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「レイタント?」
真汐は、医師の言葉を反復した。
「はい。レイタントとは、覚醒をしていないセンチネルを指します。あなたはセンチネルだったようです。何らかの要因で今まで覚醒せず、何らかの要因で今回覚醒したといえますね。要因には個人差があり、また精神的な話になってきますので、病院の検査などで特定できるものではありません」
流暢に説明されたが、レイタントという言葉くらいはもちろん知っていた。学校で当たり前のように習う。
──未覚醒の、センチネル……。俺が?
本来、センチネルやガイドとして覚醒するのは第二次性徴前後と言われている。シュウも確か十代前半で判明したはず。しかし、真汐は今年で二十七歳だ。
──信じられない……。
どれだけ信じられなくても、渡された検査結果の数値は間違いなく事実がそうだと記されている。思念波の強度、感応度、ホルモン値など、真汐にはわからない専門的な単語と数字が並んでいるが、横にグラフでミュートとセンチネルの分布の違いが示されているので非常にわかりやすい。真汐の数値は、全てセンチネルの領域にあることをはっきりと表していた。
恐る恐る、付き添いで隣に居てくれているシュウを見遣る。彼は難しい顔で真汐の検査結果を睨んでいた。
今の時点で体調不良などがない場合は今日は特に投薬なども必要ないと言われた。その後、会計を終えてからセンチネル専用の窓口を案内されたので向かう。
「七 瀬 真 汐 さん」
「はい!」
名前を呼ばれ、緊張しながらカウンターに近づく。
「覚醒した場合、センチネルとして自治体に登録が必要です。こちらの資料と、あとこちら」
スタッフは封筒を差し出す。真汐はやけに重く感じる手を持ち上げ、なんとかそれを受け取った。
実感がわかないというと妙なのだが、なんだか夢の中の話のようでぼんやりしてしまう。
「認定医療機関の報告書が必要なので、それがこちらです。この書類にご記入いただき、一週間以内に保健所にご登録ください。詳しいことはそちらで教えてもらえると思いますが、現在のお仕事は?」
「えっと、児童福祉施設のスタッフをしています」
髪をきっちりまとめあげたスタッフは、そうですか、と機械的に言い、パソコンのキーを叩く。市役所や銀行にあるようなパネル越しに、真汐はやはり他人事のように説明を聞く。
「センチネルの場合、特別な職業あっせんのシステムもあります。そちらのご案内もパンフレットを入れておきますね。また、ガイドが必要になるかと思うのですが、個人的にそういった面で頼れるお知り合いは?」
──そういった面、てどういった面なんだろ……。
頭の中に知識はある。
ガイドとは異能者に含まれ、センチネルの調整役とでもいえばいいのか、ゲームなどで言うなら回復役だ。センチネルは、その能力を使用することによって精神的肉体的に摩耗する。その状態を、ガイドだけが癒すことができる。
と、言われている。具体的にどういうものかなんて、真汐にはわからない。
けれど。
斜め後ろを振り返る。シュウの青みがかった黒い瞳と目が合う。彼は真剣な顔でゆっくり頷いた。
シュウは、ガイドだ。
「知り合いには、います」
真汐の声に乗った不安を理解したのか、スタッフは、そうですか、と再び淡々と言ったあと、
「もし公共のガイド斡旋プログラムをご利用になる場合こちらをごらんください」
と別のパンフレットを追加する。
「また、レイタントは国内でも非常にレアなケースです。研究機関から個別に連絡がゆくかもしれませんが、それに関しての説明も先にこちらを読んでおいてください」
さらに追加。資料を入れる不織布の手提げが、真汐の戸惑いと比例してどんどん膨らんでいった。
「何かご不明点がございましたら、センチネル専用のホットラインがこちらです。体調の急変や、ゾーン発生など緊急の場合に関しては通常と同じように救急車を呼んでいただいて問題ありませんが、対処として素早いのはこちらにかけていただくか、この病院の緊急窓口にお越しいただくほうがスムーズかと」
