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第14話 出張

 どうしよう……。僕は、途方に暮れていた。  全身隈なく綺麗に洗ってお風呂から出たら、リビングのソファで腕を組み、バスローブ姿の慶二が天を仰いで熟睡してたからだ。  きっと僕が時間をかけ過ぎたからだ。  起こしてみようかと小さく名前を呼んだけど、ビクともせずに眠っていた。  こういう場合、起こした方が良いのかどうか、全く分からない。  数少ない経験はあるものの、心を通わせたお付き合いをした事がないから。  死ぬほど恥ずかしかったけど、幾ら考えても正解が分からずに、十分後に壁のインターフォンを押していた。 『如何されました?』 「あ、あの。平良さん。訊きたい事があるんですけど」 『歩様。慶二様が、どうかされましたか?』 「はい、あの……」  平良さんのモニターには、バスローブ姿で、真っ赤になってモジモジしてる僕が映ってるんだ。  そう思うと、余計恥ずかしくて黙ってしまう。  平良さんは察したように、ポーカーフェイスだけど優しい声音で訊いてきた。 『何が問題か、仰ってください、歩様。それがどのような問題でも、私たち小鳥遊の使用人は解決致します。他言も致しません』  うっ。姉ちゃん以外に優しくされた事のない僕は、不意の優しさに弱い。  涙声を詰らせながら、必死に言葉を紡ぐ。 「あのっ……お風呂から出たら、慶二が爆睡してるんですけど、こういう場合、起こしたら良いのか、毛布をかけたら良いのか、分からなくて……っ」 『ああ。左様でございますか。それはお困りでしたね。よくぞ、この平良めにご相談くださいました』  モニターの中の、平良さんの口角が僅かに上がる。 『どんな事でも、この平良めにお任せください。歩様は……お優しい方でいらっしゃいますね』 「え?」 『平良に相談したとは言わずに、歩様の思いやりを大切に致しましょう。実は慶二様は昨夜、歩様のお洋服を明け方までご自分でお選びになり、寝ていらっしゃらないのです。一晩ほどなら平気で徹夜なさいますが、婚活パーティに歩様とのデートと、この三日間、ほぼ寝ていらっしゃいません。布団をかけて差し上げるのが、歩様のお気持ちに沿うと愚考致しますが、如何ですか?』 「あんなに沢山の洋服と靴……慶二が自分で?」 『ええ。小鳥遊にはファッション部門もありますから、一言言えば、幾らでも代わりはおりましたのに』 「慶二……」  僕は振り返って、微かにイビキをかいている慶二を見詰めた。 『窺いましょうか?』 「ううん。僕がかけます。ありがとう、平良さん」 『勿体ないお言葉でございます』  平良さんにおやすみの挨拶を言って、僕はインターフォンを切った。  慶二の部屋に入って、ふかふかの羽毛布団を取り、リビングに持っていってそっとかける。  ソファに膝で乗り上げて、背もたれに肘をついて上から慶二の寝顔を眺めた。目の下に、濃い隈がある。  さっきまでは気付かなかった。ひょっとして、メイクしてたのかな。  小鳥遊のトップに近い人間が、不健康な顔してたら、纏まる話も纏まらないもんね。  慶二……ただでさえ忙しいのに、僕に時間を割かないで。身体壊しちゃうよ。  心の中で呟いて、少し開いた薄い唇に口付けた。 「おやすみなさい……慶二」  起きてる時は引き締まって精悍な頬は、天使とまではいかなくても、子供みたいに無邪気な寝顔で、ちょっと可愛いなんて思ってしまうのだった。     *    *    * 「う~ん……」  せんべい布団で寝ていた僕は、ふかふかのマットレスの寝心地が良くて、すぐに眠りについたのを薄ぼんやりと覚えている。  浅く覚醒して寝返りを打とうとしたけど、身体が動かないのを不思議に思った。  何これ。金縛り? うぅ……お化け恐い。  薄らと瞼を開けて、遮光カーテンの隙間から零れる朝陽にシパシパと瞬いていたら、その正体が知れて目が点になる。  慶二が、僕に抱き付いて眠っていた。  体温が一度上がったような気がしたけど、恐る恐る顔を窺う。  まだ寝てる……あ、隈が薄くなってる。良かった。  て言うか慶二、睫毛長いな……。  鼻先五センチの距離で、じっくりと観察してしまう。 「……」  起きてる時は恥ずかしいけど、寝てる慶二になら、キスしたいと思った。  