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繭の中-10-
白銀の少年に振られ魔術師学校に留まる理由を失ったアークは冷えた森を進み邸宅へ帰る事にした。
姿が姿なだけに正面から帰るわけにも行かず、子供の頃から愛用している秘密の抜け道を使い敷地内に入ると警備の者の目を盗みこっそりと自室に戻った。
「首尾はどうだった?」
何時も通りその巨体をソファに沈め寛いでいたヴェロニカに問われ惨敗だったと告げる。
ヴェロニカはアークに近寄ると顎を持ち上げ覗き込んだ。
「玉砕し心機一転とはならなかったようだな」
困ったような呆れたような表情を浮かべる。
「それにしても、性悪女に恋した男の顔だな」
笑ってそう言うとカツラを被ったままの頭を乱暴に撫でた。
「風呂に入って来い。腑抜けた面《つら》に活を入れてやる」
アークは不安と言う名の染みをそのままに笑って見せた。
「お手柔らかに頼みます」
告白大作戦から三日後。
恒例の朝の稽古後、食事を終え支度を済ませ玄関に向かうと何時もは見送りになど来ないヴェロニカの姿があった。
「行くぞ」
有無を言わさぬ口調で言われ、アークはたじろいだ。
「行くって何処にですか?」
「そんなもの文化祭に決まっているだろうが」
「文…化祭?」
「貴様を夢中にさせている思い人とやらを見てみたい」
ヴェロニカが魔術学校へ行く。
えも言われぬ胸騒ぎを覚え、一歩後退するが二歩は下がらせて貰えなかった。
逞しい腕によって小脇に抱えられる。
「先生。頭痛、腹痛、眩暈がします。今日は自宅療養したいのですが……」
「そんなものは学校へ着く頃には良くなっている」
下手な仮病を無視され、アークは力ずくで運ばれて行った。
文化祭は三日間開催される。
初日は剣・魔術学校の生徒とその関係者のみに開かれ、二日目三日目は一般にも開かれる。
剣術或いは魔術師学校が文化祭などの行事を行っている期間は行っていない方の学校は自由登校となり、朝一で文化祭に行くも良し。自主学習を終えてから行くも良しとなっている。
アークは先日の瓶底眼鏡の正体が自分だとバレる事を危惧し、自主学習終了後は速やかに自宅へ帰るつもりでいた。
というのに……。
当分潜る事は無いと思っていた門の前に立ち、重い溜息を吐いた。
「借金を抱えた行商人みたいな顔をするな。辛気臭い」
誰のせいだと問いたかったがアークは言葉を飲み込み「すみません」と形ばかりの謝罪を口にした。
引き摺られるようにして門を潜ると、空には炎の術式で作られた十メートル前後の竜一頭と二メートル程の無数の鳥が優雅に舞っていた。
少し進むと三日前には疎らにしか設置されていなかった屋台が所狭しと並び、魔術師学校の生徒に混じり剣術師学校の生徒が屋台に群がっている。
朝一だというのに既に多くの生徒で賑わう屋台を尻目に歩いていると、圧倒的な存在感を放つヴェロニカを視界に捕らえた者は皆息を飲むか、口を開き呆然とその姿を見送った。
無遠慮な視線に晒されながら歩いていると正面からクラスメイトが現れた。
「おはよう。アーク」
気安く挨拶してきたのは今年になって剣術師学校へ編入してきたラグナ・エル・シュルツであった。
アークより十センチほど背が高く、生来の品の良い顔に内面から滲み出る誠実さと優しさが感じられる微笑み浮かべている。
アークは物腰柔らかなラグナに対し好意を抱いているが、中には彼の人間性を無視し闇を纏ったような黒髪と黒い瞳が不気味だと敬遠する者も少なくない。その為、編入してから三ヶ月が経った今でもクラスに馴染めず一人で行動する事が多い。
そんな彼が珍しく人を連れている。髪と目の色から肉親である事は一目瞭然。
落ち着いた雰囲気とラグナを上回る身長から兄であるとあたりを付け、訊ねると笑って否定された。
「これは私の弟のログ。ほらログ挨拶は?」
ラグナの後ろに控えるようにして立っていたログは威嚇するような目で睨み、僅かに頭を下げ、ぶっきら棒な挨拶をした。
「どうも」
「ログ、ちゃんと挨拶しなさい」
兄に窘められ渋々挨拶をし直す。
「シュルツ家次男、ログ・エル・シュルツです」
折り目正しく礼をするが、表情は硬く目は剣呑な光があった。
初対面にも拘らず敵意剥き出しの態度に驚いていると弟を背に隠すようにアークとの間に入った。
「すまないアーク。弟は生来の人見知りなんだ」
「そうか……」
改めてログに対し微笑んで見せるが、顔を顰められた。
人見知りではなく明らかに嫌悪を示す態度にアークが困惑しているとラグナは並の男より立派な体躯を持ち気迫に満ちたヴェロニカに目を留めた。
「ところで隣の美しい方は護衛の方かな?」
「まぁ、そんなところかな」
歯切れの悪い答えを返すと横から訂正が入った。
「アーク付きのメイドだ」
「メイド……?」
予想外の言葉にラグナは同様するものの直ぐに立て直し、人好きのする微笑を浮かべ、ヴェロニカに対し礼儀正しく挨拶をした。
ヴェロニカが挨拶を返そうと口を開いた時だった。
悲鳴と叫び声が上がった。
