側から湧いてきて、首を横に振った。
テオの反応に司教は目を剥いている。
「おまえは神子なんだぞ!!」
「だからこそ苦しんでいるのです」
なにも自分の欲に忠実なわけじゃない。国民の生活も気がかりだ。でもずっと抑圧され、我慢を強いられ、どれだけ努力しても報われない生活にもう耐えられそうもない。
レジナルドというやさしさに触れてしまったいま、以前のような生活に戻れるとは思えなかった。
「おい、誰か出て来い!」
司教が大声を張り上げると、木陰からぞくぞくと騎士が出てきた。中には見知った顔もいるが、誰も親しみの笑みを浮かべていない。
「おまえたち、テオにやる気を出させろ」
司教が手を挙げると騎士たちは剣を抜き、テオに切っ先を向けた。
騎士たちの顔は憎悪に歪んでいる。テオを殺そうと殺気を出していた。
テオがしようとしていることは、国を裏切ることと同じだ。
だから恨まれても仕方がない。けれど今日まで尽くしてきたのに感謝の一つ見えないのは、あまりにも酷い仕打ちではないか。
「……どうして」
ショックで声が震えてしまう。
でも泣いている暇はない。
テオがぐっと奥歯を噛んでいると遠くから蹄の音が響く。
馬上には黒い軍服姿のレジナルドの姿があった。
「テオ!」
「レジナルド様……」
テオと騎士たちの間を絶つようにレジナルドは馬を止めた。満月を背にし、堂々とした姿は魔王としての威厳がある。
違和感を察したのか騎士たちは一歩後ずさった。
その隙をついてレジナルドが腕を伸ばし、テオを引き上げてくれた。
「いけ、フェノーメノ!」
レジナルドが手綱を引くと馬が嘶き、走り出した。この先には魔界へと続く洞窟がある。
「絶対に逃がさんぞ! 追え!!」
司教は騎士たちに命令したが、フェノーメノの方が速い。
司教たちと距離がどんどん開いていく。
それは同時に故郷との別れも示していた。
「ウォーン」
「グレイ!」
視界の端でグレイたちの姿が見える。最後にテオを見送ろうと森の動物たちが集まっていたようだ。
グレイたちと初めて会った日が走馬灯のように流れ、涙となって溢れていく。
ここは悲しい思い出だけじゃない。グレイたちと過ごせた穏やかな日々も確かにあったのだ。
自分はそれを手放そうとしている。ここを離れればもう二度と会うことはないのだろう。
「テオ、大丈夫か」
やさしいバリトンの声にテオは頷いた。背中から感じる体温だけが、いまの自分を支えてくれている。
テオは一度だけ振り返り、高らかに宣言した。
「僕は闇落ちします!」
フェノーメノが前脚を高く上げなから嘶き、一気に森を駆け抜けた。誰も追いかけてくる気配はない。
司教の怒声だけが闇の中で響いていた。
テオとレジナルドはそのまま洞窟に飛び込んだ。
初めて通る洞窟は暗く、空気が淀んでいた。しばらく歩くとなだらかな下り坂が続いている。
「テオ、いいか。もう引き返せないぞ」
「はい」
テオは涙を拭いて、ただじっと前だけを見据えていた。
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