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繭の中-9-

 二度ある事は三度ある。そんな言葉が実証されるのを避けるべく男子生徒との食事を終え、迷彩の術式を紡ぐと階段ではなく空中に防御壁の術式で足場を作り緑園の奥に広がる森へと向かった。  文化際の準備で賑わっている校舎側とは打って変わり、そこは静寂に包まれていた。  虫と小動物の気配だけが漂う森を進み、沢の場所を確認したアークはそのまま更に奥へと進み気配を気取られない距離までくると適当な大木に背を預け座った。  首尾よくイグルと対面できたとしてどう切り出すか、そんな事を考えながら時が来るのを待った。  昼を告げるチャイムが時計塔から鳴り響き、少しの間を置いてから沢へと向かった。  獣道を忍び足で進んでいくと景色が開け豊かな水が流れる沢が現れ、大人二人は余裕で座る事の出来る大きな石に目的の人物は腰を下ろしていた。  金の砂のように降り注ぐ日の光と緑が鮮やかな草木。森の青い空気に溶け込んでいる白銀の少年の姿はまるで一枚の絵の様に見え、アークは暫し見入ってしまった。  我に返り、迷彩の術式で身を隠したまま近付くのは失礼だろうと術式を解こうとするが、それよりも早く声が掛けられた。 「私に何か用ですか?」  完全に気配を絶っていたにも拘らず気付かれた事に驚く。  アークは迷彩の術式を解くと猫のマスクを掛けたままイグルの前に出た。  頭の中で何度となくシュミレーションをしたが、いざ本人を前にするとどう切り出して良いか分からなくなり言葉を失う。  気まずい沈黙が流れ、重い空気を振り払うべく口を開く。 「…初めまして」  格好が格好なだけにそう挨拶をしてみたのだが……。 「昨日お会いしましたよね? アーク・エス・ノエル」  無表情なまま確認され、消え入りそうな声で「はい」と返す。  無意味なマスクを取り外し、素顔を晒すと改めて「こんにちは」と挨拶し直した。 「何故、私だと分かったのですか?」  白銀の少年は静かに見つめるだけで答えなかった。 「えっと…この格好には訳がありまして……」 「貴方の事情に興味はありません。用件はなんですか? なければ消えて下さい」  容赦ない言葉に再び言葉を失う。  あからさまな拒絶的態度に怯みそうになるが、着替えの時にジェーンに言われた言葉を思い出す。 『今日のアーク様は女の子です。女は強《したた》か、かつ大胆に押せ押せゴーゴーですわ!』  ――臆してはいけない。今の私は女の子だ!  姿かたちから入るとはよく言ったもので、制服や衣装を身に付ければ自然と心もそれに倣う。女子の制服を着ている効果か何時もに比べ強くいられる気がする。  クラスで親しくしている何人かの女の子達を思い出し、彼女達の強さにあやかる事にする。  笑顔を装備すると見えない壁を無視し、無遠慮に間合いに踏み込んで行く。  イグルの顔に影が落ちるほど近付きより一層微笑みを深める。 「隣、座っても良いいですか?」  予想通り返事はない。  放つ空気から察するに『否』である事は明白だが、女の子達ならば無言は『応』とみなし座だろうと遠慮なく鎮座した。  男の場合、正面に立たれるのは不快だが横ならばかなり接近しても大丈夫だと女の子達が話していたのを思い出し、腕が触れるかどうかの距離まで詰めてみた。  目をそらされたり身体をずらされたりしなければ受け入れられている証拠だと聞いたが、目は正面を見据えたままで元々合わせて貰っていない。身体はずらされてはいないが纏っている空気がピリピリしている。  明らかに不快を示すイグルに対し申し訳なく思い、距離を取る為に座り直すが、拳二つ分ほど空けただけなので空気が和らぐ事はなかった。  重苦しい空気の中視線を彷徨わせているとイグルの手の中の包み紙に目が留まった。 「昼食を邪魔してしまいましたか?」 「……」 「もしかしてそのお弁当もご自身で作ったんですか? 先程イグル先輩が作ったシホォンケーキを頂いたんですが、凄く美味しかったです。お料理上手なんですね」  少しでも空気を和らげようと一気に捲くし立てた。  何時も通り話しているつもりだが、制服効果なのかクラスの女子達を手本にしているせいなのか声のトーンが高い気がする。  このまま行くとかなり疲れそうだと記憶の中の女子達を下がらせ、通常の自分を取り戻すべく難解な数学の公式を思い浮かべた。  結果的に満面の笑顔で熱く見つめる事となり、暫くして感情の灯らない目が向けられた。 「菓子など分量をきっちりと量れば誰にでも作れます。それと私は料理などしません」  そう言い、開いた包み紙の中には干し肉とパン。そして顆粒状の物や粉状の物が入った瓶が幾つかあった。  イグルは瓶をつまみ上げ、掌に中身を少しだけ落とすとそれを舐めた。 「それは…?」 