1 / 10

第1話

締め切っていた南向き住居の中はまだ暑さの残る日中の太陽で暖められていたようで、外の涼しさとは打って変わって蒸し暑いくらいだ。 ベランダ側のカーテンを半分開けて窓を開ける。1LDKの3階建てマンションの最上階からは特に物珍しいものは何も見えず、人通りのない道路沿いの向かいにあるコンビニの灯りが煌々と周辺を照らしているだけだった。 スーツを掛けてとりあえずシャワーだけでも浴びようと風呂場へ向かう。 (今日も疲れたなあ) そう思うものの、まだ20時。いつもに比べれば断然早い。 毎日を淡々と過ごす日々に不満はない。新卒入社をして早20年、今年部長に昇格した。これで家族でもいれば順風満帆なのだろうけれど、僕は独り身でバツイチ。変化といえば、責任が重くなったことと、帰りが遅くなることが多くなったこと、お偉いさん方との気の使う接待が増えて、でも多少羽振りよく金が使えるようになったということ、くらいだろうか。 髪を拭きながら冷蔵庫で冷やしていたビールの缶を取り出す。煙草を咥えながらライター片手にベランダへ出ると、寒いぐらいの涼しい風が心地良かった。 「おかえりなさい、ケンジさん」 声のする方へ視線を投げることなく、ライターに火を付けてソレを吸い込む。長らく癖になっているこれは、止めようと思えばいつでも止めれると思っていたのにズルズルと吸い続けていて、昨今の禁煙ブームに肩身の狭い思いをするばかりだ。 「まだ居たのかよ」 「もうそろそろ出勤しますよ」 ちら、と横目で隣のベランダを見れば少し茶色がかった髪を揺らして手摺に体を預けているお隣さんがこちらを見ていた。 シンプルなスーツ姿。 袖からちらりと見える割と良さそうな時計。 一見普通の営業マン風。 「今日はサラリーマンみたいだね」 「今夜の客は、こういう俺をご希望なんだって」 「へえ」 ニコニコ人懐っこく笑うその男は、ここ最近越してきたばかりだが何度かベランダで鉢合わせしているうちに話をするようになった。 「高級ラウンジで人妻と密会」 だなんて、響きがエロくない?とクスクス笑う。 「出張ホストを利用する金と時間を持て余している人妻って本当にいるんだな」 「だから俺みたいなのがいるんだよ、ケンジさん」 「ふーん……」 「今日は面倒な客じゃなければいいなあ」 僕と真逆の時間帯に労働している隣人のアキくんは腕を手摺から投げ出して、真っ暗な空を見上げた。 営業マンにしては髪が長すぎか。風が吹いてふわりと彼の頬を撫でる。 腕が結構逞しくて、胸板もあって、身長もそこそこ平均レベルで、目鼻立ちくっきり、ぱっちり二重の瞳で楽しそうによく笑う。 疎い僕でもイケメンってこういうのを言うんだなあと思うくらいなのだから、きっとモテモテに違いない。 「俺、枕営業やりたくねえの」 「そういうのはやらないんだ」 「出張ホストって言ったって、デリヘルじゃないんだからね!デートしてお喋りするだけ、建前は」 僕は指に短くなった煙草を挟んでビールの蓋を押し上げた。 「でも、みんなやってっからさ、ウチの店の子。やらない俺は異端者なの」 「なんでやんないの?」 「エッチは好きな人としたいじゃん」 思わず一瞬固まって、声を上げて笑ってしまった。 「なんで笑うんだよー」 ふふ、だってさ、意外と真面目で可愛いじゃん! 「若いのに勿体無いなあって思って」 僕が君ぐらい若くて誰かにいい感じで言い寄られるのなら、美味しく頂いちゃうけどなあ。 「え、俺?若くないよ」 またまた。 40超えたおじさんにとってはね、20代後半から30代半ばくらいも若いうちなの。 「だって俺、今年39歳」 「はあ?!?!」 「すっかりアラフォー」 「嘘だろ!!!!!」 20代か、それでも30代前半だろうと思っていた彼は僕と3つしか変わらない、ほぼ同世代の男だった。

ともだちにシェアしよう!