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第21話 trick or treat 3.弱い話

 それなりに付き合いは長いけど、義兄の実家に上がり込んだのは初めてだ。想像していた通り年季の入った造作の美しい洋館で、部屋ごとのドアに施された飾り彫りが、いかにも代々きちんと手入れをして引き継がれたものだと分かる深い光を放つ。  玄関から続く長い廊下を二度右に曲がり、突き当たった部屋に通された。  そういえば昼飯を食べ損ねているけれど、今はそれどころではない。 「わかったから、そろそろこっちに集中しろ」  あ……っ、来る……。  集中しろと言われても、気が気じゃない。 「もうちょっと……さあ、みんな入った。」  俺は返事の代わりに吐息をひとつ漏らし、観念して手元のストップウォッチアプリのスタートボタンをタップした。  この人といると、胸の辺りでアラームが鳴る。一筋縄ではいきっこない。悔しいけれど、『正攻法で敵う相手じゃない』と本能で判るのだ。  諸手を挙げて降参してしまえばいいのかも知れないけれど、俺が、そしてこの人が、今の時点で勝敗が決まるのを望んでいない。甘えでも反抗心でも良いから、気の置けない対話を引き延ばしたくてまだまだ悪足掻きをする。  外からでは中の様子はわからないが、来訪を喜び、しきりに奥へ引き込もうとしているのは確実。それは貪欲なまでに。一度引き入れたらもう簡単に離すものかと必死なのだろう。  手元の画面のデジタル表示が、7分を超える。  義兄の口元が、ニタリと歪んだ。 「勝負アリ、だな。」  くそぅ、負けたか。 。。。。。  初めて訪れた旧家。通された部屋は中庭を挟んで玄関の真横だ。テラスに出れば、玄関に誰が来たかすぐにわかるしリビングの様子が漏れ聞こえる。先程賑やかに現れた可愛いおばけの御一行様を確認して押したスタートボタン。タイムはまもなく15分を過ぎようとしているが、オバケはまだ出てこない。  今年のハロウィンの孫滞在時間勝負は、ママ実家服部家の悲願の連勝とは成らなかった。  あんなに真剣に部屋中を飾り、もてなしを考えたのに、今年は何が勝敗を分けたのだろう。 「去年のハロウィンの負けをウチなりに分析したんだ。飾り付け、ラッピング、もちろん菓子の内容を徹底的にリサーチして比較した。  そしてわかった。去年、服部家にあって我が家になかったモノ、それは……」 「……なんでした?」 「持ち帰れない菓子、だよ。去年のお前ン家、かぼちゃ羊羹を作って並べたそうじゃないか。」  ああ、なんでも手掴みで食べちゃう3歳児に合わせて、芋羊羹の南瓜バージョンを棒型にして用意したんだった。  でもそれはほんのオマケで、焼き菓子も、子供達の好きなキャラクターの市販品も山盛りしていた筈だ。 「あのオバケ達、ラッピングした菓子は『ママにお土産にする!』って袋に入れるんだって? そうしたら、あっという間に帰るだろう? 去年の羊羹は剥き出しだったから、その場でモリモリ食べたんだってさ。  そこが勝負の明暗を分けた。」  おう、これが社長の分析力!  この大人、能力を完全に無駄遣いしていやがる。 「そこで今年、我が家は、あいつらの和菓子好きを考慮して、かぼちゃを練りこんだ団子にみたらしだれを掛けたんだよ。  滞在時間を伸ばすには、お持ち帰り用の菓子だけじゃなくてその場でいかに食べさせるかだよ。しかも!きっとみたらしだれで手が汚れる。あわよくば胸元もな。洗い流すのに時間がかかるぞ、ふふふふふ……」  一瞬でも凄いと思った自分を恨んだ。アホくさ。確かに時間は稼げるに違いない。 「社長、アンタは子供ですか。」  大人気ない大人気ない!  