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第21話 真実

 抱き合って眠ったのに、起きたら、慶二はもう居なかった。  風邪薬と……イチャイチャのせいか、随分寝坊しちゃった。もう九時半か。  怠い身体を起こすと、枕元のサイドテーブルに、置き手紙があった。婚姻届で見た、慶二の少し縦に長い、達筆な文字。 『歩、おはよう。おはようと行ってきますのキスは、貰ったぞ。これは、土産だ。オーストリアと言えば、スワロフスキーだからな。ゆっくり寝て、早く風邪を治せ。慶二』  メモ用紙を止めているペーパーウエイトだと思ったそれが、お土産らしい。  半分ほど開けてある遮光カーテンの隙間から入った光が乱反射して、キラキラしてた。  スワロフスキーって、高いんだろうな。嬉しいのと同時に、ちょっと気後れしながら手に取る。  僕、慶二にプレゼントして貰ってばっかりだ。  だけどそんな少しの後ろめたさは、スワロフスキーの正体を知って、吹き飛んでしまった。  僕は口を押さえて笑いを堪え、肩を揺らす。  慶二、よっぽど気に入ったんだな……。それは、僕がUFOキャッチャーで取ってあげた、ピカルくんの立体形をしていた。  僕が取ったのはアクリルキーホルダーだから、きっとネットで縫いぐるみの形とか調べて、発注したんだろうな。  そう思うと、堪えようとしても、口角が上がってしまう。  風邪が完全に治るまで、平良さんに面倒をみて貰うよう言い含められていたから、インターフォンを押して朝の挨拶をする。 「平良さん、おはようございます。寝坊しちゃいました」 『おはようございます、歩様。良いんですよ。ゆっくり休むのが、一番の薬でございます』  デリバリーや外食は好きにして良いって言われてたけど、あんまりお金を使いたくなくて、大きな冷凍専用庫から、冷凍食品を出す。これも、高級なやつだけどね。  平良さんに勧められて、ラム肉のソテーを選んだ。サラダとスープは、平良さんが魔法みたいにちゃちゃっと作ってくれる。  朝食を済ませて平良さんが出て行くと、慶二が退屈しのぎに置いていってくれた、小鳥遊の企業パンフレットを眺めた。  ファッション、ジュエリー、アミューズメント、エンターテイメント、学校、不動産、レストラン……小鳥遊の規模の大きさが窺える。  それぞれの熱の入れようは、パンフレットのページ数で知れたけど、およそ思い付く殆ど全ての三次産業に、小鳥遊は参入してた。  でも……僕に、小鳥遊の仕事が勤まるかな。人見知りだし、まともに女性と話せないし……。  前の会社は、僕をお茶汲み兼雑用係くらいに思って取ってくれた。  でも小鳥遊は、そんな訳にいかない。社員全員が小鳥遊の『顔』なんだ。  ふと、一冊のパンフレットに目が止まる。そこには、『新宿バードランド』の文字。  へぇえ! バードランドって、小鳥遊だったんだ!  実家は小田急線沿線だったから、新宿まで一本で、小さい頃からよく行ってた。  そこのアトラクションのお姉さんの、物語の世界へと案内する話し口調がとても好きで、何回もせがんで乗ったのを覚えてる。  そこで初めて演技する事・される事の楽しさみたいなものを知って、小学校の学芸会では、必ず演劇を選択するようになった。  指導してくれる先生は毎年オーディション形式で配役してくれて、僕は五年生の時、晴れて主役に選ばれた。  懐かしいな……。誉められて、凄く嬉しかったっけ。  ラストの泣くシーンでは、「お母さんが亡くなったと思ってやってみなさい」って言われて、号泣したんだよな。  ……実際にそのシチュエーションになってみたら、放心状態で涙なんか出なかったけど。  楽しかった記憶から一転、両親が死んだ時の事を思い出してしまい、僕はふるふると長い前髪を揺らして(かぶり)を振った。  改めて、『新宿バードランド』のパンフレットに目を落とし、読み進めていく。 『キャストスタッフに必要なのは、お客様を夢の世界へと(いざな)う、笑顔の魔法だけ』  そんな求人の謳い文句が目に入る。  小学校までは僕は、演劇の好きな、何処にでも居る子供らしい子供だった。  ほんの少し勇気を出せば……僕も、あの日のお姉さんみたいになれるかな。  でももし、上手くいかなかったら……慶二の顔に泥を塗る事になるのかも。  そんな事を延々と考えて、お昼ご飯を食べた後は、悩み疲れたのと風邪薬の副作用でグッスリ眠った。     *    *    *  部屋に鍵はかけてない。ドアがカチャリと開く音で、僕は眠りの淵から緩やかに覚醒した。  カーテンは閉めてなかったから、月明かりと地上の星が、部屋の中を薄く照らし出している。冬の陽が落ちるのは早い。  あれ、何時だろ……。  そう思ってかけ時計を、瞳を擦りながら見上げようとしたら、慶二の顔が視界に入った。 「あ……おかえり、慶二」  見下ろしてくる慶二の強い眼光には気付かずに、僕はおかえりのキスをしようとする。だけど項に回そうとした手は、かわされて(くう)を切った。 「慶二……?」 「歩。この服を、何処で脱いだ」 「え……」  まだぼんやりした頭でパジャマの上半身を起こし、慶二が示す透明のビニール袋を見る。  五秒後、僕は事態を悟って青くなった。一気に目が冴える。  それは、創さんの家で脱いだ、白いスラックスと蒼いハイネックセーター、カーキのダッフルコートだった。ご丁寧に、下着まで入ってる。  泥がはねて茶色い染みになってた筈だけど、クリーニングしたように綺麗になって、畳まれて四角いビニール袋に収まっていた。  僕はどう説明して良いか分からず、唇を開いて一息吸うけど、吐く言葉を持たずに閉ざしてしまう。  慶二は、厳しい口調で言った。 「兄さんから渡された。これは、俺が歩に選んだ服だ。どういう事だ?」 「ちが……そういうんじゃ……」 「どういうのだ? 下着まで脱いだんだ、夫の俺に、説明があって然るべきだろう?」  この服を着てマンションを出て、バス停でメロンパンとあんぱんを食べて、お巡りさんに事情を話して、創さんの家に行くまでが、VTRの逆再生のように、脳裏に(いびつ)に蘇る。  最後に辿り着いたのは、慎が玄関ドアにもたれかかって腕を組み、僕を嘲笑ってる光景だった。 「慶二、ちゃんと話すから……ちょっと、指輪見せて?」 「指輪? 今、必要な事か?」 「うん。見てから、話す」  水仕事なんか一回もした事がないんだろうと思える、綺麗な左手の甲が上げられる。  僕はそこに取りついて、素早く慶二の結婚指輪を外した。 「歩?」  慶二が、不思議そうな声を出す。 「慶二……」  涙が、顎の先から表情筋をふつふつと震わせ、わき上がってくる。  指輪の裏のイニシャルは、『K & S One Love』とあった。『慎』の『S』。慎の言った通りだ。 「慶二。霧島慎ってコ、知ってる?」 「し、慎?」  今まで怒っていた眼光が、動揺して細かく動く。  僕はその言動に真実を見出して、慶二を見詰めたまま、熱い涙を一筋零した。

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