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繭の中-17-*

 何時もと変わらぬ態度であったが、第一位の術師を何人囲っているか分からない十貴族相手に決死の覚悟で乗り込んで来た自分や魔術師達の事を無視するような言動にアークの瞳に宿っていた怒りが色濃くなる。 「ソディンガル・マス・オルソンがお前の主人なのか?」  怒りから何時もより強い口調で問うがイグルは答えない。 「サトゥー・クの人間は主人以外の命令には従わないと聞いていたが、違うのか?」  突如突きつけられた名前にイグルは動じる事もなく、文化祭にて自分の身体を確かめていた者の事を思い出しなるほどと思う。 「赤毛の者にでも聞きましたか?」 「質問しているのは私だ。答えろ」 「それこそ貴方には関係ない事だ」  頑として何も語ろうとしない 「暗殺者一族の誇りを失い誰にでも尻尾を振る犬に成り下がったか?」  鉄壁の心と表情を崩すべく態と貶めるように言うと、僅かに無感情な紫水晶《アメジスト》色の瞳が揺れた。 「私は主以外の命には従いません」 「なら何故ここに居る?」 『貴方には関係ない』とは言えなかった。  この場に居る理由を説明しない限り『誰にでも尻尾を振る犬』だと烙印を捺される。  誰にどう思われようがどんな罵詈雑言を叩かれようが関係ない。  傷付く心も持ってはいない。  だが、絶対者である主に全てを捧げ服従する事を徹底的に刷り込まれたイグルにとって唯一の存在理由を穢される訳にはいかない。  サトゥー・クの人間としての身の潔白を晴らす為、重い口を開く。 「私は主の命でここにいます」  不承不承答えた言葉にアークは首を捻る。 「主がいるのか?」 「正式な主ではなく、仮のですが…」  意味が分からないと表情で訴えると、説明を付け加えた。 「前の主の首を持って来ましたが、正式な契約は交わしていないので仮の主です」 「それで仮の主は何を命じた」 「それを知る権利を貴方は与えられていません」 「大方、魔術師になる為に必要だからソディンガルの相手をしろと言われたか?」  図星の為か否定の言葉はない。 「おかしいと思わないのか?」 「何がです?」 「魔術師になるのに魔力核も持っていない者の相手をする事がだ」 「……分かりません」 「大体、お前の主はそんな事を命じる人間なのか?」 「……分かりません」 「分からない。分からないじゃない! 少しは自分の頭で考えろ!」  両手でイグルの頬を挟み額が接触するほどに顔を近付け、声を抑えながらも詰め寄る。白銀の少年は暗く翳った瞳で見つめ返しはするがその瞳にアークは映っていない。  何処か遠くを見つめ、彼の主が刷り込み、刻み、焼き付けた呪いを零す。 「疑問を持つ事は許されていません」  アークは苛立たしげに眉根を寄せる。  自分で考え行動する事を奪われた人間。ただの傀儡人形でしかない目の前の存在に怒りを覚える。  イグルが悪いわけではない。こうなるように育てた者に責がある。  分かっている。  だが、命を受ければ疑う事もせず、命じられたまま実行に移そうとする姿に無性に腹が立ってしょうがない。一度徹底的に話し合い、彼の歪みを正さねばと思う。  そのためには何とかしてイグルを無事に連れ帰らなくてはいけない。  敵の屋敷内で力ずくは難しい為、何とか自主的に帰る気にさせようと急ごしらえの嘘を吐く。 「私はお前の主に頼まれてここに来た」 「おかしな事を。主はいるかと先程問うたのに……」 「疑問を持つ事は許されていないのだろう?」  イグルは思わず押し黙る。 「主がいるかと問うたのはお前が主をどう認識しているかを確認する為だ。気にするな」  適当に言い繕っているに過ぎない言葉に不振めいたものを感じているのか紫水晶《アメジスト》色の瞳は静かに見つめるが、疑問は口にはしない。 「お前の主に伝言を頼まれている。今直ぐに帰って来いとの事だ」 「承服しかねます。私はソディンガル公爵の相手をするように命を受けています」 「それは主本人に直接命ぜられたのか?」 「…いえ」 「なら信じる根拠はなんだ?」 「直筆サイン入りの書面を見せられました」 「そんなものはいくらでも偽造出来る」  そう言われ、イグルは初めて視線を落とした。 「信憑性のない命令に従う必要性はないだろう?」 「分かりません」 「この後はどうする?」 「分かりません」 「どうしたい?」 