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「おはようございます」
「ああ、おはよう」
丁度受話器を置いた灰谷が、モニタ越しにシュウの方を見た。灰谷はいつもうっすらと笑っているような顔をしていて、迫力があるんだか胡散臭いんだかなんとも絶妙な雰囲気を持つ男だった。
肩に乗ってまどろむように目を閉じている灰色で縞模様の猫もまた彼の不思議な気配を助長している気がする。スピリットアニマルなので、普通の人には見えないけれど。
「七瀬くんとは一緒に来たのかな」
「はい。研修室の方に送り届けてきました」
「律儀だよねえ、さすが“大切な幼馴染”」
「茶化さないでください」
シュウは自分のデスクにつき、パソコンを開いた。ログインして勤務ステータスを確認した。引継ぎ事項はなさそうだ。外回りの捜査官は装備品だけ返却して直帰するらしい。シュウのスピリットアニマルであるオオワシのシロが、まるで人間のように画面をのぞき込んで首をかしげていた。
昨日の報告書類や確認を求められている書類を、ポータルで確認する。
異能犯罪特別対策室、通称EXASはガイドおよびセンチネル十三名で構成されていた。正直人手は足りていない。特別対策室とは言われているが、何でも屋のようにあちこちに駆り出される。異能持ちが絡んでいそうだと判断されると、捜査一課だろうが生活安全課だろうが、お構いなしだった。
そういう意味では、ここ数日は多少落ち着いているかもしれない。こんなにゆっくりメールのチェックができるなんて。
「……」
保健部から来ているメールに、シュウは眉根を寄せた。
「どうしたんだい」
目ざとく聞いてくる灰谷を見ずに、シュウは答える。
「ガイディングについて、再検査の日程調整のメールです。灰谷さん、俺、このままうまくできなかったら、ここ外されちまうんですか」
うーん、と灰谷は眼鏡のつるを押し上げ、腕を組む。
シュウの悩みは、先日つい真汐にも零してしまったが、現場でのガイディングが上手くいかないことだった。
「再検査かあ、でも広野くんの数字自体は下がってるとかそういうことはないんだろ?」
「はい……」
ガイドも、センチネルほどではないにせよ五感が優れているという点では同じ異能者だ。シールドを使い、スピリットアニマルを連れている点も変わらない。唯一絶対的に違うのは、そのシールドの調整ができるのはガイドだけ、という点である。
センチネルはシールドがダメージを受けた場合、自分で修復することができない。日常生活のみならまだしも、犯罪の捜査に関わり続けるEXASの捜査官たちは、常にシールドを酷使して働いているのだ。彼らの精神を守るために、ガイドによるガイディングは必要不可欠。
シュウも、成績のよさに加え、ガイドとしての感応を示すホルモンと神経伝達の数値が高かったから特待生になれた。
げんにシュウは学校で行われていた模擬ガイディングや、研修生同士で行うガイディングの訓練では全く問題がなかった。上手くいかなくなったのは、現場に出るようになってからだ。
「もちろん広野くんには期待してるから、いつかは僕の次に室長になってもらえたらとは思ってる。でも、仮にガイディングができなくても、捜査官として君が優秀なのはもうわかってるから、活躍の仕方はいろいろあるよ」
期待が嬉しくも今は申し訳なさが募る。つい微妙な顔をしてしまった自覚はあった。
灰谷は三十代だが、EXASたちを束ねる室長であり、ガイドだった。彼のガイディングはどんなセンチネルのシールドも素早く修復できるらしく、その速度と適合値は世界でも随一と言われるほどだった。
そんな彼の後継の候補に選ばれていることがただただ誇らしかった四月が嘘のように、最近は自己嫌悪と情けなさばかりが募る。
「思い当たる原因とかはないの?」
灰谷の問いに、シュウは首を横に振った。
「相手に引っ張られてるとか、そういう感覚も特にありません。比較的軽いのしか試してませんし……」
センチネルのシールドが全て崩壊した状態を、ゾーンに入る、あるいはゾーンを起こすというような言い方をする。生命活動に影響するレベルのものをゾーンアウトと呼び、精神と肉体のバランスを失った状態で、その余波は個体によって様々だった。自分の中で自家中毒のように精神崩壊してしまうタイプもいれば、物理的に外界に影響を及ぼすほどの力を持つ個体もいるという。俗に言うサイコキネシスとかテレパシーとか言われる現象も、センチネルの能力だと実証されつつあった。
