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繭の中-7-
暗く沈むアークとは対照的に、アレイスターは輝く金髪を風になびかせ、爽やかな笑顔を浮かべて言う。
「交流戦の時に好みの子は漏れなくチェックしてて、アークくんは男の子部門の一位だったんだ」
嬉しくない一位取得に顔を引き攣らせる。
「そんなアークくんが女の子の姿で目の前に現れるなんて、僕の妄想を具現化するチャンスだよね?」
――妄想を具現化……。
何か如何わしい事を要求されるのではないかと身構えると、アレイスターは舞台俳優の如く右手を胸に左手を大きく広げ、妄想の内容を高らかに発表する。
「『お兄ちゃん大好き』と言ってからキスして欲しいな」
――キス……。
「あ、キスと言っても口じゃないよ。ほっぺたにだ。どうだろう?」
どうもこうもない。
一つの要求を呑めば次から次へと要求を突き付けられる事は想像に易い。
脅迫者との取引などありえないと伝える。
「うーん。キスは難しいか。まぁ、妹の純潔を守るのも兄の仕事だしね」
何か勝手に納得し頷く。
「それじゃあ萌えセリフで手を打とう『お兄ちゃんはアンジュのものなんだからね』て言ってくれるかな?」
「いえ、ですから取引はしないと言いましたよね?」
「うん。取引なんかしていないよ。これは僕の純然たるお願いだよ」
「お願い?」
確かに「女装して忍び込んだ事をバラされたくないなら言う事をきけ」と言われていない。
言われていないが……。
「もし、先輩のお願いを断ったらどうなります?」
「そりゃあ、泣いちゃうよ。号泣だね」
ああ、それならば心置きなく断れると口を開きかけた時だった。
「心優しいアークくんは僕を悲しませたりしないよね?」
――交流会で見かけただけで私の何を知っているのですか!?
心で突っ込みを入れつつ後ずさる。
何故なら、アレイスターが妙な重圧を持ってにじり寄って来るからだ。
満面の笑みを浮かべているが、放つ腐のオーラと相殺され、恐ろしい顔にしか見えない。
相手は第三位の魔術師とはいえ接近戦ならそれなりに戦う事は出来るかもしれない。
勝つ事は出来なくとも逃げる事ぐらいは出来るだろう。
そう思うのにどうしても後退してしまう。
「ああ『アンジュはお兄ちゃんのものなんだよ』でもいいよ」
――言葉の問題ではありません!
一歩。また一歩と後ずさっていると背中に硬い物が背中に当たった。
「捕まえた」
アークの背を止《とど》める柵を掴む事で、アークを腕に閉じ込める。
「何で逃げるの? そんなに難しい事じゃないよね?」
「いや、その……」
「別にウエスト部分に控えめに名前の書かれた純白の綿百パーセントのパンツを履いてくれと言っている訳じゃないんだよ?」
――また、パンツ!?
何処かの高位魔術師にパンツの呪いにでもかけられているのだろうかと訝しんでいると、自分より四十センチ以上背の高いアレイスターに覗き込まれアークは脂汗が噴出した。
――近い! 近い! 近い!
息が掛かりそうな程、顔を寄せられ、咄嗟に防御壁を張るがそんなものは直ぐに無効化されてしまう。
――ひぃぃ! 怖い! 怖い! 怖い!
「さぁ『お兄ちゃんのお嫁さんはアンジュがなるんだからね!』て言ってごらん」
怖くないからね――などと言っているが、十分怖い。目が本気過ぎて怖い。
――助けて! 誰でもいいから助けて下さい!
「あれあれ。アレイスター先輩。こんなところで何油売っているんですか?」
切なる願いが届いたのか、救いの声が頭上から響いた。
縋るような思いで見上げると、先程アークに箱を押し付けて飛んで行ったピンクのツインテールの女子生徒であった。
前方に大きなリュックサックを括りつけた箒に跨った少女に目で必死に訴える。
――助けてツインテール先輩!
