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繭の中-6-
空中に五十センチ程の正方形状の防御壁を数メートル間隔で張りそれを足場として疾走して行く。
担がれ、地上を見下ろす形でいるアークには川の流れのように景色が過ぎて行く。街を過ぎ、郊外を越え森に差し掛かったところでヴェロニカは地上へ下りた。
「この辺でいいだろう」
肩に担いでいたアークを下ろし、改めてその姿を見る。
多少よれはしたが、咲き誇る花のような美少女に唸る。
「今のままだと目立つな」
そう言うとレッグシースに常備しているナイフを取り出し、両側の髪を削ぐと顔を覆うように仕上げ、馴染ませる為にか髪全体を掻き回した。
リリンが折角セットした髪が見るも無残な状態になったが、髪がボサボサなだけで美少女には変わりない。
「これでもまだ目立つな」
ヴェロニカは何処に隠し持っていたか瓶底眼鏡をアークに掛けてみた。
「これはこれで一部の男の目を釘付けにしてしまうな。仕方ないこれも付けろ」
差し出されたのは鼻から口元を覆う白いマスクであった。
眼鏡とマスクで容姿が全く分からない状態になり「まぁ、こんなものか」と頷いた。
「これなら人に囲まれずに思い人まで辿り着けるだろう」
「先生。面白がっていませんか?」
「そんなの当たり前だろう」
踏ん反り返りはっきりキッパリ言い切られ脱力を覚え、肩を落とす。
「ほら」
差し出されたものを受け取るとそれは魔術師学校のカード式学生証であった。
「どうしたんです。これ?」
「作らせた。これがないと校内に入れないだろ?」
確かにその通りである。
何処までも用意周到なヴェロニカに大きな溜息を零す。
「いいか、アーク。こそこそしていると怪しまれるからな。堂々としろよ」
――女装している状態で堂々と出来る程私の心臓は強くないです。
心で断りを入れながらも「はぁ」とどっち付かずな返事をする。
「しゃっきりせんか!」
「ぐはっ!」
勢い良く尻を叩かれ、ひり付くそこを擦る。
「剣術師学校へは風邪で休むと伝えておく。貴様は心置きなく告白して来い」
返事の変わりに重い溜息をつくとアークは踵を返した。
「レポートを楽しみにしているぞ」
アークは振り返る事はせず、力なく右手を上げ「尽力を尽くします」と小さく返すと森の奥深くに建つ魔術師学校へと向かった。
剣術師学校と隣り合ってはいるものの正門が正反対に設けられている為、剣術師学校の生徒とは殆ど遭遇する事無く魔術師学校正門まで辿り着いた。
重厚な門を前にこのまま引き返したい。帰りたいと心の中で愚痴る。
だが、潜入を怠ったとしれたらヴェロニカにどのような目に合わされるか、考えただけでも嫌な汗が出てくる。
己に活を入れるべく両手で頬を挟む形で叩き、気合を入れると門を潜った。
門から校舎までは数百メートルある。歩道は石畳で舗装されているがそれ以外は緑園となっている。普段は草木しかない場所に今は飾り付けがされ、ところどころに屋台が組まれている。
文化祭期間中は授業が全て免除される為殆どの生徒は登校し担任に出席確認をしてもらうと直ぐに出し物の作業に向かう。
今も術式を展開しアルミや鉄を精製する者。綿や絹を精製する者。得体の知れない薬や術具を作っている者があちらこちらに居る。
そんな者達を尻目にアークは目的の人物を探しつつ校舎へと進んで行く。
中央玄関に着き、認識されるのか疑問に思いつつも改札口に学生証をかざすと、当たり前のように開き通る事が出来、そのまま進むと登校時間ギリギリの為か、玄関は生徒でごった返しとなっていた。
人の隙間を縫って廊下に辿り着くものの廊下《そこ》も人と物でひしめき合っている。
使い魔や伝書の術式。ありとあらゆる物が飛び交う為、剣・魔術師学校の天井は通常の建物の倍以上高さがある。
廊下の混雑を避けるべく、多くの生徒は杖や箒などに飛行の術式を施し、飛んで行くが、攻撃防御そして基本の治癒術式以外は扱えないアークには飛ぶ事は出来ない。
