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第18話 束の間
「歩さんの、お兄さんでらっしゃいますか」
僕と目を合わせると、縋るような表情に何かを察したのか、創さんは淀みなくお巡りさんに笑顔を向けた。
「ええ。うちの歩がお世話になったようで、ありがとうございます。私の家に連れて帰って、しばらくは面倒をみますので、ご心配なく」
お巡りさんが創さんの携帯に電話をかけて、「家庭の事情で帰れない」ようだと伝えると、十五分以内に例の高級車でやってきた。
フルオーダースーツと高級車を見て、ようやくお巡りさんは僕を帰してくれる気になったみたい。
「歩、お前もお礼なさい」
父兄らしく、僕の後頭部を柔らかく押して促す。
僕も立ち上がって、頭を下げて心から言った。
「あの、相談にのって貰って、ありがとうございます」
「弟さんは辛い思いをなさったようなので、心のケアをしてあげてください」
「はい。本当にありがとうございます。歩、行くぞ」
「はい」
運転手さんが開けてくれてる後部座席に、創さんと二人、乗り込んだ。
高級車だけど、ロールスロイスには敵わなくて、背中に走る振動が伝わってくる。
シートが革張りで良かった。これなら、降りた後ちょっと拭けば大丈夫だろう。
そんな気を回して長い前髪を梳いていたら、いきなり本題に入られた。
「……で? どんな『家庭の事情』で、飛び出してきたんだ? 浮気か?」
どこから話したら良いのか分からなくて、ちょっと途方に暮れた後、反問する。
「慶二って……二十歳 以上には興味ないって、本当?」
「ああ……誰だか知らないが、君に余計な入れ知恵をした奴がいるのか」
「うん、あの……スペアのカードキーを持った人が来て……『ボクは愛人だ、正妻面されて困ってるから、追い払う為に来た』って……」
面白くもなさそうに、だけど鼻で笑って、創さんは車窓に視線を向けて話す。
「は。あいつなら、やりかねないな」
嘘。僕は何処かで、否定の言葉を求めてた。
「ホントに? 仲が悪いから、そう言ってるんじゃなくて……?」
また僕は、べそべそと泣き出した。こんなの女々しくて嫌なのに、涙が止まらない。
意外にも、創さんは僕を振り返って慌てたように言った。
「ああ……歩くん。私が悪かった。泣かないでくれたまえ」
「泣きたく、ないんだけど……」
まだ湿った髪を、創さんが一つ、撫でてくれた。
「君は、それだけ慶二の事が好きだったのだな。私と慶二の仲が悪いのは、好みがそっくり同じだからだよ」
「え」
「だから、お互いの相手を寝取れば、ほぼ間違いなくタイプに当てはまる。だから私は、君を小遣いの欲しい尻軽だと思って、偵察に行った。……あの時は、悪かった」
これも意外な言葉だった。
改めて紳士的に謝罪なんかされて、動揺してしまう。涙は引っ込んでしまった。
「あ……いえ。それは、もう……いいです」
「君は勇ましかったな。ファンデーションで隠しているが、まだ唇に傷が残ってる」
好もしそうに、くつくつと肩を震わせる。
僕は、急に恥ずかしくなった。
「創さん……」
また一つ、僕の頭を撫でて、創さんは穏やかに微笑んだ。
「もう襲いかかったりしないから、安心してくれたまえ。私は素人を弄ぶような男じゃない。信じてくれるといいのだが」
「はい。それは、雰囲気で分かります」
「良かった」
創さんは、慶二より表情豊かだ。ナンパされた時は愛想笑いの上手い人だと思ってたけど、今はちゃんと目の奥も笑ってる。
「問題は、その『愛人』とやらだが……慶二は気に食わないが、何事にも無責任な男じゃない。愛人に別れ話を代弁させるとは考えにくいし、特定の愛人を作るとも思えないのだが……自称愛人は、名乗ったかい?」
「はい。慎って言ってました。綺麗なコ」
途端、苦み走った創さんの片目が眇められた。
「慎! 霧島慎か」
「知ってるんですか?」
「あのコも、初めに私がピックアップしたコだ。ジュエリー部門のデザイナーで、商品知識が豊富だから、販売もやってる」
「えっ。十八歳だって……」
「飛び級して、ロンドン芸術大学を十七で卒業した逸材だよ。小鳥遊は、年齢に関係なく、優秀な者を雇うからね」
だから、若い割りに身なりが良かったんだ。
「私は慶二みたいに一回きりなんて勿体ない事はせずに、ある程度の付き合いをさせて貰うんだが。あのコは金というより野心の塊で、私に次第に『肩書き』を求めるようになった。幾ら私が次期総帥とはいえ、今はまだあくまでも『次期』だ。望むものが得られないと知ると、慶二の方へなびいたようだった。わざわざ私に、慶二と上手くやると啖呵を切って、出て行ったよ」
「そ……そうなんだ。じゃあ、本当かも……」
「待て。家に着いた。離れには妻が住んでいるが、気にしないでくれ」
あ! そうか。この人、既婚者だっけ。
大邸宅の前には映画で観るような車寄せがあり、高級車が玄関前につけている。
周りも邸宅が並ぶ、閑静な住宅街だ。車から降り立ち、その荘厳と言えるような雰囲気に、思わず訊いていた。
「ここ、田園調布?」
「いや。白金 だ」
「ふぇ。凄い……」
運転手さんが、先に立って全部ドアを開けてくれて、創さんはスラックスのポケットに軽く手を突っ込んだまま、靴音を響かせて行く。やっぱり映画のワンシーンみたい。
ひとつのドアの前で、創さんは脚を止めた。
「歩くんは、この部屋を使いたまえ。客室だから、大抵のものは揃ってる。私はまだ仕事が残っているから、失礼するよ」
「ありがとうございます」
「……念の為訊くが、慶二は仕事だろうな?」
「あ……オーストリアに出張だって。でも、慎が、それは嘘で自分のマンションに居るって言ってた」
「確認させよう」
運転手さんに頷くと、制服の内ポケットからタブレットを出して、弄り始めた。
「確認出来ました。確かに慶二様は、今日から三日間、オーストリアに出張の予定でございます」
「えっ」
何が嘘で何がホントか分からなくなって、頭がごっちゃに混乱する。
「なるほど。どうやったか分からないが、慎は慶二の留守を見計らって、正妻の座を射止めた君を、追い出しにきたようだね。慶二も私も、素人に手をつけない所まで一緒なんだ。もし慶二が君に手を出したならば、それは恋愛感情があるという事になると思う。あんな奴だが、信じてやってくれ」
「……はい」
お互い、仲が悪いなんて言ってるけど、相手の事をよく分かってるんじゃないのかな。僕はちょっとホッとして、笑顔を見せた。
「よし。笑ったな」
「え」
照れる暇も与えず、創さんはスラスラと言葉を重ねる。
「そのままでは風邪を引くから、服を脱いで熱い風呂に浸かって、着替えなさい。男物の着替えは、沢山揃えている。彼の身体に合うものを、見繕ってくれ」
尻尾の台詞は、運転手兼ボディーガード兼執事さんの男性に向けたものだ。
「は。ベッドの上に置かせて頂きます。濡れた服は洗濯させますので、脱衣所の籠に入れて、ベッド脇に置いてください」
「ありがとうございます」
そのポーカーフェイスにお礼を言って、僕は平良さんを思い出す。半日離れただけなのに、凄く懐かしかった。勿論、慶二も。
掛け時計を見たら、午後三時五十分だった。
束の間の客として、僕は創さんの家で、お風呂を貰う事になったのだった。
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