11 / 12
第11話 歪んだ花
相沢涼の個人チャンネルには、いつの間にか「実験音楽」という再生リストができていた。
最初に置かれたのは『眠れる夜』だった。
青黒い夜の中に、小さな白い光がひとつ浮かんでいる。それが最初のサムネイルだった。
Ridgelineの楽曲でも、Aurora公式の音源でもない。相沢涼個人のチャンネルに、小さく置かれた曲だった。
再生リストの説明も短い。
《実験音楽》
それだけだった。
けれど、気まぐれに置いたにしては妙に耳へ残るらしく、コメント欄には少しずつ言葉が増えていた。
《普通にいい曲なのに、なんで実験音楽?》
《寝る前に聴くと変な夢を見る》
《これMVほしい》
相沢は最後のコメントを見て、しばらく画面を眺めた。
MVを作るつもりはない。そこまで人を巻き込むものでもないと思っている。
ただ、次の音源まで同じ白い光だけで置くのは、少し違う気がした。
その日の午後、アトラボ三階の開発フロアで、相沢はタブレットを開いていた。
立ち上げているのは音源編集ではなく、画像編集ソフトだった。
画面の中央には、花のような形がある。
最初は、ただの白い光だった。そこから線を伸ばし、輪郭を崩し、音の波形に似た形を重ねていくうちに、いつの間にか花へ近づいていた。
ただし、花と言い切るには少し違う。
花弁の端は歪み、中央には光が抜けたような穴がある。茎に見える線は途中で枝分かれし、生き物の脚にも、楽器の弦にも見えた。
相沢は花弁の一枚を削り、少し眺めてから元へ戻した。
「……違うな」
今度は別の輪郭を崩す。
「相沢さん」
背後から声がして、相沢が画面を隠すより先に青山美咲が横から覗き込んだ。
「見た?」
「見ました」
「忘れて」
「無理です」
即答だった。
相沢は諦めて、タブレットを少し美咲の方へ向ける。
「まだ途中」
「途中でそれなんですか」
美咲は画面へ顔を寄せた。
「すごい。相沢さん、どこのダンジョン制覇してこれゲットしたんですか」
「してない」
「レアドロップですよね。絶対、毒属性か闇属性ついてますよ。花なのに敵に回したら強いやつです」
「敵じゃない」
「味方なんですか」
「たぶん」
「たぶんなんだ」
美咲は近くの椅子を引き寄せ、そのまま相沢の横へ座った。
「これ、何のビジュアルですか」
「個人チャンネル用。実験音楽の」
「相沢さん一人で作ってるんですか?」
「これは俺の趣味だから」
「趣味でこれが出てくるの、逆に怖いんですけど」
そう言いながらも、美咲の目は画面から離れない。
「花に見えるけど、花じゃないですね。生き物っぽいし、音が変な方向に咲いてる感じ」
相沢の手が止まった。
「音が咲いてる?」
「はい。普通に咲くんじゃなくて、変な条件で進化した花です。水じゃなくて、バグとか余白とか夜更かしで育ったやつ」
「それ、褒めてる?」
「めちゃくちゃ褒めてます」
美咲は真顔だった。
相沢は少し笑って、もう一度画面を見る。
「じゃあ、使える?」
「使えます。むしろ使ってください。コメント欄ざわつきますよ」
「ざわつくのは困る」
「これは無理です。ざわつきます」
そこへ、色見本の束を持った風見藍が通りかかった。
会議へ向かう途中だったらしいが、美咲がすぐに呼び止める。
「藍、これ見て」
差し出されたタブレットを、藍はしばらく黙って見た。
美咲のように騒ぐことはない。花弁らしい輪郭から中央の穴、その先へ伸びる細い線まで目で追ってから、相沢へ視線を戻した。
「相沢さんが作ったんですか」
「うん。実験音楽のやつ」
藍はもう一度画面を見る。
「相沢さんの音の形ですね」
相沢の反応が少し遅れた。
「音の形?」
「きれいに整えた花じゃなくて、音が逃げた方向へ、そのまま伸びている感じがします」
美咲が勢いよく頷いた。
「分かる。正規ルートじゃないのに、ちゃんと最終形態まで行ってる感じ」
「美咲、それはたぶん別の話」
「でも合ってるよね?」
「少し合ってる」
藍が静かに笑った。
相沢は二人の言葉を聞きながら、画面へ視線を戻した。
「気持ち悪くない?」
「気持ち悪いです」
美咲は迷わなかった。
「おい」
「でも、いい気持ち悪さです。きれいなのに、よく見ると何かおかしい。だからもう一回見る」
藍も頷いた。
「整っていないのに、置き場所があります」
「置き場所?」
「歪んでいるけど、迷子ではないです」
相沢は画面の花を見た。
歪んでいるけど、迷子ではない。
高澤の声に似ていると思った。
外れているのに、なぜか耳に残る。置く場所を変えれば、曲の中へ収まる。
相沢はペンを持ち直した。
「もう少しだけ、中心ずらす」
「中心を?」
「真ん中に置くと違う」
美咲が画面を覗き込む。
「センターじゃない花」
「そう」
藍は少し考えてから言った。
「余白を残した方がいいと思います」
相沢が顔を上げる。
「余白?」
「全部を説明する形にしない方がいいです。花なのか、音なのか、生き物なのか、見る人が迷える場所を残す」
相沢は画面の端を少し削った。
輪郭が軽くなり、中央の穴の周りにもわずかな空きができる。
「あ、よくなった」
美咲が身を乗り出した。
藍も頷く。
「音が入る場所ができました」
「画像なのに?」
「画像でも、音は入ります」
藍は当然のように答えた。
美咲もすぐに頷く。
「入ります。むしろ今、入りました」
「美咲は勢いで言ってるだろ」
「勢いもデザインには必要です」
「それはそう」
相沢はもう一度、画面を眺めた。
白い光だったものは、もう別の形になっている。
花にも見える。
音にも見える。
それ以上は決めなくていい気がした。
「これ、次のサムネにする」
美咲が大きく頷く。
「絶対その方がいいです。白い光もよかったですけど、これはもう相沢さんの音です」
「俺の音?」
「はい。危険植物です」
「危険なのか」
「安全ではないです」
「寝る前に聴けるのに?」
「寝る前に聴ける危険植物です」
「意味が分からない」
「でも見たいですよね?」
相沢は画面を見る。
「見たい」
「ほら」
美咲が満足そうに身を引いた。
藍はまだ静かに画面を見ている。
「整えすぎない方がいいと思います」
今度は、相沢もすぐに頷いた。
普通にきれいにする必要はない。
中心を少しだけずらし、輪郭も一箇所だけ整えきらずに残す。
白い光だけだった再生リストに、次はこの形が加わる。
相沢はタブレットを少し遠ざけた。
画面の中で、歪んだ花が静かに開いていた。
ともだちにシェアしよう!

