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第11話 歪んだ花

相沢涼の個人チャンネルには、いつの間にか「実験音楽」という再生リストができていた。 最初に置かれたのは『眠れる夜』だった。 青黒い夜の中に、小さな白い光がひとつ浮かんでいる。それが最初のサムネイルだった。 Ridgelineの楽曲でも、Aurora公式の音源でもない。相沢涼個人のチャンネルに、小さく置かれた曲だった。 再生リストの説明も短い。 《実験音楽》 それだけだった。 けれど、気まぐれに置いたにしては妙に耳へ残るらしく、コメント欄には少しずつ言葉が増えていた。 《普通にいい曲なのに、なんで実験音楽?》 《寝る前に聴くと変な夢を見る》 《これMVほしい》 相沢は最後のコメントを見て、しばらく画面を眺めた。 MVを作るつもりはない。そこまで人を巻き込むものでもないと思っている。 ただ、次の音源まで同じ白い光だけで置くのは、少し違う気がした。 その日の午後、アトラボ三階の開発フロアで、相沢はタブレットを開いていた。 立ち上げているのは音源編集ではなく、画像編集ソフトだった。 画面の中央には、花のような形がある。 最初は、ただの白い光だった。そこから線を伸ばし、輪郭を崩し、音の波形に似た形を重ねていくうちに、いつの間にか花へ近づいていた。 ただし、花と言い切るには少し違う。 花弁の端は歪み、中央には光が抜けたような穴がある。茎に見える線は途中で枝分かれし、生き物の脚にも、楽器の弦にも見えた。 相沢は花弁の一枚を削り、少し眺めてから元へ戻した。 「……違うな」 今度は別の輪郭を崩す。 「相沢さん」 背後から声がして、相沢が画面を隠すより先に青山美咲が横から覗き込んだ。 「見た?」 「見ました」 「忘れて」 「無理です」 即答だった。 相沢は諦めて、タブレットを少し美咲の方へ向ける。 「まだ途中」 「途中でそれなんですか」 美咲は画面へ顔を寄せた。 「すごい。相沢さん、どこのダンジョン制覇してこれゲットしたんですか」 「してない」 「レアドロップですよね。絶対、毒属性か闇属性ついてますよ。花なのに敵に回したら強いやつです」 「敵じゃない」 「味方なんですか」 「たぶん」 「たぶんなんだ」 美咲は近くの椅子を引き寄せ、そのまま相沢の横へ座った。 「これ、何のビジュアルですか」 「個人チャンネル用。実験音楽の」 「相沢さん一人で作ってるんですか?」 「これは俺の趣味だから」 「趣味でこれが出てくるの、逆に怖いんですけど」 そう言いながらも、美咲の目は画面から離れない。 「花に見えるけど、花じゃないですね。生き物っぽいし、音が変な方向に咲いてる感じ」 相沢の手が止まった。 「音が咲いてる?」 「はい。普通に咲くんじゃなくて、変な条件で進化した花です。水じゃなくて、バグとか余白とか夜更かしで育ったやつ」 「それ、褒めてる?」 「めちゃくちゃ褒めてます」 美咲は真顔だった。 相沢は少し笑って、もう一度画面を見る。 「じゃあ、使える?」 「使えます。むしろ使ってください。コメント欄ざわつきますよ」 「ざわつくのは困る」 「これは無理です。ざわつきます」 そこへ、色見本の束を持った風見藍が通りかかった。 会議へ向かう途中だったらしいが、美咲がすぐに呼び止める。 「藍、これ見て」 差し出されたタブレットを、藍はしばらく黙って見た。 美咲のように騒ぐことはない。花弁らしい輪郭から中央の穴、その先へ伸びる細い線まで目で追ってから、相沢へ視線を戻した。 「相沢さんが作ったんですか」 「うん。実験音楽のやつ」 藍はもう一度画面を見る。 「相沢さんの音の形ですね」 相沢の反応が少し遅れた。 「音の形?」 「きれいに整えた花じゃなくて、音が逃げた方向へ、そのまま伸びている感じがします」 美咲が勢いよく頷いた。 「分かる。正規ルートじゃないのに、ちゃんと最終形態まで行ってる感じ」 「美咲、それはたぶん別の話」 「でも合ってるよね?」 「少し合ってる」 藍が静かに笑った。 相沢は二人の言葉を聞きながら、画面へ視線を戻した。 「気持ち悪くない?」 「気持ち悪いです」 美咲は迷わなかった。 「おい」 「でも、いい気持ち悪さです。きれいなのに、よく見ると何かおかしい。だからもう一回見る」 藍も頷いた。 「整っていないのに、置き場所があります」 「置き場所?」 「歪んでいるけど、迷子ではないです」 相沢は画面の花を見た。 歪んでいるけど、迷子ではない。 高澤の声に似ていると思った。 外れているのに、なぜか耳に残る。置く場所を変えれば、曲の中へ収まる。 相沢はペンを持ち直した。 「もう少しだけ、中心ずらす」 「中心を?」 「真ん中に置くと違う」 美咲が画面を覗き込む。 「センターじゃない花」 「そう」 藍は少し考えてから言った。 「余白を残した方がいいと思います」 相沢が顔を上げる。 「余白?」 「全部を説明する形にしない方がいいです。花なのか、音なのか、生き物なのか、見る人が迷える場所を残す」 相沢は画面の端を少し削った。 輪郭が軽くなり、中央の穴の周りにもわずかな空きができる。 「あ、よくなった」 美咲が身を乗り出した。 藍も頷く。 「音が入る場所ができました」 「画像なのに?」 「画像でも、音は入ります」 藍は当然のように答えた。 美咲もすぐに頷く。 「入ります。むしろ今、入りました」 「美咲は勢いで言ってるだろ」 「勢いもデザインには必要です」 「それはそう」 相沢はもう一度、画面を眺めた。 白い光だったものは、もう別の形になっている。 花にも見える。 音にも見える。 それ以上は決めなくていい気がした。 「これ、次のサムネにする」 美咲が大きく頷く。 「絶対その方がいいです。白い光もよかったですけど、これはもう相沢さんの音です」 「俺の音?」 「はい。危険植物です」 「危険なのか」 「安全ではないです」 「寝る前に聴けるのに?」 「寝る前に聴ける危険植物です」 「意味が分からない」 「でも見たいですよね?」 相沢は画面を見る。 「見たい」 「ほら」 美咲が満足そうに身を引いた。 藍はまだ静かに画面を見ている。 「整えすぎない方がいいと思います」 今度は、相沢もすぐに頷いた。 普通にきれいにする必要はない。 中心を少しだけずらし、輪郭も一箇所だけ整えきらずに残す。 白い光だけだった再生リストに、次はこの形が加わる。 相沢はタブレットを少し遠ざけた。 画面の中で、歪んだ花が静かに開いていた。

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