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第2話

「藤原くん、お昼こっちで摂るの? たまには一緒に食べない?」  流れる空気を打ち砕くように、女性の声が割り込んできた。見ると、藤原よりも数年は長く勤務している友枝(ともえだ)幸枝(さちえ)だった。きっちりメイクをした、スタイルのいい女性社員だ。いつも元気な明るいキャラクターで、営業成績もいい。  徳川は内心でホッとしている自分を感じた。 「私はいいから、彼女と行ってきなさい」 「えっ?」  明らかに藤原が戸惑う。 「私はまだ、他にやることがあるから」 「え、でも」 「ほら、行くよ? 聞きたい話があるの。いいからつきあって」  幸枝に急かされて、迷いながらも藤原がついて行った。その背中を見送った後、徳川は疲れたように深く息をついた。 (……まずいな。意識しすぎだろ)  藤原は彼に似ているだけなのだ。彼ではない。  それなのに。 (見れば見るほど似てるから)  意識するなと言うほうが難しい。  まずは昼食を摂ろう。外の空気を吸おう。徳川は重くなる足取りにムチを打って、会社の外に出た。  ひとりきりの昼食を終えて席に戻って来ると、待ち構えていたように藤原が現れた。 「あの、課長、今夜なんですけど、お時間ありますか?」 「どうして?」 「僕、一度でいいから、課長と一緒に飲みたくて。明日は会社休みですし、飲むにはちょうどいい日かなと思いまして」  予定は何もなかった。仕事も順調に終わる。  どうして藤原はこんなに執拗なのだろう。不思議に思いながらも逃げ道を見つけられず、徳川は了承した。上司として、わざわざ避けるのもおかしいからだ。  上司と距離を縮めて点数を稼ぐケースも考えたのだが、藤原はそういうタイプには見えなかった。  気持ちが落ち着かなくて、午後の仕事にはあまり集中できなかった。藤原とふたりきりになって、どこまで自分は耐えられるだろうか。もうすでに、逃げ出したい気分に駆られている。  他の連中も誘って大人数にすればよかったのかもしれない。しかし藤原がふたりきりを望んでいるのだとしたら、また誘われることになるだけだろう。  悶々としながら仕事を終わらせ、やがて定時になった。今日はノー残業デイで、よほど理由のある人間でない限り、むやみに残業はできない。 「課長、行きましょう」  藤原が眩しい笑顔をこちらに向け、促してきた。一緒に行く以外、逃げ道はなさそうだ。徳川は内心で諦めて、腹をくくった。せめてポーカーフェイスだけでも保ち続けよう。  ある人の面影を追っている。そんなことを藤原に知られたら、気味悪がられるかもしれない。嫌悪の目。彼によく似た藤原からそんな目で見られたら、今度こそは耐えられないだろう。  着いた先はおしゃれなバーで、落ち着いたムードの店内は薄暗かった。間接照明しかない。上司と話すなら普通は居酒屋だろう。内心で突っ込みは入れたが、実際は何も言わなかった。  意中の女性をデートに誘うようなバーだった。徳川は落ち着かない気持ちで案内されるまま椅子に座る。藤原が選んだ席はカウンター席ではなく、半個室だった。ますますデート色が濃い。向かい合わせに腰掛ける。顔が近かった。  息が詰まる。 「どうして、ここに?」  さすがに問いかけた。藤原がにっこりと微笑む。 「あなたとじっくり話したかったんです、徳川さん」  課長から徳川さんに呼び方が変化していた。 「昼間は辟易しましたよ。友枝さんにつかまって、彼女がいるのかとか、何歳までに結婚したいと思ってるのかとか、根掘り葉掘り訊かれて」 「彼女は……いるのか?」 「いません」  徳川は、内心でホッとしている自分が嫌だった。 (なんの期待をしてるんだ、俺は)  自己嫌悪に陥る。 「なに飲みます? ワインもカクテルもウイスキーもありますよ」 「酒は……そんなに強くないんだ」 「そうなんですか?」  一瞬、藤原の眼差しがきらめいたように見えた。 「じゃあ、カクテルでも」 「こういう店、慣れてるのか」 「いいえ。誘う相手もいませんからね」 「慣れてるように見える」 「気のせいですよ。僕だっていっぱいいっぱいなんです」  意味ありげな表情で、藤原が徳川を見つめた。 「心臓バクバクですよ。触ってみます?」 「え……」  手をつかまれ、藤原のスーツの胸に押し当てられた。 「ほら」 「……いや、スーツの上からじゃわからないから」  まだ飲んでいないのに、やけに頬が熱い。頭が煮えたように、思考が働かない。 「飲んでからどさくさに紛れて誘おうと思ってたのに、ずるいですね。まだ飲んでないのにそんな顔するなんて」  ――どんな顔だ?  徳川は自分でもどんな表情をしているのか、まるでわかっていなかった。

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