「塩です」  答えるとまた別の瓶をつまみ、同じようにして顆粒状のものを口にした。 「今のは?」 「砂糖です」 「何故調味料をそのまま口にするのですか?」 「意味はありません。食事をしているだけです」 「食事って…調味料を舐める事がですか?」 「エネルギーを補っています」 「そんなの食事とは言いません。第一、美味しくないでしょ?」 「食事はエネルギー補給が出来れば良いのです。美味しいと感じる必要はありません」  また別の瓶から粉状の物を取り出し口に含む。  その光景に納得しがたいものを感じるものの何と言って良いか分からず押し黙る。 「それで、そんな格好までして忍び込んだ目的はなんですか? まさか私の食生活が知りたかった訳ではないでしょう?」  何故かイグルを取り巻く空気の温度が僅かに下がった。  怒りというよりも警戒の色を示している空気感にアークは驚くが、考えてみればたった一度会っただけの人間が女装して近付いてくれば警戒して当たり前だと納得し、居住まいを正しイグルを見つめた。  自分に害意は無い事と、本来の目的を告げる為に。 「今日、魔術師学校《ここ》へ来たのは貴方の力になれたらと思ってです」  先を促す様な視線に押され、そのまま続ける。 「平民という身分のせいで不当な扱いを受けているならそれを何とかしたいと思ったんです。ですが、それは私の早合点で思い上がりでした。貴方にはちゃんと友達が居て昨日嫌がらせをしていたジェリド達ですら貴方と仲良くしたいと思っている」 「友達……?」  イグルは一瞬考え、そして抑揚のない声で言葉の意味を並べる。 「友達……互いに心を許し合い対等に交わっている人間。一緒に遊んだりしゃべったりする親しい人間」  解釈に誤りがないかを問うような視線にアークは頷く。 「私にはそれに該当する人間はいません」 「今朝教室で友達と一緒に楽しそうに縫い物をしていたじゃないですか?」 「縫い作業時にクラスの者が側に居ましたが、それだけです」  言われ今朝の光景を思い出してみる。  イグルを取り囲むようにいた六人の女子生徒は楽しそうに笑っていた。  だが、イグル自身はどうだっただろう?  笑ってはいなかった。  誰とも目を合わせず、ただ淡々と作業をしていただけだった。 「だけどクラスの人達は貴方に好意を持っている。友といっても良いのではないでしょうか?」 「友とは一方の気持ちだけで成立するものなんですか?」 「…いえ」 「なら、クラスの者達は友ではありません」  頑ななまでに友という存在を拒絶する姿勢を不思議に思う。 「何故ですか?」 「何故とは?」 「何故、友を作らないのですか?」 「明日には殺すべき対象となるかもしれない人間と親しくなる必要があるのですか?」  イグルの言いは分かる。術師は仕える場所が違えば殺し合う事もある。  友人だから知人だからと剣を鈍らせるわけにはいかない。  情に溺れぬ様に自分を戒める必要もあるだろう。  だが……。 「そんな事を言っていては一生一人で生きていく事になる」 「人は生れ落ちた時から一人で生き、一人で死ぬものでしょう」  確かにそうだ。  そうなんだろうが、それはとても寂しい考えだと伝えると、イグルは感情の無い目で見下げた。 「それは貴方の感傷で私には関係ありません。用件がそれだけなら私は失礼します」  立ち上がり去ろうとするイグルの腕を縋るように掴む。 「待って! 友達になりましょう」  咄嗟に口から出た言葉に驚きながらも更に言葉を続ける。 「貴方と友達になりたい! 是非なって下さい!」  何故だが分からないが目前の少年を一人のままでいさせてはいけない気がした。  初めて屋上で言葉を交わした時にも感じた危うさが色を増し、不安という染みを胸に落とす。  焦りにも似た感情から腕を掴む手に力が入る。 「貴方と友達になる必要性を感じません」 「貴方になくとも私にはある!」  無表情だが……いや無表情だからこそアークの勝手な申し出に対し非難めいたものが見える。 「私に友は要りません。貴方という存在も必要ありません」 「私には必要です!」 「私の何が気に入ったのかは知りませんが、必要以上に近寄らない方がいい」  イグルに手首を掴まれ、強引に手を引き剥がされる。 「私を殺す時に邪魔になります」 「私は貴方を殺したりはしません!」 「明日の事は誰にも分かりません。そうでしょう?」  感情の無い声と何も映さない闇を灯した瞳に諌められアークは言葉を呑んだ。 『何があっても友を殺したりはしない』そう言いたいのに自分の言葉よりもイグルの言葉に重みを感じ、言えなかった。  アークをその場に残し、イグル・ダーナは森に吸い込まれるように消えて行った。

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