「やぁ。ミルフィーくん。今日もキラリと光る妹属性が眩しいね」
「そういうポジション狙っていないんで、どうでもいいです」
良く分からない褒め言葉? をさらりと流す。
「それより。文化祭実行委員自らサボってていいんですか?」
「サボってなんかいないよ。やる気を充電すべく妹とコミュニケーション取っていただけだよ」
「へーそうなんですか」
「そうだよ」
「でも、先輩に妹ちゃんはいないですよね?」
「三次元にはね」
「つまり、その栗毛ちゃんは赤の他人ですよね?」
「戸籍上はね」
曇りない爽やかな笑顔で答えるアレイスターに愛らしい笑顔を返すミルフィー。
数秒笑い合っていたが、ミルフィーは笑顔のまま呟いた。
「重力術式《グラビデ》」
アレイスターを取り囲むように黒く複雑な術式が展開される。通常の何倍もの重力付加が与えられると、両手両膝が強制的に床に付かされ四つん這いの状態になった。
「ミルフィーくん。僕一応先輩なんだけど」
「だから何です? 先輩だろうが先生だろうが変態は問答無用で駆除していいんですよ。世界の常識です。知らないんですか?」
ミルフィーが人差し指で中に追加の術式を書くと、アレイスターは四つん這いのポーズも保てなくなり土下座を通り越して潰れた蛙の様な姿勢になった。
「栗毛ちゃん今のうちに」
ミルフィーに手招きされ空中に五十センチ四方の防御壁を段違いで張り、駆け寄る。
「もしかして、飛行術使えないの?」
「恥ずかしながら、その通りです」
「そっか。じゃあ、私の箒に乗ってく?」
箒に乗って飛ぶ。
幼い頃魔法使いの物語を読んで以来ずっと憧れていた術式だ。
剣術師の道を選ぶ際、諦めはしたがそれでもずっと心の片隅に残っていた。
その夢が今叶う。
叶うが、箒に乗るには先輩《ミルフィー》と身体を密着させなくてはいけない。
――自分を女子と思い、相乗りを提案してくれている先輩を騙すようで気が引ける。このまま申し出を断るのが正しい選択のはずだ。
――だが……。
「ねぇねぇ。乗らないの?」
――乗りたい!
――だけど……。
「早くしないとアレイスター先輩、復活しちゃうかもだよ? 腐ってても一応第三位の魔術師だしね」
アークは小さな悲鳴を零した。
「お邪魔します!」
折り目正しい礼をすると、そそくさと箒へ跨った。
身体を密着させない様に少し間を開け、両手で確りと箒を握るがミルフィーに窘められる。
「駄目駄目。そんなところじゃ危ないよ。ちゃんとここを持って」
半強制的に腕を腰に巻きつけられ、小さな背中に抱き付く形となった。
――ごめんなさい先輩。騙すつもりも疾《やま》しい気持ちもありませんので、許して下さい!!
心の中で誠心誠意謝罪していると箒は勢い良く発進した。
「凄い!」
先程アレイスターに抱きかかえられて飛びはしたが、混乱していた為に飛行を堪能するどころではなかっし、抱えられていたので飛んでいると言うよりも運ばれている感が強かった。
改めて飛行を体感し飛空艇で飛ぶのとは全く違う感覚に感嘆の声を上げると、小さな先輩は笑った。
「栗毛ちゃん。もしかして箒で飛ぶのは初めて?」
「ええ。まあ」
「おうちの人は?」
「父は剣術師ですし、家に仕えてくれている者達に箒で飛ぶ者はいませんから……」
高位低位関係なく学生時代は自分の箒や杖で飛ぶのが主流である。
術具を使わずに飛べたとしても友達に仲間に合わせ、色を塗り飾り付けをしたりする。そうする事で友情を深め仲間意識を強めるのだ。
だが、卒業と同時に高位の者は箒や杖を使わなくなる。
アークの家に仕える魔術師は皆が高位である為、箒や杖を使う者はいない。自分の我が侭に付き合わせるのを良しとしないアークは今まで一度もお願い出来ずにいたのだ。
「そっかそっか。それじゃあちょっとドライブしようか」
「え、でも文化祭の準備が……」
「ちょっとくらい大丈夫だよ」
朗らかに笑うと箒は緩やかに上昇した。
真横に見えていた学校が遠ざかり徐々に小さくなって行く。
「ところで栗毛ちゃんはなんでアレイスター先輩に絡まれていたの?」
「絡まれていたと言うか……」
アークは頼まれた装飾品入りの箱を届けてからの出来事を掻い摘んで話した。
「あははっ。それはそれは災難だったね。それにしても、あまりの美少女ぷりにキミが瓶底眼鏡ちゃんと同一人物だとは気付かなかったよ。なんで瓶底眼鏡にマスクなんかしてたの? 勿体無いよ」
素顔を見られたくなかったからだと言えば何故かと問われそうで、笑って誤魔化す。乾いた笑いから何か事情があるのだと汲み取ったミルフィーは深くは追求せずに「美少女も大変だねー」と笑った。
「話から察するに栗毛ちゃんは箱を運んだだけだよね。うちのクラスになんの用だったの?」