異常を感じ見上げると、遥か上空を舞っていた竜を模した炎の塊がアーク達を目掛けて落下してきた。
アークとラグナ、そしてその場にいる生徒達は炎の竜を防ぐ為に防御壁を上空に各々張り巡らせた。
だが炎の竜はそれらを食い破り徐々に近付いてくる。
氷系が操れる者は炎の竜を凍らせようと術式を紡ぐが功を奏さない。
術師総出で防御壁を張り続けるがそれらを蹴散らし炎の竜は迫る。
禍々しい赤き竜がアーク等を飲み込もうと口を開く。
その場にいる者全てが食い止める事を諦め、自身を包むように渾身の防御壁を張り巡らせると伏せた。
襲い来る熱と衝撃に備えるが何時まで経っても何も起こらない。
一人。また一人と顔を上げ、辺りを見渡すが炎の竜の姿は無くなっていた。
アークは竜が突如消えた訳に思い至り、全ての者が伏せている中、たった一人悠然と立つ者を見た。
ヴェロニカはやれやれと言わんばかりに肩を竦ませるとアークへ手を差し出した。
「有難う御座います」
手を借りて立ち上がり、付近を見渡すと自分より大きな弟を庇うようにして伏せているラグナの姿が目に入り、声を掛けるとゆっくりと立ち上がった。
「私もログも大事無いよ」
「そうか」
伏せていた生徒達が次々と立ち上がり、何事も無かった事に安堵し笑い合う姿が見え、アークは安堵の息を漏らす。
すると頭上から声が掛けられた。
「お前ら大丈夫か!?」
見れば先日アレイスターに鎖を巻き付け引き摺るようにして連れ去った生徒二人が各々杖に跨って浮いていた。
今日は一目でそれとわかる文化祭実行委員の腕章を付けている。
炎の竜が落ちるという惨事に慌てて駆けつけてきたものの何も無かったかのような現状に拍子抜けといった感じで二人はグルグルと飛び回り様子を窺っていると。
「問題ないのでうちの『恋のお守り』買って行って下さいよ」
「俺んところの『いい夢見ろよ枕』買ってけって」
「いやいや、彼女のいないお二人には是非『何時でも一緒。人工知能搭載球体間接人形、三十センチの恋人ソワンちゃん』を買って頂きたい!」
「全部要らねぇよ! つか、何だよそのラインナップ。俺を哀れむんじゃねー!」
「右に同じです」
目付きの鋭い実行委員は鎖を術式で作り出すと引き千切り、一個一個を屋台に向かって投げていくが、相手は同じ魔術師である。屋台に届く前に悉《ことごと》く消滅されてしまう。
「ジャック先輩今日も人相悪いですね。笑顔の練習してくださいよ」
「うるせぇよ。しばくぞコラァ」
「ドーリー顔色悪いな大丈夫か? 良い精力剤あるけどどうよ?」
「余計なお世話です」
魔術師学校では魔術の暴走は日常茶飯事なのか、ほんの数分前に死ぬかも知れないような事態だったにも拘らず、何事も無かったかのように二人の実行委員と軽口を叩いている。
魔術師学校の生徒の精神のタフさに感心していると、ラグナは小声でアークに謝った。
「すまない」
「何故ラグナが謝るんだ?」
「今の炎の竜だが、あれは私達を狙ったものかもしれない」
「何を言っているんだ。今のはただの事故だろ?」
ラグナは困ったような悲しそうな笑顔を浮かべ「分からない」と言った。
「もし、私達を狙ったものだとしたら巻き込んですまなかった」
それでは――と立ち去ろうとするラグナの腕を掴み引き止める。
「もしも今のがラグナ達を狙ったものだとしたら私達と一緒にいた方がいいじゃないか?」
アークの提案にシュルツ兄弟は驚きの表情を見せるが、ログは直ぐにしかめっ面に戻り、ラグナは優しい笑顔を浮かべた。
「有難うアーク。気持ちは嬉しいけど私達も剣術師の端くれだ。自分達の身は自分達で守るよ」
「でも……」
否を唱えようとするアークを押し止めるように逞しい腕が首に巻きつけられラグナから引き剥がされる。
「勝手な事を言うなよアーク。私はダブルデートする気は無いぞ」
「先生!?」
「悪いな。私達はこれからデートなんだ。二人っきりにしてもらえるか?」
ヴェロニカの腕の中でジタバタともがくアークの姿を楽しそうに見ながら「分かりました」と頷く。
「失礼します」
そう断るとラグナは弟を連れ去っていった。
何とかヴェロニカの腕から逃れたアークは向き直った。
「何故シュルツ兄弟を二人で行かせたんですか。私達と一緒にいた方が安全です!」
「確かにな。だがそれはあの黒いのが狙われていた場合だろ?」
「えっ?」
「狙われていたのが貴様だった場合は逆効果だ」
「何を言っているんですか。私には命を狙われる覚えはありません」
「十貴族ってだけで十分だろう。大体どんな清廉潔白な人間だろうと恨まれる事はある。そうだろう?」
恨みとは本人とは関係ないところで生まれる。
その事を知っているアークは押し黙った。
「まぁ、貴様の命くらいいくらでも守ってやるから安心しろ。それよりさっさと銀色に会いに行くぞ」
遠ざかるシュルツ兄弟の背中に不安を覚えつつも踵を返し、ヴェロニカと共に校舎へ向かい歩き出した。
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