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第2話
セーフティハウスは貴族たちが遊びの一環として兎やキツネを狩るときの休憩所として使われていた。
だがここ数年は瘴気の勢いが増しているので、テオ以外この森までは来る人はいない。
いわばテオの隠れ家だ。
部屋には四人掛けのテーブルに暖炉とダブルベットがある。来るたびに保存食や紅茶を置いているので、数日適度なら生活することも可能だ。
グレイの背中に乗せた男を熊たちと協力しながらベッドに寝かせた。
「みんな、ありがとう」
男はかなり上背があり、非力なテオ一人では運べなかっただろう。グレイたちが手伝ってくれてよかった。
だが男はグレイの背中に乗せるときも、ベッドに下ろしたときも意識を取り戻す気配がない。かなり衰弱しているようだ。
(ちゃんと手当てしてあげないと命に関わるかも)
「失礼します。ボタンを外しますね」
テオは男に声をかけ、黒い軍服に手をかけた。金のボタンは宝石のように輝くだろうに、血がついて黒くくすんでしまっている。
ボタンを外し終えると白いシャツは血で真っ赤に染まっていた。かなり酷い。一体男になにがあったのだろうか。
「お薬を塗りますね」
テオはいつも持っているポシェットを探そうとしてはっとした。
「そういえばここに来る途中であげちゃったんだっけ」
城下町を歩いているときに、熱さましが欲しいという老人にポシェットを奪われてしまったのだ。
ポシェットの中には傷薬や吐き止めなどの薬草を常備している。
ポシェットさえあれば男の傷を手当てできたが、いまは辛うじてローブに入っていた痛み止めの効能もある熱さましの薬湯が一つしかない。
「しょうがない。清潔な布で拭うしかないか」
竈で沸かしていたお湯を器に入れ、冷たい水と混ぜ合わせてぬるま湯をつくった。その中に布をいれ、固く絞ってから男の傷口に触れる。
白い布にじわっと赤い血がつく。傷の数は多いが、どれもかなり浅いようだ。
傷の数えながら丁寧に拭っていると、ふと男の胸元のエンブレムが目に入る。
「見たことない国旗だな。どこの国だろう?」
エンブレムは炎のような揺らめきと鷲が銀糸で刺繍されている。初めて見る国旗だ。この近隣国のものではないだろう。
もしかしてテオの知らない遠くの国なのだろうか。
(瘴気で滅亡した国とか? でも軍服を着ているから騎士様なんだよね。国民を置いて一人だけ逃げてきたのかな)
「令嬢と騎士の恋物語」に出てくるエドバック騎士はそんなことをしない。勇敢に戦う勇気ある男だ。
だが騎士の全員がそうとは限らない。
リムガール王国には騎士団がある。といっても名ばかりで、実際は自警団に近い。
神子であるテオの護衛も任務の一つだが、なにかとテオに嫌味な言葉を投げかけたり、卑しい視線を向けてくる者ばかりだ。
しかもどの騎士が鍛錬をしているところを一度も見たことがない。
テオにとって騎士とは、名ばかりのならず者だという印象だ。
(でもこの方は違うだろうな)
シャツの隙間から覗く胸板は厚く、長年鍛錬したのがわかる。腰に携えた剣の柄は手垢で薄っすらと汚れていた。
エドバック騎士のように誠実な騎士の可能性もある。
「くっ……」
「すいません、しみますよね」
テオは慌てて布を離して、新たな傷を拭いた。治療中に考え事はしてはだめだ。
あまりに痛むのか男は苦しむ声をあげ始めた。額に脂汗が滲み、歯を強く食いしばっている。
辛そうな姿にテオの胸はしめつけられた。
「もう少しで終わりますよ」
テオは男を励ますために何度も声をかけた。すると眉間に寄った皺がわずかに緩む。
