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第2話「散歩」

自分の身に起きた顛末を教えてもらった後、ずっと寝ていた体を動かしましょうと言われ周辺の散歩に出かけることになった。 用意された服に着替えて外を見ると生垣に囲まれた一般的な日本家屋にいた事に気付く。生垣の向こうは木々が茂った山の景色が広がっていて、山の中にポツンと家が建っていた。 確か学校の裏山の麓にある川の近くだと言っていた。あの山の中に家があるなんて聞いたこともないし小さいころからあの川で遊んでいるが家なんて見たことがない。少しサイズの大きい靴を履くと玄関の先に二人が見えた。 優介は男性と何か話しているようだったが、こちらに気付くとまた口を閉じてしまった。 優介の心の中に何が居座っているのだろうか。それを俺から聞いてもいいものなのか悩んでいた。優介は優しい奴だが少し考えすぎるところがある。優介から話してくれるのを待ちたいが今のような反応を続けられると少々つらい。そんなことを考えながら優介達のいる方へ向かった。 「お待たせしました」 「服のサイズはピッタリだったみたいね。じゃあ、行きましょうか」 「あの、その前に……自己紹介だけさせて下さい」 三日もお世話になっているのに今の今までこちらから名乗ってもいなかったことがずっと気がかりだった。 むこうも忘れていたようで、あら、と口元に手を当てていた。 「和泉(いずみ)正周(まさちか)といいます。改めて、助けて頂いてありがとうございました」 「こっちもすっかり忘れてたわ。ごめんなさいね。私は東雲(しののめ)秋孝(あきたか)。気軽にアキって呼んで頂戴ね」 アキさんは自己紹介を終えると歩き始め、門をくぐった頃にもう一つ思い出したように言った。 「この家にはね、もう一人いるの。今は出かけてていないけど多分夕方には帰ってくるわ」 「そうなんですね。どんな方ですか?」 アキさんはうーん、と唸ると声を控えた。 「照れ屋さんで…恥ずかしがりな人よ」 アキさんがそう言うと優介が少し笑う。俺が起きてから初めて見る優介の笑顔に胸が暖かくなる。 釣られて笑っていると優介の耳と尻尾が消えていることに気付いた。見慣れている姿だったので反応が遅れてしまったが俺は驚いて優介の後ろに回ってまで尻尾がない事を確認する。 服の中に隠している様子ではないしそもそも簡単に隠せる大きさの物ではない。 「え?優介、お前尻尾どこにやったんだ?さっきまであったのに……」 優介とアキさんはやっと気づいたと言わんばかりに笑った。優介の頭の上も背伸びして探すがあの耳どこにもない。 試しに俺の頭を触ってみるがそこにはピンと立った耳があって撫でてみても消えない。え?え?と困惑していると優介は腰元に尻尾を出して見せた。どこからともなく現れた尻尾と耳は優介が歩くのに合わせて揺れ、俺がそれを捕まえて触れていると煙のように消えていく。それに驚くと優介はまた笑った。 「俺も昨日できるようになったんだ。こうやって耳と尻尾を消せたら人間と同じ姿になるだろ?」 まるで妖怪のようなことを言う優介に唖然としていると、お前もすぐできるよ、と言われた。 妖怪が人に化けるってこういう事なのかと非現実的な現象を目の前に感心する。俺はまだ尻尾も動かせず、腰から生えたそれは地面に向かって真っすぐ降りていた。これじゃまるで仮装みたいだ。 でも、今までなかった部分を動かすなんてどうすればいいのか分からない。 「大丈夫、焦らなくてもできるようになるわよ」 「……だといいんですけど」 森の中に敷かれた小道を辿ると見覚えのある川に到着した。 昼の陽を受けてキラキラと光る水面の奥に流れていく川魚の影。ここは紛れもなくあの場所だ。 見渡すと上流の方にブルーシートが敷かれた場所を見つける。自然の色とは似合わない人工的な青は背筋に冷たいものを走らせた。 あれは恐らく、いや間違いなく俺と優介が転がり落ちた場所。あの場所で俺と優介は……。 震える肩が目立たないように息を止めた。目を閉じればあの笑い声がよみがえる。 斜面を落ちていく音や砂利に染みていく血の臭いが頭の中に浮かび上がって痛みとなって広がっていく。 