1 / 2

第1話「秋の始まり」

茜射す神社の鳥居の元に腰を下ろしてこれからの事をぼんやりと考えた。 沈んでいく夕陽は毒々しいほどに赤かったが夜が近い事を悲しげに告げている。 思い返せば残暑厳しいあの日からすべてが変わってしまった。 俺は幼馴染の優介(ゆうすけ)が学校の裏山で試したいことがあると言ってきたので図書室の片づけを切り上げて裏山の麓へ行っていた。 あの日は夏休み明けで読書感想文のために貸し出された本が一斉に帰ってきていた為にとにかく何もかもを投げ出したい気持ちでいっぱいだったから優介の誘いに乗ったのだ。 そうでもなければ怪しい噂話の好きの優介の都市伝説を試すなんて下らない誘いには乗らない。 有って無いような道を歩きながら優介は試しに行く都市伝説を解説していた。 「最近この裏山では色んなことが起きてるらしい。叫び声が聞こえるとか、カラスの羽が一面に落ちてるとか、動物の死体が頻繁に転がってるとか…」 「それ全部、誰かのイタズラなんじゃないのか?」 「マサは夢がないな…。でも、今の裏山に行けばその怪奇現象に立ち会えるかもしれないだろ?」 コイツはバカなのかもしれない。事件性の高い要素しかないのにそれを見に行く奴はコイツくらいだろう。 ツクツクボウシが騒ぎ立てる中、歩き続けると優介はそっと立ち止まった。帰る気になったのかと思ったがそうではないらしい。 俺の方に振り向いた表情は何かに気付いた驚きの色とささやかな期待の色をしている。 何かあったのか、と聞こうとした刹那奇妙な笑い声が響いた。 ヒヒヒヒヒ・・・・・・ヒヒヒ・・・・・・ 男の裏返ったような声で笑う声は蝉を黙らせ、辺りは妙な空気に包まれた。 ————これ以上ここにいるのは危険だ。 そう感じても足が動かなかった。優介の言っていた噂が本当ならあの笑い声の主がその犯人である可能性が高い。ならば逃げるべきなのに怖気づいた足はびくともせず強張った体はかろうじて優介の腕をつかんだ。 優介も俺と同じ状況だったようだが腕を掴まれて我に返ったのか俺の手を取って来た道を走り出す。 強く引っ張られたため何度かつまづくが背後で木が激しく揺れる音が聞こえて必死に優介について行った。 後ろから何かが来ている。俺たちを追って来ている。でも振り返ることが出来ない。俺たちの理解が追いつかない何かを見てしまうような気がしたから。 恐怖に押しつぶされそうで強く目をつむる。暗闇の中で速く走ることだけに集中していたかった。 しかし、不意に土や石が痛くすれる音がすると俺を前に引っ張っていた手が斜面に滑り落ちていく。とっさに目を開けて優介を確認すると崩れた山道から急な斜面へ足を踏み外して落ちていく途中だった。 後ろからはまた奇妙な笑い声が聞こえる。落ちていく体が止められないと察した優介が俺の手を離そうと力を抜くのを感じた。 俺に考える時間は与えられていない。手を離そうとする優介の手にすがるように手を伸ばす。離れていく体を追うように俺は斜面へ飛び込んだ。 俺と優介の身体は斜面に生えた木々や岩にぶつかりながら転がり落ちていった。山の麓を流れる川の縁へ投げ出された体は立ち上がる事すらままならない。 少し離れたところに優介の身体を見けた。優介もこちらに気付いているようで腕の力だけでこちらに寄ってきてる。痛む体に鞭を打って寝返りを打つと優介と同じように体を引きずって優介のもとへ向かう。 伸ばした手が優介の手に触れたのが先か、笑い声と共に黒い巨大な影がこの身へ降ってきたのが先か分からないが俺は衝撃と痛み、少しの安堵と共に意識を手放した。 ふんわりと香る味噌汁の匂いとグズグズとすすり泣く声で目が覚めた。見慣れない部屋の中で布団に横になっている俺は間違いなく生きている。 身体の痛みは消え、今までの恐怖は悪い夢だったのかと考えていると聞きなれた声が降り注いだ。 「マサ!マサ、分かるか?俺だ。優介だぞ」 「優介……?」 泣き腫らして真っ赤にした目と鼻で覗き込んでくる顔は確かに優介だ。顔は優介だが、頭の上に動物の耳らしきものを付けている。 状況を飲み込めずにいると優介の隣からもう一人顔をのぞかせる人がいた。短い黒髪に右眼尻の泣き黒子が印象的な20代後半くらいの男性だ。 少しの間その男性を不思議に見つめてしまったが、ここの家主ではないかと気づいて急いで起き上がる。 「あらあら、まだ寝てていいわよ。貴方は特に酷くやられてたんだから、疲れてるでしょう?」 「いえ、俺は大丈夫です…。まだ状況が良く分からないのですが、助けて頂いて——」 「まぁ、優介ちゃんと違って礼儀正しいのね。いいの、気にしないで。とりあえずご飯でも食べて頂戴。お話はその後にしましょう」 そう言って男性らしき人は襖の向こうへと行ってしまった。優介はというと俺の手をとってまだベソをかいていた。酷く思いつめた表情でただグスグスと泣いている。よくよくみれば耳だけでなく腰元には大きな丸い尻尾がゆらゆらと揺れている。それを見ると頭がぐらぐらしてきた。