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繭の中-2-
風は穏やかで雲一つない好天の下、第七位の剣術師となったアークは、野外演習を行う為に領地内にある森へノエル家に仕えている第三位の剣術師四名と来ていた。
ヴェグル国では六歳になると術師学校への入学が認められ、基本の術式を学ぶ十級から始まり、六年後小等部を卒業する頃に一級の課程を修めていれば優秀とされる中、十歳で第七位の称号を受けているのはずば抜けて優秀といえる。
日々の鍛錬を頑張った褒美として欲しい物を問われ、アークは家に仕える術師との勝負を願い出た。
息子の向上心に感動を覚えた父は剣術師四名と領地内にある森の使用を快く許可したのだった。
屋敷から森へ向かう馬車の中。剣術師から勝負内容がフラッグ戦と明かされたアークは、数と戦力が不利な状況でいかにして相手の陣地にある旗を奪い取るかを思案する。
四名の剣術師は一切の術式を使用しないというハンデを貰ってはいるが、余りある戦力差をどう埋めるか。相手の戦力を如何にして削ぐかが課題であった。
自分達の半分も生きていない子供が必死に作戦を考えている姿が微笑ましく、剣術師達は皆温かい目で見つめ、そんな視線に気付けない程に現在自分が使える術式の洗い出しに頭を悩ませているアークは変わり行く窓の景色に目を向ける事もなく、ただ馬車に揺られた。
現地に着き、フラッグ戦の開始と終了の時間。その他大まかなルールを取り決めると、アークは一人仕掛けを作りに森の奥深くへと姿を消した。
必要な材料を集めながら森を進んでいくと丁度良い岩場があり、そこで仕掛けのひとつ。土人形《ゴーレム》の製作に取り掛かった。
基本属性が雷撃系のアークにとって土系の術式にあたる土人形《ゴーレム》は作れはするが、高さ二メートル程度の小さいもので、意のままに動かす事も出来ない。
だが、小さく基本動作が精一杯だったとしても相手の霍乱には使える。そう信じ、地道な作業を根気強く進めた。
二体目の土人形《ゴーレム》を作り終えたところで人の気配が近付くのを感じ、不思議に思った。
自分を探しに来た剣術師ならば気配を消し、行動するはずだが近付いてくる者は気配を消すどころか殺気を放ち明らかに威嚇している。
一体何事だろうかと殺気を放つ者の正体を確かめるべく潜んでいた岩場を離れ、細心の注意を払い殺気の方へと向かった。
少し進むと地面が途切れており、手前で徒歩から匍匐前進に切り替え崖へと近付いた。そっと窺い見ると下にはごつごつとした岩の多い沢が広がっており、赤毛の長髪の剣士を取り囲むように十五人もの黒い服の剣士が剣を構えていた。
背は高くがっちりとした体格。黒い服を着た男達にも劣らない巨体の為、一見して男だと勘違いしたが、よく見れば赤毛の剣士は女性のようだった。
女性が多数の剣士に取り囲まれている。
前後関係が分からない以上迂闊なまねをしてはいけないと分かっているが、物心付いたときから女性は守るべき存在だと教えられてきたアークは迷った。
助けるべきか、傍観者と徹するべきか。
赤毛の剣士は罪人なのかもしれない。
黒服の男達はそれを捕らえる為に来たのかもしれない。
だとしたら自分が出る幕ではない。
――でも、もし違っていたら?
赤毛の剣士は罪人ではなく、黒服の男達は何かを奪う為に襲っているのだとしたら?
――分からない。
どう行動するのが正解なのか思い悩んでいると、張り詰めた空気が動いた。
黒服の騎士十人は呪文の詠唱を省略出来る低階位の術式を発動し赤毛の剣士を襲い始めた。
無詠唱の術式は即座に繰り出せるが威力は小さく、優れた剣士であればある程度剣で薙ぎ払える。
赤毛の剣士は放たれた魔術攻撃を容易く薙ぎ払い、斬り込んで来る十人の攻撃を難なく躱《かわ》して行く。
――強い。
黒い服の剣士達は間違いなく上位の術師だ。
そんな者を十人も相手に戦い押されるどころか、押している。
第七位の剣術師では助けるどころか戦闘の邪魔にしかならない。
このまま傍観者としているべきと判断したその時。戦闘に加わらず、後方に控えていた五人の剣士が術式を紡ぎ始めた。
詠唱を必要とする術式は威力が大きい。詠唱が長ければ長いほどに。
十人を引き付け役として使ってまで紡ぐ術式。しかも五人がかりとなれば威力は相当なはずだ。
術式の正体は不明だが、完成させてはいけない。
直感的にそう感じたアークはフラッグ戦で使う予定だった土人形《ゴーレム》を発動させた。
突如出現した二体の土人形《ゴーレム》に黒い服の剣士達の意識が一瞬赤毛の剣士から離れ、次の瞬間剣士達の視界を奪うように雷が発せられた。
僅かな隙だったが、赤毛の剣士にはそれで十分だった。
剣を合わせていた剣士を斬り捨て、それにより出来た綻びを衝くようにまた一人。
瞬く間に十人の剣士を切り伏せると距離を取り、術式を紡いでいた剣士へと光系術式で紡いだ矢を無数に解き放ち串刺しにした。
あっという間の出来事だった。