「ごめん」 張り詰めた声に振り返ると優介は俺のすぐ後ろにいた。 優介には俺が何を思ったか分かったのだろう。そして優介もまたあの光景を思い出したはずだ。悲しげな眼が後悔をまとっている。優介は優しい奴だ。あの事故を自分のせいにしてしまえるほどに。 俺が目を覚ましてから何度も見ていた顔は俺の死をも背負った自責の顔だった。 そんな顔を見ていたら泣きたい気持ちになってしまう。しかし、ここで泣いてしまったら優介の被害者になってしまう。そうはさせてたまるか、と言葉を返した。 「なんで優介があやまるの」 「……俺がこの山に誘わなければ良かったんだ。あのまま帰ってれば、きっと——」 続きを聞きたくなくて首を振った。だってそんな事言い始めたらきりがない。俺がちゃんと仕事を終わらせていれば、優介の誘いに乗らず二人で帰れば、途中で下山すれば…。 そんなことを言い続けてもあのブルーシートの下には今も俺達が死んだ証拠があり続ける。現状は何も変わらない。 「優介は何も悪くない。俺達を殺したのはあの化け物だ」 優介が否定しそうになっても言葉を続けた。今の俺は優介を慰めてるんじゃない。あの事故にあってから一度だって優介のせいだと思った事なんてなかったとどうしても伝えたかった。 後悔を完全に消し去ることは難しいだろう。だけど、俺が優介を責めていない事だけでも伝えなければ優介はきっとずっと自分を責め続けるはずだ。俺はたとえ自分が人間でなくなっても優介と共に今までのように馬鹿をしながら生きたいのだ。 「もし気が済まないなら償いだと思ってずっとそばにいて。訳の分からないうちに死んでしまった事くらいで俺から離れようとしないで」 「……俺、マサが起きた時怖かった。もし死んじゃってることとか色々知ってしまったら、俺マサに嫌われてしまうんじゃないかって……」 そう言って泣き出す優介が見てられなくて優介の頬を流れる涙を両の手のひらでぬぐった。 すると優介が驚いた顔をして俺を見る。その顔は幼いころに見た顔と何一つ変わっていない。 「こんな姿だけど生きてるよ。俺は今、優介と話せてるだけで十分嬉しい」 そう言って微笑みかけてやれば飽きもせずグズグズと泣き始めてしまった。この三日間で泣き癖でもついてしまったんだろうか。 俺が呆れて笑うと優介はそれにつられて泣きながら笑った。これ以上ないくらいの間抜けな顔だ。 さっさと泣き止めと言いながら目元を手でこすってやればやっと泣くのをやめてグズグズの顔を川に洗いに行った。マシな顔になって戻ってくると俺の隣でほっと息を吐く。 「良かった……。もしマサに嫌われたらこの山に一人で暮らしていくのかな、とか考えてた」 「馬鹿だね。長い付き合いなんだから例え怒ってても優介を独りで放り出すなんてできないよ」 安心したように良かった、良かったとため息交じりに言う優介はすっかりいつも通りになっていた。 ずっとあんなに思い詰めていたのは、いつ俺に見限られるかと怖がっていたなんて。思い返せば笑いがこみあげてくる。何か言いたげだったのもずっと俯いていたのも……。 横で不安から解き放たれたコイツにちょっと意地悪な事でも言ってみようかと考えていると、大きな羽ばたきが頭上を通った。 見上げれば大きな黒い翼の生えた男がそれを羽ばたかせて宙に浮いている。見た目は俺達と同じくらいだが、黒の伸ばしっぱなしの髪は少し幼さを感じさせる。また俺の理解を超えた存在が現れたかと思うと上空の男性はこちらに向かって大きな声で叫んできた。 「死にぞこないが増えてやがる!山が人間臭くなって堪らんな!」 初対面で悪態を吐いてくるトリ妖怪に面食らっていると、優介が俺を背後に隠すようにして妖怪に対峙した。 表情は見えないがきっとさっきのような間抜けな顔はしていないだろう。鋭く睨んでくる妖怪がまた何か言おうと口を開いた時、今までそっと黙っていたアキさんが口をはさんだ。 その表情に怒りはなく、ただ少し小馬鹿にしたような笑みを浮かべている。 「あんた本当に空気が読めないオトコねぇ。人の恋路を邪魔する奴はなんとやらよ」 「うるせぇ男女!お前もこんなハンパ者ばっか匿ってるからシガラ街に住めねぇんだ!」 「口には気を付けなさいよ。