「わかり、ました」
「今の時点でご質問はございますでしょうか」
「ありません」
わからないことがわからないくらいには、いろいろとわからない。
では、と袋を渡される。受け取ったそれは実際にずっしりと重くて、胸の真ん中までその重みが迫ってくるようだった。
「帰るぞ」
シュウは真汐の手から手提げをさっと掴み取り、歩き出す。真汐もスタッフに頭を下げて、彼の後を追った。
「自分で持つよ」
「いいから」
エントランスを潜り抜ければ、夕方ならではの冷たい風がぶわっと吹き付けてくる。いつの間にか海にも空にも橙が染みていて、海岸沿いの遊歩道を歩く人たちがコートをかき寄せたり髪を押さえたりしていた。
真汐もコートの前を慌てて留める。
「いないな」
シュウがタクシー乗り場を見たのがわかったので、真汐は、
「バスで大丈夫だよ」
と隣に並んだ。
「でも、お前ひっくり返ってすぐだろ」
「もうなんともないってば」
それに、と続ける。
「なんとなく、歩きたい気分なんだ」
シュウはタクシー乗り場から視線をはずし、真汐のように海を見た。特に美しいだとか、浜辺が整っているとかでもないので、海水浴もしづらい海岸線が広がっている。漁港は少し離れたところにあって賑わっているけれど、観光産業として海がものすごくうりになっているという町でもない。
所によっては海岸線ぎりぎりまで山が迫りだしているし、自殺の名所、と呼ばれるような不穏な崖もある。さっきまでいたショッピングモールくらいしか賑やかな場所はないけれど、真汐はこの町と海が好きだった。
ゆらゆらと夕日の橙をにじませている水平線を見ているだけで、重たかった胸の真ん中に風が少しずつ通る心地がする。
「びっくりしたな、俺が、センチネルだなんて……」
「きっかけに思い当たる節はないのか。最近なんか、体調に変化は?」
「んー、ない、かも」
並んで歩きながら、真汐はここ数日のことを思い出す。シュウが帰ってくるのを楽しみにしていたことくらいしか、感情が思い出せない。施設の子どもたちは相変わらずだし、特にトラブルも最近は起こっていない。スタッフの皆は真汐やシュウが施設に暮らしていた頃からほとんど入れ替わっていないから、ずっと親戚みたいな感覚だ。
──強いて言えば……。
シュウの役に立ちたいと強く思ったこと、くらい。
「ん?」
「うん、なんでもないよ。ほんとに、急にだった」
誤魔化す。
優秀なシュウが、自分に言えない仕事の悩みを抱えていたとして。凡庸な真汐が、何か彼の役に立てるはずがないのに、浅はかにそう思ってしまったことが恥ずかしい。絶対に言えない。
シュウの艶やかな黒髪も、海風になびいている。
「や、でも、なんか現実味、わかないな。俺がセンチネルって、その、ピンとこないっていうか……」
自分の言葉が、ぺらぺらの紙みたいに宙をさ迷って消えていくようだ。
「昔から俺って、なんていうか、シュウと違って平凡っていうのかな。全部普通じゃん。なのに、センチネルって、人口の五パーセントくらいしかいないんだよな?」
「別に、おかしくない。真汐は元から耳や目がいいだろ」
優しくだがきっぱりとそう言われ、頬が熱くなる。
「それは、そうだけど」
真汐は指で頬を掻いた。昔から変わらない。シュウは、俺なんて、とすぐに自分を卑下してしまう真汐に対して、そんなこと言うなと怒ったり叱ったりしない。けれど、とても当たり前のことのように真汐が落ち込まずに済むように、そっと留めるような言葉をくれるのだ。
「その、シュウの職場にもいる? レイタントだったって人」
「いや……どうだろう。俺の知る限りはいない」
「そっか」
そもそもセンチネルの人口は少ないのに、さらにそこからレイタントとなると非常に珍しいに違いない。やはり、そんなレアなケースに自分が当てはまるというのが不思議だった。
