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長い睫毛の先に、まるで海で反射した光の破片が踊っているみたいだ。シュウは前髪が長めだが、伏し目がちになると瞼を刺繍のように埋める美しい睫毛が目立つ。
──なんか……シュウって、……。
真汐は次に続く言葉を探す。イマドキの言葉なら、イケメンとか、ビジュがいい、とか言うのかもしれないけれど、通った鼻筋や薄くて形のいい唇、ちょうどよく尖った顎につながる潔い輪郭などが完璧に集まったシュウの顔を見ていると。
──美人、だよな、ずっと。
彼のスピリットアニマルは、オオワシだと聞いた。真汐には見えないので、オオワシを図鑑で何度も調べた。白い頭、艶やかな焦げ茶色の毛並みに覆われた逞しい体躯に、鋭い眼光が印象的な鳥だった。
センチネルではない真汐には、きっと一生見ることができないのだろう。けれど、オオワシを従えるシュウはさぞ様になっているに違いない。
「なに」
「エッな、なんでもないよ」
「いるか?」
ほら、とシュウは食べていたグラタンの皿を、鍋敷きごとこちらに押してよこした。この店の看板メニューである、たっぷりベーコンとほうれん草のグラタンだ。シュウのお気に入りで、東京からここ、尾 洗 に帰ってくるたびにこの店で注文している。
「じゃあ、こっちも」
真汐は代わりに自分のパスタを彼に勧める。お互いの物を交換しあい、うん、美味いな、と頷くのはいつものことだ。
シュウの物を食べる所作はいつでも丁寧で礼儀正しい。そういえば施設に来た時から彼は他の子どもたちとどこか居住まいが違った。
『マナーに厳しい親だった気がする、なんとなく』
とシュウが言っていたことがある。亡くなった親のことを思い出す彼の目はいつもさみしそうで優しそうで。「厳しい」という言葉よりもその裏側に含まれた温かみに、真汐は胸がぎゅっとなったのを覚えている。
シュウより真汐のほうが三つほど年上だけれど、行儀よく見える食べ方は彼に教わった。
持ち手がターコイズブルーの洒落たフォークとスプーンを品よく使いながら、シュウがきのことゆずのパスタを口に運ぶ。いつも通りの、丁寧で上品な彼の仕草。
「ついてる」
視線が合い、すぐ甘やかに細められた。見つめていた気恥しさを誤魔化すように、真汐はナプキンで口元を拭う。
「そっちじゃなくて」
こっち、とシュウが彼自身の右の顎をつつく。真汐は反対側を慌てて拭った。目じりを緩め、シュウが微笑む。真汐に対して世話焼きな一面はいつも通りだ。
けれど。
「仕事、忙しい?」
真汐はシュウにグラタン皿を戻しながら問う。シュウは形のいい目を綺麗に見開いて、
「なんで?」
と問い返してきた。
オーシャンビュー、というと聞こえがいいが、ここは田舎の港町である尾洗にできた砂漠のオアシスみたいなショッピングモールだ。ヨーロッパ風を気取ったぶち抜きの飾り窓から見える海は確かに美しいけれど、この町に住む真汐にとって海は特別珍しいものではない。尾洗は観光客がたくさん訪れる場所でもないので、窓辺の席でも海を眺めている客は少なかった。
真汐は誤魔化すようにいよいよ冬らしくなってきた灰色の海に視線をやり、なんとなく、と口にする。
「いつもより、元気ない気がして」
シュウは東京で警察官として働いている。それも、ガイドとしての能力を活かして。
「……、真汐にはお見通しか」
ばつが悪そうにシュウはため息をついた。背もたれに体重を預け、目の奥の痛みに堪えるように眉間に皴を寄せている。
施設の職員として住み込みで働いている真汐には想像もつかない世界で、シュウは頑張っているのだ。忙しいかと聞いたところで、答えをもらっても真汐には何もできない。フォークを握る指に知らずと力が籠った。
──俺はシュウに気にかけてもらってばっかりで、全然何も返せないな……。
「シュウ、そんなに忙しいなら、頻繁にこっちに来なくても……」
「それとこれとは別だろ」
強めに遮られる。拗ねたような目でにらまれ、真汐は言葉を引っ込めた。