「んっ……」
男の瞼が小刻みに震え、ゆっくりと開かれた。長い睫毛に縁取られた純度の高い黒い瞳が顔を出す。
「気がつきましたか?」
視界に入るようにテオが身を乗り出すと男はこちらに視線を向けた。二度瞬きをしてから、男は薄く口を開く。
「……天使?」
「天使?」
もしかして意識が混濁しているのだろうか。だが都合がいい。下手に騒がられるとテオの腕力では男を押さえつけることはできないだろう。
テオは刺激しないよう声のトーンを落とした。
「僕はテオと言います。ここはリムガール王国の森のはずれです……わかりますか?」
男はぼんやりとテオを見つめたまま瞬きもしない。もしかして言葉が通じない? だがさっきは「天使」とはっきり言っていた。
男は頰を薔薇色に染めて、テオをじっと見つめている。満天の星空のように美しい黒い瞳に吸い寄せられそうになってしまう。
(見れば見るほどエドバッグ騎士にそっくりだ)
少し掠れているけどバリトンのような声音もイメージ通りだ。また本の世界に入りそうになり、テオは慌てて思考を追い出した。
「怪我をされていたので手当てをしました。他に痛いところはありませんか?」
「あぁ……大丈夫だ」
男は起き上がろうとしたが胸を押さえ、再びベッドに倒れてしまった。
苦悶な声をあげ、痛みに苦しんでいる。
テオははっとして男に近付いた。
「胸が痛みますか?」
「これは……折れてるだろうな」
「診せてもらってもいいですか?」
「放っておけばそのうち治まる」
「そんなことできません」
テオは毅然とした態度で男を見下ろした。テオに怪我人を無視しろと言うのは、空腹なのにアップルパイを我慢するのと同じくらい無理な話だ。
じっと見つめていると男の切れ長の瞳がわずかに開く。
そのまま数秒見つめられてしまうので、テオはたじろいた。
(もしかして口答えしたから殺されるのかな)
けれど例えそうだとしても譲るつもりはない。
負けてなるものか、と見返していると観念したのか男は両手を上げた。
「……わかった」
「では失礼します」
テオは上着を脱がし、ボタンを下まで外して胸元を診た。大きく青紫色に腫れており、やさしく触れるだけでも男は眉間に皺を寄せている。
「骨折の可能性があります。痛み止めのお茶を煎じますね」
テオはポットに薬草を淹れた。ツンとする匂いが特徴的で、焦げたような苦味もある。
だが母の遺してくれた資料をもとに、テオが研究に研究を重ねた薬で効果は抜群だ。
零さないよう慎重にカップに注ぎ、男の前に差し出した。
「どうぞ。熱いのでゆっくり飲んでください」
「……」
だが男はカップからのぼる白い湯気をじっとみつめたまま動こうとしない。
そしてちらりとテオを睨みつけた。
切っ先を向けられたような殺気にドア付近で休んでいたグレイが起き上がり、牙を剥いている。
(やっぱり警戒するよね)
怪我を診るのとはわけが違う。見ず知らずの他人から飲み物を貰って、毒を盛られているのではないかと警戒するに決まっている。
テオの身なりから誰が見ても神子だとわかる。神子は国を護る義務を課されていた。
この男が魔界から来た偵察だったら、そう迂闊な行動はしないはずだ。
だがもちろん痛み止めに毒など混ぜていない。いくら言葉に尽くしても、疑っている相手を信じさせるのは難しいだろう。
(これが安全だと証明させればいいんだ)
テオは熱々の薬湯を一気に煽った。腔内がヒリヒリとするが、喉を過ぎてしまえばもう平気だ。
鼻から抜ける刺激臭が焼け野原のように酷い。何度飲んでも慣れない苦みにテオは眉間に皺を寄せた。
「……こ、この通り毒は入ってません」