犯人がゾーンを起こしかけているセンチネルの場合も、強制的にガイディングを施す必要性が出てくる。ガイドの精神が安定し、シールドがしっかりと張られていなければセンチネルのゾーンアウトに引きずり込まれる危険性も高い。
だがシュウはまだ新米で実績がない。ゾーンを起こしかけている捜査官あるいは被疑者を担当したことは一度も無かった。どちらかというと、少し力を酷使してしまったから軽くガイディングしてほしい、というように先輩の捜査官たちが練習台になろうとしてくれているというのに。
誰一人とも、上手くいかないのだ。
「まあ、シールドも物理的に存在してるわけじゃないし、まだ解明されてないことだらけだから、諦めずにチャレンジしながら自分なりに習得できたらいいと思うよ」
灰谷の慰めは優しかった。言葉遣いや声は軽やかだが、軽薄さはない。その場限りの嘘をつくこともなければ、だからといって冷たく突き放しもしない。
彼が曲者ぞろいのEXASでトップとして信頼されているのは凄腕のガイドだからというだけではないのを、シュウもまだ一年に満たないが彼の元についてよくわかっていた。
「はい」
頑張ります、と答える。
灰谷はデスクに肘をついて、それに、と目を細めて付け足した。
「幼馴染くんにガイディングするってことにもきっとなると思うんだよ。なんだかんだガイディングって心のつながりが大事だからさ、もしかしたら七瀬くん相手だと上手くいっちゃうかもよ」
カッと目の周りが熱くなる。おろおろしないように咄嗟に身体を強張らせた。
そんなシュウの変化を見逃すことなく、灰谷はさらにチシャ猫みたいににやーっとした笑顔を浮かべた。
「あれあれあれ、やっぱり大切な幼馴染くんのこととなるとあれなのかな」
「なんすか、あれ、って……」
ぶすくれた声になってしまう。シュウは、仕事します、とパソコンに無理やり視線を戻した。灰谷がまだニヤニヤしている気配があったけれど気づかないふりをした。
警察官は常に報告書などの書類に追われている。なので、事件がない日はひたすら事務作業を進めるに限った。だがそんな風に穏やかに終わるかと思いきや、夕方急な入電があった。
『イチロクイチゼロ、東京都有明湾岸地区にて暴行事件発生。現着した交通機動隊によると男はセンチネルの可能性が高く、破壊活動を継続させながら倉庫街に逃亡。警官数名精神攻撃により負傷、応援を要請する』
待機していたEXASの捜査官は灰谷とシュウ、そしてあと二人のセンチネルだった。灰谷は全員に出動命令を出す。
「七瀬くんも連れて行こう」
灰谷はそう言った。え、とシュウの拳銃をチェックしている手が止まった。
「ホシには近づけないよ。でもセンチネルがらみの独特な空気感、慣れるのも大事だと思うし、勉強になるだろ」
それは、もちろん、そうなのだけれど。
喉元まで言葉が出かかって、しかしシュウはそれを飲み込んだ。灰谷に逆らうなんて、という思いではなく、自分でも今言いかけた言葉が間違っているのがわかるからだ。
灰谷は、研修室に内線をつなぎ真汐に同行するよう指示を飛ばしていた。捜査官は基本的に二人一組で動く。真汐のトレーナーであるセンチネルの水 知 も付き添うようだ。
廊下に飛び出すとちょうど研修室から出てきた真汐と鉢合わせる。彼が深い青のフライトジャケットを着ているのが新鮮と言えばいいのか見慣れなくて、シュウは目をしばたたいてしまった。
言葉を発する前に、シャーッと威嚇音。水知の腕に巻きついている大蛇が、並走して飛んでいるシュウのオオワシを見つけたらしい。
「あーこらこらこらこら喧嘩しないでー」
水知が自身のスピリットアニマルをたしなめる。シュウもシロを先に窓から出す。
「いつもすんません」
「こっちこそだよー」
彼女は間延びした喋り方をするが、シュウが見上げるほど身長が高くガタイもいい。隣に居る真汐が子どもみたいに見えた。真汐も別に背が低いわけではないのだが、水知と並ぶと誰でも小さく感じるのだ。
EXASだけでなく、署内は騒然としており、たくさんの警察官たちとすれ違う。