うんざりしつつもまずは目的地を定めるべく、手短にいた高等部の生徒と思わしき人物へ声を掛けた。
「失礼。中等部でメイドの出し物をするのは何処でしょうか?」
瓶底眼鏡にマスクという怪しい風体の少女に驚く様子もなく男子生徒は記憶を辿り「それなら三年一組じゃなかったか?」と答えた。
「三年一組。ちなみにそれはどの辺りでしょうか?」
「はぁ? そんなの西塔三階に決まってんだろ」
「ですよね」
「大丈夫か?」
いぶかしむ男子生徒に丁寧にお礼を述べると、西塔へ向かうべく方向転換した。
すると明るく元気な声ガ背後からした。
「ねえねえ。キミキミ。そこのキミ」
自分を呼ぶ者などいないとそのまま進もうとするが、硬いものが背中に押し当てられ振り返る。
アークよりも若干背の低い女子生徒が大きな箱を抱え立っていた。
「無視しないでよ瓶底眼鏡ちゃん」
「私ですか?」
「うん」
「何でしょう?」
「うちのクラス行くならこれ運んでもらって良い?」
目の前の女子生徒は小等部にも見える程に幼い顔をし、さらに術具で染めているらしいピンク色の髪をツインテールにしている為に幼さが割り増しとなっている。
どう見ても年下にしか見えないが人を見た目で判断してはいけない。
念の為教室を確認すると、ツインテールの女子生徒はにっこり微笑み「うんうん。そこそこ。三年一組。宜しくね」と言い、装飾品の入った箱をアークに押し付けると、箒に乗って飛んで行ってしまった。
三年一組へ行く大義名分を手に入れたアークは西塔へと向かうべく歩き出した。
人と物を避けながら三階へ辿り着くと目的の場所は直ぐに分かった。
試着の為か男らしい顔と体格に不似合いなメイド服を着た生徒が廊下に何人も居た。
アークは箱を抱えたまま廊下からそっと教室を覗くと、赤と白を基調とした室内に彼は居た。
昨日とは違い男子用の制服に身を包み、教室端のテーブルで猫耳の装飾品を縫っている。そんな彼を取り囲むように六人の女子生徒が近くに座り、やはり何か縫い作業をしている。
女子生徒達の顔に悪意や嫌悪の色は見られない。
それどころか明らかに好意を抱いているのが分かるくらいに楽しそうに笑っている。
その光景を見てアークは自分の心配は杞憂だったのだと胸を撫で下ろした。
平民である事で受け入れられず、孤立していると思っていたが、そうではなかった。
いや、イグルを受け入れられない人間も居るのだろう。だが、ちゃんと受け入れている人間も居る。
要らぬお節介を焼く必要はなさそうだと安堵した。
その時だった。
遠くから情けない叫び声があがり、見ると暴走する箒にしがみ付き太目の男子生徒がアークの居る方へ突っ込んで来た。
「たすけてくれぇぇぇぇぇぇぇぇ!」
アークは持っていた箱をその場に落とし、咄嗟に防御壁を張るが、それでは自分はともかく箒の生徒は防御壁にぶつかった際間違いなく怪我をする。
それでは駄目だと思い直し、防御壁を消すと筋肉強化の術式を展開させた。
タイミングを計ると箒に向かって走り、飛び上がる。
男子生徒の胴体部分へタックルをし、痛みとショックで男子生徒が箒から手を離すと空中で一回転し、着地した。
「怪我はありませんか?」
「鳩尾が痛い……」
男子生徒は顔を青くし、そのまま前のめりに倒れた。
「もしもし?」
肩を叩くものの倒れたままの男子生徒の尻に容赦ない蹴りが叩き込まれる。
「飛行術ぐらい使いこなせよ、この豚が! つーか豚が飛ぶな!」
心無い暴言と暴力を注意すべく顔を上げるとそこには記憶に新しい顔があった。
ジェリド・ゾッド・シム。
昨日屋上にてイグルをからかっていた生徒の一人だ。
アークが凝視しているとその視線に気付いたのか、ジェリドと目が合った。
睨んでいると絡まれても面倒だと、視線を逸らす。
すると、何かが差し出された。
「これ、お前のだろ?」
見れば箒の生徒を助ける際に落としたらしい瓶底眼鏡であった。
眼鏡という防壁を失っていた事に気付き、慌てて俯く。
――バレてないですよね?