空のカップを見せると男は目をまん丸にさせ、くしゃりと笑った。
「ふっ、ははは! まさか一気飲みするとは」
男はツボに入ってしまったのか、「いてっ、ふふ……いてて」と胸を押さえながら笑っている。
男が突然笑い出したので、テオは大きく息を飲んだ。そんな笑われるなんて心外である。
目尻に溜まった涙を男は指ですくい、背筋を伸ばした。
「その表情だと毒を我慢しているように見えるぞ」
「あ……そういうことですか」
男が笑っている意味を理解し、テオの耳殻が薄っすらと赤くなった。
安全だと保証するためにははったりでも笑顔をつくるべきだった。
でもこの苦味は例え空に届きそうなほど金貨を積まれても、微笑みながら飲めそうもない。
(やっぱりもう少し味は改良しないとだめだよね)
テオがしょんぼりしていると、男の表情から警戒が剥がれ落ちた。
「俺はレジナルドだ。手当てをしてくれてありがとう。どうやらテオは嘘がつけないようだな」
よほどテオが苦そうに薬を飲んでいたのが面白かったのか、男はもう一度くつくつ笑った。テオの顔が燃えるように熱い。
「すいません……」
「立場上、他人からもらったものを飲み食いしないようにしているんだ。疑うような真似をしてすまない」
「これは僕が独自に配合した痛み止めの薬湯です。味はご覧の通り酷いですけど、効能は保証します」
事実、テオの咥内は火傷しているだろうが痛みは一切ない。即効性もあるのだ。
レジナルドは細い顎に指をかけて、小さく頷いた。
「では一杯貰えるか」
「いいんですか?」
「テオが毒ではないと身体を張って証明してくれたからな」
「ありがとうございます!」
テオがお礼を言うとレジナルドは目を丸くさせた。
「どうしてテオが礼を言うんだ?」
「この薬湯、効果は高いんですが味と匂いが酷くて誰も飲んではくれないのです。ですから飲んでくださる方がいて嬉しいのです」
「ならきちんと検分しないとな」
レジナルドが悪戯っぽく笑い、テオは少しだけ頬を膨らませた。
(これって揶揄われてるのかな)
だがいままで誰かとこんなやり取りをしたことがないので、肌を羽毛で撫でられたように擽ったい。
テオが少し冷めた薬湯を渡すとレジナルドは一気に飲んだ。形のよい喉仏が上下しているのをじっと見つめた。
飲み切ったあと、レジナルドは口元を手で覆い、軽く咽ている。
「確かに……これは酷い味だな」
「痛みはどうですか?」
テオが問いかけるとレジナルドは胸を撫でた。
「痛くない」
「ね、効果はあるんですよ」
味の酷さで国民には不評だが、効能には自信がある。テオが得意げに鼻を鳴らすとレジナルドは百合の花が咲くような笑顔をこぼした。
「本当にありがとう。助かった」
(感謝されたの……初めてだ)
レジナルドの言葉が胸をじんわりと温めてくれる。
テオがなにかするたび、国民からは嫌な顔をされてきた。
薬の製薬も雨乞いも、国民のためと思ってした行動が、なぜか調子に乗っていると後ろ指を刺されてしまう。
それはテオ自身の能力が足りないからだと思っていた。
でもレジナルドは「ありがとう」と言ってくれた。感謝の言葉はたくさん傷ついてきたテオを癒してくれる。
テオは赤らんだ頬を隠すようにそっぽを向いた。
「……神子としての務めを果たしたまでです」
「テオは神子なのか?」
「そうです、けど」
テオの服装で神子だとわからない人間は近隣国ではいないはずだ。
(やっぱりレジナルド様は魔界の人間なんだ)
彼からひしひしと感じる瘴気が物語っている。
レジナルドの目的がわからないいま、テオが魔界の使いと二人きりになり、万が一命を狙われてしまったらどうする?
