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繭の中-15-
連れ去られた――。
昨日、イグルが暗殺者である可能性を突きつけられたアークの胸がざわめく。
『暗殺者一族サトゥー・ク』に横の繋がりは無い。
ヴェロニカはそう断言していたが、何事にも絶対はありえない。
――かつての仲間が迎えに来たのだろうか?
――或いは新たな主が現れたのだろうか?
どちらにしても暗殺者集団に連れ戻された場合、イグルは再び殺しの道具として使われる事になる。
不穏な予感に気が焦る。
「こんな事俺らが頼める義理じゃないのは分かっている。けど、俺等じゃどうにもなんないんだ」
「相手が十貴族じゃなけりゃ……」
「十貴族? イグルは十貴族に連れて行かれたのか?」
――十貴族…何故十貴族がイグルを……?
「馬車にはオルドラ家の紋章があったから間違いないはずだ」
――オルドラ。
――ノエル家が治める此処エプレッスの隣、ナーバを治めているオルドラ家が何故?
「兎に角時間がないんだ。一緒に来てくれ!」
アークは了承し、御者には友人達と寄り道して帰ると伝え馬車には先に屋敷に戻るよう言いつけた。
「俺の杖に乗ってくれ!」
先日アークへ悪態を吐いた人間と同一人物とは思えない程真剣な眼差しで促す。
頷き、跨るとすぐさま杖は浮上して行った。
「そう言えば、自己紹介してなかったよな? 俺はダート。先行しているのがトライルだ」
空気抵抗がある為ダートは怒鳴り気味に紹介するとその後、声の音量を落とし何かを言った。
よく聞き取れなかったアークは「何ですか? よく聞こえません」と問い返す。
ダートは何度かもごもごと言い直すがやはり聞き取れず、聞き直す。
「すみませんがもっと大きな声でお願いします」
「あぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ! だからこの前は悪かったって言ってんだよ!」
自棄《やけ》を起こしたように叫び、そのまま怒鳴るようにして続ける。
「イグル。あいつおかしいんだよ!」
「何ですかいきなり?」
「あいつ、言われたら何でもするんだ」
「は? 何でもって……」
「何でもは何でもだよ! 前に高等部の奴等がふざけて裸になれって言ったんだよ。魔術師になるには必要な事だからって。そしたらあいつ本当に裸になったんだ!」
ヴェロニカの言葉が蘇る『自分で考える事も出来んアホ』『魔術師になる為に必要と信じ何でも実行するアホ』
「ほっといたら何するか分からないから、クラス皆で言い聞かせて目を光らせてバカをやらかさないようにしてたんだ」
「それじゃぁ…」
屋上での一件はクラスメイトの言い聞かせを理解しているか。要求されても実行に移さないかを試していたのかと問うと、肯定する答えが返ってきた。
「あいつが余りにも無反応だったから途中から悪ふざけが入っちまったけど、そういうんじゃなかったんだ」
「そうだったんですか」
「俺はアレだけど、ジェリドは本当は良い奴なんだ。今日だって本当はお前を巻き込むなって言ったんだ。それを俺等は無視して……」
僅かに小さくなった背中から申し訳ないという感情が伝わり、それを払拭するように大声で言う。
「イグルの窮地を知らせに来てくれて有難う御座います!」
ダートは一瞬身体を震わせ、そして……。
「……スピード上げるから振り落とされるなよ!」
真っ直ぐな言葉に覚えるむず痒さを誤魔化すように飛行スピードを上げた。
術師学校を包む深い森を置き去りにし街を抜け、貴族の別邸などが並ぶ郊外と差し掛かり杖は下降を始めた。
人通りの少ない路地に着地し、自分より一回り大きい二人の魔術師の背中について歩いて行く。暫く路地を歩いていくと物影に身を隠し一点を注意深く観察している魔術師学校の生徒の姿が現れた。
気配を消さずに近寄る三人に気付き振り返った男子生徒は驚き、そして次に怒りの表情で睨み付けた。
「なんでそいつを連れてきた」
