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第10話 パズル

相沢涼は、仕事をしていた。 少なくとも本人は、そのつもりだった。 アトラボ三階の開発フロアには、午後の光が入っている。ゲーム開発の席では桧山絢斗が画面を睨み、デザイン側では青山美咲がタブレットを抱えたまま誰かと話していた。共有テーブルには資料とタブレットが並び、飲みかけの炭酸水が置き去りにされている。 相沢は自分の席で、イヤホンを片耳だけ入れていた。 画面に表示されている波形は、高澤廉の声のものではない。 高澤の外れ方を想定して、相沢が入れた仮のガイドだった。完成版には残らない、歌う位置を示すためだけの声だ。 普通の楽曲制作なら、仮歌は完成形に近い方がいい。歌う人間が迷わないように、音程もリズムも分かりやすく置く。 今回の曲も、それ自体を壊しているわけではない。高澤が出せる音域の中で、普通に成立するメロディーを作っている。 ただ、高澤が少しずれても崩れない余白を残していた。 難しいのは、ガイドの方だった。 ここでは少し遅れる。次は上がりきらず、そのあと、なぜか余計に上がる。 相沢は録音を戻し、仮歌の位置を少しだけ動かした。 「……そこじゃない」 もう一度再生しても、まだ違う。 高澤が上がりきらないなら、その先を少し変える。次の語尾で上がるなら、そこへ入れる場所を作る。 普通のガイドでは合わない。 だから、先に少しだけ曲げる。 もう一度流すと、今度はさっきより近かった。 相沢の目が少し細くなる。 「相沢さん」 背後から声がした。 相沢はイヤホンを外さずに返事をした。 「何」 「何、じゃないですよ。最近こそこそ何してるんですか」 少し離れた席から、桧山絢斗がこちらを見ていた。手元のタブレットにはゲーム側の進行表が開かれている。 「仕事」 「それ、ゲームの音ですか」 「違う」 「じゃあ仕事じゃないですよね」 「仕事はしてる」 「今してないですよね」 相沢は少し考えた。 「今は、プライベート」 「開発フロアで堂々とプライベートしないでください」 「堂々とはしてない。片耳だし」 「そういう問題じゃないです」 桧山は椅子を引いて立ち上がり、相沢の席まで来た。 画面を覗き込もうとすると、相沢がノートPCの角度を少し変える。 「隠した」 「隠してない」 「隠しましたよね」 「見ても分からない」 「分からないものを会社の席でやらないでください」 相沢はイヤホンを外した。 「桧山」 「はい」 「ゲームのバグ直す時って、面白いだろ」 桧山の眉が動いた。 「内容によります」 「原因不明で、再現条件が分からなくて、でもどこかに規則があるやつ」 「最悪ですね」 「でも、見つけたら気持ちいいだろ」 桧山は黙った。 相沢は画面へ視線を戻した。 「これ、それに近い」 「何がですか」 「高澤の歌」 桧山の動きが止まった。 「……高澤さんの歌を、バグ扱いしてるんですか」 「違う」 「今、かなりそう聞こえました」 「バグじゃない。仕様」 「もっとひどいです」 相沢は笑った。 「でも、規則がある」 「歌にですか」 「ある。毎回同じじゃないけど、癖はある。そこから逆算してガイドを作ると合う」 桧山はしばらく画面を見ていた。 「……それ、普通はやらないやつですよね」 「うん」 「なんでやってるんですか」 「面白いから」 「ですよね」 桧山は深く息を吐いた。 「仕事してください」 「してる」 「今のはしてないです」 「あとでやる」 「相沢さんのあとでは信用できません」 桧山は自分の席へ戻っていった。 相沢はイヤホンを戻し、仮歌をもう一度流した。 本来より少し早く入る声を聞きながら、高澤ならここで遅れる、と考える。その分だけ先に置けば、普通に聞くと少し変でも、高澤がなぞった時には狙った位置へ届く。 「……いいな」 「何がいいんだ」 すぐ横から声がした。 相沢は顔を上げた。 高澤が立っている。手には紙の資料を持ち、ジャケットも着たままだった。 「会議じゃないの」 「五分ある」 「五分で何を」 「相沢の様子を見る」 「俺の様子?」 「仕事をしている顔じゃないな」 「仕事はしてる」 高澤は桧山を見る。 桧山は無言で首を横に振った。 相沢は少しだけ眉を寄せた。 高澤は隣に立ち、画面を見る。波形だけでは何をしているのか分からないはずなのに、しばらくそのまま見ていた。 