瘴気を抑える神子がおらず、リムガール王国は滅亡してしまう。
(でもそれならレジナルド様は真っ先に僕を殺すよね)
手負いとはいえ、レジナルドは騎士だ。テオを殺すことなど、赤子の手を捻るより簡単だろう。
そうしないということは、レジナルドは魔界の人間ではないのかもしれない。
瘴気の気配を感じるのは、洞窟の前で倒れていたから移ってしまったのだろう。
「あの……」
「クゥン」
グレイの泣き声にテオははっと窓の外を見た。空が橙色に変わっている。
急いで帰らなければまたフィルタに小言を言われてしまう。
いろいろ訊きたいことはあったが、仕方がない。
「すいません。もう戻らないと」
「あっ」
テオが腰を上げるとレジナルドが手を伸ばしてくる。手首をやんわりと掴まれ、温かい体温に心臓が大きく跳ねた。
レジナルドは眉を寄せ、瞳は左右に揺れている。
彼も自分がどうしてこんな行動をとっているのかわかっていない様子だ。
見知らぬ土地に一人残されて不安なのかもしれない。
テオは掴まれた手に自分のものを重ね、笑みを浮かべた。
「明日また来ます。今夜はここでお休みください」
「テオはここに住んでいるわけではないのか?」
「はい。僕は街の方に住んでいます」
「……そうか」
「ここは森深くにあるので僕以外の人間はまず来ないので安心してください。戸棚に保存食の干し肉やドライフルーツがあるので、食べられそうなら召し上がってください。美味しい紅茶もありますよ」
「なにからなにまですまない」
「いいえ。グレイたちは見張りを頼める?」
ドア前で待機していたグレイに声をかけると渋々といった様子で頷いてくれた。まだ完全に警戒心を解いていないらしい。
テオは身支度を整え、もう一度振り返った。
「また明日必ず来ます」
「あぁ、待っている」
レジナルドのやさしい瞳に胸がとくんと鳴り、テオは胸を押さえて外に飛び出した。
内陣のステンドグラスから朝日が差し込み、モーリュの美しさに花を添えている。
テオは日差しを受けながら洗礼盤の前に跪き、祈りを捧げた。
モーリュは淡い光を放ち、テオの祈りに応えた。瞬間、リムガール王国を蝕み始めていた瘴気がぱっと消える。
(これで夕方まで大丈夫だ)
瞼を開き、テオは額に浮かんだ脂汗を拭った。
モーリュはいつもと変わらずに光っている。
どこにも翳りは見えない。やはり昨日は見間違いだったのだろうか。
「気にしすぎ……かな」
立ち上がろうとするとテオの膝ががくんと落ちた。力が入らない。日増しに瘴気が濃くなり、いつもより聖力を使ったせいで身体が重く感じる。
このまま少し休みたい。
けれどセーフティハウスに残したレジナルドの顔が浮かんだ。
(レジナルド様……)
黒曜石のような瞳と精悍な顔を思い出すと力が湧いてくる。テオは籠を手に取って立ち上がった。
籠にはレジナルドの朝食が入っている。フィルタたちの朝食を多めに作り、彼の分を密かに分けていたのだ。
それに誰も貰ってくれないので、痛み止めと傷薬も山ほど詰め込んでいる。
地面を踏みしめる足裏に自然と力が入り、テオははやる気持ちのままセーフティハウスに着いた。
走ったせいで乱れた髪を整え、服の埃を払う。ちゃんと顔を洗ってきたし、朝に風呂も入った。身だしなみは整っているはずだ。
手櫛で髪を整えていた指先がふと止まる。
普段身なりなどどうでもよかったのに、どうしてレジナルドに会うと気にしてしまうのだろう。
生活に不便さえなければなんでもよかった。
それなのにいまは気になって仕方がない。
髪型は変ではないか、瞳の色は不快感を与えないか、気が気ではないのだ。
(でもここまで来たらどうすることもできないよね)
テオは一度息を吐き、湖に飛び込むような気持ちでノックをした。
「おはようございます。テオです」
扉を開けるとグレイたちが出迎えてくれた。グレイはテオに飛びかかり、兎とリスが素早く肩にのぼってきた。猪と熊はテオの背中に頭を擦りつけている。