小声ではあるが怒気を含んだジェリドの声にダートとトライルは視線を足元に落とし気まずそうに俯く。
「十貴族同士が揉めたらヤバイ事くらい分かるだろう!」
王の次に力を持つ十貴族。
公爵の中でも選ばれた十家の貴族は王の軍隊に比べればやや劣るものの決して引けは取らない程の軍隊を保持している。
そんな十貴族同士が本気でぶつかり合えば国を傾けかねない。
その惨事を避けるべく十貴族間での争いの最終決着は決闘でと決まっているが、どちらが勝っても遺恨は残り、恨みから相手の領土を果ては自身の領土を腐らせた例はいくらでもある。
ジェリドが何を恐れ何を心配しているかは分かる。
だが……。
「それは私が相手に正式に名前を名乗った場合の事です。名乗らなければ立場は貴方がたとさして違いはしません。それより状況の確認と情報の整理をしませんか?」
「後から現れて仕切ってんなよ!」
「私は時間を無駄にしたくない」
「なっ!」
怒りで顔を引き攣らせるジェリドとイグルの安否を思い、焦りを感じているアークの間にダートとトライルが割って入る。
「まーまー。落ち着こうや」
「ブレイク。ブレイク」
ふんと鼻を鳴らしそっぽ向いたジェリドに代わりダートがこれまでの経緯を説明し出した。
昨日メイドカフェの当番だった者は今日一日は自由行動となっていた。
店仕舞いの作業も免除されていた彼らは下校時間きっかりに帰ろうとするイグルを一定の距離を保ちながら見守っていた。おかしな行動を取らないようにと。
森を抜けて直ぐに見慣れない馬車がイグルの前で止まり、降りてきた人物に乗車を進められるがイグルは無視した。魔術師学校ではどんな要求も受け入れるが、一歩外に出れば一切取り合わない。彼はその時も完全無視をした。
だが、回り込まれ何か書面のようなものを見せられるとイグルは大人しく馬車に乗り込んでしまいジェリド達は慌てて駆け寄り、降りるように促すが「貴方がたには関係ありません。放っといて下さい」と拒絶しそのまま連れ去られてしまった。直ぐに追跡しては不味いだろうと追跡用の術具を密かに発動させ、ここに行き着いたのだという。
「それで、彼を連れ去ったのは本当にオルドラの人間なんですか?」
「それは間違いないぜ」
背後からの返事に振り返ると郵便配達員の制服に身を包んだ二十代位の男と少し派手目な服を着た女の計二名立っていた。
淀みない足取りで近寄る二人の姿は直ぐにグニャリと歪むと魔術師学校の制服を着た十代半ばの男子生徒に変わった。
二人の顔には見覚えがある。
やはり屋上での時にジェリドと共にいた者達だ。
「その情報は確かですか?」
「剣術師と違って俺等は情報収集とか裏でこそこそするの得意だからなぁ」
「そうそう。巨乳で派手な服着た女のフリすれば簡単に情報提供してくれるんだせ」
郵便配達員に模してた者はバーク。派手な女性に模してた方はトルカと名乗った。
二人は「楽勝。楽勝」と笑いながらかき集めた情報を話し出した。
まず、屋敷の持ち主は当主であるディオンガル・マス・オルソンだが、実質の使用者は次男のソディンガル・マス・オルソンである。
三十を越えても仕事をせずに日々遊び歩いているいわゆる放蕩息子で、十貴族である事を笠に着てあちらこちらで問題を起こし、領地であるナーバを追放され各地を点々と渡り歩いていると言う事だ。
「で、そいつ美少年愛好家なんだわ」
「平民ならいくらか渡して終わりだけど、貴族の息子にも手を出して領地から追い出されたらしい」
イグルの連れ去られた理由はそれかとアークを始めその場にいる者は顔を顰めた。
誰かから魔術師学校在学の絶世の美少年の噂を聞き、十貴族の権力と金の力に頼る事を覚え、理性と道徳観念を何処かに置き忘れた恥知らずは過去と同じ愚行を起こそうとしている。
胸に広がる重く黒い吐き気を下唇を噛み締める事で耐え、どうするかを考える。
相手は十貴族。衛兵を連れてきたところで門を開けさせる事すら出来ないだろう。
