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第1話

「先生、なんとかなりませんか?」 急に世界に色が少なくなってきた季節。 病院の消毒の匂いが鼻につく部屋で、僕は医師に必死に頼み込む。 「塩川(しおかわ)さん……こればっかりは当院の決まりでしてね。長い間、連絡を取っておられなくて頼みづらいお気持ちは分かりますが、御家族の同意がなければ手術は出来ないんですよ」 「もし何かあっても誰も先生や病院を訴えたりしません。なんとかお願いします」 「これは決まりです、塩川さん。御家族と連絡を取って同意書にサインを貰ってください。我々も貴方を助けたいんです」 何度もしたやりとり。でも決まりだと言って手術はしてくれない。手術をしなければ…… 失意の面持ちで病院を出ると、そこには25年間見続けてきた、いや、出会いを含めたら28年間。スッキリとした顔立ちに、銀の細渕の眼鏡。背は僕と変わらない彼が立っていた。 「……優斗(ゆうと)」 「(ふみ)、仕事は?」 「今日は急ぎの仕事もないから早退してきた」 「あのさ、こんなに休んだり早退したり、マズイんじゃないか?」 「有給はたくさん余ってる。問題ないよ」 「……でも、さ」 「心配することじゃない。優斗は自分の体のことを考えたら良い」 文は真面目な顔でそう言い、病院の前に停まっているタクシーのドアを開けさせ、僕を先に押し込んだ。文も続けて乗り込むと運転手に僕らの住処(すみか)を伝え、タクシーは静かに走り出した。 菅田(かんだ) (ふみ) は僕の恋人だ。恋人というより、もう家族と同じだ。血の繋がりのある家族よりも長く一緒に過ごしている。僕にとっては家族も同然の愛しい人。初めて会ったのは高校の入学式の日。同じクラス。そして完全に僕の一目惚れ。だから僕は隙あらば文に話しかけまくり、高校2年の時に告白をした。玉砕覚悟の愛の告白は玉砕せず、そして今に至る。 文は勉強は出来たが運動があまり得意じゃなかった。僕はその真逆だ。 そう、僕らは長く一緒にいるのに性格も趣味も、とにかく真逆。 僕はサッカー部で汗を流し、星が好きな文は天文部だ。 文は望遠鏡を買ったからと何故か僕を天体観測へ誘ってくれた。まあ、天文部のやつらや、星に興味があるやつらなんかがいて毎回騒がしい観測だった。 「優斗、食欲は?」 昔を懐かしんでいた僕に、文がそっと話しかける。あ、やっぱり文の声は落ち着いてて好きだな。 「ん~……さっぱりしたものなら……」 「家でなにか作る方が良さそうだな」 「ファミレスでもいいよ」 「さっぱりした物を作るよ」 「冷蔵庫、からっぽじゃないんだ?」 「大丈夫。昨日買い物した」 「……そっか。じゃあ、すぐじゃなくていいかな?」 「ああ」 僕が病気になって半年ぐらいになる。僕は会社を休職して療養に励み続けたが結果はおもわしくなく、最終手段の手術ってことになってしまった。 文は文句も不満も一切口にせず僕の面倒をみてくれる。 しかも、仕事で、前の部署は忙しすぎだったので、僕のために移動願いを出し、今の部署に移った。 僕のせいで、いろいろダメにしちゃったんだよな。昇進の話もあったのに、それもなくなっちゃっただろうな。 「どうした? 具合悪いか?」 「いや、平気。今日はわりと調子がいいんだ」 「でも無理するな。家に帰ったら休んだらいいから」 「うん。ありがとう、文」 「うん」 家に着くと、文は僕のコートや服を脱がしてパジャマに着替えさせると、キングサイズのベッドへ促した。 「……こんなガッツリ寝るつもりなかったんだけど」 まだ15時だ。寝る時間じゃない。僕はブツブツと文に文句を言ってみた。すると文は僕の頭を子どもにするみたいに撫ではじめる。あのさ、僕ももういいおっさんですが? 「疲れて体調崩すと辛いだろ? ほら、目を閉じる」 「……わかった」 文の大きな手の温かさを感じながら僕はそっと目を閉じた。すると、急になんだか胸に熱い物がせり上がってくる。涙がにじんできた。 「大丈夫だよ、優斗。きっと治る」 「……うん」 「大丈夫」 「うん……ありがとう、文」 「うん」

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