「それにしてもお前、魔術師のくせに筋力強化の術式なんか覚えてんだな」
「ええ…まあ」
「詠唱なしで使えるなんて剣術師みたいだな」
「ですかね?」
アークは顔を伏せたまま眼鏡を受け取ろうとすると、身を屈めジェリドが覗き込んできた。
「お前、どっかであった事ないか?」
「いえ。そんな事ありません。全くの初対面です!」
はっきりキッパリ嘘を吐き、奪い取るように眼鏡を取り戻し、掛けるがジェリドはしつこく食い下がる。
「そうかぁ? でも、どっかで見た事あんだよな。その目」
「きっ、気のせいです」
今直ぐ走って逃げ出したいところだが、箒の暴走を止めるべく集まった生徒と野次馬で空中から廊下まで人垣が出来ており、それは不可能だった。
なんとか遣り過ごさねばと思うが、いい案が出ない。それどころかマスクを取って見せろと要求され嫌な汗が噴出す。
――まずい! このままではいずれバレてしまう!
かくなる上はジェリドを殴り飛ばし、人垣を蹴散らし強行突破するしかない。
見渡す限り魔術師だらけのこの状況下でそんな真似をすれば、捕縛される恐れがあるが、仕方ない。
――これは試練だ。
――これを乗り越えてこそ真の剣術師になれる! そうに違いない!!
自身を無理矢理に鼓舞し、覚悟を決めた時だった。
「アンジュ。こんなところに居たのか」
杖から颯爽と飛び降り立った生徒の顔を見て、アークは困惑する。
アレイスター・イズ・ベルゲル。
剣・魔術師学校交流試合で常連の魔術師学校きっての秀才。その上背が高く整った顔立ちで女性徒には圧倒的な人気を誇る第三位の魔術師だ。
「キミの到着を皆待っているよ」
人違いだと断るよりも早く、背中に腕を回し両膝をすくう様に持ち上げ、お姫様抱っこをされてしまう。
「さぁ、行こう」
甘いマスクに満面の笑みを浮かべそういうと、アークの返事を待たずに足元に出現させた杖に立ったまま乗る。
「アレイスター先輩そいつは……」
「うちのアンジュが可愛いからって勝手に口説いちゃ駄目だよ。僕を通してくれなくっちゃね」
ウィンクをしてみせるアレイスターに女子生徒は頬を赤らめ、男子生徒は残らず苛立ちを覚える。
「失礼」
そう断り、アレイスターはアークを抱え、飛び去って行った。
廊下を進みアーチ状の大窓から飛び出し、辿り着いたのは庭に聳《そび》え立つ時計塔の天辺に設けられた小さな広間であった。
杖から下りると、優しくその場に下ろされたアークは気まずさを覚えながらアレイスターを見上げた。
「先輩。今更ですが、人違いです。私はアンジュではありません」
「うん。知ってるよ」
「え?」
「だって、アンジュは僕のエアー妹だからね」
「えあーいもうと?」
「うん」
アークは即座に脳内に該当する言葉がないか必死に検索するが、結果はゼロ件。
意味不明である。
「すみません。言葉の意味が分かりません」
「ん? エアー妹というのは実在しない空想上の妹。脳内妹だね」
折角の説明だったが、やはり意味は不明。
ただ、直感として分かった事はこの人もジェーンと同じく重大な何かを抱えているんだという事。そして関わると面倒な人間だという事だけだ。
どう返して良いか分からず、とりあえず当たり障りのない言葉「頑張って下さい」をほぼ棒読み状態で言うとアークは踵を返した。
「待って。待って。窮地を救った僕に他に言う事あるんじゃない?」
「助けて頂き有難う御座いました。大変助かりました。残念ながら使命があるのでこれにて失礼します。二度と会う事はないでしょうが、ごきげんよう。さようなら」
やはり棒読みのまま一気に言うと、アレイスターに背を向ける。
出口へ向かうべく一歩を踏み出すが、アレイスターの言葉でその動作はぴたりと止まる。
「アークくんてばつれないなー」
――今、なんて……。
壊れたブリキの玩具の様にぎしぎしガクガクと鈍い動作で振り返る。
「ひ、人違いです。私はその様な者ではありません」
「またまた」
アレススターが指を弾くとアークの眼鏡とマスクが吹き飛んだ。
露になったアークの顔を見て、微笑を深める。
「ほら、やっぱりアーク・エス・ノエルくんだ。僕がこんなに可愛い子を見間違えるはずないもんね」
――終わった……。
明日から奇異の目に晒される暗い未来を想像し、アークは項垂れた。
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