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ピロトーク:不満満載なボク
先日いろいろあって、落ち込んでいる僕の元に、友人が元気になりますようにと、たくさんのCDを送ってきてくれた。その中の一枚――
「なになにー? 腕枕されながら耳元で甘く囁かれる、ピロトークをどうぞ?」
何かのドラマCDらしい、略して腕ピロトーク。
……っていうか、こっちは腕枕どころか一緒に寝た記憶が、遥か彼方の記憶なんですが。
僕は恋愛小説家、相手は編集者の関係なので、日々すれ違うことが多い。まぁこの仕事をしてたから、偶然巡り会えたっていうのもあるんだけど――
付き合った当初は敬語で喋っていたのを、一緒に暮らしてからは距離を縮めるべく、ため口で話しかけてみたりと、自分なりに努力をしていた。ラブラブなふたり暮らしの、甘い生活を夢見ていたのに……
送られてきたCDの取説を、ぼんやりと眺めた。恋愛に苦労している、僕を労ってくれた友人のチョイスに、苦笑いを浮かべてしまう。
「ヘッドホン推奨って、ここにはないし。そもそも僕ひとりだけなんだから、必要ないっと♪」
鼻歌混じりに、オーディオへCDをセットする。他の雑音が気にならないよう、いつも音楽をかけながら、執筆作業をしているんだけど、面白そうなCDだったので、大音量でかけてみた。
誰もいないんだし、映画鑑賞だと思って聴けばいいや。
そしてノートパソコンの前に座り、ネットサーフィン。執筆の意欲が上がるまで、だらだら過ごす。言わばアイドリング状態と表現しておこうか。
某サイトにアクセスした時、スピーカーから、魅惑的な艶のある男性の声が響いた。どこかで恋人同士が仲良くデートしているらしく、彼が楽しそうに恋人へ話しかけていく。
――さすがは声優、演技が上手いなぁ――
音声はカレシのみで、恋人の声は一切なし。なので一人芝居なのである。声色ひとつで、その場の雰囲気を上手に作っていく演技に、すっごく感心した。
「僕も同じように、文章でソレを表現しなきゃならないんだもんなぁ。てか、デートしたのって、いつだっけ?」
一緒に暮らす前は気分転換だと僕をよく、外へと連れ出してくれたのに。今は連れ出してくれるどころか、かごの中の鳥になっている。そんな生活のつまらなさを、自ら再確認してしまい、ため息をついた時だった。
『なぁ、ちょっと休憩してく?』
なぁんて甘い言葉と一緒に、吐息とリップ音が部屋の中に大音量で流れ、思わず顔がニヤけてしまう。
イヤだと口では言っても、どこかについて行っちゃうよな。この荒んだ状況の自分なら間違いなく、喜んで休憩しちゃうよ!
――っていうか……こんな風に誘われたことなかったなぁ。目が合った瞬間、僕を見る目に郁也さんの中にある欲情を感じて。
気がついたら唇を奪われ、押し倒されてるという――貪るように奪われていくうちに、僕の官能を呼び起こして快感をこれでもかと、強引に引きずり出されるんだ。
好きとか、愛してるなんて甘い言葉が一切なく、ただ性欲を満たすだけの行為――
「今は、それすらもなくなってしまったということは、飽きられちゃったのかな僕」
不規則な仕事時間をちゃっかり利用しながら、外で浮気していたりして……
魅惑的な低音ボイスのセリフと、リップ音の嵐を聴きながら、どうしてこんな風にマイナスなことを考えなきゃならないんだ。
『そんな可愛い顔して、お強請りかい? イかせてあげるよ』
そうだよな。僕のこの思考が逝っちゃってるから、悶々と考えちゃうのかも。それよりも随分と湿度の高い、ディープなリップ音。どーやったらこんな音が上手に出せるんだろ?
郁也さんとちゅーしたのって、いつだっけ? ――ってまた、これじゃあさっきと同じじゃないか。
軽く自己嫌悪に陥ってるときに、玄関の扉が開く音が聞こえた。
「ただいま。ちゃんと書いてるのか?」
その声に振り返ると、長い前髪をなびかせて家に入ってくる姿は、どこぞのモデルみたい。そして編集者らしい台詞に、チッと舌打ちをしてしまう、可愛げのない自分。
ぜーんぜん仕事が手につかない状態です。なぜならばそれは、僕を構ってくれないからだよ。
そう言ったところで、ふふんと鼻で笑ってあしらわれるのが、容易に目に浮かぶのだけれど――
「随分早いお帰りだね。取立ては無事に終わったんだ?」
僕から見たら編集者って、借金の取立てと同じように見えてしまうんだ。期日をキッチリと守ればいいのが分かってるけど毎回、そんな上手いことはいかないものだし……生みの苦しみを、少しくらいは理解してほしい。
「俺の担当する作家は基本、納期を守る人が多いからな」
お前以外は――と、目がありありと語っていた。
(マジでムカつくなぁ、もう!)
