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第12話 変態なんだよ
アトラボ五階のスタジオには、凪隼人と紫月颯がいた。
凪はギターを抱えたまま椅子に座り、紫月はミキサーの横でタブレットを見ている。二人とも別件の確認で来ていたらしく、スタジオにはまだ短い作業の余韻が残っていた。
高澤廉は、ドアの前で一度だけ足を止めた。
音楽の判断は、自分の担当ではない。
だが、確認する相手は必要だった。
相沢涼に直接聞けば、おそらく説明される。説明するうちに隠すか、開き直るか。どちらにしても、今確かめたいことから少しずれる気がした。
だから、高澤は相沢ではなく二人を選んだ。
「少し時間をもらえるか」
凪が顔を上げた。
「高澤が五階に来るの、珍しいな」
「確認したい音源がある」
紫月もタブレットから目を上げる。
「仕事ですか?」
「仕事ではない」
「じゃあ、何?」
高澤は少し考えた。
「相沢の件だ」
凪の目が少し変わった。
「相沢が何かやったのか」
「やった、というほどではない」
「じゃあ、やってる途中か」
「おそらく」
凪はギターを膝に置いたまま、紫月を見る。
紫月は少しだけ眉を上げた。
「相沢の途中、だいたい面倒ですよね」
「今回は、俺も関係している」
「高澤さんも?」
高澤は頷き、タブレットをテーブルへ置いた。
画面には、相沢の個人チャンネルが開かれている。
実験音楽。
眠れる夜。
vocal 高澤廉
music 相沢涼
凪が画面を見た。
「それか」
「お前は録った時にいたな」
「ああ」
「なら話が早い」
高澤は再生ボタンを押した。
スタジオに『眠れる夜』が流れる。
静かな旋律の中に、少しだけ妙な揺れがある。その上へ高澤の声が入っていく。
凪は黙って聞いていた。
紫月も最初は何も言わなかったが、途中から声の入りを追い始めた。画面の波形を確認し、また高澤の声を聞く。
半分ほど進んだところで、高澤は再生を止めた。
「どう思う」
紫月は少し考えた。
「普通にいい曲ですね」
「普通に、か」
「でも、普通じゃない。そこが面白い」
凪が低く笑った。
「だろ」
高澤は別の音源を開いた。
「これも聞いてほしい」
流れたのは、相沢が入れた仮のガイドだった。
相沢の声なのに、いつもの歌とは違う。
入りがわずかにずれ、上がるはずの場所で届かず、その先で妙な位置へ動く。
上手い人間が下手なふりをしているようにも聞こえる。
けれど、ふざけた音ではなかった。
高澤が歌うために置かれた声だった。
紫月の目が変わった。
凪は笑わなかった。
「何回聞いても、ひどいな」
「確認のために持ってきた」
「破壊力ある」
「事実確認だ」
紫月は『眠れる夜』へ戻した。
少し聞く。
止める。
相沢のガイドを流し、また完成した曲へ戻る。
何度か繰り返したあと、紫月は椅子へ座った。
「……待って」
高澤は何も言わなかった。
紫月が画面を指す。
「これ、相沢がわざと外して入れたガイドですか」
「そう」
凪が答えた。
「録った時にも流してた」
紫月はもう一度ガイドを聞いた。
相沢の声がずれる。
次に完成版を流すと、高澤の声は曲の中へ収まる。
「これ、高澤さんが相沢のガイドをなぞると合うようになってるのか」
凪が頷いた。
「そうだよ」
紫月が凪を見る。
「知ってたのか」
「聞けば分かる」
「言えよ」
「高澤本人の前で?」
紫月は少し黙った。
「……それは言いにくいな」
「だろ」
高澤は二人を見る。
「やはり、そういう仕組みなのか」
凪が高澤へ視線を戻した。
「気づいてたの?」
「後からな」
「相沢は知らねぇだろ」
「たぶん」
紫月は画面を見たまま息を吐いた。
「相沢、かなり面倒なことしてますね」
「どの程度だ」
「普通なら、ガイドは歌う側が迷わないように入れるんです。キーや音域を合わせることはあっても、これはそれだけじゃない」
紫月は相沢の仮歌を指した。
「高澤さんが下がるところ、届かないところ、逆に上がるところまで読んで、ガイドを先にずらしてる」
「ガイドを曲げている?」
「そう。たぶん曲の方にも余白を作ってる。高澤さんの声が少しずれても、そのまま残れるように」
凪が小さく頷いた。
「高澤を直すんじゃなくて、入る場所を作ってる」
紫月は『眠れる夜』をもう一度流した。
