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第三話 因果

 翌朝、俺は眩しい日差しに目を覚ました。ソファーではナギがまだ眠っている。  ぼんやりする頭を醒ます為に、ノロノロと浴室に向かった。服を脱いで、タイルの上を歩む。ハンドルを捻ってシャワーの湯を頭から浴びる。熱い湯は、全てを洗い流してくれるようだった。癖の強い赤味がかった髪も、今は項垂れている。髪を洗い、体を洗う。シャンプーは、甘いフローラルな香りで、長く失われていた食欲を復活させる。泡を完全に落として、浴室を出る。タオルで髪を拭いて、ふと鏡を見ると、己の首にハルの爪痕がくっきりついていた。   俺は瞬時に、鏡から目を逸らす。  体を拭き終わって、籠に入った南国らしいアロハシャツを羽織る。南国を象徴する赤い花。ハイビスカスが、そういえばあちこちに咲いてたな、と思い出す。 「ナギ、朝食いくぞ」  声を掛けるが、起きる気配はない。余程疲れていたのか、眠りは深そうだった。そりゃあそうだ。この歳で自死を考えるなんて、相当だ。  ふと、初めて母親に求められ、拒めず、交わった日を思い出した。  俺のために施したという化粧はケバケバしく、歳を誤魔化すように厚塗りされた粉に、むせそうになった。なのに、唇だけは、少女のような、ピンクだった。  俺は、そんな母親に怯えた。気持ち悪かった。  それでも、彼女は俺を求めた。無理矢理犯されている気分だった。彼女と交わった後、必ず嘔吐した。  最初は、実の母との行為に罪悪感と嫌悪感があった。子としての母親を想う当然の気持ちを、踏みにじられたような、なんとも言えない辛さがあった。けど、やがて慣れた。何も感じない技を覚えた。感情を殺すのだ。他人と思えばいい。なのに、嘔吐だけは止まらなかった。  その母親と父親が離婚した時、やっと終わった、と安堵した。父親も、俺と母親との関係を知っていた。母親を軽蔑し、俺を憎んだ。だから、離婚は当然の選択だった。親権を父親が取ったのは、母親の裏切りに対する報復なのだろう。  なのに、再婚相手の息子が今度は俺を求めた。血の繋がりはない。だが、戸籍上は俺の弟だ。  家族というのは逃げ場がない。  アトリエに籠って寝泊まりすれば、ハルが簡単に鍵を開けて入ってくる。何かあった時のために、父は鍵を渡すことを強要した。その鍵を、ハルが使う。家族だからこうなる。  《家族だから》  この魔法の呪文は、一生俺を縛り付ける。  しかし、方法が無いわけでもない。  縁を切る、と言ってもなかなか難しいが、失踪してしまえば、それまでだ。  ……まあ、いつまで見つからずにいられるかわからないのだが。  ナギが起きないので、仕方なくひとりで朝食に行く。朝食はお決まりのビュッフェ。ナギにはあとでルームサービスを頼もう。  彼は、どうして死のうとしたのか?  ……考えまい。  他人の事情は他人の事情。  助けても、それが本人にとって、本当にいいこととは限らない。  俺は俺。  ナギはナギ。  それでいい。  遠くで、サイレンが鳴っていた。  ◇  ビュッフェに行くと、色とりどりの食事が並んでいた。肉、野菜、魚、パン、果物、ジュース。特に果物とジュースは美味そうだった。俺はソーセージにたっぷりマスタードをかけて、パンをふたつ、ベーコンエッグ、マッシュポテト、それからパイナップルと、ライチと、ドラゴンフルーツを皿に取った。  ライチは好物だったので嬉しかった。赤い皮を剥くと、瑞々しく白い、ぷりっとした果実が現れる。俺はそれを口に運んで、口内、広がる甘さに満たされた。  と、隣のカップルの女の方が、男に話しているのが聞こえてきた。少し興奮気味で、声は大きかった。 「ねぇ、最上階の部屋で、男の人が亡くなったらしいよ」 「え?殺人か?」 「それが、腹上死だって」 「え、じゃあ、相手の女性は?」 「それが……部屋には誰もいなかったって。警察は相手を探してるんですって。あたしも話聞かれたの」 「男性は、一人で宿泊?」 「少年と親子で宿泊だって」  そこまで聞いて、直ぐに事態を悟る。頭がガンガンする。  ナギだ。  多分、ナギは父親に犯されていた。でも、その最中に父親が死んだ。自分が殺したと思った。だから、海へ……。そりゃ、部屋に帰れないはずだ。部屋を取れば直ぐに警察に見つかる。俺の部屋に身を寄せるしかなかった。  それもこれも、俺が助けたせいだ。 「あー」  俺は余りの因果に頭を抱えた。  ナギが俺と同じ虐待にあっていたなんて。益々見捨てられないじゃないか。  だから嫌だったんだ。わざわざ事情を聞かないでいたのに、こんな所で知る羽目になるとは。  俺はこれから、ナギの中に自分を見るのだろう。同じ痛み。決して見捨てられない、痛み。  ズキン、と胸が鳴った。鼓動が跳ねた。    まずは、部屋に戻ろう。  ……ナギ、まだいてくれよ?    俺は足早に席を後にした。

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