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続 親知らず 16
歩いていくと海が見えた。東城は海岸へ降りて行った。
あたりは暗い。波打ち際を二人で歩いた。最初は東城の方が先に歩いていたが、途中で広瀬が追い抜いた。彼は、広瀬の後ろを無言でついてくる。
どこまでも続くような長い海岸を、広瀬はずんずん歩いて行った。
頭の中はまだ混雑している。すっきりすることはないだろう。
空気は凍えるほど寒く、辺りは荒涼としていた。指先も頬も冷たくこわばる。
東城は、どうしてこんなところに来たかったんだろうか、と広瀬は思った。こんな寂しく、非情なところに来て、ますます侘しくなるばかりだ。
彼の考えていることが分からなかった。
今までも、彼の深くにある感情にどんなものがあるのか知ったことはない。詳細に話をされれば理解できた気にもなったが、思い出してみると、東城が自分のことを、本当に正直に話すことはめったになかった。
だから、今この瞬間に彼が何を考えているのかさえ、広瀬にはわからない。苦しいのか、悲しいのか、それとも、奥歯の奇妙な物質と殺された父親について悩んでいる広瀬のことを慮っているだけなのか。
でも、東城の考えがわからなくてもいいとも思った。この海岸にはほかに人はいない。広瀬は東城と二人きりだ。彼がいたいと思う場所で、一緒に歩くことができている。
ここが、明るい楽しい場所ではなく、暗く冷たい海であることが、むしろよかった。彼は、この道行に自分といることを求めているのだ。
ずいぶん長い時間歩いた。疲れて歩く速度がゆっくりになる。
吸い込んだ海風がのどに詰まり、思わず立ち止まって咳き込んだ。
気遣うように手が伸ばされたので、振り返った。
抱き寄せられたのはわずかな時間だ。
だけど、彼の熱は確かに伝わり、広瀬を温める。自分の熱と彼の熱がまざりあって溶けあう。触れ合った箇所が自分なのか彼なのか境目がなくなった。
この凍てつく夜空の下にいるのは、愛する人だけだ。広瀬にはそれだけで、十分だった。
今、この瞬間は、彼と自分は不可分だ。お互いのわずかな熱がそう物語る。
こんな瞬間は、白い息が流れるのと同じで、つたない。
自分の想いを彼にうまく伝えることはできない。だけど、自分が彼を愛しているということは、たとえ彼の知るところでなくても消え去ることはない。
広瀬は目を閉じた。永遠があるのなら、今がその時だ。
しばらくして「戻ろうか」と東城が言った。いつもの優しい声だ。
二人だけの時間の終わりを告げる言葉だ。
広瀬はうなずいた。
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