横に顔を向けて、慶二が僕にしてくれるように、はむっと唇を食む。瞼を閉じて、そっと下唇を吸った。 「んっ!?」  急に慶二が動いて、仰天する。首の下から項に掌が回りしっかりとホールドされ、僕がやった事そのままに、食まれて下唇がチュッと音を立てて吸われた。  コツリと、額同士が合わされる。 「おはよう。歩」 「お、おはよ。慶二」  僕の身体を抱き締めてた身体がゴロリと四分の一回転して、天井を向いた目の上に手の甲が当てられる。 「あー、畜生~」  悪態も、慶二の落ち着いたバリトンで紡がれると、何だか上品に聞こえてしまう。 「眠気に負けた。歩を食べ損なった! 大事な初夜だったのに!」  大袈裟なくらい投げやりに嘆く慶二に、僕はぷっと噴き出す。 「慶二、疲れてたんだよ。僕がいつまでも、お風呂から上がらなかったのも悪かったし。慶二の体調が心配だから、万全の時以外、えっち禁止!」  僕は精一杯冗談めかして、落ち込む慶二を慰める。 「歩~、お前、天使みたいな奴だな~」  また抱き締められて、大袈裟に頬擦りされる。  うわ。ジョリジョリしてくすぐったい。  僕は体毛が薄くて、何処もあんまり生えないからな。そんな些細な違いにも、愛しさがこみ上げる。  『恋愛とは、自分と異なる部分を許容する事である』。そんな名言を、いつか誰かが言っていた。 「……歩。ごめんな。今日から三日間、オーストリアに出張なんだ。だから、初夜を済ませておきたかったんだが……」 「良いよ。慶二の身体が最優先」  ちょっと口篭もってから、小さな声で、でもハッキリ言った。 「僕はもう、慶二のものだし」 「歩」 「ん……」  再び口付けられる。今度は情熱的に舌が入ってきて、上顎の奥を撫でられた。 「ンッ」  初めての感覚だった。くすぐったいような、嬉しいような、切ないような、色んな感情がごちゃ混ぜになった感覚だった。  飲み込みきれない唾液が、顎から喉仏に伝う。  僕は上手く息がつげなくて、肩で喘いでいた。  ――トゥルルルル。  ヘッドボードに置いてあった慶二の携帯が鳴る。 「タイムアップか……もしもし」  前と後で、別人みたいな声を出して、慶二は携帯に向かい威厳を持って話す。  どちらも特徴的なバリトンだけど、リラックスしたボヤきから、一分(いちぶ)の隙もない仕事モードに変わった。 「ああ。起きていた。資料は揃えてあるな。十五分後に降りていく」 「あっ!」  足りない酸素をぼんやりと補給しながら電話を聞いていたけれど、慶二の突然の行動に咄嗟に動けない。  綺麗で長い指が、パジャマの布越しに、分身を握っていた。そこは健康な男性の証に、硬く反り返っている。 「や、ちょっ……!」  慌てて乱暴にピシャリと手を払い退けてしまったけど、その仕打ちに、僕はまた焦って言い募った。 「あ、ごめん慶二! ビックリして……」 「健康でよろしい。俺もだ。だけど今は、用意をしなくちゃならない」 「うん」 「だから、俺が出て行った後、風呂で抜くといい。勿論、俺をオカズにな。俺も現地に着いたら、歩で抜く。最低三発」 「う……」 「照れる事はない。俺たちは夫婦だ。夜の生活も大事だからな」  ベッドから出て、バスローブを脱ぎ落とすと、適度に細いけど逞しい裸体が、僕の目に飛び込んでくる。  えっ! し、下着履いてない!  思わず僕は、パッと両手で目を隠した。そのまま、慶二は自分の部屋に戻っていったようだった。着替えに行ったんだろう。  裸、見ちゃったよ……。  動揺しながらも、僕もウォークインクローゼットを覗き込んで、赤いバッシュに黒のダメージジーンズ、濃いグレーの長袖カットソーを着た。下着は勿論履いてる。  リビングに出て行くと、オーダースーツを着て、市販の無添加スムージーを飲み干す慶二が居た。 「朝ご飯、それだけ?」 「ああ。あと、サプリ。安心しろ、必要な栄養素は摂れてる」  心配したのを見透かされて、先回りして言われてしまった。よく、分かりやすいって言われるからな。  長い前髪の奥で、複雑な顔をする。 「じゃあ歩、留守の間は、何でも平良に訊け。車を出しても良い。自由に使ってくれ」  行ってらっしゃいのキスは、やっぱりジョリっとした。  訊いたら、車の中で剃るんだと言って、名残惜しく出て行った。

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