「サイレン鳴らしながら走るから、聴覚、ちゃんと意識して守るんだぞ」
パトカーに乗り込む際、シュウは真汐の腕を掴んでそう伝えた。緊張しているのか強張った顔のまま、しかし真汐はしっかり頷く。
現着して、機動捜査隊の報告を聞く。
やはり依然として男は倉庫街のどこかに潜んでおり、作業員の一人を人質にとっているらしい。SATの要請もしてはいるようだが。
「計測器の値ではセンチネルで間違いないらしい。ゾーンを起こしかけており、その能力次第では人質や捜査員たちの身が危ない。すでにミュートの警察官ですら何人か食らってるみたいだ」
灰谷を囲み、EXASの面々は指示を聞く。一歩下がったところに真汐も立って、真剣な顔をしていた。
「みんなシールドに破損はないね。七瀬くんは基本的にここで待機。厄介なのはこのあたりの資材、遮熱材らしくて赤外線のスコープが役に立たない」
「シロ、飛ばします」
「気づかれないように」
はい、とシュウは頭上を旋回しているシロを見上げた。静かに滑空していく。シュウは目を閉じる。そうするとシロの視界とシンクロできるのだ。かなり精神力を要するし近くへの集中力や五感の残りは鈍るが、とにかくつぶさに倉庫街の通路や機動捜査隊の配置を確認することができる。
灰谷がタブレットに表示させた地図にピンを立て、捜索の指示を出す。シュウは地図にない遮蔽物や逃げ道になりそうな箇所を伝えた。
にゃあお、と灰谷のスピリットアニマルである猫のロボが鳴いた。すると建物の隙間からおもむろに野良猫たちが集まってくる。きっと灰谷が指示をしたのだろう、猫たちはロボを見つめ、さっと散っていった。
「では、各自ポイントに、」
「あの!」
灰谷を遮ったのは真汐だった。
「あの、たぶん、聞こえるんです、声が……」
え、とみんな目を見開いた。灰谷が、
「ホシや、人質の声?」
と問う。
真汐は頷いた。
「俺、探せると思います」
「でもお前は自分のシールドがまだどうなってるかもわかってねぇだろ」
ついシュウが腕を掴み口を出すと、真汐は真っ直ぐな瞳でシュウを見返してくる。
「シュウも、灰谷さんも、ガイドですよね。ここには、二人がいる。俺は未熟だけど、今大事なのは早く犯人を止めて、ゾーンを起こさせないことだろ?」
「……ッ」
真汐はいつもそうだ。
天秤にかける間もなく、誰かを助けることを選ぶ。
シュウは眩しさに胸の奥まで焼かれるような心地に、唇を引き結んだ。今まで何度も味わってきた。彼の腕はフライトジャケット越しでも温かくて、指が震える。
──お前は、いつもそうやって……。
「やらせてください」
真汐が灰谷に言い募る。
「いいよ。そのかわり単独行動は絶対にダメだよ」
灰谷はあっさりと許可する。真汐は、はい! と頷いてシュウの手首を掴むと、一緒に、と走り出した。
ショッピングモールの時と同じだ。真汐はきょろきょろしながら、時折痛みを堪えるような顔をする。しかし目をしっかり見開いて、見えない何かの糸を探し辿るように確かに進んでいく。同じ建物が並ぶ似た通路も、真汐には正解の道が見えているかのようだった。
離れそうになった手を、今度はシュウが掴みなおした。
温かい。真汐は身体に対して手のひらが大きいのが特徴だった。力強く包まれると体温が滲んで、境界線があいまいになっていく。
──これ、って。
かつて上手くいったガイディングに感覚が似ていた。まるで身体の奥に触れているような、物理的な温度とはまた違う、その人の持つ熱に直接触れるような感覚。
ガイドにとって、センチネルのシールドはある種『見える』ものだった。センチネルによって形状が違い、文字通り盾のようなセンチネルもいれば、棘だらけだったり、檻だったりするという。
──水?
真汐のそれは、温かくて、揺らいでいて、今まで触れてきたどんなシールドとも質感が違った。硬質さはなく、けれど空気よりはとろりと重たい。彼と手をつないでいると、ぬるい水に腕を浸しているような感触があった。
それがゆらゆらと揺蕩っている。
「み、つけた」
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試し読みはここまでになります。
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