シュウは警察学校の異能犯罪特別捜査官養成部門という特殊な科に通い始めた十八歳の頃から、東京で暮らしている。
異能犯罪特別捜査官とは、センチネルやガイドといった特殊能力を持つ文字通り異能者による犯罪を取り締まる捜査官だ。センチネルは普通の人間──ミュートと呼ぶ──と比較して五感が発達しているという特徴を持つ。そのため、彼らの能力が上がれば上がるほど、近年の犯罪もまたどんどん過激に複雑になっている。
つまり、特殊な能力で行われる犯罪には、特殊な能力を持った捜査官が対処に当たるのが合理的として設立されたのが、異能犯罪特別対策室EXAS──“Extra Ability of Sentinel”、およびその養成科だった。
シュウはその一期生として入学し、卒業、今年度から新米の捜査官として働いているため、忙しいに違いない。なのに彼は、一か月に一回は出身施設のあるこの港町、尾洗に戻って来てくれていた。真汐としては会えるのは嬉しいけれど、貴重な休みにわざわざ、と思わなくも無いのだが。
「物理的な忙しさは、いつも通りだ」
「そっか」
「でも……」
再びグラタンをすくい、しかし口に運ばずシュウは言葉を探している。
「いや、なんでもない」
「……」
苦笑したシュウは、冷めちまうぞ、と真汐のパスタを目で指してからグラタンを頬張る。うん、と答え、真汐も手元に視線を落とした。
──やっぱり、
自分では、シュウの役に立てない。
そんな風に思いたくないのに、真汐の胸の中に冷たい泥のような感情がじわりと染み広がる。
いつもそうだ、シュウは賢くて運動神経もよくて、警察学校にも特待生で合格した。漫画やゲームに出てくる天才肌、みたいなものではなく、シュウはどちらかというと努力の人だった。難しい宿題が出たら、図書館で何時間も積み上げた本と格闘していたし、球技大会が近づいたら夜遅くまでサーブの練習をしていた。真汐は子どもの頃から彼を全部、傍で見てきた。
そんなシュウが思い悩むようなこととは、なんだろう。東京での生活も、異能者として犯罪者を追い詰める仕事も、真汐には全く想像がつかない。
「行くか」
食べ終わって一息ついたころシュウが立ち上がり、椅子に掛けていたMA1を羽織る。真汐もコートに袖を通した。
三連休の中日だからか、ショッピングモールは全体的ににぎわっていた。いつもはガラガラなレストランにも列ができている。吹き抜けになっている一階のホールには人だかりがあり、何やらステージみたいなものも見えた。
「っ……!」
「真汐、大丈夫か」
ジャン! と鳴り始めた楽器の音が、破裂したみたいに溢れる。咄嗟に耳を押さえた真汐の肩をシュウが掴んだ。
「平気、驚いただけだから」
真汐はゆっくりと耳元から手を離す。勇ましい曲だからか入りが激しかったようだが、次第に穏やかなメロディに落ち着いていく。
真汐は昔から大きな音が苦手で、特に突然鳴らされるのがてきめんにダメだった。頭を殴られたみたいにぐらぐらして、平衡感覚が無くなるのだ。目をしばたたくと、踏ん張っている自分のスニーカーの足先がしっかり見える。今はめまいなどもなさそうだ。
「近くの高校の吹奏楽部らしい」
離れる方に真汐を誘導しながらシュウが言った。
ステージから遠ざかる間、シュウはずっと真汐の肩を抱いて支えてくれていた。すれ違う女子高校生たちが、わあ、かっこいい、と足を止めて囁く声が聞こえる。真汐が音に敏感なのは、耳がいいせいだ。あまり役に立つことはないが、今日もそんなシュウに対する無邪気な賛辞の言葉を聞いてしまい、居心地が悪い。
「この辺までくれば、大丈夫か?」
フロアの端の方で足を止め、シュウのほうがホッとした顔をする。真剣に真汐を覗き込み、
「しんどくないか?」
と聞いてくれた。青みのつよい目に見つめられて、真汐はつい反らしたくなってしまう。
──む、昔はそんなことなかったのになあ。
誤魔化すように苦笑する。いつからだろう、彼と真正面で向き合うのが恥ずかしくなってしまったのは。きっと、彼の顔が整いすぎているせいだと真汐は思っている。