私がアンタのとこの長男と仲が良いのは知ってるでしょ」 アキさんが強く言い返すとトリ妖怪は何も言えなくなった様子だった。 何にしても口の悪い奴だ。優介の影から妖怪を睨んでいると気付かれたのか急にこちらを向いた。 その顔は悪態を吐いてきたときよりも明らかに機嫌が悪くなっていて、眉間のしわといい吊り上がった眉といい凄い形相だ。 「こっちが必死こいて見回りしててもお前らみたいに狒々(ひひ)に殺される奴がいたら怒られんのは俺なんだよ、 バァーーカ !!」 怒りに任せて叫び散らす声は山の向こうまで響き渡る。 なんとなくあの妖怪が怒っている理由は分かった。だが、そんな言い草をされてはこちらも言い返さずにはいられない。それは優介も一緒だったようだ。後ろで俺の手を強く掴んだのは俺が前に飛び出さないようになのか、自身が叫びと共に前へ出ないためなのか。 こういう事に言い返す姿は今まであまりなかったため俺の方が少し驚いてしまった。本人は気合こそあるようで大きく息を吸い込む。 「見回りしてる割には被害出まくりじゃないか!人間も噂してたぞ、この山の事!」 「口ついてんじゃねーか!昨日はだんまりだったくせによ!」 そりゃ今の今まで俺のことでそれどころじゃなかったんだから仕方がない。 あの妖怪は既に優介と面識があったようだ。相手が昨日もあの調子だったならずっと言われっぱなしの優介が目に浮かぶ。コイツは昔から口喧嘩で勝てるような奴じゃない。 優介の様子を見てみると、やはり優介は痛い所を突かれたように口ごもった。加勢してやるか、と再び優介の影から顔を出す。相手はまだ飛んでいて余裕綽々な顔でこちらを見下ろしている。これは行ける、と踏んで声を上げた。 「見回りって一人でやってるのか?」 「そうだ!この広い山を俺一人で見回ってやってんだ!感謝しやがれ!」 「感謝を強要するような奴に見回りが務まるとは思えないね」 「そこらの妖怪じゃ務まらねぇからこの烏ノ(うの)家三男が直々に見回って……」 「現に俺達は死んでるが?」 「う、うるせぇ!お前らが間抜けなんだろうが!狒々が活動してる時に山になんか入ってくるから!」 「被害に遭う側が気を付ければ済むなら烏ノ家三男様の見回りは必要ないな?」 それを聞くや否や開けた口を忘れたまま顔が真っ赤になっていく。 どうやら口はでかいが口喧嘩が強いわけではないらしい。黙った妖怪は何か言いたげに口をパクパクさせたが言葉が出ず、兄貴に言いつけてやる!と言い捨てて飛び去って行った。その速さは目で追えない程だった。 あの速さで常に見回っているのなら本当にこの山をある程度見張れているのかもしれない。あいつの口のでかさは案外事実を言っていたのかもしれないと思ったがアイツに謝る必要はないだろう。 初対面であんなことを言ってくるような奴だ。謝ったところで調子に乗るだけだ。 優介の後ろから離れるとアキさんが笑いながらこちらへ来た。 「マサちゃんは結構言う方なのね。面白くって途中から眺めてたわ」 「いえ、あっちがあまりにも失礼なことを言ってきたのでついカッとなって……」 「あの烏天狗はね、ここら辺の地域を仕切ってる一家の三男なのよ」 え、と声を漏らしてしまった。仕切ってるってことはここ周辺では力がある家ってことだ。 まさか、あの口汚い奴がそんな大層な家柄の奴とは思わず先ほどの口論を少し後悔した。 今後難癖をつけられたりしなければいいのだが、嫌な予感がする。 「きっと大丈夫よ。長男と次男は割とまともな奴だから」 十分に安心しきれない言葉だが、そろそろ帰りましょうかと言うアキさんに促され来た方向へ足を向ける。 たしかあの男は俺達は狒々に殺されたというようなことを言っていた。 あの笑い声からも狒々という名に違和感はない。今もこの山のどこかにいる奴の気配に耳を澄ませた。今までどれだけの被害を出してきたのか。妖怪も見回りをしているという事は言葉が通じるような相手ではないのだろう。 そんな危険な妖怪がいる地域にどうしてアキさんは住んでいるんだ?さっきの男が言っていたシガラ街に住めないと言っていたことと関係があるのだろうか?

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