テオの言う通り一晩中見張りをしてくれていたらしい。
「みんな約束を護ってくれて、ありがとう」
「ク~ン」
グレイと熊、猪、兎にリスの順番に頭を撫でてあげた。みんな嬉しそうにすり寄ってくれる。
「すごい……動物を手懐けているのか」
ベッドから半身を起こしたレジナルドは、切れ長の瞳を大きく開いている。テオはにっと口角を上げた。
「昔から動物にだけは好かれるです」
「それも神子の力というやつか」
「たぶんそうだと思います。先代の神子もその前の神子も、動物を使役していたそうです」
神子には負を正常に戻す力ーー聖力がある。瘴気を払うためのものだが、祈りを捧げていなくても常にテオ自身を覆っている。
テオの周りは清い空気があるので動物たちにとって居心地がいいのだろう。
「グレイ、くすぐったいよ」
グレイはこっちにも構えとばかりにテオの頰を舐め回した。時折尖った歯が当たってひやりとするが、子犬のように甘える姿は可愛らしい。
みんなに餌を与えてから、テオはベッドの近くに寄った。
「遅くなりましたが、おはようございます」
「あぁ」
「今日もいい天気ですよ。ここはあまり日が当たらないですけど」
「そのようだな」
どうやらレジナルドは窓の外を見ていたらしい。だがカーテンは閉めていたので、隙間から覗いていたのだろう。
テオがカーテンを引くとわずかに陽の光が入る。デュベの上に細い線が伸びているのをレジナルドはじっとみつめた。
「これが陽光か」
「そうですけど」
「陽の光は温かいのか?」
「はい。とても温かいですよ。いまは春前ですけど、雲一つない日はポカポカして気持ちがいいです」
テオが答えるとレジナルドはゆっくりと頷いている。陽の光が温かいことなんて子どもでも知っているのに、不思議なことを訊く。
ベッド横に備え付けられているサイドテーブルには、テオが昨晩用意した水差ししかないことに気づいた。
「一晩中なにも食べなかったのですか?」
「ずっと寝ていた。テオの気配でいま起きたんだ」
「起こしてしまってすいません」
テオが頭を下げるとレジナルドは目を瞠った。
「なぜテオが謝るんだ」
「悪いことをしたら謝るのは当然です」
「なにも悪いことはしていない。テオが来たとわかって目が覚めただけだ」
つまりまだ警戒されているということなのだろうか。レジナルドから信頼を勝ち取るのはなかなか難しいらしい。
(それもそうか。僕の言葉なんて誰にも届かない)
神子というありがたい立場ではあるものの、テオ自身に魅力があるわけではない。
「くっ……」
「レジナルド様!!」
レジナルドは突然胸を押さえ、痛みに耐えるように眉を寄せた。
痛み止めの効能が切れているのだ。
「ちょっと待ってください!」
テオは水差しからカップに水をいれ、粉末にした薬草を混ぜた。本当はお湯の方がよく溶けるのだが、贅沢は言っていられない。
「レジナルド様、お薬です」
声をかけるとレジナルドの双眸がゆるゆるとこちらに向けられた。熱もあるのか瞳が潤んでいる。
「熱冷ましの効能もあるので、楽になりますよ」
「……すまない」
テオはレジナルドの背中を支えて薬を飲ませた。触れた背中は服越しでも火傷しそうなほど熱い。テオの手のひらもじんじんする。
カップを一気に煽るとみるみるレジナルドの顔色が戻った。空のカップを見下ろし、すんと匂いを嗅いで鼻に皺を寄せている。
やはり匂いは苦手らしい。
「一瞬で症状が落ち着くなんて、すごい効能だ。さぞかし高値ではないか」
「いえ……そんなことは」
匂いと味のせいで国民には不評で市場に卸せていない。薬草も山に生えているものを拝借しているので経費はほぼタダだ。
大量生産もしやすく、一時期ハマって作りすぎたせいでテオの部屋の棚を一つ圧迫している。
その話をするとレジナルドは扇のような睫毛をさらに開いた。
「こんな素晴らしいものが……無料?」