「…分かりません」 「本当に分かりませんばかりだな」  アークが大きな溜息を吐くと、どうする事が適当か判断できないイグルは落としていた視線を更に伏せた。 「同時に相反する命令が下された場合どちらかが偽物である可能性が高い。どちらが本物であるか判断が付かない場合は主に確認する責任がある。それくらいは分かるだろう?」 「…はい」  弱々しい返事ではあったが何とか理解を得られたと胸を撫で下ろす。 「やるべき事は分かるな?」 「…主の下へ、一度戻ります」  アークは頷くと脱衣所に置いていた鞄からナイフを取り出しイグルに握らせると、この屋敷から出る為の作戦を伝えた。 「無事に主の元へ戻るんだ」 「はい」  決意が感じられない静かな声ではあったが、白銀の少年は確かにそう返事した。 「うわぁぁぁ!」  叫び声が聞こえ何事かと髭面の剣術師が脱衣所へ入ると、裸姿の金髪の少年が抱きついてきた。 「銀色の子が怖い事する」  見れば浴室内に裸で居る銀髪の少年はナイフを持って立っている。 「何時の間にそんな物を!」  意識が完全にナイフを持つイグルへと向かい隙が出来た瞬間、アークは雷撃系の術式を使い高電圧電流を流し込んだ。  体格の良い剣術師の為かなりきつめに流すと、髭面の剣術師は声もなく気を失いその場に崩れるようにして倒れた。  アークは鞄の中から一見して粘着テープにしか見えない対術師用の術具を取り出すと髭面男の手足を拘束し最後に口元にも貼り付けた。  アークは濡れたままの身体を拭き、先程の花売り少年の服を着た。イグルもやはり先程着ていた服を着直したが、邪魔な飾りが付いた上着は着ずシャツとズボンのみとなった。  浴室の大型の窓は嵌め殺しの為、天井近くの開閉式の小さな窓から抜け出る。  一階に設置されていた浴室から難なく脱出した二人はバルコニー下に潜り込みその時をまった。ネズミのチュー太……もとい姿変えの術式でネズミに扮したジェリドが事を起こすその時を。  少しして結界の幾つかが綻びを見せた時だった。  焦げ臭い臭いと共に人の叫び声があちらこちらで上がった。  結界が弱まったのを合図に仕掛けていた火炎系術式を発動させたのだ。  術式のみの炎であればそれを凌ぐ術式を持ってすれば消す事は容易だが、一度物を燃やし大きくなった炎はそうはいかない。  四方八方で同時に炎が上がり、悲鳴と馬の嘶《いなな》きが響く。  場が混乱し、火を消す事に意識が向かっている今がチャンスだとバルコニーの下から出て近くで一番結界が緩んでいる場所を目指し、屋敷を囲むようにある深い木々へ数歩進んだところで視界が遮られた。 「悪い子達だな」  全身を包み隠すローブを身に纏い不適な笑みを浮かべている男の姿にアークは一気に間合いを詰めた。  魔術師になる者の多くは接近戦を不得手とする。間合いの取り方、人並外れた反射神経や瞬発力。接近戦のセンスを持ち合わせていないのである。  高位であっても相手が魔術師であれば低位のアークにも勝機はある。  間合いを取らせるな。術式を紡ぐ隙を与えるな。一気に畳み掛けろ――何度となくヴェロニカに言われた事だ。  相手の懐に入り込み手が腹部に触れる瞬間に雷撃系の術式で電撃が流れる剣を作り貫くとそのまま渾身の力でもって押し込み近くの大木へ縫い付ける形となる。 「行け!」  白銀の少年へ叫ぶと、イグルは返事をする事もなく結界の歪みに向かって走り去った。  電撃が流れる剣に貫かれ全身が麻痺しているにも拘らず術式を展開させようとする気配を感じ、電撃の剣を放すと筋肉強化の術式で自身を鋼の武器へと変え、魔術師の顔面を殴りつけた。ほぼゼロ距離からの殴打に魔術師は呆気なく失神した。  イグルに続き脱出すべく走り出す。  木々を掻き分け屋敷と外を隔てる柵を目の前に足を止める。  ――ジェリドは首尾よく逃げ出しただろうか?  逃げ足には自信があると言っていたが万が一がある。  どうするかを逡巡するが、戻り探す余裕はない。  ジェリドの無事を信じ、結界の歪みへ手を伸ばした――その時。 「ネズミみっけた」  全身に寒気を感じ、咄嗟に間合いを取ろうとするがそれよりも早く足首に巻き付いて来た鎖に体勢を崩され、そのまま中に弧を描くようにして振り回され屋敷付近の地面へと叩きつけられた。  筋肉強化の術式を発動させたままであった為、衝撃は吸収されダメージは大した事は無い。足首に巻きついた鎖を外し身構える。  逸る呼吸を整えていると、木々の陰から一見して剣術師と分かる男が現れた。二十代と思われる男は鋼のような長身と額から頬にかけて斜めに走った傷。