真汐は、自分でも言ったように本当に平凡に生きてきた。幼いころに両親と死別し、児童福祉施設に預けられたのはもしかしたら少しだけ珍しい境遇かもしれない。が、それ以外特筆するような変わったことは、自分自身にも人生にも起きていない。
成績もいつも真ん中か、得意な科目だけ上位というくらいだし、スポーツは、水泳はほんの少し人よりできるがボール競技全般が苦手。
高校卒業間際の進路に悩んでいたところ、施設の先生方が、もしよかったらこのままうちで働いたら? と言ってくれた。その言葉に甘えて、少しでも役に立てるのならと職員側に回ったのが八、九年くらい前のことだ。警察学校の異能犯罪特別捜査官養成科に特待生で合格したシュウとは大違いである。
「俺にも、センチネル、として役立てる、仕事とか、あるのかな」
「……そんなこと、考えなくたっていいだろ、真汐は今でも十分子どもに好かれて、役に立ってんだから」
柔らかい拒絶に感じて、胸の奥がツキンと痛む。
真汐は半歩前を歩くシュウの横顔を盗み見た。背もシュウの方が高い。真汐は童顔ではないつもりだけれど、兄弟みたいね、と言われるときは大体シュウが上だと思われている。
──そうだよ、俺がセンチネルなら、シュウの悩みも、もしかしたらわかるかもしれない。
「あのさ、ご飯食べてた時、言いかけてただろ、俺がセンチネルならシュウの悩みの役に、立てないかな。関係ない?」
「……」
シュウの腕を掴む。彼は驚いたように足を止め、目を見開いて真汐を見た。また、なんでもない、と柔らかく拒絶されたら辛い。真汐は縋るような気持ちでシュウの目を見つめた。
彼は何か言いかけ、唇を閉じてため息を吐く。そのまま黙ってしまうのかと思いきや、シュウは、
「上手くいかないんだ」
と言った。
「ガイディング」
「え、あ、」
ガイディングとは、センチネルのメンタルを安定させるためにガイドが行うものを指す。真汐の頭の中に、教科書に書かれたような文言が踊った。
「研修で模擬なんかは上手くいってたんだけど、いざ現場出て、実践っつうと、上手くいかない。センチネルとガイドの相性が悪いままガイディングをすれば、かえってセンチネルの調子を崩したり、シールドにダメージを与えちまう」
「うん、なんとなく知ってる」
シールドとは、精神を守るための文字通り防壁だ。センチネルやガイドはそれを持つことで、外界からの膨大な情報量が直に頭になだれ込むのを防いでいる。センチネルとガイドの大きな違いは、他者のシールドに干渉できるかどうかだ。ガイディングとはつまり、そのシールドを立て直したり安定させたりする行為を示すと言われている。
ガイディングは物理的な動作ではないため、ガイドそれぞれ全く違う方法を持つ、はず。
「捜査とか、現場に出ること自体は、今んところなんとかついてけてる。でも、俺はガイドだ。最も重要なのは、センチネルの捜査官たちのガイディングなのに……」
上手くいかない、とシュウは繰り返す。
ごめん、と真汐は彼の袖を握ったまま謝る。
「なんで真汐が謝んだよ」
くしゃりとシュウが苦笑する。眩しそうにも見えるその顔が、真汐は好きだった。施設で過ごしていた頃よりもぐんと大人びた彼だけれど、この顔は昔とちっとも変わらないと思う。
「だって、その、俺、何も知らないのに無責任に、役に立つとか……」
「いいよ。そう思ってくれるだけで十分だ」
行こう、とシュウがまた歩き出す。うん、と追いかけて隣に並ぶ。
「あ、そうだ、シロって、もしかしてシュウのスピリットアニマル?」
ショッピングモールでのことを思い出しながら問うと、シュウは頷く。
「見えたのか?」
「いや、鳴き声がちょっとと、なんとなく気配を感じた。でもそれも、初めてだから、嬉しいな。今も近くにいるのか?」
「ああ、あの辺飛んでる」
シュウは頭上を指さした。真汐は歩きながら首をぐいとそらし、橙と水色のグラデーションに染まった空に目を凝らす。
確かに、時折蜃気楼みたいなものがゆらめくのがなんとなく見えた。鳥の形をしていると言われればそうかもしれない。シュウのスピリットアニマルはオオワシだと聞いているから、余計見える気がするのだろう。