この人、「超多忙」「アポイントが取れない」と名高いウチの会社の代表取締役社長なんだけど……。  背中にチャックでも付いてて、中身にアホ男子が入ってるんじゃないか? そうでないなら小学生が社長のコスプレしてるんじゃないだろうか。  確かに去年、3歳になったばかりの三男君は、ママ実家で供されたかぼちゃの羊羹をいたく気に入り、手掴みでわしわし食べまくっていた。  和食で育った子供たちには、見慣れない菓子より手作り和菓子の方が好きかも知れない。  それでみたらし団子!  手伝ったのは、あの土井だろ?不味いワケがないじゃないか。  いいなあ、その団子、食べたいなあ。 「……trick or treat 」 「ん? ユキオくん、なんて言ったの?」 「社長、イタズラするぞー。もてなしてよ、社長ン家、初めてお邪魔したんだから。  その南瓜のみたらし、俺にもくれなきゃイタズラするぞー?」  ぷっ!と噴き出した社長は、立ち上がって大きな声で笑い出した。中庭越しにリビングの窓が開き、小さなオバケが顔を出す。 「あっれー? おじちゃん! ユキオくん!なにしてんのお」  廊下の方からバタバタと足音が響き、4歳になったフランケンシュタインが飛びついて来た。 「ユキオくん!一緒にオヤツ食べよ!」  こっちこっちとリビングに引き摺られて、座らされ、人懐こいドラキュラが、俺の分の黄色い串団子を卓上焼き鳥機て炙ってくれた。  程よく焦げた団子にみたらしだれをたっぷりかけて、小さな魔女がこちらに運んで来てくれる。あ、そんな足取りではフカフカの絨毯にタレが落ちそう……と気を揉んでいると、魔女の背後から義兄が手を伸ばし、熱々の団子を取り上げた。 「ユキオ君のおもてなしは俺がしなくちゃね。  リクエスト頂いたんだから」  はい、あーん❤︎ と、オッサンに差し出された焼き立てほかほかを、口いっぱいに頬張った。 「俺はどうにもユキオ君に弱いらしい。甘過ぎる気がするよ。  あ、しまった!言われるままにご馳走しないで、放っておいたらどんなイタズラするのか見てみれば良かった!失敗したー」  あれこれ文句を言いたいところだが、昼飯抜きの身では口を突いて出るのは悪態よりも唾液の方だった。  南瓜の甘みがほんのり効いた芳ばしい団子に、絶対こだわったに決まってる醤油の風味。トロミの加減も、子供が喉にに詰まらせないように配慮しているに違いない。  ずっりぃなあ、タレ付き団子のベタベタだけでも時間を稼げるのに、卓上で炙るのかあ。こんなの、子供が絶対好きに決まってるじゃないか!  姉のメールアドレスに、続報を送る。 『現在パパ実家に滞在中。しばらく帰らないからお昼食べてね。 7分対21分超え、トリプルスコアでは完敗だね。 相手が悪いよ、来年はあまり気合い入れ過ぎないように父さん母さんに伝えておいて!』  社長は「俺も腹減った」と言いながら、炙り網にパンやらウインナーやらを乗せ始めた。  子供は火を使っちゃダメだ、なんてもっともらしい事を言って、コンロを独り占めしている。やっぱり子供より子供らしいのは社長だ。  ああ、悔しい。俺はまだまだ考えが浅はかだった。ハロウィンの滞在時間勝負は祖父母同士の争いじゃない。  本当の敵は、社長だったのか。  馬鹿げた事由なら尚更のこと、社長は本領を発揮する。周りにいる俺たちも、毎回毎回なにをそこまでと思いながらも、いつのまにか巻き込まれてしまうのだ。  来年はもうハロウィンの準備はジジババに任せよう。義兄と張り合うつもりは毛頭ない。この手のタイプは味方側に置いて見ているに限る。  俺はとことん、全力で楽しむこの人の姿に弱いらしい。 <社長とユキオ君のハロウィン編 おしまい>

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