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ピロトーク:煽られる気持ちの俺

 印刷所に行き、原稿を渡してきた。  ついでに――  締め切りを破るであろう涼一の原稿渡しの日付を、ちょっとだけ伸ばしてもらうべく、しっかり頭を下げる。最近、筆の進みが悪いアイツを、俺なりに気を遣っていた。  だからこそ担当として、原稿に穴を空けるワケにはいかない。心を鬼にして、自分の出来ることをしてやり、快適な環境下で執筆出来るよう、色々してやっているというのに―― 「ただいま、ちゃんと書いてるのか?」  玄関を開けてリビングに入ると、妙な声が聴こえてきた。 『ホント、君って可愛いよね。ちゅっ』  ――おいおい、いきなり何のCD、大音量で聴いているんだ? 何気に涼一の声に似ているのが余計、気になってしまう。 「随分早いお帰りだね。取立ては、無事に終わったんだ?」  のん気なマヌケ面をしながら、振り返って俺を見た。パソコンの画面は残念なことに、某サイトを開いていて、仕事をしている感じではない。  しかも取立てって何だよ、そりゃ。世間知らずのお前に分からないだろうが、他にも色々と仕事があるんだ。まったく―― 「俺の担当する作家は基本、納期を守る人が多いからな」  突き刺さるであろう言葉を、わざわざ言ってやったのにどこ吹く風。うっせーなぁ、もう! という顔をして、イライラしたときにする右手親指の爪を噛みながら、パソコンの画面に向き直った。  やれやれと肩をすくめて、ハンガーに上着をかけ、涼一の背中に声をかけてやる。 「なぁこのBGM、昼間っから何エロいの、大音量で流してるんだ?」 「ぜんっぜん、エロくないし!  むしろ聴いてて、仕事がばりばり捗っちゃうんですけど」  いやいや。すっげーエロい内容が、赤裸々に延々と語られていますけどー。  ――間違いなくコレ、18禁モノだぞ。 「あっそ。それは良かったな」  最近構ってやっていないから、もしかして溜まってるんじゃないだろうか? しかし締め切り一週間前を控えているんだから、お互いに我慢せねばなるまい……抱いてしまうと、その日一日腐抜けた状態になって、執筆が出来なくなってしまうから。  悶々としながら袖をまくり、ネクタイをワイシャツの隙間に、ぐいぐいと押し込んだ。とにかくちゃんとした生活をさせて、執筆に向かわせてやらなきゃな。 「どーせメシ食ってないんだろ。作ってやるから、ちょっと待ってろ」  悲しいかな、コイツは自分で作ろうという技術はおろか、食欲というものが著しく欠如しているらしく、俺が作って無理矢理にでも食べさせないと、水分でお腹を満たしてしまう、困ったヤツなのである。   簡単に流し込んでしまえば、それでいいじゃんと、あっさり言い放ったのが、かなぁりショックな言葉だった。今まで一体、どんな生活をしてきたんだか――  冷蔵庫から野菜を適当に取り出し、洗ってまな板の上に置いていく。 『なぁキスしてって、言ってみ?』  ニンジンを切ろうとした手元が思いっきり狂い、危うく手を切りそうになった。聴けば聴くほど、涼一の声にソックリだ。    まるで他のヤツに言ってるみたいに聴こえて、胸の中にモヤモヤしたものが溢れてくる。 「悪いけどそのBGM、ちょっとだけボリューム落としてくれないか?  気になって、包丁の手元が危うくなる」  切るなと言わず、ボリュームを落とせと譲歩してやったのに、何を言ってくれちゃってるのと、顔に書いた涼一が、渋い顔してこっちを見た。 「やだね。今ちょうど、いいイメージが沸いてきてるんだ。邪魔しないでくれよ」  どんなイメージだよ、そりゃ。俺の頭の中にはお前が、他のヤツといいコトしてるイメージしか沸かないぞ!!  あーもー、チクショウ!  アレのことは横にどけておいて、今はメシを作ることに集中しなければ。  ニンジンを慎重に切ってる最中、室内に響き渡るエロい息遣いと、チュッという音が何度も、否応なしに耳に入ってきた。その内―― 『……んっ、はぁはぁ…俺の声が、傍で聴きたいって?』  大音量で流れているというのに、耳元で囁いてるような、特大ボリュームで告げられたセリフ。  何だよコレ。俺の理性を試そうとしてる、アイツの罠なのか!? ああ、聴きたいさ。すごーく耳元でお前のその声、聴いてやりたいね。  切っていたニンジンに思いっきり包丁を突き刺して、足音を立てながら、キッチンを飛び出した。 「やっぱ、ダメ。昼間からこんなエロいの聴いてたら、頭が変になる」  横にどけておいたモノが、簡単にコンニチハをして、俺の胸をかき乱す。  涼一の背後を通り過ぎ、勢いに任せてオーディオの電源を、ブチ切ってやった。 「もぅ、何やって――」  文句を言ってパソコンの画面から俺へと視線を移し、ハッとした顔する。流れていたBGMのせいなのか、頬に熱があるのをじわじわと感じる。もしかしたら、赤くなっているのかもしれない。 「…何て顔してんだよ。普段エロエロな文章、読んでるクセに。こんなの序の口だろ、郁也さんなら」  分かってない、ぜーんぜん分かってない! 