十貴族である父テールスに泣き付けば門を開け、屋敷内に入る事は出来るだろう。だが、家宅捜索権はない為広い敷地内に囚われた少年を見つけ出すのは難しい。いくら問いただそうと決定的証拠がない限り「知らぬ」と言われてしまえばそれまでだ。最悪自分の悪事を隠すためにイグルを殺し窃盗目的で忍び込んだ賊だとでも言い有耶無耶《うやむや》にしてしまうかもしれない。
それだけは避けなくてはいけない。
「屋敷に居る人間が何人かは分かっていますか?」
「食料を卸している業者から聞いた話だと門番が二人。二交代制で交代時間は夕方だ。執事は一人。メイドは四人。調理人は三人。この八人は住み込みの為交代はない。で、問題の護衛人だが剣を携えた者が四人。ローブを纏った者が一人。もしかしたら他にも居るかもしれない」
剣術師が四人。魔術師が一人。計五人。
階位は分からないが十貴族の人間が低階位の術師を置く訳がない。最低でも第三位。最悪の場合全員が第一位の術師だろう。
絶望的な戦力差に赤毛のメイドに助けを求めるかを考えるが、彼女を巻き込んだ場合死人が出るかもしれない。それを思うと躊躇《ためら》いを覚える。
だが悠長にしている時間はない。こうしている間にもイグルの身に危険が迫っているかもしれないのだ。
意を決し、衣服の一部を切り裂き自身の血を染み込ませ簡単な依り代を作るとダートに頼み伝心の術式を紡いでもらった。
陣の中央に置いた依り代は術式に飲み込まれるようにして消えると直ぐに陣から人の声が返ってきた。
「アークか? 何の用だ?」
アークは端的に状況を説明し助けを求めると、陣の声は微かに低くなった。
「助けに行くのはいいが、私を担ぎ出す覚悟は出来ているのか?」
「覚悟・・・ですか?」
「私は言葉の通じない相手は遺恨を絶つ為に殺す。雇われの術師ともどもソディンガルと言うバカは確実に殺す。死人が出る。その覚悟はあるか? 無いなら止めておけ」
言葉を詰まらせるアークに非情な一言が告げられる。
「イグルの事は諦めろ」
――諦める。
――助けられるかもしれない友人を見捨てる。
そうすれば死人は出ない。面倒な揉め事も起きない。
イグルは了承の上で付いて行ったのだから問題はない。
道具として鍛え上げられる過程でありとあらゆる経験を積んでいるから、この程度の事は平気だと。
そもそも傷付くようなまともな心は持ち合わせていないとヴェロニカは言う。
見なかった聞かなかった事にし、胸に渦巻く罪悪感を無視すればいい。
あえて危ない橋を渡る必要はない。
助ける必要の無い者を助ける為に血を流す必要は無い。
そう諭す。
だがアークにはヴェロニカの言葉は受け入れられなかった。
「そんな事出来る訳がない!」
怒鳴ると陣から微かに笑い声が漏れ聞こえた。
「バカな貴様らしい。まぁ、頑張れ。どうしようもなくなったら私を呼べ。直ぐに助けに行ってやる」
そう言って、アークの返事も聞かずに伝心の術式は切られてしまった。
望みの綱が絶たれ腹を括ったアークは、ジェリド達に使用可能な術式の種類と威力を聞くと持ち物から手帳を取り出し、指示を書き込み渡していく。
「俺等が力を合わせてもあの屋敷に張られた結界は破れないぜ」
ジェリドの尤《もっと》もな指摘にアークは答える。
「攻撃系の術式では無理です。でも、外の攻撃に強いからと言って解除出来ない訳ではない」
「元を潰すって事か?」
二人の会話にダートが割って入る。
「だとしたら屋敷の中に入らないと駄目なんじゃねーの?」
「はい」
「はい。って、結界を張られている上に門番二人が睨んでいる状態でどうやって入るんだよ」
「勿論正面からです」
そう断言し、用意して欲しいものを伝えるとジェリド達にもアークが何をしようとしているかが分かった。
「本気か?」
「使えるものは何でも使います」
「でもよ……」
「他に何か良い案がありますか?」
問われ、五人は口篭る。
「悩んでいる時間はありません。非力な私に皆さんの力を貸して下さい」
巻き込まれた側に頭を下げられてはどうしようも無い。
ジェリド達五人は頷くと、手渡された指示に従い動き出した。
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