術式の阻止と赤毛の剣士が逃げる為の隙を作れればと、土人形《ゴーレム》と雷撃系術式を展開させたのだ。
それが黒い服の剣士の全滅という予想外の結果に茫然自失となっていると突如背後から声が掛けられた。
「余計な真似をしたのは貴様か?」
振り返ると崖下十五メートル程の沢にいる筈の赤毛の剣士が憮然とした態度で立っていた。
背が高く確りとした身体つきだとは思っていたが、眼前の女性剣士の豊かでいながら引き締まった身体に目を見張る。
多くの女性剣士を見てきたアークだが、ここまで立派な体躯をした女性剣士は一度として出会った事がなかった。
他を圧倒する気迫に満ちた存在に呆気を取られていると乱暴に胸倉を掴まれ、女性剣士の目の高さまで持ち上げられた。
足は地を離れ、中を浮いている状態のため、自分の重さで首が絞まらないようにと剣士の腕を掴む。
「質問に答えろ。土人形《ゴーレム》を発動させたのは貴様か?」
涙を流して感謝されると思ってはいない。だが、助けて怒りを向けられるというのは全くの想定外の為アークは狼狽<うろた>えた。
「は…い。自分です」
「何故私を助けた?」
「そ、それは……」
アークの答えを遮るように突如二体の影が女性剣士の背後に現れた。
二本の剣が容赦なく女性剣士の背に振り下ろされるが、剣は空を斬る。
そして二人の剣士は自分の身に何が起こったか分からないまま地面へと崩れた。
自分を掴んだまま二人の剣士を倒した事も去る事ながら、今倒された者がノエル家に仕える剣術師だと分かり背筋が凍った。
「殺したのですか?」
「だったら何だ」
「何故、殺したんですか?」
「剣を向けられたから反撃した。ただそれだけだろう」
赤毛の剣士の言いは剣士として当然である。
だが、二人は使える家の息子を救出する為に斬りかかっただけで殺意はなかった。
手傷を負わせるだけでも良かったのではないかと訴えると、赤毛の剣士は鼻先で笑った。
「これはお前が招いた事だろう?」
「何を…」
「貴様、私が何者か知っているか?」
「…いえ」
「私が何処の誰かも知らず、事の前後関係も分からず、何故助けた?」
咎めるような問いに、つい言い訳でもするような返答になる。
「それは…貴方が女性で相手は十五人もの男性剣士で数的に不利だったのと、上位の術式が紡がれていたのでそれを阻止したくて……」
「貴様の正義に則って助けた訳か。つまり、自己満足のためだな」
剣士に断言されアークは何も言えなかった。
「貴様が助けた事によって十五人の剣術師が死に、貴様の家の者が二人死んだ。どうする?」
剣士の問いの意味が分からず、押し黙っていると更に問いは続いた。
「仮に私が非道な極悪人だとして、この後更に人を殺すとする。何十何百何千何万になるかもしれない。貴様はその命に責任が持てるのか?」
「それは…」
「無理だろ? なら今この場で私を殺すしかない」
上位剣士十五人がかりでも倒す事の出来ない剣士を第七位剣術師の自分が倒せるはずもない。
「無理です。出来ません」
「そうだな。弱い貴様には私を殺す事は出ない。責任も取れない半人前が余計な真似をするんじゃない!」
厳しい叱咤を受け、思わずアークは息を呑んだ。
女性剣士の表情と声から怒りの度合いを感じ取り、殴られる事を覚悟し歯を食い縛り待ち構えた。
だが、平手も拳も叩き込まれる事はなく、代わりに胸倉を掴んでいた手が緩み地面に落とされた。
崩れるように着地したアークは佇まいを直すと女性剣士を見上げた。
女性剣士の言いは分かる。正しいのかもしれない。
だからと言って自分の弱さを理由に見て見ぬ振りは出来ない。
楯突く気は無い。
自分が絶対的に正しいとも思わない。
ただ「分かりました」とその場だけの返事をする訳にはいかない。
今度こそ殴られる事を覚悟して、口を開く。
「確かに、私の行動は軽率だったと思います。でも、今後同じような場面に出くわしたならやはり同じ行動を取ると思います」
胸を張ってそう言い切る少年の胸を女性剣士は蹴り付ける。
剣士にしてみれば撫でた程度の蹴りであったが、威力は十分。アークは地面に倒れるとそのまま三メートル程転がった。
「そういうセリフはテメーで尻《けつ》が拭けるようになってから言え!」
派手に転がったが、怪我はなく痛みも覚えなかったたアークはすぐさま立ち上がり、剣士を真っ直ぐ見つめる。
自分のあり方を変えるつもりは無いとでも言うように。
説教がてらもう一発叩き込もうと近付くと、転がった際に胸元から零れたと思われる光物を見て剣士は目を細めた。
無遠慮に首に巻きついた金のチェーンを引き、通された家紋入りの指輪を確認し、顔を顰《しか》める。
「貴様、テールス・エス・ノエルの倅か?」
「えっ、あ…はい」
「なるほど、夢見がちな思考は親譲りと言うわけか」
女性剣士は溜息と共に肩を落とす。納得したと言わんばかりに。
「父を……ご存知なのですか?」
「ああ。クソ忌々しいほどにな」
剣士は、言葉とは裏腹に懐かしむような目でそう言った。
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