12 / 12

第12話 変態なんだよ

アトラボ五階のスタジオには、凪隼人と紫月颯がいた。 凪はギターを抱えたまま椅子に座り、紫月はミキサーの横でタブレットを見ている。二人とも別件の確認で来ていたらしく、スタジオにはまだ短い作業の余韻が残っていた。 高澤廉は、ドアの前で一度だけ足を止めた。 音楽の判断は、自分の担当ではない。 だが、確認する相手は必要だった。 相沢涼に直接聞けば、おそらく説明される。説明するうちに隠すか、開き直るか。どちらにしても、今確かめたいことから少しずれる気がした。 だから、高澤は相沢ではなく二人を選んだ。 「少し時間をもらえるか」 凪が顔を上げた。 「高澤が五階に来るの、珍しいな」 「確認したい音源がある」 紫月もタブレットから目を上げる。 「仕事ですか?」 「仕事ではない」 「じゃあ、何?」 高澤は少し考えた。 「相沢の件だ」 凪の目が少し変わった。 「相沢が何かやったのか」 「やった、というほどではない」 「じゃあ、やってる途中か」 「おそらく」 凪はギターを膝に置いたまま、紫月を見る。 紫月は少しだけ眉を上げた。 「相沢の途中、だいたい面倒ですよね」 「今回は、俺も関係している」 「高澤さんも?」 高澤は頷き、タブレットをテーブルへ置いた。 画面には、相沢の個人チャンネルが開かれている。 実験音楽。 眠れる夜。 vocal 高澤廉 music 相沢涼 凪が画面を見た。 「それか」 「お前は録った時にいたな」 「ああ」 「なら話が早い」 高澤は再生ボタンを押した。 スタジオに『眠れる夜』が流れる。 静かな旋律の中に、少しだけ妙な揺れがある。その上へ高澤の声が入っていく。 凪は黙って聞いていた。 紫月も最初は何も言わなかったが、途中から声の入りを追い始めた。画面の波形を確認し、また高澤の声を聞く。 半分ほど進んだところで、高澤は再生を止めた。 「どう思う」 紫月は少し考えた。 「普通にいい曲ですね」 「普通に、か」 「でも、普通じゃない。そこが面白い」 凪が低く笑った。 「だろ」 高澤は別の音源を開いた。 「これも聞いてほしい」 流れたのは、相沢が入れた仮のガイドだった。 相沢の声なのに、いつもの歌とは違う。 入りがわずかにずれ、上がるはずの場所で届かず、その先で妙な位置へ動く。 上手い人間が下手なふりをしているようにも聞こえる。 けれど、ふざけた音ではなかった。 高澤が歌うために置かれた声だった。 紫月の目が変わった。 凪は笑わなかった。 「何回聞いても、ひどいな」 「確認のために持ってきた」 「破壊力ある」 「事実確認だ」 紫月は『眠れる夜』へ戻した。 少し聞く。 止める。 相沢のガイドを流し、また完成した曲へ戻る。 何度か繰り返したあと、紫月は椅子へ座った。 「……待って」 高澤は何も言わなかった。 紫月が画面を指す。 「これ、相沢がわざと外して入れたガイドですか」 「そう」 凪が答えた。 「録った時にも流してた」 紫月はもう一度ガイドを聞いた。 相沢の声がずれる。 次に完成版を流すと、高澤の声は曲の中へ収まる。 「これ、高澤さんが相沢のガイドをなぞると合うようになってるのか」 凪が頷いた。 「そうだよ」 紫月が凪を見る。 「知ってたのか」 「聞けば分かる」 「言えよ」 「高澤本人の前で?」 紫月は少し黙った。 「……それは言いにくいな」 「だろ」 高澤は二人を見る。 「やはり、そういう仕組みなのか」 凪が高澤へ視線を戻した。 「気づいてたの?」 「後からな」 「相沢は知らねぇだろ」 「たぶん」 紫月は画面を見たまま息を吐いた。 「相沢、かなり面倒なことしてますね」 「どの程度だ」 「普通なら、ガイドは歌う側が迷わないように入れるんです。キーや音域を合わせることはあっても、これはそれだけじゃない」 紫月は相沢の仮歌を指した。 「高澤さんが下がるところ、届かないところ、逆に上がるところまで読んで、ガイドを先にずらしてる」 「ガイドを曲げている?」 「そう。たぶん曲の方にも余白を作ってる。高澤さんの声が少しずれても、そのまま残れるように」 凪が小さく頷いた。 「高澤を直すんじゃなくて、入る場所を作ってる」 紫月は『眠れる夜』をもう一度流した。 「だから普通に曲として聞けるのに、少し変な揺れが残る。