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繭の中-3-
「アーク。貴様なんでそんなに弱いんだ? 強くなれない呪いにでも掛かっているのか?」
ノエル邸の裏庭の片隅にて、赤毛の女が憐れみと失望のこもった溜息と共に零す。
女の足元には大の字で倒れたアークが、肩で大きく呼吸を繰り返していた。
「私が…弱い、のではなく、先生が…強過ぎるん…です」
「私の強さは問題じゃない。問題なのは貴様の弱さだろうが。無駄口叩く元気があるならさっさと掛かって来い。このヘタレが!」
赤毛の女が掬い上げる様にアークを蹴り上げ、小さな身体は高々と中を舞い落下した。
ドサッ。
「あと先生と呼ぶな。私はただのメイドだ」
オーダーメイドで誂《あつら》えた規格外の黒いメイド服に身を包み、圧倒的な存在感を放ちながらそう言い切る女性を見上げアークは思う。
こんなに極悪に強いメイドなどメイドではない――と。
同年代に比べ十分な成績を収めていると自負していたアークのプライドを粉々に砕くような事態になったのは、遡る事三ヶ月前。
領地内の森にて劇的な出会いを果たした二人だったが、赤毛の剣士はアークがテールス・エス・ノエルの息子と分かると、荷物の様に肩に担いだ。
何処に連れて行かれるかは分からないが、その前にせめて死者を弔う事を願い出るが「必要ない」と却下された。
「隠れていないで出て来い。さもなくば貴様らの大事な坊ちゃんを傷物にするぞ!」
人影のない森へ言い放つと迷彩の術式にて身を隠していた剣術師に名が剣を片手に現れた。
「アーク様を放せ」
二人の剣術師が獰猛な目で威圧するが、赤毛の剣士は歯牙にもかけない。
「断る」
剣術師二人は同時に仕掛けるが、一瞬にして地に伏す事となった。
「自分と相手の力量差が量れるくらいの事はできるだろう? おとなしく諦めろ」
「アーク様を放せ……」
何があってもアーク様だけは守ると己に課していた剣術師は倒れたまま必死に手を伸ばすが、そんな剣術師を赤毛の剣士は容赦なく蹴り飛ばす。
「貴様ら弱者に出来るのは沢に転がった十五体の死体を処理する事と、そっちで気絶している仲間二人を持ち帰る事だけだ」
それだけ言い放つと赤毛の剣士は肩にアークを乗せたまま歩き出した。
「うちの者は殺さなかったのですね」
「敵かどうかぐらい瞬時に判断できるからな」
「なら何故殺したなどと嘘をついたのですか?」
「そんなもん、貴様に世の中の厳しさを教える為に決まっているだろうが。そんな事よりこれから転移の術式を使うから、気を引き締めろよ。あちらに着いたとたん吐くなどというみっともないまねをしたら酷いからな」
酷い目に合わせる。
その言葉に残忍な響きを感じ取ったアークは歯を食い縛り、無言のまま頷いた。
転移先はノエル邸であった。
門でも玄関でもなく、ダイレクトに父テールスの書斎に到着したアークは赤毛の剣士の展開させた荒々しい転移術式による酔いで顔を青くし、口元を押さえその場に座り込んだ。
だが、アークよりも顔を青くしている者が居る。
部屋の主、テールス・エス・ノエルである。
金髪に蒼氷色の瞳。男の色気を漂わせた三十代後半のテールスは、十人居れば十人全ての女性を虜にする甘いマスクを引き攣らせた。
「よお。テールス。相変わらず色男だな」
「ヴェロ…ニカ…何故ここに!?」
赤毛の剣士は重厚な作りの机へ優雅に腰を落とすと、慣れた仕草でテールスの肩に腕を回し、囁く様に言った。
「私を雇え」
前置きも説明もなく単刀直入な申し入れに、テールスは眉を奇妙に歪めた。
「就職先を求めているならいくらでも紹介してあげられるが……?」