文章を読んでいると物語の中から、雰囲気や心情など、自分の中に想像もとい、妄想するまでタイムラグが生じる。  一方、声や映像はダイレクトに自分の中へ、ガツンと飛び込んでくるから、容赦がねぇというワケ。こっちの事情はお構いなしに、心が躍り踊らされ、カーニバル状態になるんだ。  この高鳴る気持ち、どうしてくれよう――困り果てて、俯くしか出来ないじゃないか。 「あーあ、せっかく執筆熱が上がったのに、急降下だよ。誰かさんのせいで」  俺に背中を向け、ぶつぶつと他にも文句を言い続ける涼一。しょうがねぇだろ、俺だってこんなこと言われたくない。 「イヤだったんだ、だって――」 「なぁにが?」  不機嫌満載の渇いた声が、ぐさぐさっと胸に突き刺さる。これを言ったら余計、機嫌が悪くなるだろうな。 「……お前に似てるから。流れている声が、さ」 「はあぁ!?  あのさ、ちゃんと耳ほじったほうがいいんじゃない?  僕こんな声、してないって」  残念ながらソックリです。自分で自分の声が分からないから、そんなことが言えるんだ。アレを聴いて、俺がどんな気持ちでいるのかも、全然分かんねぇよな。  オーディオの前に立ち尽くし、落ち込んでる俺の肩を優しく叩いてきたので、ちょっとだけ振り返ると、目が合った瞬間、顔をぽっと赤くさせた。  どうしてそこで、赤くなるんだ――?  相変わらずコイツの思考は、何を考えてるのかサッパリ分からねぇ。まぁそれが、魅力っていえばそうなんだけど。  ――よし、そうだ! 「なぁキスしてって、言ってみろよ」 「へっ!?」  振り向いて変な声を上げた涼一を、しげしげと上から見下ろしてやる。見飽きることのない綺麗な顔が呆け顔になっていて、可愛らしさをこれでもかと強調していた。  だが――寝癖はちょっと戴けないな、うん。 「同じ声かどうか、検証してやるから。ほら、早く言え」  俺の言葉に、しどろもどろしながら横を向きつつ、やっと、 「……キス、してよ」  囁くような、小さい声で言ってくれた。  ――ヤバイ……普段言われない言葉だからこそ、すごく感じてしまう。いやマジで、エロCD万歳―― 「ちゃんと言ったよ。どうなのさ?」  何も反応しない俺にイライラして、文句を言った涼一の腰に手を回し、強引に身体を抱き寄せた。逃げる間もなく、咬みつく様にキスしてやる。  閉じようとした唇の隙間に、舌をねじり込んで絡ませつつ舌先を使って、上顎の感じる部分を、なぞる様に滑らせた。 「っ……ん……ぁ」   「やっぱ同じ、すっげーエロい声、出てるけど」 「ちっ、違っ////」 「あんなBGM流して、今もそんな声出して、ワザと俺を煽ってるんだろ?」  困り果てる涼一を笑いながら、その場に優しく押し倒す。じっと見つめてやると、更に赤くなり瞳が潤みだした。その様子はもう、俺を欲しがっているとしか思えない! 「俺がお前のこと大事に思ってるのに、無神経なことばかり、しやがって」 「そんな、こと」  眉間にシワを寄せ、不快感をアピールしていても、全く効果はないからな。 「してる、してる。余裕ぶっこいて俺を見てる態度も、すっげームカつくしな」  言いながら、右手でTシャツの裾をめくり上げ、直に肌に触れてやった。 「やっ、……ぁあ」  ちょっとしか触れてないのに、身体をビクつかせて甘い声を出す。触れた肌がじわりと熱を持ち、それが俺にも伝わってきて、淫らな気持ちにどんどん拍車をかけた。 「悪いけど今日は執筆させられない。今まで我慢した分、お前を――」  耳元で囁いてから、髪にキスを落とす。けして、エロCDのマネをしたワケじゃない。してやったら、喜ぶかなぁと思っただけだ。  などと自分にいいわけをして顔を覗き込むと、いつも通り、文句を言いそうな表情をしている。  むー……外してしまったか――  内心舌打ちをし、何かを言いかけた恋人の苦情をしっかり塞ぐべく、キスをしてやった。  この時点で残念ながら締め切りのことや、身体のこととか、心配しなきゃならない事象を、キレイさっぱり忘れてしまっていて。担当者として最低なのだが、恋人としては間違いなく、タイムリーなことをしてると、勝手に自負する。 「…ンっ、んんっ……ぁ」  柔らかい唇を吸い上げ、やわやわと貪りながら、服を脱がしにかかっていた矢先だった。    ピンポーン、ピンポーン!  その音にお互い、顔を見合わせる。  ――無視してやるっ!  そう思い、続きを続行すべく首筋に顔を埋めた瞬間、またまたインターフォンの音が、これでもかとこだました。 「くそっ! こんな時間に来るなんて、どこのアホだ、まったく!」  無神経なことしやがってと文句を言いながら、乱してしまった服を元に戻して、勢いよく立ち上がる。  イライラしながら玄関に向かい、覗き窓から外を見ると、会社の後輩がニコニコしながら、ひとりで立っていた。  明日淹れる朝のコーヒーに、下剤投入決定だな――  などと、ちゃっかり復讐作戦を練りつつ、扉を開けて中へと促した。

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