真っ正直にイグルと友達になり来たとは言えず、言い淀んでいるとミルフィーはこの時期ならではの用事に思い当たった。
「もしかしてダンパのお誘い?」
ダンスパーティー。通称ダンパ。
文化祭最終日に行われるもので、その場で意中の相手と踊る事が生徒達の夢の一つである。
早い者は文化祭準備が始まる前に行動に移し、大半の者は準備期間中に距離を縮め親しくなってから申し入れをするのである。
アークの用件を勘違いしたミルフィーは声のトーンを上げ、嬉しそうに問いかける。
「ねえねえ。誰誰?」
「いえ、私の要件はダンパではなく……」
「またまた。この時期に他の学年が準備と関係なく訪ねて来るのってそれくらいだよー。誰にも言わないから教えて。ね?」
「本当にダンパとは関係なく、先日お世話になった方にお礼が言いたくて……」
それらしい理由をでっち上げるが、それがかえって墓穴を掘る事となった。
「恩人さんなら隠す必要ないよね?」
「……」
「うちのクラスに人助けするような気の利いた人間なんていたかな? で、誰誰。良かったら呼んで来て上げるよ。なんならこのままクラスまで一緒に行く?」
眼鏡もマスクも無い状態でクラスになど行ったら下手をすれば正体がバレてしまうかもしれない。それだけは何とか回避したい。
「クラスに行くのは気が引けるので、出来れば呼んで来て貰えますか?」
「うんうん。良いよ。で、誰?」
「……イグル・ダーナ先輩です」
「イグルん? イグルんはないなー」
「ないって……?」
「イグルんが人助けはないよ。やっぱダンパのお誘いでしょ」
「いえ、本当に……」
「だってだって。目の前でクラスメイトが瀕死の重傷を負っていても傍観している様な人間だよ? 絶対にないよ。もーー隠さなくって良いよ。中身は兎も角見てくれは良いからね。好きって子多いいよね」
「そうなんですか?」
「うん。だから呼び出すと逆に目立っちゃうからさ。あそこ!」
ミルフィーの指差した先は緑園の奥に広がる森だった。
「あそこに沢があるんだけどね。そこでお昼ご飯食べるのがイグルんの日課だから時間になったら行くと良いよ」
「分かりました」
「あーでもでも。迷彩の術式とか駆使して上手く近寄らないと下手すると逃げられちゃうから気を付けてね。あとあと、辛辣な言葉を投げつけられるかもしれないけどめげないでね!」
「……はい。頑張ります」
ほんの僅かイグルの人間性についての情報を貰ったところで箒は下降し始めた。
学校の屋上に到着し、自分が今無防備に素顔を晒している事に気付き、アークは駄目もとで尋ねる。
「先輩。マスクなんか持っていないですよね?」
「んー。いやいや。持っているよ」
言うなり箒に括りつけていたリュックを弄り始めた。
暫くし差し出されたマスクを見てアークは固まる。
「あの、先輩。普通の白いマスクはないですか?」
「んー。ないよ。これはメイド喫茶で使うかもしれないと思って用意してただけだし」
猫の鼻と口がプリントされたマスク。これを付けたらこれはこれで目立つ。だが、素顔を晒すよりかはいいのかもしれない。
受け取る勇気が持てずにいると「大丈夫大丈夫。栗毛ちゃん可愛いから似合うって!」と強引に渡された。
――似合う似合わないの問題ではないです。
「何だったら猫耳カチューシャもいる?」
「いえ、要りません! 私には無用なものです。是非文化祭にお役立て下さい!」
力一杯遠慮すると猫耳カチューシャの変わりに小さなカードが差し出された。
見ればミルフィーの個人情報がいくつか書かれている。
「今年のダンパには間に合わないけど、来年のだったら間に合うかもだから胸の事でお悩みなら是非是非連絡頂戴ね」
幼さが残る顔とは半比例するかのような豊満な胸を強調するように上半身を反らす。
「独学で見つけたんだ。大きくする方法」
「そう…ですか……」
「女の価値は胸じゃないけど無いよりはあった方がいいからね」
どう返して良いか分からず無言でいると、栗毛少女を元気付ける為かミルフィーは親指を立てた拳を突き出し高らかに言う。
「大丈夫。大丈夫! まだ間に合うから!!」
「えっと…はい。そうかもしれませんね」
困った時は兎に角笑うに限る。
引き攣り気味の笑顔を浮かべているとツインテールの先輩は「またね」と言い残し元気に飛び去って行った。
誰もいない屋上でアークは何処までも続く青い空を見上げる。
――一日って長いな。
そうしみじみと実感し、そっと零す。
「帰りたいな」
希望と願いのこもった言葉は風と共に空に吸い込まれた。
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