イライラを消化すべく、右手親指の爪を噛み噛みし、ノートパソコンの画面に向き直った。
「なぁこのBGM、昼間っから何エロいの、大音量で流してるんだ?」
「ぜんっぜん、エロくないし! むしろ聴いてて仕事が、ばりばり捗っちゃうんですけど」
呆れた声で言いながら、ハンガーに上着をかけていく。横目に映るそれを見ながら、同じように呆れた声で返してやった。
「あっそ。それは良かったな」
良かったなと言いつつ、口調は全然良さそうじゃない。
口を尖らせる僕を尻目に、袖をぐるぐるとめくって、ネクタイをワイシャツのボタンとボタンの間にねじ込むと、ため息ひとつつき、台所に立った郁也さん。
「どーせメシ食ってないんだろ。今から作ってやるから、ちょっと待ってろ」
いきなりの餌付け宣言――恋人ならまずは、ただいまのちゅーしたり、抱きしめあったりするんじゃないの。
付き合って、半年以上経ってる僕たち。初々しい気持ちは、どこへやら。なのかな……
『なぁ、キスしてって言ってみ?』
空気を読むのが無理なハズなのに、スピーカーから僕の望むセリフが、艶っぽい声で流れる。
「悪いけどそのBGM、ちょっとだけボリューム落としてくれないか? 気になって、包丁の手元が危うくなる」
「やだね。今ちょうどいい、イメージが沸いてきてるんだ。邪魔しないでよ」
とは言ったものの――パソコンの画面は相変わらず某サイトを表示したままで、執筆する気配がないのは、手に取るように分かるだろうな。
微妙な雰囲気の中、男の甘いため息とリップ音が、室内響きまくった。ドラマの展開的には、もういいコトをヤりまくってますって感じ。
『……んっ、はぁはぁ……俺の声が、傍で聴きたいって?』
大音量で聴いているのに、耳元で囁かれるような、切ない声が特大音で流れる。すっげー手が込んでるんだな、思わずドキドキしちゃった。
――だけどドキドキするなら、郁也さんの声でしたいのに。
「やっぱ、ダメ。昼間からこんなエロいの聴いてたら、頭が変になる」
よく言うよ。昼だろうが夜だろうが、以前なら関係なく襲ってきたくせに!
僕の傍を足早に通り過ぎ、オーディオの電源をご丁寧にブチ切った。
「もぅ、何やって――」
くれちゃうんだよと文句を言おうとしたけど、それ以上言葉が出なかった。頬を赤らめて僕のことを見つめる、困惑した顔――
「……何て顔してんだよ。普段エロエロなもの、読んでるクセに」
こんなの序の口だろ、編集者なら。
と言葉を続けたのに、黙りこんで下を向く。普段から無口な人だから、何を考えてるのか、全然分からないんだよな。
「あーあ、せっかく執筆熱が上がったのに急降下だよ。誰かさんのせいで」
机に頬杖をついて背中を向けたまま、ぶーぶー文句を次々と言ってやる。僕の担当として、それって、さいてーじゃね?
「イヤだったんだ、だって――」
「なぁにが?」
「お前に似てるから。流れている声が、さ」
「はあぁ!?」
――自分で、自分の声が分からない。……つか、こんな魅惑的なボイスしていないってば。
「あのさ、ちゃんと耳、ほじったほうがいいんじゃないの? 僕こんな声、していないって」
相変わらず立ち尽くす郁也さんの傍に行き、憐れみを込めて優しく肩を叩いてやる。そんな僕を、ちらっと振り返って見たんだけど、顔が赤いままだった。
何かこっちまでムダに、照れが移る。つか耳をほじった方がいいの、自分だったりするのかな――
「なぁ、キスしてって言ってみろよ」
「へっ!?」
素っ頓狂な声を上げたら、振り向きながら渋い顔をして腰に手を当てつつ、僕を見下ろしてきた。
郁也さんに言ってほしかったセリフを、どうして自分から言わなきゃならないんだ? 突然すぎてドキドキする暇もなく、しかも僕に強請るなんて、折角のセリフが台無しじゃないか。
「同じ声かどうか、検証してやるから。ほら、早く言え」
そんなもの、わざわざ検証しなくていいのに、細かいトコにこだわるんだから、まったく――
「……キス、してよ」
自分から強請るようなセリフを言ったことがなかったから、猛烈にハズカシくて、横を向いて言ってしまった。
「…………」
「ちゃんと、言ったからね。どうなのさ?」
薄すぎる反応にイライラしながら、向かい合った顔に目掛けて文句を言った刹那、腰に手が回され抱き寄せられた身体。うわっと思った矢先、強引にキスされる。
「……っ……ん……ぁ」
遠慮なく唇の隙間から無理矢理ねじり込み、絡んでくる舌に翻弄され、思わず甘い声が漏れた。
「やっぱ同じ。すっげーエロい声、出てるけど」
「ちっ、違っ////」
「あんなBGM流して、今もそんな声を出して、ワザと俺を煽ってるんだろ?」
嬉しそうに喉で低く笑うと、僕をフローリングの上に組み敷いた上に素早く跨る。見つめてくる視線から、欲情がこれでもかと溢れまくってて、思わず喉を鳴らしてしまった。
背中はちょっとだけ痛いけど、その痛みすら今は、快感に変わろうとしていて。
「俺がお前のこと大事に思ってるのに、無神経なことばかりしやがって」
「そんな、こと」
「してる、してる。余裕ぶっこいて俺を見てる態度も、すっげームカつくしな」
言いながらTシャツの裾をめくって、直に肌に触れていく。
「やっ、……ぁあ」
余裕なんて全然ないのに――触れられた肌が、どんどん熱を持っていき身体中で、郁也さんを求めてしまう。
「悪いけど今日は、執筆させられない。今まで我慢した分、お前を――」
耳元で甘く囁かれ髪にキスを落とし、じっと僕の顔を見た。
イヤだと文句を言いかけた唇を、しっかり口づけで封印されてしまう。封印された唇に、蕩けるように熱くて、甘いキスをしてくれた。
両腕を首に絡めて求めながら、身を委ねていたら――
ピンポーン、ピンポーン!
その音にお互い、顔を見合わせる。
――無視してほしい!
そう思ったのに来訪者は遠慮なく非情にも、ピンポンを押し続けたのであった。
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