「また俺用か」 「うん」 「早いな」 「まだ途中」 「この前、アップテンポと言ってたな」 「そう」 「俺に歌えるのか」 「歌えるようにする」 高澤の眉がわずかに寄った。 「相沢」 「何」 「ハマりすぎだろ。仕事しろ」 「仕事はしてる。プライベートでやってるだけだ」 「勤務中にか」 「休憩時間と、待ち時間と、夜」 「夜は寝ろ」 「努力する」 「努力ではなく睡眠をしろ」 相沢は画面の一点を指した。 「ここが難しい」 「俺には分からない」 「ここで入りが少し遅れる」 「そうなのか」 「たぶん」 「たぶん?」 「高澤なら、たぶん」 高澤は画面から相沢へ視線を移した。 「まだ俺は歌ってないぞ」 「うん」 「なのに分かるのか」 「この前の録音で、かなり分かってきた」 「それは喜ぶべきことなのか」 「俺は嬉しい」 「俺は判断に困る」 相沢は少し笑った。 本人の前で歌の癖を予測するのは、普通ならかなり失礼なことをしている気もする。それでも、高澤は怒らず、画面からも離れなかった。 「そんなに面白いのか」 「うん」 「ややこしいだろ」 「それがいい」 思ったより素直に言葉が出た。 「パズルやってるみたいで」 高澤の視線が少し動く。 「パズル」 「普通にガイド入れるより、ずっと面倒なんだよ。こっちをずらすと、そっちが崩れる。ここを合わせると、次が変になる。でも、全部が噛み合うところがある」 「俺の歌は、かなり迷惑なパズルだな」 「難易度高い」 「褒めていないな」 「褒めてる」 「どこがだ」 「簡単だったら、こんなに面白くない」 高澤は何も言わなかった。 相沢も、それ以上は足さなかった。 少しして、高澤がモニターへ視線を戻す。 「他の人間が歌ったらどうなる」 相沢の手が止まった。 正しいメロディーはある。けれど、画面にあるガイドは高澤用だった。 高澤の癖を見越して先に道をずらしているため、普通に音程を取れる人間がそのままなぞれば、逆に外れる。 そこまで説明すれば、仕組みはほとんど伝わる。 相沢は画面を見たまま答えた。 「たぶん、合わない」 「なぜだ」 「高澤用だから」 「説明になっていない」 「歌ったら分かる」 「またそれか」 「うん」 「俺は毎回、説明前に歌わされるのか」 「その方が早い」 高澤はしばらく相沢を見ていたが、相沢は何も足さなかった。 「つまり、俺専用ということか」 「うん」 「仕事にはなりにくいな」 「個人チャンネルだし」 「それでもやるのか」 相沢は画面を見る。 波形には、自分の仮歌が表示されている。まだ高澤は歌っていない。それでも、どこへ声が入るのかは少しずつ見えてきていた。 「やる」 「そうか」 「面白いから」 高澤は資料を持ち直した。 「ならいい」 「いいの?」 「俺用なんだろ」 「うん」 「俺の確認が必要なら、声は出す」 相沢は高澤を見る。 「ほんとに?」 「前にも言った」 「でも、また分かりにくいぞ」 「知ってる」 「今度はアップテンポ」 「聞いた」 「たぶん、前より難しい」 「それは困る」 「困るけど、面白い」 「相沢」 「ごめん」 高澤は息を吐いた。 「完成したら聞かせろ」 「歌う?」 「必要なら」 相沢は頷いた。 「必要」 「そうか」 高澤は会議室の方へ歩き出した。 数歩進んで、立ち止まる。 「相沢」 「何?」 「夜は寝ろ」 「分かった」 「分かっていない返事だ」 「努力する」 「それも信用できない」 高澤はそのまま開発フロアを出ていった。 相沢はしばらく背中を見送った。 怒らなかったし、必要なら声も出すと言った。 高澤の歌い方をどこまで分析しているのか、その細かい仕組みまでは知られていないはずだ。 相沢はそう思うことにして、イヤホンを入れ直した。 仮曲に乗せた自分の声を聞きながら、高澤なら少し遅れる場所を探す。入りを前へずらしてみると違う。戻して、今度は別の場所の語尾を変え、高澤が迷わず入れる隙間を残す。 もう一度再生すると、さっきより近かった。 相沢は椅子の背へ身体を預けた。 楽しい。 仕事ではない。Ridgelineの曲でもなく、利益になるかどうかも分からない。 それでも、もう一度聞きたくなる。 相沢は仮歌の入りをほんの少しだけ前へ動かした。 今度は消さなかった。 パズルのピースが、一つ嵌まった。

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