戸惑いながら優介の手を握り返して、いつもと変わらない手に安心する。 何が起きたか分からないが優介も俺も生きている。それだけで柔らかな感情に包まれた。優介に何か声をかけようかと悩んでいると襖の向こうから先ほどの男性が優介を呼ぶ声が聞こえ、優介は名残惜しそうに手を離すとそっと部屋から出て行ってしまった。俺が起きた時に声をかけてくれたきり優介はずっと口をつぐんでいる。ずっと何か言いたげな様子だったが結局何も言いださなかった。 また横になろうかと後ろに手をついた時ふわりと滑らかな肌触りが微かに触れた。クッションでもあったのかと身を捩って後ろを確認する。 「な、なんだこれ…?」 そこには細長く毛並みの良い尻尾があった。脳裏に優介の姿が浮かんで頭に触れると今まで無かったものと今まで感じた事の無い部分からの感触と聴覚。 分からないことが無限に広がっていく不安を感じながらも今自分がとんでもない境遇にいることは良く分かった。あの山で起きたことは恐らく夢なんかじゃない。俺の意識の及ばない所で俺と優介は何かに巻き込まれてしまったのだ。 自身の体の変化に驚いていると廊下から足音が近づいているのに気が付く。襖が開いた先には優介が食事を運んできてくれていた。お膳に載せられているのはみそ汁、焼き魚に白米と久しぶりに食べる和風な料理だった。余程長い間寝ていたのか見ていると急に食欲が不安に勝り、食べ始めると箸が止まらなかった。 柄にもなく一気に平らげてしまった。気付くと先ほどの男性が優介の隣に座っていて驚くと同時に部屋に入ってきたことにすら気づかないほど夢中になって食べていたことに恥ずかしさを感じる。 「食欲はあるみたいね。おそまつ様でした」 「食事まで出していただいて本当にどうお礼を言ってよいか……」 「気にしないでってば。面倒見たがりは私の性分なのよ」 口元を軽く押さえて言う仕草は女性そのものだ。不思議な雰囲気の男性だがこの方は誰なのか、一体どうして俺と優介はここにいるのか。ここはどこなのか、そもそも自身に何があったのか。聞きたいことは山ほどあった。 その雰囲気を察したのか男性はそっと話し始めた。 「所で、そろそろ気付いているかしら。その耳と尻尾」 「……はい。先ほど確認しました。俺と優介に何があったのか教えていただけますか?」 「もちろんよ。……いいわね?優介ちゃん」 優介はうつむいたまま何も言わずに頷いた。優介の思い悩んでいる原因もそこにあるのだろうか。 俺は少し不安を感じながら静かに話を聞く。 「私が二人を見つけたのは三日前のことで、二人ともここからすぐ近くの川べりに倒れていたのよ。すぐ近くには人間の遺体が二つあって、すぐに二人をここまで運んだの。あの山には最近乱暴な妖怪がいて……、少し信じられない話だと思うのだけど、優介ちゃんとあなたはその妖怪に殺されてしまったのよ」 「……え?」 「一度暴れだすと肉体も魂も壊してしまう妖怪で、あなた達もきっと魂まで壊されちゃったのね。でも、稀に壊された魂同士が引き寄せらることがあるの。二人の魂はそれぞれ近くにいた魂とつながる事で妖怪として命を繋ぎとめたのよ」 魂とか、妖怪とか予想もしていなかった内容に言葉が返せなくなってしまう。自分はあの時死んでいた?あの時の奇妙な笑い声は妖怪で、今の自分も妖怪?……そんな馬鹿な。妖怪って言ったら昔話や本の中の生き物だ。そのはずだ。 でも自分や優介に生えた耳や尻尾はまさに人知を超えている。今の状況も説明通りなら筋が通っている。 ……平成の世に妖怪だとか魂だとか言われても漫画の話をされているような気分になる。 「すぐに受け入れる必要はないのよ。ゆっくり時間をかけて理解していけばいいの」 「あ、あの学校や家には帰れるんでしょうか?」 「そうね……。あなた達の遺体はもう人間たちが片付けてしまったわ。きっと事故死として扱われてると思うから、多分今までの生活に戻るのは難しいわね……」 俺はついに言葉を失った。学校にはやりかけの仕事があって、家には帰りを待ってたはずの父さんや母さんがいて、でもそこにはもう帰れない。優介も部活の大会があったし家にはお兄ちゃん子な弟たちがいるのに。 優介がずっとあの調子な意味がやっと分かった。俺達が死んだなんて思えないが、こんな見た目で元の場所に戻っても今まで通りの生活はきっとできない。 俺はずっと膝の上で握りしめられている優介の手に自分の手をのせた。一人でこの事実を聞いた優介を思うとじっとしていられなかったからだ。どうにか優介を慰めたい気持ちでいっぱいだった。 「優介。大丈夫だよ。俺はずっと一緒にいるよ」 そういうと優介からすん、と鼻をすする返事が来る。優介の手は小さく震えていたが俺の手を優しく握ってくれた。それだけでこれから先を信じることが恐くなかった。 あの時必死に伸ばした手が今こうやって繋がれている。残してきたもののことは気がかりだけど、いつかきっとこの心の曇りが晴れる日が来るのだ。 俯いたままの優介を見て、早く優介の笑顔が見たいと心の中で密かに思った。

ともだちにシェアしよう!