そして血を好む残忍な目をしていた。 「筋肉強化…剣術師か?」  嬉しそうに零すと傷の男は唐突に剣を振り下ろした。  それを寸でのところでかわし、何とか立ち上がると剣術師の間合いから逃れるように後ずさる。 「ははっ。やっぱり剣術師はいいな。低位だとしてもそれなりに楽しめる」  一気に間合いを詰められ振り下ろされる剣を甲殻鎧《こうかくがい》の術式で作った剣で受け止める。  相手が格上の場合正面から受け止めるな。上手く力を逃がせ――毎朝ヴェロニカ相手に稽古を積んだ甲斐あって傷の男の剣を流す事が出来た。  傷の男は面白そうに目を瞠り、そして酷薄な笑みを浮かべた。  容赦ない斬撃を二手三手と受けては流していく。ヴェロニカに比べれば剣の鋭さは大した事はないが、その代わりに重みがある。  今は何とか受け止めているが、それも長くは続かない。  外で待機している四人による攻撃はまだかと気が焦る。  ジェリドを始め四人の魔術師は低位だが、それは瞬時に術式を組み上げる事が叶わない為で、魔力量と知識は第五位と変わらないほどである。  前もって術式を組み上げる時間さえあれば第五位レベルの魔術攻撃が可能だと言われ、場の撹乱《かくらん》を狙い火事の煙を狼煙の合図として発動されるはずだった。  だが、狼煙が上がり数分が経つが外からの援護は未だにない。  ――何故だ!  ――何があった!?  四人の身を案じながらも必死に眼前の傷の男の剣をかわしていく。  傷の男は本気ではない。  腹一杯の猫が手の中の鼠を弄ぶのと同様にアークで遊んでいるに過ぎない。  自分が優位な立場にある時人は隙を見せる。  そこを衝けば逃げる事くらいは出来るかもしれない。  外からの援護があればと思うが、ここまで待って何の動きもない事から望みは薄い。何か手はないだろうかと思案していると突如近くの木々から爆発が起こった。  ジェリドが仕掛けていた火炎系の術式が発動したのだ。  傷の男の気が一瞬それた隙に甲殻鎧《こうかくがい》の剣に電撃効果を加え、地に縫い付けるように足の甲を突き刺した。  男が雷撃系の術師でない限り電撃効果を持った剣を抜き取るのに手間が要るだろう。それは数十秒と短い時間だが逃げるには十分な時間だ。  アークは結界の歪みへ向かうべく身を翻すが、数メートル先に立ちはだかる影に愕然とする。 「諦めろ小僧」  低くドスの効いた声だった。  たった今、地に縫い付けた傷の男よりも体格の良い剣術師。だがそんな事よりも男が小脇に抱えている者の姿に緊張が走る。  ――ジェリド!!  気を失い四肢を垂らした無残な姿に、アークは全身から嫌な汗が吹き出るのを感じた。  隠密行動を得意とするイグルは誰にも気付かれる事なく結界の歪みから外に出る事が出来た。  近くの物陰に隠れアーク・エス・ノエルが出てくるのを待ったが、一向に出てくる気配がない。先程の魔術師に捕まったか或いは別の術師に捕まったのか……。  どうするかを考える。  アーク・エス・ノエルの言うとおり主からの伝言を伝える為に来たのだとしたら、自分がそれを受け取った時点で自分と彼との関係は終わっている。  彼は任務を全うしたのだから生きて出て来ようが死んで出て来ようが問題はない。  自分は主の元へ戻り報告と命令の内容確認をすればいいだけだ。  自分にあるのは主との主従関係。他者という概念は存在しない。そう刻み込まれているのに立ち去る事に躊躇いを覚える。  自分が抜け出た結界の歪みに目を向けるが何の変化もない。  何故か分からないが胸が騒いでいる。  それは本能が危険を知らせるものだと経験として知っている。  だが、どうすれば良いか分からない。  ――真の主が居れば…契約を結んでいれば迷う事などないのに。  ――考える必要も疑問を持つ事もない。他者の言葉に惑わされる事も本能の知らせも無視し、ただ命に従い行動できるのに……。  今の自分は縛るものがない為に酷く不安定で儚い。 『この後はどうする?』  ――分からない。 『どうしたい?』  ――分からない。  必死に考えるものの、主の命に従う事を脳に……身体に刷り込まれ、それ以外を全て取り上げられた道具に『人を助ける』という選択肢はなかった。 「主に報告と命の確認をしなくては」  自分に言い聞かせるように零すと胸騒ぎを無視し、イグルはオルソン邸に背を向けた。

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