「はい」
「これほどの効能があるもの、我が国に欲しいくらいだ」
そこまで言い切り、レジナルドははっとして口をつぐんだ。そして伺うようにテオを見上げている。
やはりレジナルドは他国の者なのだろう。胸元のエンブレムから薄々感じていたことだ。
「すまない」
「いえ」
それ以上の会話が続かず、糸を引っ張ったような緊張感が部屋を包んだ。どちらか一歩でも近づいたらこの穏やかな関係が終わってしまう。そんな危うさがある。
(でもレジナルド様ともっと一緒にいたい)
なにか話しを切り替えようとテオは手に提げたままの籠を思い出した。
「お食事を持ってきました。もし食べられるようでしたら、いかがですか?」
テオは持参した皿にサンドイッチとポットに入れたスープを出した。サイドテーブルに手早く並べるとレジナルドは「美味しそうだ」と頬を綻ばせてくれる。
スープを一匙口に含むとレジナルドは目を大きく見開いた。
「……美味い」
「よかったです」
「なにからなにまで世話をしてくれて本当にありがとう」
レジナルドが畏まって頭を下げるのでテオは慌てて首を振った。
「神職に務める者として当然の行いです」
「だがこのことを誰かに知られたらテオの身に危険が及ぶだろう?」
「困っている方がいたら助ける。例え敵国の王とて同じことです」
『令嬢と騎士の恋物語』に書いてあった一節だ。いまのテオの気持ちを代弁してくれているので、自然と声に出てしまった。
レジナルドは目をぱちくりとさせている。
「……その言葉、『令嬢と騎士の恋物語』だな」
「ご存知なのですか!?」
テオが飛びかからんばかりに顔を寄せるとレジナルドは首まで赤くして、何度も頷いている。
「素敵なお話ですよね。僕、とっても大好きなんです。特にエドバッグ騎士様が」
「あのいけ好かない奴か」
「そ、そんなことありません! クールで勇ましくて素敵じゃないですか」
「あいつはただのヘタレだ。一度サティ令嬢の手を離しただろ」
「それはサティ令嬢のお立場を考えてのことです」
「だとしても離すべきではない」
「ではあの戦いでのーー」
それからテオとレジナルドは本の談義に花が咲いた。
レジナルドの解釈はかなり穿った見方をしていて、新たな発見にテオの目から鱗が落ちる。
でも最後はよかったとレジナルドと意見が合った。
「山賊たちからサティ令嬢を一人で護るところは痺れたな」
「あそこは素敵でしたね。僕も何度も繰り返し読みました」
何十人もの山賊に囲まれているのにエドバッグ騎士は一切怯むことなく立ち向かったのだ。どれだけ斬られても絶対に剣を落とさない。
その執念が悪鬼のようだと書かれていた。
「でもそのあとのーー」
言葉を中途半端なところで切ったレジナルドに首を傾げ、テオははっと思い出した。
無事に窮地をくぐり抜けた二人は城に戻り熱い夜を過ごすのだ。
(あんな過激な話はさすがにできない)
頭で湯が沸かせそうなほど熱くなってしまい、テオは膝の上に置いた手をぎゅっと握った。
レジナルドも思い出したのか、ごほんとわざとらしい咳払いをして顎に皺を寄せている。
お互い恥ずかしさを誤魔化していたのは明白だ。
そろそろと視線を上げると、レジナルドは照れくさそうに目元を下げて笑ってくれる。その顔に胸がきゅんと苦しくなった。
この小屋にはグレイたちもいるはずなのに、テオの視界にはレジナルドただ一人しか映らない。
(この気持ち……知ってる)
砂糖を焦がしてつくるキャラメルソースのように、テオの胸に甘さと苦さが混じったものが湧き上がる。
それが恋だとたくさんのロマンス小説が教えてくれていた。
「僕……」
「テオ」
甘いバリトンの声にテオの背筋はしゃんと伸びた。くすみのない黒い瞳に自分の困惑した顔が映っている。
「言わなければならないことがある」
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