きれいに直したら、この感じも消えると思います」 高澤は黙って音を聞いた。 相沢は、直していない。 外れたものを消さず、置く場所を変えている。 「やはりそうか」 紫月が少し笑った。 「相沢、変態ですね」 凪がすぐに言った。 「変態なんだよ、相沢は」 「変態だな」 高澤は眉を寄せた。 「評価として正しいのか」 「かなり」 「天才ではなく?」 紫月が笑う。 「天才ですよ。方向が変態なだけで」 凪はギターの弦へ指を置いた。 「相沢は昔からそうだよ。普通に直した方が早くても、ズレを消さないで成立させる。そっちに場所を作る」 高澤は『眠れる夜』の画面を見る。 笑ってはいる。 面白がってもいる。 それでも相沢は、高澤の外れた声を消さなかった。 「問題はあるか」 紫月は首を横に振った。 「本人がいいなら、ないですね。相沢の個人チャンネルなら、むしろ面白い」 「一般公開に耐えるのか」 「耐えますよ。ただ、説明しすぎない方がいい」 「説明しない方がいい?」 「高澤さんの音痴ネタにすると、それだけで終わっちゃうんで」 凪も頷いた。 「実験音楽として置いといた方がいい。笑えるけど、それだけの音じゃない」 高澤はもう一度、画面を見る。 自分が笑われることは構わなかった。 だが、相沢が作ったものまで、笑いだけで終わるのは違う気がした。 「では、俺は何も言わない方がいいな」 凪が高澤を見る。 「相沢にも?」 「今は」 紫月が笑った。 「まだ高澤さんが気づいてないと思ってるんですか」 「そうらしい」 「面白いな」 凪が言った。 「お前ら、似てるよな」 高澤は凪を見る。 「似てるか?」 「似てる。片方は隠せてると思ってる。片方は気づいてないふりしてる」 紫月が笑いをこらえている。 高澤は否定しようとして、やめた。 材料が少なかった。 「高澤さん」 紫月がタブレットへ視線を戻した。 「これ、相沢に続けさせた方がいいと思いますよ」 「理由は」 「高澤さん用から始まってるけど、たぶんそれだけで終わらない。ずれた声とか、歪んだ音とか、変な余白とか。相沢本人は遊びのつもりでも、表現としてはかなり強い」 凪も頷いた。 「仕事にした瞬間、つまらなくなるやつかもしれないけどな」 「そう。だから個人チャンネルくらいがちょうどいいんです。勝手に増えて、勝手に残るくらいで」 高澤はタブレットを見る。 実験音楽。 眠れる夜。 まだ遊びなのか、作品なのかも決めきっていない場所。 「分かった」 タブレットを閉じる。 「助かった」 凪が少し笑った。 「で、高澤は次も歌うの?」 「必要なら」 紫月が目を丸くした。 「歌うんだ」 「相沢が必要と言うなら」 「高澤さん、懐広いな」 「必要だからだ」 高澤は少し考えた。 「相沢が、俺の歌えない部分を使えると言うなら、提供するだけだ」 凪が笑う。 「合理で言うなよ」 「合理だろう」 「違うと思うけどな」 紫月も笑っていた。 高澤はそれ以上説明しなかった。 スタジオを出ようとしたところで、凪が声をかけた。 「高澤」 「何だ」 「相沢には言うなよ」 「何を」 「気づいてること」 「言うつもりはない」 「しばらく泳がせるのか」 「人聞きが悪い」 「じゃあ何だよ」 高澤はドアに手をかけたまま、少し考えた。 「相沢が楽しそうだからな。そのままにしておく」 凪は何も言わなかった。 紫月も黙った。 高澤はスタジオを出た。 エレベーターへ向かう途中で、スマートフォンが震える。 相沢からだった。 《新しいやつ、仮でできた。めちゃくちゃいい曲》 続けて、もう一通。 《仮歌と歌詞、確認してほしい。次のは『眠れる夜』よりかなり難しいから、練習必要》 少し遅れて、 《屋上来れる?》 高澤は短く返した。 《行ける》 すぐに返事が来る。 《ありがとう》 高澤は画面を見て、もう一通送った。 《確認だけだ。今日はちゃんと寝る約束だ》 少し間が空いた。 《確認したら寝る》 高澤はスマートフォンをしまった。 約束としては、かなり信用できない。 エレベーターの前まで来て、高澤は足を止めた。 それから、屋上へ続く階段へ向かう。 相沢が楽しそうに作っている間くらい、知らないふりをしていてもいい。 高澤は階段を上がった。

ともだちにシェアしよう!