「大丈夫だよ、相変わらずシュウは心配性だなあ」
フン、と彼は否定することなく真っ直ぐに立った。
いつもそうだ。シュウは真汐のことをずっと気にかけてくれる。なんでも素早くこなせるシュウと違って、真汐は苦手なことが多い。運動会のピストルや工事現場なんかがてきめんにだめだった。そのたびにシュウは、『真汐、大丈夫か』と声をかけてくれた。耳を押さえて動けなくなる真汐の背中をさすってくれたし、雷の夜は一緒に布団にもぐってくれた。
三つも年が離れているのに、まるでシュウのほうが兄みたいだ。
──俺も、シュウが困ってるなら……何かできること、ないのかなあ。
仕事の悩みなんて、真汐にどうこうできるはずがない。わかっていても、そう思ってしまう。
その時。
『……けて、ッか、……めが、……!』
『……、ま、……まま!』
「?」
真汐は辺りを見渡す。
「どうした」
「今、声が」
どちらから聞こえたかわからないほどの、微かなものだった。けれど人が生む喧噪やモールのBGMを裂いて、細く一筋、確かに耳の奥に届いた。
ただの声なら、真汐も気に留めなかっただろう。けれど、頭のどこかで赤いランプが点滅するような嫌な感じがあった。
『……っ! おねがい、ッ……誰か、』
「また聞こえた」
真汐はつい走り出す。おい! と慌てるシュウを振り切って、人込みをかき分けた。エントランスの方からではない。反対側のエリアから聞こえる。細い連絡通路を過ぎると、インフォメーションセンターが見えた。
「お願い、娘がいないんです、探してください、探してください!」
声の一つは、若い母親だった。案内スタッフの腕を掴んで、カウンターに身を乗り出し叫ぶように声を張り上げている。真汐は耳の奥をキンと突かれるような痛みに耐えながら駆け寄った。
「お客様、お、落ち着いてください!」
警備員たちがなんとか女性をなだめようとしている。
「お願いです、早く探して、探してください!」
「お母さん、どうか冷静に、今館内放送をしますし、警備室にも連絡してますから」
何事かと足を止めてスマートフォンを構えている不躾な人たちの垣を押しのけ、真汐は若い母親に近づく。髪を振り乱し、彼女は必死に訴えていた。
「見ず知らずの人と一緒にどこかへ行く子じゃないんです、ぜったい、無理やり、無理やり連れていかれたんだと思うんです、館内放送なんて意味ない、入り口を閉鎖して、お願いします!」
「いや、でも」
おろおろしているスタッフは、助けを求めるように警備員の方を見る。だが年配の男は、本部には連絡しています、と困り顔だ。
「すみません、通りすがりですが、」
シュウが前に出て、ボディバッグから警察手帳を少しだけのぞかせる。ハッとしたスタッフと警備員が、こちらの方が、と母親を示した。彼女は今度はシュウに縋りつくと、娘がいないんです、と繰り返した。
「それは何分前ですか。状況を教えてください」
「ほんの、十五分くらいです……ッ、トイレに、行きたいっていうから一緒に行きました、我慢できないって、私の方があとで、待ってて、って言ったのに、外に居なくてッ……」
真汐は、お母さん、と彼女の背中を撫でる。
「お子さんの名前と、あと、何歳くらいですか。自分で助けを求められますか?」
「はい、エリカです、六歳で、はい、しっかりした子で、」
「お母さんのことは、ママと呼んでますか?」
「はい、そうです、はい」
真汐は、待っててください、と彼女の目を見て言ってから来た道を戻る。
「おい、真汐!」
追ってくるシュウの慌てた声に、
「さっきなんか、聞こえた気がしたんだ!」
と返した。
二つのエリアを繋ぐ通路を再び走り抜ける。女子トイレの外で並んでいる人たちが、不思議そうに真汐を見ている。
──さっき、聞こえたのは……!
母親の声と同じ方向からだった気がする。通路は狭く、トイレを待つ人たちでごった返していた。
「エリカちゃん! エリカちゃん聞こえる!?」
真汐は大声を出した。ぎょっとした人たちが迷惑そうに顔を顰めるが気にせずに呼び続ける。
「エリカちゃん!」
『……、ッ、……!』
──聞こえた!