「貴様の家で雇えと言っている」
「いや、その…私の一存では決められないと言うか…なんというか……」
「ノエル家当主の貴様に決められない事があると言うのか?」
「まぁ、当主と言うだけで絶対者ではないし……ごにょごにょ」
テールス・エス・ノエルは王ですら話をする時は王座から下り、対等な目線で話すほどの人物だ。アークにとって父は自慢であり誇りである。
そんな父が威厳も尊厳も無く、油汗を掻きながら歯切れの悪い答えを返している姿に衝撃を受け、アークはそっと目線を逸らす。
見てはいけない。これは何かの間違いだと自分に言い聞かせる為に。
「なあ、テールス私はお願いしている訳じゃない。分かるだろ? 貴様はただ頷けばいいんだ」
「いや、だが、君を剣術師として迎え入れるとなると色々問題があると言うか、起きると言うか……」
「誰が剣術師として雇えと言った? メイドとして雇え。アーク付きのメイドとしてな」
ヴェロニカの獰猛な微笑みにテールスは表情を凍りつかせたまま妙な声を漏らす。
「へっ?」
ヴェロニカの顔を凝視しそしてアークへと視線を移す。
正気を取り戻したテールスはすぐさま申し出を全力いで拒否する。
「駄目だ! 駄目だ! アークは私の可愛い息子だ。絶対に駄目だ!!」
自分の名前が挙がり、再び視線を父に合わせると、ヴェロニカは肩を引き寄せテールスに凄みのきいた声で囁いた。
「確か、貴様には貸しが幾つもあったな。あれは何時返してくれるんだ?」
「いや…その…だな」
「貴様に返済能力がないようなら、母親か奥方に取り立ててもいいんだがな」
例え何十万の兵を前に孤立無援となろうと臆する事のないテールスだが、そんな彼にも怖い人がいる。
一人は目の前のヴェロニカ。そして残り二人は敬愛してやまない母親と世界で一番愛している女房である。
もしもヴェロニカが二人のうちどちらかに或いは両方に取り立てに行ったら・・・・・・。
想像しただけで汗は滝の如く流れ、震えは止まらない。
「テールス。子供は何人いる?」
「そんな事を聞いてどうするんだ?」
「質問を質問で返すなよ」
肩に回していた手を持ち上げ、テールスの耳朶を弄ぶように撫でると男は小さな悲鳴を上げた。
「さっ、三人だ」
「三人か。なら一人くらいはいいだろう?」
いいわけがあるかー!! と心の中で叫ぶもののその言葉は声にならず、ただ首を左右に振り否を示すのが精一杯だった。
常に勇猛果敢な獅子の様な父が肉食動物に追い詰められた草食動物の様に見え、いたたまれない。
アークは勇気を振り絞って大人達の会話に割って入る。
「父さん。私はヴェロニカさんにメイドとして傍にいて欲しいです」
父を助ける為に自己犠牲を厭わない息子の姿に感動を覚え、涙ぐむ。
こんな素晴らしい息子を生きた凶器。歩く災害に渡してなるまいと己を奮い立たせ、断固たる意思を持ってきつく拳を握る。
だが、テールスが言葉を発するよりも早くヴェロニカは空いていた手で男の顎を捕らえ、強引に自分へと向き直らせた。
「本人が希望しているんだ。問題ないだろう?」
有無を言わせぬ口調。爛々と光り輝く金色の瞳は捕食者のそれである。
否を唱えようものなら、どんな目に合わされる事か……。
記憶の奥底へ封印していた忌まわしい思い出が甦り、目を見開かせ形の良い唇を震わせ大きく喘ぐ。
恐怖と言う名の記憶から必死にもがいて逃げようとするが、ヴェロニカはそれをよしとはしなかった。
「返事は?」
目が笑っていない殺伐とした微笑に、テールスの確固たる意思は見事に砕かれた。
「はい」
消え入りそうな小さな返事であった。
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