「お前のは、なんなんだろうな」
「え?」
「スピリットアニマル」
そっか、と真汐は自分の手のひらを眺める。センチネルにもガイドにも、その能力を象徴するようなスピリットアニマルが存在する。異能を持たないミュートにはその姿が見えることがない動物たち。
「耳がいい……、ウサギとか」
「かわいいけど、もうちょっと強そうなのがいいなあ」
「強そう? なんで」
「そりゃ、……今日のシュウみたいにさ、俺もこう、悪いやつがいたら、ギャフンと言わせたい」
はは、とシュウが珍しくからからと笑った。
なんだよ、と先回りする。
「憧れるだろ、やっぱ」
シュウは手提げを揺らしながら、機嫌よさそうに歩く。
「真汐、昔からそういうところあるよな。ヒーローとかに憧れてるっつうか」
「えー、シュウもだろ」
そうだな、と彼は否定しない。
「昔よく話したじゃん、架空のさ、戦隊ヒーロー作って」
「あー、懐かしい。どっちが赤やるかって、喧嘩したよな」
「したした」
レンガ造りの遊歩道をのんびり歩く。きっとバスの時間は決まっているのに、調べて急ぐみたいなことを、何故かしたくない。
不思議だ。シュウが東京の異能特別捜査官養成科に入学してから、もう五年くらいになる。その前までは、ホンモノの兄弟みたいだね、と先生たちに言われながらずっと一緒に過ごしてきた。朝起きて下のベッドを覗けば絶対にシュウがいたし、消灯直前までどちらかのベッドで喋り続けた。
学年は違うから学校は中高と別れても、通学路の分かれ道まで毎日一緒に歩き、放課後は市営の図書館で集まって向き合って勉強したりさぼったりした。
いつまでたっても、あの日々から遠ざかったことに真汐は慣れない。
忙しいなら無理して帰ってこなくてもいい、そう思う心は本音だけれど、こんな風にシュウと他愛ない話をして歩く道が、永遠に続けばいいとも願ってしまう。
「お互いに、お前の方が赤が似合うってさ、今から考えたらすげー平和な喧嘩だよな。てか、喧嘩したのってあの時くらいじゃねえか」
「ほんとに、普通自分がって、とりあうんだよな、こないだ子どもたちが似たような喧嘩してて、あ、普通はこのパターンかーって」
そう、幼い真汐とシュウは、赤はお前がやるべきだ! と喧嘩したのだ。
『かっこよくて強くてすごいのはシュウじゃん!』
『優しくてヒーローっぽいのは真汐だ!』
そう言って取っ組み合いになったことも覚えている。先生たちが困っていた。最終的に園長先生が、「ふたりとも赤でいいんじゃないの、二人いたって素敵よ」と言ってくれて収まった。
懐かしい。
「あれ、でも、シュウっていつから警察官目指すってなったんだっけ」
真汐は歩き続けながら、思い出そうとした。
「……なんで」
「だって、シュウって歌上手くてさ、かっこよくて、だから俺てっきり歌手とか、アイドルとかになるのかと思ってた」
「はあ?」
シュウが再度苦笑する。だが彼が歌が上手いのは事実だ。一緒に見ていた戦隊ものの主題歌なんて、歌ってる人たちより上手だと真汐が感じるくらい歌いこなしていた。二人きりの時はよく鼻歌を歌ったり、授業で習った歌の苦手なところを真汐に教えてくれたりしたのだ。
──あれ?
きっと歌手になるんだね、と褒めた真汐に対し、シュウは照れくさそうにそっぽを向いて頬を掻いていたのは覚えている。彼は照れ屋だけれど、真汐がねだれば歌を聴かせてくれたのに。
けれど、彼が警察官になる道を選んだきっかけが全く思い出せない。ずっと一緒に居て、隠しごとなど一切なく育ってきたはずだ。
真汐の頭の奥、どこともわからないところがツキンと痛んだ。
「……俺、なんか忘れて、」
「バス来たぞ」
シュウの大きな手が、真汐の背中を押す。
顔を上げるとバス停の標識と、向こうから走ってくる路線バスが見えた。
「走るぞ」
「うん」
シュウが駆けだす。真汐も並び、二人で全力で走った。
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