近い。
「真汐!」
「シュウ、何か聞こえない!?」
シュウは首を振った。
真汐は耳を澄ませる。喧騒が五月蠅い。子どものはしゃぐ声や、館内放送でエリカを呼ぶ音、遠くの吹奏楽部の演奏など、ありとあらゆる音が溢れて、真汐の脳みそに殺到してくる。
けれど。
──聞こえた、さっき聞こえたんだ……!
まま、という声が。ただの声ではない、あれは悲鳴だった。助けを呼ぶ声だった。
『……めて……』
目を見開く。
女の子の声だ。
真汐は視線を走らせる。ショッピングモール内は広いうえに混雑していて、エリカの見た目も知らないのに探せるのかと不安が足先から忍び寄ってくる。けれど。
『……まま、』
──やっぱり聞こえる!
真汐はあたりを見わたしながら必死に声の主を探す。不思議そうに真汐を見ている客たちを掻き分け、立ち並ぶ店のほうへ。子供服の店の前を通ると。
「帰ろうよッ……!」
「いうこときけ! なんでも買ってやるって言ってるだろ!」
「やだ、ママのところに帰りたい!」
ずっと聞こえていた声と同じだ。
店内の奥のほう、男性が女の子の肩を抱いているが、彼女は嫌そうに身をよじっている。
「エリカちゃん!」
真汐の声に泣きそうな顔でこちらを見た女の子が、腕を振りほどこうとさらに激しく身を捩った。男から逃れてこちらに走ってくるのを抱きとめる。
「なんだお前ェっ」
唸り声をあげながら男が突進してくる。真汐はエリカを抱き締めて男に背を向けた。
──ぶつかるッ……!
せめてエリカは守りたいと歯を食いしばった。
が。
「シュウ!」
足音に顔を上げると、シュウが駆けてきて男と真汐を結ぶ線上に立つ。そして、流れるようにシュウが身をかがめたら次の瞬間にはもう男の巨体が宙を舞って通路のほうに吹っ飛んでいた。真汐の目には何がどうなったか全然わからない早業だった。
だが男は分厚い脂肪に守られたのか、立ち上がってすぐさま逃げようとする。
「シロ!」
『……ピュイッ』
シュウの声とともに突風が駆け抜ける。目に見えない風の塊は、しかし逃げた男の頭を後ろから打ったらしい。男は突然糸を切られた操り人形のようにその場に崩れ落ちた。
真汐は、
「エリカちゃん」
と足にしがみついていた女の子に声をかける。彼女は不安そうに顔を上げた。
「もう大丈夫だよ、ママに頼まれて、探しに来たんだ」
母親の声に、彼女は弾かれたように駆けだす。ママー! と女の子は泣きじゃくりながらも母の胸に飛び込んだ。
「離せよ! 俺の娘だっつってんだろ!」
シュウに押さえつけられた男が掠れた声で喚いている。母親がハッとした顔をしたあと、目を逸らすように俯いた。
──とりあえず、よかったあ……。
事情がどうあれ、もう自分の出る幕はない。パパ、どうなっちゃうの、という声が聞こえたが、真汐は後ろ髪ひかれつつもその場から離れる。
シュウを探すと、彼は先ほどの男を警察官に引き渡している最中だった。
「……!」
途端、真汐の耳に飛び込んできたのはパトカーのサイレンが混ざった濁流のような音だった。文字通り川に呑み込まれたかのように平衡感覚が無くなり、思わずよろめいて壁に肩からぶつかる。
「真汐……っ」
駆け寄ってきたシュウが、心配そうに身体を支えてくれる。
「大丈夫か? どうした?」
「急になんか、サイレンが、……」
パトカーや救急車のサイレンなどにはもう慣れていたので、こんな風になるのは久しぶりだった。ずるずるしゃがみこむ真汐を、シュウは両腕で抱きとめるように補助してくれた。頭が割れそうに痛い。ハンマーでノックされてるみたいだ。
──せっかく、役に立てたのに……。
「大丈夫だ、俺がいる」
柔らかなシュウの声が、音に濁った耳の中を柔らかな風のように通り抜けていく。ふわりと散るように、真汐は気絶した。
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