「だから普通に曲として聞けるのに、少し変な揺れが残る。きれいに直したら、この感じも消えると思います」
高澤は黙って音を聞いた。
相沢は、直していない。
外れたものを消さず、置く場所を変えている。
「やはりそうか」
紫月が少し笑った。
「相沢、変態ですね」
凪がすぐに言った。
「変態なんだよ、相沢は」
「変態だな」
高澤は眉を寄せた。
「評価として正しいのか」
「かなり」
「天才ではなく?」
紫月が笑う。
「天才ですよ。方向が変態なだけで」
凪はギターの弦へ指を置いた。
「相沢は昔からそうだよ。普通に直した方が早くても、ズレを消さないで成立させる。そっちに場所を作る」
高澤は『眠れる夜』の画面を見る。
笑ってはいる。
面白がってもいる。
それでも相沢は、高澤の外れた声を消さなかった。
「問題はあるか」
紫月は首を横に振った。
「本人がいいなら、ないですね。相沢の個人チャンネルなら、むしろ面白い」
「一般公開に耐えるのか」
「耐えますよ。ただ、説明しすぎない方がいい」
「説明しない方がいい?」
「高澤さんの音痴ネタにすると、それだけで終わっちゃうんで」
凪も頷いた。
「実験音楽として置いといた方がいい。笑えるけど、それだけの音じゃない」
高澤はもう一度、画面を見る。
自分が笑われることは構わなかった。
だが、相沢が作ったものまで、笑いだけで終わるのは違う気がした。
「では、俺は何も言わない方がいいな」
凪が高澤を見る。
「相沢にも?」
「今は」
紫月が笑った。
「まだ高澤さんが気づいてないと思ってるんですか」
「そうらしい」
「面白いな」
凪が言った。
「お前ら、似てるよな」
高澤は凪を見る。
「似てるか?」
「似てる。片方は隠せてると思ってる。片方は気づいてないふりしてる」
紫月が笑いをこらえている。
高澤は否定しようとして、やめた。
材料が少なかった。
「高澤さん」
紫月がタブレットへ視線を戻した。
「これ、相沢に続けさせた方がいいと思いますよ」
「理由は」
「高澤さん用から始まってるけど、たぶんそれだけで終わらない。ずれた声とか、歪んだ音とか、変な余白とか。相沢本人は遊びのつもりでも、表現としてはかなり強い」
凪も頷いた。
「仕事にした瞬間、つまらなくなるやつかもしれないけどな」
「そう。だから個人チャンネルくらいがちょうどいいんです。勝手に増えて、勝手に残るくらいで」
高澤はタブレットを見る。
実験音楽。
眠れる夜。
まだ遊びなのか、作品なのかも決めきっていない場所。
「分かった」
タブレットを閉じる。
「助かった」
凪が少し笑った。
「で、高澤は次も歌うの?」
「必要なら」
紫月が目を丸くした。
「歌うんだ」
「相沢が必要と言うなら」
「高澤さん、懐広いな」
「必要だからだ」
高澤は少し考えた。
「相沢が、俺の歌えない部分を使えると言うなら、提供するだけだ」
凪が笑う。
「合理で言うなよ」
「合理だろう」
「違うと思うけどな」
紫月も笑っていた。
高澤はそれ以上説明しなかった。
スタジオを出ようとしたところで、凪が声をかけた。
「高澤」
「何だ」
「相沢には言うなよ」
「何を」
「気づいてること」
「言うつもりはない」
「しばらく泳がせるのか」
「人聞きが悪い」
「じゃあ何だよ」
高澤はドアに手をかけたまま、少し考えた。
「相沢が楽しそうだからな。そのままにしておく」
凪は何も言わなかった。
紫月も黙った。
高澤はスタジオを出た。
エレベーターへ向かう途中で、スマートフォンが震える。
相沢からだった。
《新しいやつ、仮でできた。めちゃくちゃいい曲》
続けて、もう一通。
《仮歌と歌詞、確認してほしい。次のは『眠れる夜』よりかなり難しいから、練習必要》
少し遅れて、
《屋上来れる?》
高澤は短く返した。
《行ける》
すぐに返事が来る。
《ありがとう》
高澤は画面を見て、もう一通送った。
《確認だけだ。今日はちゃんと寝る約束だ》
少し間が空いた。
《確認したら寝る》
高澤はスマートフォンをしまった。
約束としては、かなり信用できない。
エレベーターの前まで来て、高澤は足を止めた。
それから、屋上へ続く階段へ向かう。
相沢が楽しそうに作っている間くらい、知らないふりをしていてもいい。
高澤は階段を上がった。
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